第5話 大いなる野望

 その瞬間、再び空気が砕けるような音と共にルーシーの足元から鋭利な氷柱が生成され、首筋を捕らえるように差し迫った。


 クランメがふらつくように振り返ると、紺青色こんじょうしょくの瞳を揺らめかせながら、飄々ひょうひょうとした表情のままたたずむルーシーに向かって低い声音を震わせた。



「おまえ、人を虚仮こけにすんのも大概にせぇよ。散々人の感情もてあそんだ挙句あげく堂々と利用しようやなんて、誰が賛同すると思っとんねん。はよぅうちの体質を元に戻さんかい。」


「そう怖い顔をするな。研究者たる者、結論は人の要件を最後まで聞いたうえで口にするのが筋じゃないか。」



 だがルーシーは意に介すことなく蛇を思わせる黄金こがね色の眼光でクランメを牽制けんせいした。

 その独特な眼差まなざしは学術院時代にいても畏怖いふや尊厳を集める一因になっており、クランメが当時から気にわない要素の1つでもあった。


 そんな蛇睨へびにらみに臆さずい下がりたい衝動にられたが、このままではらちが明かないことも認めざるを得なかったため、クランメは仕方なくルーシーに伸ばしていた氷柱を昇華させた。

 何の温度変化も生じない、空気に直接溶け出すような消滅の現象には改めて不気味さを覚えた。



——不本意なことこの上ないけど…感情的に歯向かってもこのおぞましい体質が元に戻るわけやない。今は大人しく奴の口車に乗ったふうに振る舞うしかあらへんな。



 一方のルーシーは氷柱が消えると、作業台の下に置いていたかばんに挟んでいた、布にくるまれた棒状の荷物を持ち出し台の上でほどいてみせた。

 中身は古ぼけた杖であり、先端には黒い鉱石が着装されていた。その杖に見覚えがあったクランメは、思わず目を丸くして作業台へと近付いた。



「これは…ラ・クリマスの悪魔を『封印』したって言われとるあのディヴィルガムか!? せやけどあれは、グレーダン教の大司教が代々受け継いどるはずなんじゃ…?」


「あれは贋作がんさくだ。教団の奴らは今でも本物だと信じ込んでいるみたいだがね。本物は何故なぜか私の祖先が隠し持っていたらしく、父が生前引っ張り出して来たのさ…ラ・クリマスの悪魔をもう一度『封印』し直すために。」



 呆気あっけにとられるクランメを尻目に、ルーシーは本題となるみずからの野望を語り始めた。



「私はいずれ大陸議会の一員となり、そして首相となってこの国をより繁栄させたい。だがその最大の弊害へいがいとなるのがラ・クリマスの悪魔だ。」


「この国は長い内戦時代を経て、人権を始めとする法整備を推進し諸外国に引けを取らない立法体系と政治体制を確立しつつある。だがそれらをもってしても、かつて預言者グレーダンが掲げた『7つのいましめ』の代わりとなって、国民がいだく悪徳を制御するには至らない。」


「諸悪の根源たるラ・クリマスの悪魔をこの大陸から引きがさない限りは、厄災はこの先の未来にも起こり続ける。より踏み込むならば、国が繁栄し民が安寧あんねいを享受できるようになればなるほど、そこからこぼれた者が相対的に悪徳を大きくつのらせ、より甚大じんだいな規模の厄災を引き起こす懸念けねんもあるんだ。」



 不意にルーシーがディヴィルガムを拾い上げ、クランメに先端の隕石を向けてみせた。その瞬間隕石から胸元に向かって不可視の光線で射抜かれるようなうずきを感じ、クランメはおののきたじろいだ。



——なんや、この感覚…!? まるで隕石に串刺しにされて、呑み込まれるかのような……気のせいとちゃうんか…!?



 悪魔を宿したことで、クランメはその隕石を突き付けられることに対して本能的に忌避きひ感をいだくようになっていた。

 同時にルーシーが持ち込んだ杖がまぎれもない本物の遺物であり、自分の天敵になってしまったことを痛感した。

 

 ルーシーはその反応を再び興味深そうに見遣みやりながら、更に話を続けた。



「ディヴィルガムは確かにラ・クリマスの悪魔を封印するために使われたが、伝承される『魔祓まばらいの儀』は失敗だったと言わざるを得ない。この隕石部分には魔素まその構成を破壊し、また悪魔の宿主にあてがうことで魔力のかたまり、言うなれば『魔魂まこん』に収縮させて吸引する能力がある。…だがその魔魂まこんを、んだ。」


「厳密にいえば、この欠片かけらほどの質量では保存を持続させる充分な力を発揮はっきできず、こぼれた魔魂まこんは原型をとどめるすべを持たずに霧散むさんしてしまうのだと考えている。ところがおまえも承知しているように、他に十分な質量を誇る隕石などほとんど存在が確認できていない。」


「従って、魔魂まこんを半永久的に『封印』し続ける方法を新たに生み出さなければ、どれだけ悪魔をたおそうとも世界は変わらないというわけだ。」



 ルーシーはその台詞せりふと共におもむろに右手をかざすと、そのてのひらの上で白く光り輝く球体が構築され始めた。

 

 クランメはその奇怪な現象に眉をひそめたが、よく目をらすと、この室内に漂う何かちりのようなものの存在を知覚した。その不思議な物質が、ルーシーのてのひらの上で渦巻くように集合しているのがわかった。



魔素まそとは壊月彗星かいげつすいせいより降りそそがれてこの世界に満ちている、悪魔にとっての栄養素であり、自然のことわりに干渉する手段だ。私も地道に鍛錬たんれんした結果、魔素まそ掌握しょうあくし魔力として保存し続けるすべを身に付けることができた。」


「とはいえ、実際に人に顕現した悪魔の魔魂まこんは途方もない密度の魔力を凝縮したもので、私でもたった1つすら。そこで着目したのが『嫉妬しっとの悪魔』の能力だ。」


魔素まそを水分子と結び付け停滞させることで氷結を生み出すという過程を応用できれば、それは物理的かつ半永久的に魔魂まこんを『封印』するすべとなり得るのではないか…その推論を進展させるべく、協力者として相応ふさわしい人材を探していた、というわけだ。」



 そうしてルーシーは作り上げた光る球体をクランメに向かって放り投げた。緩やかな軌道で飛んできた球体はクランメが片手でつかむと、そのままてのひらに吸収されるようにひしゃげてしまった。


 それに伴ってわずかだが確かに活力がみなぎるような感覚に納得しながら、クランメはルーシーをまじまじと見上げた。



「…成程なるほどな。要はうちがつちこうたたぐまれなる悪徳で、この国の平和な未来のために貢献してくれと言いたいんやろ?」



——こいつに問い詰めたいことは仰山ぎょうさんある。魔素だか魔力だかを使つこうてるおまえにも、ラ・クリマスの悪魔が宿っとるんか? 本物のディヴィルガムを持っていたっちゅうおまえの先祖は何者なんや? その隕石の情報はどっから仕入れたんや? おまえはいつからうちの『嫉妬しっと』に目星付けとったんか?


——何を聞いてもはぐらかされる予感しかせぇへん。でもこの1つだけは、はっきりさせてもらわんと困る。



「ほなら最終的にはうちに宿る『嫉妬しっとの悪魔』もいつかは『封印』せなあかんってことなんちゃうんか? どないするつもりやねん。綺麗事きれいごと並べて殉職じゅんしょくせぇ言うつもりなんか? こちとらまんまとめられたようなもんなんやで? おまえは一体どないしてこの落とし前つけるつもりやねん? なぁ!?」




 気付けばクランメはルーシーに詰め寄る格好かっこうになっており、室内の空気が小刻みに震えるように再び冷え込み始めていた。



 結局のところは単にルーシーの夢物語を聞かされていただけであり、悪魔を宿したおのが身の末路はどうなってしまうのか、その明確な回答が得られない限りクランメの返事は当初と何ら変わることがなかった。


 だが依然としてルーシーは動じることなく、クランメの紺青色こんじょうしょくの瞳をはっきり捉えながら言い聞かせた。



「確かに悪魔が顕現した者は肉体と魔力とが緻密ちみつに融合していて、着実に引きがすすべもまた、今のところ何も確立されていない。」


「そんなことやろうと思ったわ。結局うちの命なんてなんとも思ってないねん。」


「だが実現不可能とも言っていない。人命を巻き込むことなく悪魔を人の身体から引きがす方法、そして魔魂まこんに変換し半永久的に『封印』する方法、この2つの命題を同時に解き進めなければならない。これから悪魔を宿す者も、『封印』のために当然に命を犠牲にしていい道理もないだろう。」



 ルーシーの冷静な切り返しに、クランメは思わず口籠くちごもった。



——相変わらず卑怯ひきょうな奴やな、論点をり替えよってからに。おまえの言う命題に付きうとる間にうちの身に何か生死にかかわる問題が起きたとき、おまえはどう落とし前つけるつもりやって話をしてんねん。



 後出しでていよく協力をいられる身としては、その計画の先行きが保証されなければ大人しく納得するわけにはいかず、クランメは追及の姿勢を続けた。



「そんで? 後者はさておき前者の命題はおまえがきっちり担当してくれんのやろ? なんか宛はあるんか?」


「そうだな…やはり現状では隕石の力に依拠せざるを得ない。ディヴィルガム以外にも実験材料としての隕石が必要になってくるだろう。」



 その回答を聞いたクランメの口元からは、自然と自虐的な乾いた笑い声がこぼれた。



「…話にならんわ。おまえはその手掛かりも含めてうちに近付いとったんか? それとも将来的に首相になったおまえが、独断でセントラムの地盤を掘り返すような援助でもしてくれるんか?」


「何を言っている。隕石ならすでに見つかっているだろう、ディレクタティオ大聖堂に飾られている7つの十字架だ。」




 だがルーシーが至って真面目な顔で突飛とっぴな立案をくわだてていたので、クランメはしゃに構えるようにしてなおも問いかけた。



「グレーダン教総本山で崇拝されとる祭壇の装飾のことか? そもそもあの十字架は純粋な隕石やない。具体的な比率までは知らんけど、色んな不純物が混ざりうて加工された石像みたいなもんなんやろ?」



「無論そのことは知っている。何故なぜなら『魔祓まばらいの儀』で悪魔を宿した者を拘束する際、魔力を放出して抵抗されないよう微弱な隕石の力をもってこれを抑制しようとしていたからだ。だがその意義を踏まえるならば、長期的に接触し続けることで少しずつ肉体と魔力を、いては悪魔を分離させることが出来できるかもしれない。そのために詳しい成分を分析する必要がある。」


ちなみにグレーダン教信者は祈祷きとうの際に隕石を模した黒いペンダントを握りながら祈っているが、あれにはみずからの悪徳をペンダントに逃がすという意味合いがあるらしい。眉唾まゆつばかもしれないが、奴らの風習も多少は参考になるのかもしれないな。」



「そうは言うても、本真ほんまに神聖な十字架を引き渡してもらえる算段は付いとるんか? ?」



 仮にルーシーが本当に首相の座に上り詰めたとしても、グレーダン教の信仰と象徴をおびやかす真似まねができるとはクランメには到底思えなかった。


 そもそもドランジア家はグレーダン教団とは代々犬猿けんえんの仲であった。

 内戦時代を終えてドランジア家が共和国としての新たな立法体系を主導した際、抵抗感を示す者の受け皿となったのがグレーダン教と言われていた。


 現代の大陸議会でもドランジア派閥はばつとグレーダン教派閥はばつしのぎを削っており、近年では預言者グレーダンの偉業をたたえて千年という節目を祝う『千年祭』を実施しようと、6年後の話だというのにグレーダン教派閥はばつが徐々に活気付いているようであった。



 その事実も重々承知してか、流石さすがにルーシーも少し思い悩むような素振そぶりを見せていたが、やがてはっきりと宣言を下した。



「…5年だ。5年以内に、私は大陸議会の一員となり十字架の譲渡を実現させ、悪魔を人の身から引きがす足掛かりを付けよう。だからおまえはその間に、悪魔を半永久的に『封印』する方法を、確立させるんだ。」

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