第2話 壊月彗星が廻る

 クランメがその試すような台詞せりふみなまで言い終わらぬうちに、カリムは突然崖から突き落とされたかのような蒼白そうはくな表情で立ち上がり、クランメに拳銃を向けた。


 その反応速度はクランメも目をみはるものがあったが、カリムの指は引き金に掛かったまま強張こわばっているようだった。


 だがクランメにとってそのわずかな隙を突くことは造作ぞうさもなく、微塵みじん身動みじろぎせずに向けられていた銃口を一瞬で凍結させた。


 

 金属が鋭く凍てつく音と手元に迫る冷気にカリムは驚愕きょうがくを隠せず、重みの増した銃口を力無く下ろして茫然ぼうぜんと立ち尽くす他なかった。


 一方のクランメは混乱と焦燥しょうそうせめぎ合うようなカリムの表情を澄ました顔でながめながらも、内心では青年に対してやや幻滅していた。



——本真ほんまに拍子抜けやわ。このディヴィルガムがまがい物と知らずに、この子は悪魔を宿したうちに大事な武器を奪われたと本気で思って意気消沈しとる。…それだけやない。優柔不断というか、臆病というか…何かの失敗から立ち直れず引きってるような感じやな。


——『貪食どんしょくの悪魔』を獲り逃した言うんも引っ掛かるけど…まぁそれならそれで、うちはとことん弱みに付け込ませてもらうけどな。




「驚いたやろ? これは金属を直接凍らしたわけやなくて、銃口の周囲の気体を固体に変えて詰めさせた結果なんやけど…まぁそないな理屈はどうでもええねん。」


「正直寿命が縮むから無駄に魔力は使いたないんよ。例えば君を氷柱に閉じ込めてこの舞台に飾ろうなんて趣味の悪いことも考えてない。せやから君も一旦肩の力抜いて、うちの話聞いてほしいねん。」



 クランメが改めてカリムに言い聞かせているうちに、2人の間に置かれていたポットの中身がひとりでに湧き立ち、湯気を噴出した。

 カリムの驚愕きょうがく眼差まなざしがポットに向くと同時に、クランメは杖を机に立て掛けながら席を立った。



「とはいえ、たまにはこうして魔力を発散させなあかん。これはこれで便利やけどな。」



 そしておもむろに白衣のポケットから珈琲コーヒーの粉末が詰められた瓶を取り出すと、自分とカリムのカップにお湯と共に注いで即席の珈琲コーヒーを作り上げた。

 そのついでにカリムに再度着席するよう促すと、クランメもまた椅子に座り直し、片手で贋作がんさくのディヴィルガムをもてあそびながら珈琲コーヒーすすった。


 仕方なくクランメと向かい合うことにしたカリムだったが、差し出された見慣れない黒い液体と漂うほろ苦い香りは、一段と表情を引きらせているようだった。



珈琲コーヒー、飲んだことないんか? それとも毒とか薬とか盛られとるとでも思っとる? うちが魔力で沸かしたお湯でいたから敬遠しとる?」


「…まぁ、飲みたくなったら飲んだらええよ。ここでじっとしとるとさむうなるし、君1人始末したり人質に獲ったりしても無益なことくらいわかっとるしな。」



 クランメはなく話しながら、贋作がんさくのディヴィルガムを逆さまに持ち直してつかの末端をカリムに向けた。そうして気を取られた青年と視線を合わせた。



「せやからこの機会を有益なもんにするために、うちは君に取引を持ち掛けることにした。ディヴィルガムを返してほしくば、うちの『封印』は諦めるんや。」


「厳密に言えば、うちが今宵こよい無事にヴィルトスを離れられるよう幇助ほうじょをしろ。もし変な真似まねしようもんなら…本真ほんまに君の氷像こしらえたるから、覚悟しいや。」




 悪戯いたずらっぽい微笑を浮かべるクランメだったが、一方のカリムは反射的に視線を伏せてしどろもどろな返答をこぼした。



「…いや、そんなこと言われましても…。」


勿論もちろん、それだけやと君に何の得もない。せやから、代わりにうちが知っとることを出来できる限り全部教えたる。ラ・クリマスの悪魔のこととか…、とかな。」



「!? ……どういうことですか?」



 だがクランメの台詞せりふの末端は流石さすがに聞き捨てならなかったのか、カリムはにらみ返すように再び視線を合わせた。

 一方で期待通りの反応が得られたクランメは、贋作がんさくの杖を膝に寝かせると、両肘を机に付いて少し前のめりな姿勢で応戦してみせた。



「君はなんも疑問に思わなかったんか? 現代では伝承と称されるくらい稀有けうな現象に成り下がった厄災が、ここ1カ月ほどの間に集中して起きよることを。それとも悪魔を『封印』して回るのに都合の良い偶然とでも思っとったんか?」


「……。」



 カリムは何も答えなかったが、クランメはそれを返事として受け取っていた。それを踏まえて、更に問いかけ続けた。



「これはまったくの偶然やない。ドランジアが何年も前から密かに計画し、壊月彗星かいげつすいせいが接近する時期に合わせて入念に張りめぐらせた罠や。そんなかで厄災が厄災を呼ぶような気にわん連鎖が起きとるんや。」


「でもな、大陸軍だけならいざ知らず、大勢の一般市民までも犠牲にするやり口はあんまりやと思わんか? 短期間のうちに大陸中で厄災が起きよるから色んな産業も流通も混乱して、うちらのような首都で暮らす住民にも愈々いよいよ皺寄しわよせが来てるんや。」


「せやけどいくら被害が甚大じんだいになっても、全部悪魔に責任転嫁できてまうから余計にたちが悪いねん。一国の首相としてあまりにも横暴でお粗末な展開やと思わんか?」



 だがカリムは依然として怪訝けげん面持おももちのまま無言を貫いていた。勿論もちろんクランメにとってもこれが単なる邪推にしかならないことはわかっており、想定通りの反応であった。



——この程度で同情や反感を買えるくらいなら楽なもんや。腐っても根っこは『かげの部隊』ってところか。…ほんなら、ぐに切り口を変えてやらんとな。




「ところで君はディヴィルガムで悪魔を『封印』しよる際に透明な液体が詰まった封瓶を使つこうてるはずやけど、あれは『封印』としてはんやで。そもそも一時凌いちじしのぎになるんかどうかもわからん。」



 今度こそ不意打ちをらったカリムの眉がわかやすく動き、その顔をより一層しかめさせた。



「…何故なぜそう言えるんです?」


「あの封瓶は全部うちが仕込んどるからや。」




 そしてそのクランメの真っぐな返答に、カリムは愈々いよいよ思考が追い付かなくなったようであった。


 何か言い掛かりをつけようと口を開いたが、その根拠を組み立てる素材がなく持て余しているようであった。だがクランメは不敵な笑みを浮かべながらそれを察し、もっともな疑問をみ取りながら語り掛け続けた。



「べつにうちが悪意で欠陥品を納めてたんとちゃうよ。ドランジアが未完成の試作品と承知の上で大量発注してきただけやで。」


「そもそも君、どういう原理で『封印』ができとるんか知らんやろ。せっかくうちが5年近い年月をかけて仕組みを考えたのに、なんも不思議に思わんと使つこうてるなんて悲しいわぁ。」



 クランメは大袈裟おおげさな溜息をつきながら嫌味を込めてカリムをなじったが、当の本人はいまだに何も返す言葉をひねり出せないままであった。



「あれは簡単に言えば過冷却の応用なんや。封瓶に入れとるのはただの真水。そこへ『魔力』のかたまり…『魔魂まこん』て言うてるけど、それが浸水する瞬間を引き金に急速に凍結するよう『魔素まそ』の配列を調整しとるんやで。」


「うちが宿しとる悪魔の能力、すなわち『魔力』は、一言で言うなら水の三態の操作。魔素を媒介ばいかいに水分子に働きかけることで、熱量と圧力のことわりじ曲げて物質を変化させてしまうんや。まぁ当然不純物が多いほど難儀になるから想像するほど万能やないけどな。湯を沸かす程度が疲れなくて丁度ちょうどええんや。」



 大盤振おおばんぶる舞いとでも言わんばかりに、クランメはみずからの手の内をさらしていった。

 実質的にラ・クリマスの悪魔を『封印』する最前線に立たされているカリムの足元が如何いかに空虚なものかを知らしめ、揺るがすために容赦をしないつもりだった。


 そして狙い通りに、カリムは揺れる足元にしがみつくように精一杯の質問を挟んできた。



「…あの、『魔素まそ』って…何ですか?」



 クランメは青年の食い付きに手応えを感じつつ、勿体もったいぶることなく回答を作り上げていった。



「ああ、『魔素まそ』は便宜上べんぎじょうの呼称なんや。なんせ悪魔を宿したもんにしか認識できひん、未確認の元素みたいなもんやからな。せやけど確かにこの世界の大気や水中に当たり前のように馴染なじんどるし、人も呼吸によって体内に取り込んどる。」


「そして悪魔を宿したもんは取り込んだ魔素を源に魔力を生み出し、体外の魔素を操作して自然のことわりに介入する動力にしたり、体内から具象化させて脅威を引き起こしたりするんや。前者がうちみたいな例、後者が俗に言う蒼獣そうじゅうわかやすい例やな。魔力の仕様は悪魔によって違うんやろうけど、ラ・クリマスに伝承される厄災は全部魔素を媒介ばいかいとする現象として説明できるんやで。」



 カリムは突如とつじょ明かされた未知の物質の存在を信じがたいと突き放したい衝動にられたが、これまで経験してきたラ・クリマスの悪魔との対峙たいじを思い返しつつ、その事実を呑み込んで必死にクランメの会話に追いつこうとしていた。



「…それなら魔素はどうやって生じているんですか? 魔力として消費されるのなら、いくら馴染なじんでいたとしても有限なんじゃ…?」


「魔素は壊月彗星かいげつすいせいからこの大陸に降りそそがれとんねん。壊月彗星かいげつすいせいめぐる5年おきにこの世界に魔素が補充されてるようなもんや。その自然の摂理が続く限りは有限とは言えんやろな。」




 だがクランメは容易たやすくカリムを絶句へと追いると、自虐的に皮肉を付け足した。



「恐らく今が一番接近しとる時期やからな…壊月彗星かいげつすいせいの光に反射しとるんか知らんけど、きらめく粉を絶えずばらかれてるようで毎晩まぶしゅうてかなわんのや。まぁうちに宿ってる悪魔がどうしても魔素を必要としたがるからしゃあないねんけどな。」



「…どうして、壊月彗星かいげつすいせいから魔素が…?」



「さぁな。いつか人類が宇宙へ進出できればあの壊月彗星かいげつすいせいを調べることができるのかもわからんけど、常人に認識できひん物質を科学的に解き明かせるとは思わん。ただ1つ言えるんは、千年前に悪魔をせた隕石が当時衛星だった月を破壊したんは必然やったってことやろな。」


壊月彗星かいげつすいせいが接近すればするほど降りそそがれる魔素は濃くなり、それに比例するように悪魔は膨大な魔力を生み、結果として厄災の規模も甚大じんだいになる。グレーダン教信者やないけど、本真ほんまに創世の神様がそないな人をいましめる仕組みをつくり出したんやないかと思えてしまうからな。」



 そのうえでクランメは再び贋作がんさくの杖の末端をかざし、明かされる壮大な事実に呑まれかけているカリムの視線を再び引き付けた。



「でも本題はここからや。魔素の濃度が上がれば厄災の規模は拡大する傾向にあるが、勿論もちろん被害が甚大じんだいになることで歴史にのこりやすくなるって見方はできるかもしれんけど、直接的な原因は『7つの悪徳』次第なことに変わりないんや。」


「せやから意図的に厄災を引き起こそう思ったら、大陸中歩き回って悪徳をつのらせた標的を見定めたうえで、更に悪徳が深刻化するよう細工さいくせなあかん。そないな人海じんかい戦術、普通に考えたら非現実的や。せやけど実際はそうでもない…そのために『かげの部隊』が存在してるんやろ?」

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