第4話 翻弄

 決して温和な邂逅かいこうとは言えないなかで、クランメは見縊みくびられないように必死で熱弁を振るっていた。


 ルーシーとは専攻は違えど純粋に成績で劣っている以上、妄言だの戯言たわごとだの嘲笑あざわらわれても反撃の余地がないことは覚悟していた。

 それでも圧倒的に優秀な彼女はひょっとしたら独自性にあふれた持論に理解を示し、ささやかでも支持してくれるかもしれないという淡い期待を捨てられずにはいられなかった。


 だがその時間は忌憚きたんのない意見交換の場として発展することはなく、ルーシーは聴くだけ聴いて満足したのか肯定も否定も示すことなく立ち去ってしまった。



——なんや、結局ただの冷やかしと変わらんやんけ。まぁ、確かに今のままやとなんの意味も価値もない言葉の羅列にすぎひんかもしれへんけど…もうちょいなんか突っ込んでくれてもよかったんとちゃうか。



 クランメは未熟な研究に評価を求めること自体が浅はかだったと言い聞かせる一方で、捨てきれなかった淡い期待が徐々にいやしい屈辱へと変化へんげしていくのを感じていた。




 3年後、4年制のグラティア学術院でルーシーは早期卒業を決定させていた。


 彼女が最終的に修めた論文は、国策として進行していた『ラ・クリマス一周路線化計画』にセントラムの農業生産を絡めた、大陸東部の貧困地域を念頭に置いた支援物資の拡充策であり、さながら大陸議会に提出する施策案を書き連ねているようなものであった。


 後にその論文は高評を受けて実際に国策の一環として組み込まれることとなり、卒業したルーシーもまた大陸軍の国土開発支援部隊に即時採用されてその指揮の一翼いちよくを担うことになった。



 クランメもその論文を流し見たが、客観的な高評は正当であるようにも感じた一方で、大陸議会におけるドランジア派閥はばつがそれを強く推薦すいせんしたい狙いがあったようにも受け取っていた。


 急逝きゅうせいしたナスタ―・ドランジアに替わる派閥はばつの顔として、次女であるルーシーを持てはやす好機をうかがっていたのではないかとささやかれていたのも事実だったからである。



 だがいずれにせよ、クランメは天より二物を与えられたかのような順風満帆じゅんぷうまんぱんなルーシーの歩みに大きな忌避きひ感をいだいていた。

 

 また論文にはセントラムの周期的な豊作についても触れられていたが、その原因は壊月彗星かいげつすいせいが持つ引力だいう昔ながらの有力説を引用し手短に完結させられていた。


 完成された論文としてそれが当然だとクランメはわかっていながらも、3年前に心にこびり付いたいやしい屈辱が、更にくらにじんでいくような不快感にさいなまれていた。




 その翌年、クランメも学術院を修了すると、そのままアーレア国立自然科学博物館に就職することとなった。


 元よりプディシティア州とミーティス州の農業環境を比較研究する論文には定評を得ていたが、隕石による土壌への影響を示唆しさした独特な視点に一部の学会から注目を置かれたのか、その伝手つてで博物館職員として従事しつつ独自研究を続ける機会と自室を与えられたのだった。


 だが如何いかにアーレアに研究資料や機材がそろっているとはいえ、隕石についてみずからが主導し大々的な調査をするためには相応の予算が必要であり、他の研究員を巻き込めるだけの実績が求められた。



 そうしてもどかしい思いをしているうちにあっという間に1年が経過し、クランメはよわい23を迎えた。

 学術院時代にセントラムを訪れたときのように再び壊月彗星かいげつすいせいが接近する頃、クランメの自室には突如とつじょとしてルーシーが訪ねてきていた。


 朱色を基調とする大陸軍の制服を身にまとう彼女は、クランメにとってはあまりにも華美に見え、眩暈めまいを引き起こしそうだった。そして招かれざる訪問の要件は、みずからが論文で起草した施策の進捗しんちょく報告であった。



「国土開発支援部隊による物資提供でセントラム産の農産物をおろして回る取り組みが始まってね、先日グリセーオにおもむいてきたんだ。活動自体は特に支障はない。勿論もちろん課題はあるが、今後も他の地域を巡回する予定だ。…それに比べておまえの為体ていたらくは何だ? 以前あれだけ私に豪語ごうごしておきながら、隕石についてだ何の研究も進んでいないじゃないか。」


やかましいわ。国家事業という大船に揺られとるあんたとちごうて、こちとら一から船を組み立てなあかんのや。自慢話なら酒場でやれ。」



 壁にもたれて窮屈きゅうくつな研究室を見渡しながらなじるルーシーに対し、クランメは追い払うように手を振って嫌悪感をあらわにした。



「そうか。まぁ設計図を描くだけで一生を終えないよう精々せいぜい頑張るんだな。…そうだ、おまえにもセントラム産の果実を味見させてやろう。リンゴはいまの時期が一番美味うまいからな。」



 ルーシーはそう言ってかばんから置き土産みやげに小さなリンゴを取り出すと、おもむろに放り投げた。

 そしてクランメが慌ててそれを両手でつかんでいるうちに、ルーシーは別れを告げて部屋から出て行ってしまった。


 クランメは言い返す余地を与えない一方的な口撃こうげき鬱屈うっくつしそうになりながら、気怠けだるそうに手元のリンゴを見下ろした。



——本真ほんまなんなん? あいつ…。真面まともに口いたん5年ぶりやぞ? 何を思い出したようにあんな露骨にあおってくんねん。うちが浪漫ろまんを追うのにどんだけ視界不良のなかで筋道立てなあかんのかわかっとるんか? わかったうえで馬鹿にしとるんか?



 その果実は確かにつやめいて質が良さそうだったが、リンゴ自体はその辺の市場でも売られていて特段珍しいものでもなかった。

 だがクランメには小さなリンゴを突き付けられることが、ルーシーから暗に卑小ひしょうな凡人だと嘲笑あざわらわれているように思えてしまった。


 小腹が空いていたことも相まって、クランメはつの苛立いらだちを呑み込むようにそのリンゴにかじり付いた。

 小さな果実は生意気なくらいに瑞々みずみずしくあっという間に食べ終えると、残った芯を塵箱ちりばこに投げ捨て、大きく溜息ためいきを付いて机に突っ伏した。



——おまえと一緒にすんな。誰もがおまえみたいに頭が切れるわけやないし、自然と沢山たくさん他人ひとから手を差し伸べられるわけでも、他人ひとを動かす魅力を持ってるわけでもないんや。


——おまえなんかにけしかけられんでも、うちは地道に……!?




 そのとき、室内の空気が盛大に罅割ひびわれるような音が響いた。


 クランメがいぶかしむように顔を上げると、小さな研究室は霜にまみれた冷凍庫のように禍々まがまがしく凍り付いていた。



 一瞬のうちに何が起こったのか理解できず、驚愕きょうがくした口元からは白煙のような吐息がこぼれていた。

 これほどの凍結の中で何故なぜか身体はあまり寒さを感じていなかったが、そんな体調を気にする余裕すらなかった。。



——おいおい、どないなっとんねん。仮にも間借りしとる部屋やぞ。こんなん誰かに知られたらかなわんて……!?



 その懸念けねんむなしく何者かが自室を訪ねようとしたのか、すっかり凍結した扉を外側から叩く音が聞こえてきたため、クランメは頓狂とんきょうな声を荒げて応対しようとした。



「ああすまん! ちと部屋が洒落しゃれにならん散らかり方しとってな、扉越しで要件聞かしてもらうわ!」



「おいクランメ、伝え忘れたことがあったんだが…どうした? 扉から冷気が漏れているぞ。」



 だが返事の主は立ち去ったはずのルーシーであり、クランメは背筋に不快な緊張がはしるのがわかった。

 そして狼狽ろうばいした声を聞かれた恥ずかしさと異変を察知された気まずさから、舌打ちをして扉をにらみ付け、低い声音で切り返した。



「ドランジアか。…別にあんたが気にすることやあらへん。なんやまだうちを虚仮こけにし足りなかったんか?」



 その拒絶反応を込めた言葉は扉に突き刺さったかのように新たな氷の結晶を生み出し、一層堅く閉ざそうとしていた。そこでようやくくクランメはこの怪奇現象が自身で引き起こしたものであることを察した。



「それ以上氷結を広げると博物館全体に被害が及ぶぞ。それだけでなく、おまえ自身の生命も危険にさらすことになる。おまえにはラ・クリマスの悪魔が顕現したんだからな。」



 だがルーシーの冷淡な指摘を受けて、クランメは思わず口をつぐんだ。



——うちに悪魔が顕現した…!? いや、そもそもなんでおまえは扉越しにそんな断言が出来できんねん。



 隕石に浪漫ろまんいだいていたクランメは、ラ・クリマスの悪魔の伝承についても一通り把握していた。

 とはいえその悪魔が自分に顕現することも、してや顕現を指摘されることも予想だにしていないことであり、取り留めのない返事を返すことしか出来できなかった。



「…なんや、それ。どういうことやねん。」



「氷結を生み出すのは『嫉妬しっとの悪魔』だ。おまえは昔から私にただならぬ嫉妬しっといだいていたんじゃないか?」




 そしてその秘めたる悪徳を見透かされることは、クランメにとってこの上なく耐えがたい屈辱だった。


 クランメは途端とたんに胸が苦しくなり、本格的な眩暈めまいと共に霜の張った床に崩れ落ちて呼吸を荒げた。その間にもどんどん室内は凍結が進み、壁の一部を侵食して本当に皹割ひびわれを生み出そうとしていた。



「落ち着け。おまえが悪魔に呑まれるのは私の本意ではない。まずは部屋の氷結を解いて私を中に入れろ…事情を知らない人間が通りかかる前にな。」



 クランメは早くも意識が朦朧もうろうとしつつあったが、かろうじてルーシーが扉越しにとがめる低い声音にすがり付くことが出来できた。



——ああもう…何がなんだか…訳がわからん…けど……早いとこ元通りにせなあかん…。



 そしてこの惨状さんじょういやしい悪徳が更に他人へ知られ渡ることを阻止すべく、室内の修復を試みようとした。


 不思議と本能的に力の使い方を理解していたが、水浸しにならないよう氷結を一気に昇華させるには、より強い出力が要求された。

 ゆえに床につくばるようにして歯を食い縛り、頭が割れそうな思いで少しずつ凍結していた室内をかし始めた。



——なんで…なんでこないなことになっとんねん。あいつにうちのいやしい感情を見透かされてたなんて…本真ほんまに…最悪や……。





「…気が付いたな?」



 いつの間にか暗転していた視界が開けてくると、真っぐに見下ろすルーシーの黄金こがね色の瞳と視線が交錯し、クランメは慌てて身を起こした。


 自室の作業台で実験材料のように寝かされていたことに気付くと同時に、何事もなかったかのように乾きを取り戻した室内を、紺青色こんじょうしょくに染まった瞳で茫然ぼうぜんと見渡した。


 一方で身体もまた乾いて温かいはずなのに、クランメは何故なぜか鳥肌が立つような悪寒おかんを覚えていた。


 ルーシーはその反応を興味深そうにながめながら、クランメの背中越しに言葉を投げかけた。



「これほど湿しめを残さず昇華させながら室温も落ち着いたままとは、やはり悪魔の力とは底知れぬものだな。」



「…一体うちはどれくらい眠っとったんや?」


「私が部屋に入れるようになるまで3分、そこからおまえが目覚めるまで5分といったところだ。悪魔を宿したばかりの身で過剰に魔力を放出させると、身体が耐えられず昏倒こんとうしてしまうのさ。おまえには私が魔力を補充させたから、その分目覚めも早かったということだ。私もあまり悠長にしている暇はないのでね。」



 クランメにとっては初めて聞く情報ばかりで、覚ましたての脳ではルーシーの台詞せりふ真面まともに理解することが困難であった。

 

 だが1つだけ、最早もはや隠す必要のなくなった感情がしきりに訴えかける確信があった。


 クランメは作業台から降り立つと、ルーシーに背中を向けたまま冷たく問いかけた。



「…ドランジア、おまえは初めからうちやなくて、うちにつのる悪徳が引き寄せるんやな?」


「ああ、理解が早くて助かるよ。どうしても私が野望を実現するためには『嫉妬しっとの悪魔』の力が必要になりそうでね。…先程おまえに渡したリンゴにも、少々細工さいくをしておいたのさ。」

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