第3話 ドランジア

 クランメの分厚い眼鏡の奥に浮かぶ紺青こんじょうの瞳に吸い込まれるように、カリムは問いかけに対して自然と口を開いていた。



「…僕も詳しくは知らないんです。『かげの部隊』がいつから存在して、どれだけの規模を誇る組織なのか。いまディヴィルガムを持たされているのは僕ですけど、僕1人の力だけでラ・クリマスの悪魔と対峙たいじできたわけではないことは理解しています。」


「ですが、その舞台を意図的にお膳立ぜんだてされていたと思ったことはありませんでした。…最初にディレクタティオで悪魔と対峙たいじした時は、ドランジア議長から厄災が起こる可能性を示唆しさされて事前に現地で待機していましたが。」



「ドランジアが予見したんはディレクタティオんときだけやったんか?」


「あとはメンシスとグリセーオ…ですけど、グリセーオのときは大まかに大陸東部での待機を指示されていただけです。」



 するとクランメは何か納得したようにうなずいたが、その表情はどこか忌々いまいましいものをながめるような目つきをしていた。



「やっぱりな。ドランジアは最初から何人かに目星を付けとって、直接的か間接的かはさておき手を下すよう丹念たんねんに仕込んでたんや。」


「…そう言いますけど、具体的に議長が何をたばかったっていうんですか?」



 カリムがいぶかしむ通り、この先はクランメが何の証拠もつかんだわけではない、憶測と捉えられても仕方がない内容であった。



——でも無反応や無関心よりはよっぽどええわ。こっからは、うちの実体験にどれだけ信憑しんぴょう性を持たせられるかにかかっとる。




「ちょいと話を戻すけどな、厄災を起こすためにラ・クリマスの悪魔が重視するもんは、君も知っての通り悪徳の強さや。せやけど厄災の規模をより大きく、長期的に発達させるためには、そんだけ膨大な魔素が必要になる。」


「人の体を蒸気機関車に例えるなら、魔素は石炭、悪徳は火室かしつの炎、そして悪魔は投炭者とうたんしゃや。蒸気機関車の出力は火室かしつ如何いかに大きな熱量を生み出せるかに掛かっとる。とはいえ、それを維持する投炭者とうたんしゃは過酷な労働を強いられる。してや石炭を外から補充しながら火室かしつべるなんて初動はだるすぎる。…でも逆に言えば、最初から石炭が仰山ぎょうさん積まれとる車体ならよろこび勇んで仕事に励むと思わんか?」



「つまり、それなりに悪徳を高めたもんあらかじめ魔素を過剰摂取させとけば、悪魔が顕現しやすい条件が出来上できあがる。あとは些細ささいなきっかけで悪徳が更に高まれば、悪魔が顕現して仕事を始めるようになる。」


「…勿論もちろんこれはただの推論でしかない。でも恐らくうちがそのやったんや。うちが悪魔を宿したんはおおよそ5年前…ドランジアにわされたリンゴに、魔素がみっちり染み込まされとったんや。」




 カリムはこれまでの説明のなかで最も驚愕きょうがくを受けたように目をみはり、少し血の気が退いているように見えた。



——なんや、だ仮説の段階やのに蒼白そうはくな顔になっとる。…まぁ食い付きが良いに越したことはないけどな。



「ドランジアもまた、魔素を認識し操ることができる奴なんや。具体的な能力は生意気にも明かそうとせんかったけど、魔魂まこんとして魔力を可視化させたり、単純な構造や形状の物体なら魔素を浸透させることが出来できよった。」


「そもそもそないな技術があらへんかったら封瓶なんて開発出来できてないねん。液体はうちが仕込んどる言うたけど、それが機能するかの実験には毎回ドランジアが立ち会って、そん都度疑似的ぎじてき魔魂まこんを生成してもらってたんやで。」



 苦労して作り上げた封瓶が、決して欠陥品ではなく試作品であるという主張を補完するようにクランメは言い聞かせようとしたが、カリムはこれまで以上に神妙しんみょう面持おももちで質問を挟んできた。



「あの…ドランジア議長にも、ラ・クリマスの悪魔が顕現しているってことなんですか?」



「それはわからへん。伝承される7体以外にも悪魔が存在するんか、大前提として奴が何の悪徳をこじらせてるんか、それとも悪魔を宿さんでも魔素に干渉する方法があるんか。…ただ、断言できることは2つあんねん。」


「1つは、ドランジアはうちが悪魔を宿すより更に何年も前から魔力をつちこうとること。そしてもう1つは、そんな奴が今や一国の首相に成り上がって、この大陸を表からも裏からも牛耳ぎゅうじれる椅子に座っとるってことや。例えば、大陸中を行脚あんぎゃしとる国土開発支援部隊に『かげの部隊』をまぎれ込ませて、食糧物資に魔素を染み込ませたリンゴを混入させて拡散する…なんて手口も不可能やない。」


「実際の手段は憶測でしか語れへんけど、確かな道具と豊富な手駒がそろってりゃいくらでもようがあるってことなんや。…どうや? 多少は自分の上官を疑う気ぃになったか?」




 クランメは少し休憩を挟むようにぬるくなった珈琲コーヒーすすりながら、カリムの表情をうかがおうとしていた。



——今のところは順調に思えるが…だ本来の目的である幇助ほうじょの取引に決定打を放ったわけやない。この子にも少しばかり自分で考えさせる時間を与えてやらんといかんな。



 しばらくして、情報の洪水に溺れないよう藻掻もがいていたカリムから投げ掛けられたのは、至って素朴そぼくな疑問であった。



「あの…リヴィアさんは、何故なぜこれまでドランジア議長に協力していたんですか? …失礼を承知でお尋ねしますが、悪魔を宿している貴女あなたであればいくらでも、あの人が議長に成る前にでも抵抗する手段があったように思えます。」



 その真っ当な問いかけに、クランメは苦笑を浮かべて椅子にもたれかかった。



——あんまし昔のことは思い出したないんよな。…『嫉妬しっと』が再発するかもしれへんし。でもこの子に理解してもらうためには、このに及んで出し惜しみをするべきやない、か…。



 クランメは腹を決めて珈琲コーヒーを一気に飲み干すと、ゆっくり溜息を付いてから語り始めた。



「せやな…しがらみ、制約、そして不意打ち、色んな条件と結果が重なって今日まで来てしもた。さて、どっから話そうかね…。」



**********



 10年前、大陸南西部ミーティス州の田舎いなかを出てグラティア学術院に入学したクランメは、その初日から院内で名をせていたルーシー・ドランジアという同期生の存在を垣間見かいまみることになった。



 ドランジアという姓を知らぬ者は、少なくともこのグラティア州には存在しないだろうと言われていた。

 約150年前に長く続いた内戦時代が終焉しゅうえんを迎え、共和国としての政治体制を作り上げた立役者として、学舎の授業では2つの家名を教わるのが決まりであった。


 1つは、内戦における事実上の勝利者として現代における大陸平和維持軍を創設したピオニー家。そしてもう1つが、共和制のいしずえとして大陸議会を創設し現代へつながる立法体系を起草したドランジア家であった。



 ピオニー家が今でも貴族の名残なごりを残しているのに対し、ドランジア家は庶民の生活に根付いていながらも突如とつじょとして大陸史の表舞台に現れ、世襲で大陸議会を牽引けんいんし続けてきた異色の背景を持っていた。


 3年ほど前までも大陸議会の議長を務めていたのがナスタ―・ドランジアという男であり、ルーシーはその次女として、大陸随一と評されるグラティア学術院に入学した事実がすでに脚光を浴びていたのであった。



 だが他の同期生が野次馬のようにルーシーの周囲にたかさまを、当初からクランメは鬱陶うっとうしそうにながめていた。


 ルーシーの黄金こがね色の眼光は、脚光を浴びて当然だと言わんばかりの太々ふてぶてしさを放っているようで、それでいて何か野心に満ちた鋭さをたたえているように感じられた。


 そして周囲の期待通りに、ルーシーは颯爽さっそうと主席の座に就くことになった。田舎いなかの農家育ちだったクランメが必死に勉学に励み、ようや辿たどり着いた学びの当たりにする親の七光りは、反吐へどが出るような印象だった。



 そのうち政治経済専攻であるはずのルーシーは、何の意図か他学部の研究にも顔をのぞかせるようになっていた。

 それはクランメが所属する農学部も例外ではなく、ある日には農業盆地として発展しているセントラムの土壌調査へクランメと共に同行していた。


 当時は壊月彗星かいげつすいせいが最接近していた時期でもあり、5年に一度の豊作期に関心があったというルーシーの動機をクランメは小耳に挟んでいたが、直接会話を交わすことはなかった。

 それどころかルーシーはセントラムに到着してもしきりにそらを仰いでは思慮にふけっているばかりで、まるで魂胆こんたんを推しはかることができなかった。


 だがこの時既にルーシーには壊月彗星かいげつすいせいから降り注ぐ魔素が視認できていたのではないかと、クランメは後になって思い返すことになった。




 一方でクランメが掲げていた研究目的もまた、セントラムの周期的な豊作期に関連していた。


 プディシティア州の主な生産品が野菜や果実であるのに対し、故郷であるミーティス州は麦などの穀類が生産の中心であったが、セントラムで見られるような周期的な生産量や品質の変動は特段生じていなかった。


 クランメはこの特色の違いについて、千年近く前に大陸に墜ちた隕石を引き合いに着眼点を見出みいだそうとしていたのであった。



「セントラムの盆地は千年前の隕石の衝撃で丘陵きゅうりょう地帯が陥没かんぼつしたことに由来しとる。せやけど現代で確認されとる隕石は、グレーダン教総本山で十字架や司教杖しきょうじょうに加工されとるもんを除いていまだに残存してへん。」


「セントラムの地形変動を考慮するんなら、もっと馬鹿ばかでかい質量の隕石が見つからんと可笑おかしいのに、この千年の間に欠片かけらも出土した記録が残されてへんのや。例えば衝撃の熱で土壌に溶け出して、特殊な成分として馴染なじんどるんかもしれんやろ?」



 だが当時は農学と考古学を結び付けるような取り組みは評価が得られず、してや考古学にいてもクランメ自身が述べた背景の通り、隕石は研究の余地のない遺物として扱われていた。


 それでもクランメは農学を専攻するかたわらで、幼い頃に読み聞かされ浪漫ろまんを抱いた伝承上の隕石の研究に、どうにかして一枚みたいという野望があった。


 元より学術院への進学は故郷の農業発展に寄与することが目的だったが、大陸随一と名高い学びならばより詳細に研究した記録があるのではないかと期待し、施設内の書庫に日常的に入り浸るなどしていた。


 

 そんななかクランメの研究課題をどこかで聞きつけたのか、不意に尋ねてきた1人の学生がいた。



「大昔の隕石と農業を関連付けようとしてる変人は君の事かい? 良かったら話を聞かせてくれないか。」


「…あんた阿呆あほなん? 変人に興味持つんは変人しかおらんのやで。」



 それがクランメにとって、初めてルーシー・ドランジアと口をいた瞬間であった。

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