第7話 あだうち

 そのとき別の方向から何か空気を裂くような音がして、人間の男がうめき声を上げて草花が生い茂る広場に崩れ落ちた。

 猟銃を構えた男が静かに距離を詰めていたところを、右手側から何者かに肩部を射られていた。



 ピナスが恐る恐る茂みから顔を出すと、男に刺さる弓矢がラピス・ルプスの民が使うものであり、時を同じくして狩猟に出ていた父カランがこの危難にかげから救援してくれたことを察した。



——本当ならこの隙に退散することが、妥当な判断なのかもしれない。


——でも、こいつには直接かなきゃいけない。

 


 ピナスは茂みをき分けて姿を現し、射られた痛みをこらえて立ち上がろうと藻掻もがく人間の男に歩み寄って、震えた声音で問いかけた。



「…何故なにゆえわしを殺そうとした? 何故なにゆえあの姉妹ではなく、おまえのような者がわしを待ち構えていたのだ?」



 ピナスを見上げた男は、あえぎながらも激しい剣幕を突き付けていた。それを見ただけで、言わんとしていることはおおよそ想像がついてしまった。



 だが実際にその口から言葉を聞き出す前に、再び広場で銃声が鳴り響いた。


 

 次の瞬間にはピナスは強く突き飛ばされて倒れており、振り返った視線の先ではピナスをかばったカランが下腹部を出血させて転がりもだえていた。


 ピナスは『獣人じゅうじん』を始末しようとひそんでいた人間が複数おり、みずからの不用意な振る舞いによって父に重傷を負わせてしまったことを理解した。


 だが脳内はその現実を受け止めきれず破裂したように真っ白になり、ピナスはカランへ近付こうとぎこちなくい寄っていた。



「父上……父上…!!」



 一方のカランは想像を絶する苦痛に歯を食い縛りながら、そのピナスの挙動を制止させるかのように腕を伸ばした。



「来る…な……ピナス……逃げ…るんだ……!!」



 そのかかれた台詞せりふが終わらないうちに、三度目の銃声が鳴り響いた。


 だが今度こそピナスを狙った銃弾は、何処どこからともなく駆け付けた大きな青白い狼によってはばまれた。



 狼は銃撃の痛みをこらえながらうなり声を上げると、応酬おうしゅうするように2体の蒼獣そうじゅうを放って潜伏する人間を襲わせた。


 突如顕現した『貪食どんしょくの悪魔』の威圧感にピナスは言葉を失っていたが、青白い狼は先に射られた手負いの人間を丸呑みすると、出血が止まらず息もえになりつつあるカランへと近寄った。


 カランはその狼をぼんやりと見つめながら、弱々しくつぶやくように言い聞かせた。



「プリム……すまん……あとは…頼んだ……。」



 その最期さいごの言葉にこたえるように、青白い狼はカランをも丸呑みして報復の力へと変えた。そしてへたり込み愕然がくぜんとし続けるピナスに向き直ると、聞き慣れた声で静かにさとした。



「ピナス。アリスのこと、クラウザのこと…頼むわね。」




 急転する事態に狼狽ろうばいしていたピナスは、その後1時間にも満たない断続的な悪夢を只管ひたすらに追いかけているだけだった。

 


 再び降りしきり始めた雨の中、父カランを捕食し巨大な青白い怪鳥の姿へと転じた母プリムは、人間の村落へと突撃して手当たり次第に木造の家屋かおくを破壊し、住民を捕食して回っていた。


 取り残されていたピナスが鈍重どんじゅうな足を引きる頃には、小さな村落は無惨むざんにも壊滅し彼方此方あちこちが炎上していた。

 その後青白い怪鳥が不安定な低空飛行を続けながら南下している姿を発見すると、ピナスは遠巻きに獣道をき分けながら必死な思いで脚を動かし追い掛けた。


 だが怪鳥が狙いを定めていたのは、昨今さっこんの悪天候で増水していた河川に追い詰められていたリオナとサキナであった。



 やがて襲い来る怪鳥から飛び込むようにリオナをかばったサキナだったが、態勢を崩し足を滑らせたリオナは河川へと転落し、瞬く間に流されてしまった。


 泥にまみれながら悲痛な叫声きょうせいを上げるサキナに、旋回した怪鳥が奇声を放ちながら再び襲い掛かった。



 だがそのときサキナの背後の茂みから突進するように、何者かが現れて立ちふさがった。

 そして突き出した何かに貫かれるようにして、怪鳥は青白い粒子状に拡散し2人を通り過ぎるように消滅していった。



 一段と強まる雨音と動悸の中で、ピナスは息を押し殺しながらその悲劇の顛末てんまつを遠巻きに見届けることしかできなかった。

 母プリムのむなしい最期さいごが、最早もはや助からないだろうと確信せざるを得ないリオナの末路が、銀色のまなこに痛々しく焼き付いていた。


 そして悲劇に終止符を打った杖のようなものを握る、眼鏡をかけた長い黒髪の女性軍人の人相が鮮明に記憶されていた。



**********



 あのとき手負いの人間の男に話しかけようとせず、父がかげながら示唆しさした通りその場を立ち去っていれば、その後の悲劇を生むことはなかっただろうかと、それからピナスは幾度いくどとなく自問していた。


 だが仮に両親を失わなかったとしても、何故なぜ鉛玉なまりだまを黙って寄越すような、無機質で非情な代弁を大人しく受け入れなければならないのか、その疑問への抑圧と不本意な訣別けつべつが、かえって人間への敵愾心てきがいしんはぐくむことに変わりはないだろうと思った。



——母の願いにそぐわずわしが『貪食どんしょくの悪魔』をみずから顕現させてしまうことは、当然の帰結であったのだろう。…それでも、後悔はなかった。


——いくら人間にへりくだり寄り添おうとしても、ラピス・ルプスの民はその身形みなりを作り変えることができなければ、悪魔を顕現させないことを何ら保証も確約もすることもできん。それを知ってか問答無用で一族をおとしめ優位に立とうとする人間と対峙たいじするために、悪魔の力を借りることは決して愚行ではなかったのだ。



——そして目的を果たすために、わしは立ち止まるわけにはいかん。会って、話をつけねばならんのだ。



「…ルーシー……ドランジアに……!」




「私の名を呼んだか?」



 大粒の雨が降りしきるなか、ピナスは仰向あおむけに寝そべるように瓦礫がれきに埋もれていた。知らない声音に反応されるまで、どれだけの間意識を失っていたかわからなかった。


 経験したことのない疲労感と雨で湿りきった衣服と毛並みで、瓦礫がれきみになってしまったかのように全身が重かったが、寒さを感じるどころか燃えたぎるような熱で身体は満たされていた。



 雨粒にまみれながらも次第に明瞭になってきた視界には、傘を差してこちらを見下す1人の女性軍人が映っていた。


 そのすらりとした上背と長い黒髪、銀縁の眼鏡、そして蛇を思わせる黄金色こがねいろの瞳は、まさしく7年前にディヴィルガムをかざして母を討った人物であった。その女性が、ピナスの碧色へきしょくの瞳を真っぐに捕らえていた。



「貴様が…ルーシー・ドランジアなのか…?」


「ああ、その通りだ、悪魔を宿したラピス・ルプスの民よ。」



 淡々とした答えを聞きながら重い身体を起こしていたピナスの口からは、自然とくぐもった笑いがこぼれていた。

 もう翼竜よくりゅうにも、怪鳥にも変化へんげする余力は残されていなかったが、探し求めていた2人が同一人物であったことは願ってもない幸運だと思った。



「そうか、そうか…やはりわしは間違ってなどいなかったのだな!!」



 その威嚇いかくするような台詞せりふと共にピナスは青白い狼へと転じ、ルーシーを押し倒そうと喉元のどもと目掛けて素早すばやく飛びねた。



 だがルーシーは右手に握っていた傘のつかを放りながらピナスの首元を下から突き上げるようにつかみ上げ、その反動でひっくり返すように瓦礫がれきに向かってたたき伏せた。


 予想だにしない反応と腕力により身体を強く打ち付けられたピナスは激しくせ、変化へんげを維持する力が途切とぎれて元の姿に戻った。

 頭部には然程さほど衝撃がなかったものの、首元を軽く抑え威圧するようにかがみ込むルーシーにただちに反撃する手段が思いつかなかった。



——強い……なんという腕力だ。…いなわしの余力がわずかだったということか……?



 一方のルーシーは急襲にして苛立いらだつようでもない、淡々とした調子でピナスに問いかけてきた。



何故なぜ私にって掛かる? 理由を聞いてやろう。」



 水滴にまみれる眼鏡の奥からもはっきりとのぞいて見える黄金色こがねいろの瞳を前にして、ピナスは不本意な態勢ながらもせめて本来の目的を果たそうとにらみ返した。



「2つある。…1つは、我が一族が暮らす集落クラウザに届けられた勧告の返事だ。…我々は貴様らの庇護ひごなど望まん。この街の惨状さんじょうを見て悪魔の力を思い知ったであろう。これからも我々は『貪食どんしょくの悪魔』と共にあり、そのうえで人間とは相互に不可侵であることを望む。」


「そうか。…2つ目は?」


「…単なる私怨しえんだ。貴様は7年ほど前に悪魔を宿したわしの母をディヴィルガムで討った。…それだけだ。」



 それらを聞いてもなおルーシーは微塵みじんも眉を動かすことなく、ピナスの首元に右手を添えたまま言い聞かせた。



「あのときのことはよく覚えている。だが私は悪魔を討ってなどいない。正確には、討ち取る直前に自滅したんだ。」




 その冷静で冷淡な答えに、ピナスは目を見開き息を呑んだ。



壊月彗星かいげつすいせいの遠い時期に無理矢理むりやり顕現させたようなものだったからな。『魔力』を蓄えてもあれだけ暴れれば身がたもてなかったのだろう。私としてもを逃したことは残念だった。とてもよく覚えている。」



 ルーシーが語り掛ける言葉が呑み込めず、ピナスの脳内は早くも混乱し始めていた。



——自滅…? そんなことがあり得るのか…? それだけではない…先程からこいつは何を言っているんだ…?



 目の前の女がラ・クリマスの悪魔について知らない知識を数多あまた蓄積させているように見えて、ピナスは途端とたんにその大きな影に気圧けおされるようになっていた。



「それと勧告の件だが、君の回答通り今後我々は不可侵・不介入ということで承諾しよう。」



 そしてついでと言わんばかりに、ルーシーはあっさりとピナスの要求を呑んだ。


 目的が達せられたことはよろこばしいことであるはずなのだが、いまおちいっている状況ではむしろ不気味さを覚えてしまい、ピナスはうたぐるような視線を投げ返していた。



「…貴様、何が目的だ?」



「知りたいか? 今にわかるさ。」



 ルーシーのささやき声とともに、間近で何か砕けるような音がした。



 不快な音がした方へピナスが視線を落とすと、ルーシーの右手があてがわれている首元を中心に、顎から胸部にかけて肌に大きな亀裂が入っていた。

 隙間からは淡い碧色へきしょくの光が漏れており、少しずつそのきずが全身へ伝播でんぱしていた。


 何故なぜか痛みは感じなかったが、痛覚を喪失したと言い表した方が妥当なくらいに、全身を強烈な脱力感が襲っていた。随分前に射られたやじりの麻酔薬よりも、更に抗いようのない制圧の波が押し寄せていた。


 ピナスは一段と目をみはって驚愕きょうがくしながらも、徐々に遠くなる意識をなんとか引き留めようと、あやしく見下すルーシーに向かって声を荒げた。



「…何なんだこれは!? 貴様一体何をした!?」


「ディヴィルガムを知っているのなら見当は付くだろう? 『貪食どんしょくの悪魔』を『封印』している。」




 ピナスはこの圧倒的な強者に捕らえられた以上、故郷へ帰ることは叶わないだろうと覚悟はしていたが、あまりにも愚弄ぐろうするような仕打ちに怒りを覚えずにはいられなかった。



「ふざけるな! 人間の身でそのようなことができるわけが…!?」


「できるさ。そのためにこの力を鍛錬たんれんしてきたようなものだ。それに…『貪食どんしょくの悪魔』だけは、こいねがっていたからな。」



 その台詞せりふとともに向けられる明らかな敵意が重くし掛かるようで、ピナスは愈々いよいよ口をつぐんだ。亀裂の侵食がほぼ全身に行き届き、声を発することもままならなくなっていた。



「おまえは私に仇討あだうちしたかったのだろうが、それは私も同じなんだよ。おまえが私を恨むよりもっと前に、私は『貪食どんしょくの悪魔』がらみで身内をほぼすべて失った。直接見たわけじゃないし伝聞に過ぎないのだが、私の姉が『貪食どんしょくの悪魔』におかされたと聞いている。だから今こうして私の手で悪魔を仕留められることが、実に幸運でたまらないんだよ。」



——今此奴こやつは何と言った…? 人間に『貪食どんしょくの悪魔』が顕現しただと…? 『貪食どんしょくの悪魔』は我が一族の尊厳であり、役割ではなかったのか…?



「不思議そうな顔をしているな、ラピス・ルプスの民よ。『貪食どんしょくの悪魔』が人間に宿らないと、何の証拠や統計をもとに妄信していた? 悪魔などおまえたちの特権でも何でもない、ただの共依存から導かれる結果論だ。それが千年経っても理解できないから、おまえたちの一族は刻一刻こくいっこくと滅亡へ近付くのだ。」



 やがてピナスの身体は淡い碧色へきしょくの粒子状に崩れ始め、ルーシーの右のてのひらに吸い込まれるように収束していった。



「だが案ずるな。私はそのような顛末てんまつを良しとしない。君たちの一族を含めた国民の未来を導くために、まずはこの大陸からすべての厄災を消し去る必要がある。」


「だから君には、そのいしずえの1つになってもらう。トレラントを壊滅させるほどに濃縮されたその『魔力』、有難ありがた重用ちょうようさせてもらうぞ…。」




——申し訳ありません、お爺様おじいさま。すまない、アリス。…約束を守れなかった。…目的は果たしたが、何者か更におぞましき存在を前にすべがなかった。



——どうか、わしの無知を、おごりを、…だ見ぬ脅威のにえ相成あいなったことを、ゆるしてくれ……。





 いまだ降りまぬ大雨のなか、ルーシーのてのひらには淡い碧色へきしょくを放つ光のかたまりが浮かんでいた。


 ルーシーは空いている片手で腰元のかばんから器用に透明な液体で満たされた瓶を取り出すと、ふたを開けてその光のかたまりをそっと落とし込んだ。


 液体がかたまりを絡め取るように一瞬で凍り付くと、ルーシーは満足そうに瓶をかばんへと仕舞しまい込み、最早もはや使う必要のなくなった傘を拾い上げて立ち去った。

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