第6章 忍ぶ篝火花

第1話 瀬踏み

「クランメさん、大陸議会の事務官から面会の要請が届いています。明日午後に『定期連絡』という件で、ドランジア議長の代理人として訪問されたいとのことです。如何いかがなさいますか。」



 クランメ・リヴィアは自室の電話機に届いた内線連絡を左耳にあてがった受話器で聞きながら、珈琲コーヒーすすりつつグラティア州で発行されている新聞をながめていた。


 大見出しは昨日旧城郭都市トレラントが蒼獣そうじゅうの襲撃を受けて壊滅的な被害をこうむった事件が掲載されており、クランメは分厚い眼鏡の奥で眉をひそめながらその報道記事を読み流していた。



——昨日の今日で来るんかいな。愈々いよいよくくるしかないってことなんか。



「明日は休館日やろ。かえってやること仰山ぎょうさんあんねん。明後日の14時ぐらいにしてもろて。」


「承知しました。そのように返信致します。」



 そうして風蜂鳥かぜはちどり小屋からの内線は切れ、空になったカップを机に置いたクランメは深い溜息をついた。


 書架に詰め込まれた大量の参考書や資料、作業台に散乱する書類の山、そして透明な液体で満たされた何本もの筒状の瓶を茫然ぼうぜんながめながら、しばしだらけるように椅子にもたれていた。


 やがてすっかり重くなった腰を上げると、一つ背伸びをしてやるべきことの優先順位を整理し始めた。



——思っとる以上にうちも引継ぎとか色々あんねん。そんくらいの猶予ゆうよもらわなかなわんで。




 ラ・クリマス大陸西部グラティア州、首都ヴィルトス近郊に建つアーレア国立自然科学博物館に、クランメは職員兼研究調査員として研究用の小部屋を与えられ従事していた。


 その自室に内線連絡を受けてから翌日の夕方までこもりきりとなったクランメは、最後に風蜂鳥かぜはちどり小屋から一通の封書を発送させたのち、後頭部で結わえた象牙色ぞうげいろの髪を揺らしながら、黄昏たそがれの街並みを歩き始めた。


 大陸随一と言われるグラティア学術院に入学するためよわい18でこの首都を訪れてから10年が経ったが、その間にもガソリン自動車が道路を行き交い始めるなど、街は目紛めまぐるしい変遷へんせんと発展を遂げていた。



 その中でも店構えが変わらない行きつけの酒場にクランメは立ち寄り、カウンター席でお気に入りの果実酒をたしなんだ。

 小柄な体型ゆえに最初は未成年と間違われて一悶着ひともんちゃくあった店主とも、今では仕事の愚痴や冗談を交わせる程度の関係を築いていた。


 その店主に向かって露骨ろこつに思い詰めたような口調で、クランメは突拍子とっぴょうしな問いかけを繰り出した。



「…なぁ、もし明日でこの世界が終わるとしたら、あんたなら最期さいごに何して過ごすん? …例えば、巨大な隕石が墜ちてきて世界が丸ごと吹っ飛ぶみたいな状況になったとしてな。」



 一方の店主はその仰々ぎょうぎょうしい質問と例えに何ら疑問を挟むことなく、グラスをみがきながら少し考えたのちに淡々と回答した。



「そうですね…私は酒場の店主ですから、貴女あなたみたいなしおれた顔をしているお客様に最後まで晩酌ばんしゃくの機会を提供し続けたいですね。」


「おい、乙女おとめに向かってしおれた顔とか失礼にも程があるやろ。」


「ああ、でも本当の最期さいごは愛する妻子と過ごしたいですね。この人生で良かった、生きてて良かったとかえりみながら世界の終わりを迎えたいものです。」


「あっそ。く相手間違えたわ。寝つきがわるうなる。」



 最早もはや手馴てなれているかのように店主にあしらわれ、クランメは苦虫をみ潰したような表情をやわらげようと、残っていた果実酒を一気に飲み干した。



貴女あなたはどうなのですか?」



 クランメは藪蛇やぶへびが引き寄せた嫉妬しっとの感情から逃げおおせるべく早々に会計を済ませようとしていたが、店主は引き留めようと意味深な質問を同様に返していた。

 だがクランメはかれるのをあらかじめ待っていたかのように、眼鏡の奥からくら眼差まなざしを向けた。



「うちは研究員やからな、世界が吹っ飛んでものこせるもんがあるならのこす。そのために最期さいごまで足掻あがく。人生は何かをのこせて初めて意味があるもんやと思っとるからな。」


「…まぁ、本真ほんまはそないな理不尽な最期さいごから逃れるために足掻あがくべきなんやろうけどな。」





 その翌日、予定していた14時にアーレア国立自然科学博物館の受付に現れた、カリムと名乗る大陸議会事務官の身形みなりをした青年をクランメは出迎えた。


 クランメは大して寒くもない館内で深緑色のストールを巻き、白衣の下にセーターと黒地のタイツを着用していたが、カリムはまゆ一つ動かすことはなかった。

 一方で青年は精悍せいかんな顔つきだが左目を前髪で隠していたためか、クランメはどことなく陰鬱いんうつな第一印象を受けていた。


 だが彼が布にくるまれた棒状の荷物を手提げかばんの持ち手に挟むように抱えている姿を見遣みやると、そんな素性すじょうはどうでもよくなり、早速さっそく面会の場所へと案内することにした。


 その道中、展示されている珍しい草花や鉱石を見て回る来館客を尻目に、クランメはひとごとのようにカリムに話し掛けていた。



「アーレアに来るんは初めてか? ここは内戦時代に盛況だった闘技場を国が買収して改装してな、単なる展示場としてだけやなく自然科学関係の研究施設も色々と詰め込まれて充実しとる。うちも博士はくしじゃないんやけど、学術院できっちり勉学修めて、博物館の職員やりながら調査研究の手伝いをしとるんよ。まぁ後者の方が専門で、前者はついでみたいな気持ちでやっとるんやけどな。」


「…そうなんですね。」


「ああ、ところで聞き慣れないなまりしとるやろ? うちはミーティス州の田舎いなかの出身やから、あの辺はみんなこういうしゃべり方なんよ。でもヴィルトスに来てからも意地でも口調では迎合せえへんて決めとんねん。堪忍かんにんしてや。」



 クランメはない相槌あいづちを返すカリムを他所よそに、館内の隅にあるいかにも古き闘技場らしい重厚な扉の前に辿り着くと、てのひらほどの大きさがある錠前をほどいてカリムを招き入れた。


 そして階段を下っていくと、円形の舞台を何段もの長椅子で囲むような広々とした地下空間が現れた。



 無数の照明器具によって照らされている舞台には、不似合ふにあいな丸机と2対の椅子が置いてあり、丸机にはポットとカップが並べられていた。


 面会にしては大袈裟おおげさすぎる会場設営にカリムは思わず足が止まったが、なおも舞台へくだる階段から振り返ったクランメが皮肉っぽく言い聞かせた。



生憎あいにく自室が散らかっとって大陸議会の事務官様をお持て成しできひんのや。それにここなら。ちと寒いけどな。」



 そうしてクランメは颯爽さっそうと階段をくだりきり、舞台に上がって着席しカリムの到着を待ち構えた。

 

 カリムは地下空間の肌寒さと妙な不気味さにやや警戒を強めながらも、薄暗い足元に気を付ける振りをしながらゆっくりともう一方の椅子を目指した。そして慎重に着席すると、クランメはまた他愛のない話を続けた。



「上が正々堂々たる決闘の場なら、ここは法外な賭け金が動く闇の闘技場だったなんて言われとる。国はそないな血生臭ちなまぐさい歴史にふたがしたかったんか知らんけど、この空間を特別展示場にでもしようとか当初は考えたんやろな。でも結局搬入出はんにゅうしゅつの手間とか色んな課題があったんか文字通りふたされてそれきりになっとんねん。」


「ところでこういうんはむしろ若い子の視点が思わんとこで参考になったりするもんなんやけど、君はここに何飾ったらええと思う?」



「えっと…すみません、『定期報告』の件でお邪魔したんですが。」



 カリムはクランメの雑談にまったく迎合することなく、辿々たどたどしく本題に入ろうとした。



——なんや随分と空っぽな子やな…茶化して誤魔化ごまかすんは無理があるか。



 クランメは面白くないと言わんばかりに露骨ろこつな溜息をつき、仕方なくその流れに従った。



「…で、なんなん?『定期報告』て。」


「いえ、その…『定期報告』とだけ言えばそれで伝わるとうけたまわってきたのですが…。」




 細身な体型が更に恐縮するような気まずさをかもすカリムを前に、クランメは内心でもう一度溜息をついた。



——ドランジアの奴、どういうつもりやねん。トレラントの一件の後早々に部下を送り付けようとしたわりには、この子はなんも知らんみたいやないか。


——いや、わざなんも知らん振りして隙を突こうとしとるのかもしれへんな……まずは鎌を掛けてくべきなんちゃうか。




「『定期報告』と称してうちを訪ねる連中はみんな漏れなく『かげの部隊』の一員やったんけど、君もそうなん?」


「…はい。」


「まだ若いのに、なんで『かげの部隊』なんかやっとるん?」


「…ラ・クリマスの悪魔をすべて封印して厄災のない世界を実現したいからです。」


「それ、みんなして同じこと言うねんけど、本真ほんまに君の本音なん?」


「…僕自身、悪魔に因縁があったので、議長を通して志願した次第です。」



 質問を重ねるたびに、カリムは更に委縮していくように見えた。クランメもまたそれが過度な警戒や不信感にるものでないと見ていたが、ディヴィルガムを託されているであろう立場としては逆に心配になるような反応でもあった。


 それを踏まえて、クランメは更に質問を続けた。



「いまは君がディヴィルガムの使用者ってことでええんやな?」


「…はい。」


「ほなら君が昨日まで起こった5つの厄災すべてにディヴィルガムを使つこうて対峙たいじして、5体の悪魔を『封印』をしてきたってことなん?」


「…厳密には3体です。もう1体は僕と同行していた者が仕留めました。あともう1体…『貪食どんしょくの悪魔』は、確保することができませんでした。」




 詰問きつもんに苦しむようなカリムの答え方は、かえってクランメの不信感を強めることとなった。



——どういうことやねん。うちのところに来たんとちゃうんか。…とはいえそんな嘘を並べる理由も判然とせえへん。ほんなら、次に探りを入れるべきは……。



 そこでクランメは、カリムが持参していた棒状の荷物に目を付けた。



「君が持ってきたディヴィルガム、少し見せてもろてもええか?」



 おもむろに手を差し出すクランメに、カリムは反射的に身構えるような抵抗感を示した。だがそれはほんの一瞬であり、断る理由も浮かばなかったのか、布にくるまれた状態のまま恐る恐るディヴィルガムを手渡した。


 クランメはこれをほどくと、両手で抱えるようにして古びた杖を観察した。今となっては見慣れた遺物であったが、それゆえに先端に着装された鉱石の明らかな違和感に即座に気付いた。


 だがその反応にややいぶかしむような視線を送るカリムは、杖の違和感を認知していないように見えた。



——これは…巧妙なまがもんや。うちをあざむくつもりだったんか? いや、そないなわかやすい手口をドランジアが使うわけあらへん。そもそもこの子は本真ほんままがもんを持たされてることに気付いてへんのやろか。


——しゃあない、もう一歩仕掛けなあかんな。…向こうが陰湿な手口に出るんなら、うちはこの子をとことん利用するまでや。



 クランメは贋作がんさくのディヴィルガムを握り締めたまま、まぶたを閉じてみずからを落ち着かせるように一つ大きく息を吐いた。



 次にカリムへ視線を向けたときには、分厚い眼鏡の奥に浮かぶ瞳が、深海を思わせる紺青こんじょう色に揺らめいていた。



「ほんならうちがラ・クリマスの悪魔を宿しとる身やったとしたら、君はどうするん?」

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