第6話 解り合うため

 突如とつじょ雨中うちゅうのトレラント市街地に落雷が生じたかのような衝撃がはしり、『貪食どんしょくの悪魔』に吸収される蒼獣そうじゅうの軌跡を追っていた大陸軍人がその風圧で吹き飛ばされた。


 衝撃の中心地では盛大に煙が上がり、一帯の煉瓦れんが状の家屋かおくが広範に押し倒されるように崩壊していた。


 市街地への砲撃は制限していたはずが何処どこか誤射したのではないかと大陸軍側がざわめき立っていたが、やがてその煙の中から全長30メートルはあろうかという巨大な図体と翼を持つ青白い獣が姿を現した。



 それは御伽噺おとぎばなしに描写されるような翼竜よくりゅうと言い表すべきだと大陸軍の誰もが捉え、そのうえで未曽有みぞう畏怖いふ焦燥しょうそうを覚えた。


 そしてトレラントの張り詰めた空気を八つ裂きにするように、青白い翼竜よくりゅうが都市全体を震撼しんかんさせるような咆哮ほうこうを放った。



 次の瞬間には翼竜よくりゅうが城壁へと飛び掛かり、内戦時代の名残なごりであった堅牢な壁はその史実を嘲笑あざわらうかのように粉々にたたき潰された。


 唐突とうとつな挙動に反応が遅れた大陸軍人が何人か翼竜よくりゅうてのひらに呑まれたが、当の翼竜よくりゅうは何か別の獲物を探すように鎌首をもたげていた。

 間もなくして崩落した城壁の端にたたず紫紺しこんのローブをまとった謎の人物を視線に捉えると、その壁ごとぎ払うように右腕を振り下ろした。



 謎の人物は直前までどのように立ち回るべきか迷っていたように見えたが、意を決したように飛び上がると、振り下ろされた右腕に軽やかに着地した。

 そして間髪かんぱつを入れずにその腕を駆け上がり、蒼獣そうじゅうを討ち払っていた黒い棒をかざして翼竜の胸元に突き刺そうとした。


 だが青白い輝きを放つその身体は想像以上に硬いうろこおおわれていたようで、謎の人物は弾かれた反動に蹌踉よろめいて足を踏み外した。

 

 落下するその身体は翼竜よくりゅうの右手につかまれたのち、握り潰されるようにして吸収されてしまい、黒い棒は金属が打ち捨てられるようなやや重みのある音を立てて地面を転がっていった。


 翼竜よくりゅうの右手には黒い棒を同時に握った際に感じたしびれが少し残っており、そのかすかな刺激がおぼろげになっていたピナスの意識をわずかに呼び戻した。



——やはりこれも隕石のたぐいか…小癪こしゃくなものを…。


——だが、わしを討つにはあまりにも脆弱ぜいじゃくすぎる。



 そのピナスの思考を更にたたき起こすかのように、後方から無数の銃撃や弓矢が浴びせられた。


 蒼獣そうじゅういては『貪食どんしょくの悪魔』の対策と聞かされていた黒い棒が最早もはや通用しなくなっことが知られ渡るやいなや、大陸軍は総力をもってこの厄災の化身を討ち滅ぼす他なくなった。



 他方で青白い翼竜よくりゅうへと進化を遂げたピナスにとっては、銃弾など豆鉄砲を連射されているかのようなわずらわしさでしかなく、やじりはそもそも刺さることすらなかった。


 だが愈々いよいよ解禁された砲弾が胴体に直撃すると、流石さすが殴打おうだに似た痛みと衝撃を覚え、ピナスは都市を囲む城壁全体に配備されている大砲を一様ににらみ返しながら低いうなり声を響かせた。



——りない奴らめ。貴様らはその武力がもたらす痛みを理解しておるのか。その痛みがみずからに跳ね返ったときどうなるのか覚悟しておるのか。それとも命乞いのちごいなど浅はかで愚かな選択肢だと最初から放棄しておるのか。


——結局人間もラピス・ルプスの民も同じ言葉を話しながら、言葉で真意を交わそうとしない。その方が合理的でわかやすいからだと覚えてしまっておる。



——だからわしはどこまでも悪魔になってやる。…貴様らがおのずと理解するまで、只管ひたすらに破壊し殺戮さつりくしてやろう!!



 一段と強まる雨脚を吹き飛ばすような咆哮ほうこうを放ったピナスは、暴虐の限りを尽くす一心でトレラントを蹂躙じゅうりんし始めた。


 最早もはや蒼獣そうじゅうを生み出すことすらせず、みずから城壁をぎ払って砲台を粉砕し、家屋かおくを踏み荒らし、必死の抵抗を続ける大陸軍人をその大顎おおあごむさぼり続けていった。



**********



 7年前。雨上がりのとある日に狩猟に出ていたピナスは、獲物を深追いしすぎて泥濘ぬかるみに足を取られ、崖から滑落して脚を負傷してしまった。


 何故なぜ深追いしていたかといえば、クラウザにまう若い男が直近200年ほどの間で極端に減少してしまい、狩猟の担い手が不足しつつあったために、少しでも多くの成果を求めたからである。



 減少の理由は、単純に人として異形いぎょうの姿であるラピス・ルプスの民を恐れ嫌悪けんおする人間によって、あるいはその稀有けうな体毛に価値を見出す下賤げせんやからによって、狩猟に出ていた若い男が撃ち殺されてしまうようになったからである。


 内戦時代という愚かしい時を経て、人間はより容易たやすく確実に人をあやめる武器を生み出し、携帯するようになっていた。


 そのためラピス・ルプスの民は、安易に人間に姿をさらすことがないよう一層厳しく喚起されるようになっていた。してや人間と接点を持つことなど論外であった。




「…ねぇ、大丈夫?」



 それにもかかわらず、負傷に顔をしかめるピナスの前にはいつの間にか栗毛の人間の幼女がかがみ込み、鈍色にびいろの瞳を不安そうにしばたたかせていた。


 滑落したピナスは不覚にも人間の村落に近い、草花が生い茂る広場に行き着いていたことを理解した。

 幼女はその村落の住民であると思われたが、ピナスの銀色の体毛もそこににじむ血にも臆することなく、抱えていたかばんあさりながら声を掛けていた。



「待ってて。手当してあげる。」


「…!? やめろ! 触るでない!!」


「いいから!!」



 だが幼女は強情にもピナスの拒絶を振り払うと、かばんから取り出した筒を傾けて傷口を洗い流し、軟膏なんこうを塗って手早く包帯を巻いて見せた。


 幼いながらも慣れた手付きで介抱されることにピナスは複雑な感情をいだいたが、新たにこちらへ近付いてくる足音を察知すると、強張こわばっていた顔つきを和らげるわけにはいかなくなった。



「…リオ、離れなさい。『獣人じゅうじん』を見かけたら大人にしらせろって言われてたでしょ?」



 リオと呼ばれた幼女と似たような、長い栗毛と鈍色にびいろの瞳を持つ姉とおぼしき人間の少女が、冷たく叱責するように呼び掛けていた。

 その声音のかすかな震えと数メートルもの距離感から、獣人じゅうじん』について十分に言い聞かされ恐れをいだいているのだとピナスは察した。



「でもお姉ちゃん、この子怪我してる。」


「そういう問題じゃないの! 出会ったら最後食べられちゃうってお父さんお母さんに言われてたでしょ!? 早くそこから…」


「お姉ちゃんの馬鹿! 大人にしらせたらこの子殺されちゃうんでしょ!? 怪我してるのに可哀想かわいそうだよ!!」



 負けじと声を荒げた幼女の反抗を受けた姉は、何か言い返そうと一瞬表情を引きらせたが、そのまま深い溜息をついて断念してしまった。その反応に安堵あんどした幼女は、ピナスに向き直って優しく話し掛けた。



「ごめんなさい。でも大人にはしらせないから、安心して。えっと…私リオナ。こっちはお姉ちゃんのサキナ。あなたのお名前は?」



 名前など答えるまでもなく、刺すような痛みが残る脚を引きってでもこの場を退散したいとピナスは切に願った。


 だがその一方で、何の偏見もいだかず怪我の処置をしてくれた人間の幼女の優しさを無下むげにすることもまた、後ろめたい思いであった。



「……ピナス。」



「ピナス…じゃあ、ピナちゃんって呼ぶね!」



 仕方なく答えたその名前を、リオナは姉妹の名の発音と重ねてなんとも嬉しそうに口にしてみせた。




 その後しばしの間、ピナスは人間の姉妹との会話に付き合わされることになっていた。


 リオナからは雨上がりに効能が上がるという薬草を探して、村から少し離れた広場を訪れた際にピナスを発見したことを聞かされた。

 他方でサキナはいまだピナスに警戒心をいだきながらも、リオナがピナスと打ち解けたがっていたために、気が済むまで付き合っているように見えた。



「ねぇねぇ、ピナちゃんはいまいくつなの?」



 リオナは以前から『獣人じゅうじん』に純粋な興味があったのかと思わせるような、い入るような質問を繰り返していた。



よわいは…おまえたちの感覚で言うなら、11か12くらいになる。」


「…そうなんだ? じゃあお姉ちゃんと同じくらいなんだね! 私はね…もうすぐ8つになるの!」



 ピナスの曖昧あいまいな返答にリオナはきょとんとした反応を見せたが、深くとらわれることなく近く訪れる自分の誕生日の話題へと移っていった。

 会話とはいっても大半はリオナが一方的にしゃべり、時折サキナが口を挟んで軽く言い合いになる程度で、ピナスから何か話しかけることは皆無かいむだった。


 よわいがサキナと同じくらいとは言っても、それは人間と外見的に合わせるための配慮であり、すでに23年を生きているピナスとはあまりにも語彙ごい量や精神面に乖離かいりがあった。



——人間とはわかり合えないものだと思っていたが、至極しごく真っ当な現実だったな。外見の幼さが同じくらいでも、中身はまるで違う。我々は人として数えられても、人間とは本質的に異なる存在なのだ。



 だがその一方でピナスは、リオナとサキナの屈託のない関係性にささやかな羨望せんぼういだいた。


 ピナスにもよわい11の妹アリスがおり、外見的なよわいはリオナと同じくらいであったが、控えめで口数の少ないアリスとはここまで賑やかに会話したことなどなかった。



——何故なぜだろうか。居たたまれないはずなのに、不思議と悪い気がしないのは。



 無意識に微笑ほほえましさを覚えてしまったピナスは、痛みが和らいできたことを機に狩猟へ戻ろうとした際に、また明日もここで会おうと約束を取り付けようとしたリオナへ自然と快諾かいだくの返事を口にしていた。


 快諾かいだくには元々介抱の借りを返すつもりだったという背景もあり、翌日には自家製の干し肉を持参して人間の姉妹に振る舞った。


 リオナはそれをとても美味しそうに頬張ほおばり、躊躇ためらっていたサキナも妹に促されて仕方なくかじると、満更まんざらでもない反応を示した。

 ピナスはその2人の表情をながめていると、胸の内がほんのりと温かくなってるような気がしていた。



——ひょっとしたら、一部の人間とはわかり合える余地があるのではないか。この姉妹とかかわることで、今まで見えなかった何かが見えるのではないか。



 そのほんの一握りの希望を少しでも多くすくい取ってみたくなり、その次の日も姉妹と同じ広場で出会う約束を交わしていた。



 だが、流石さすがに三度に及ぶ人間との交流を両親はこころよく思わなかった。


 とりわけ母プリムは、人間と関わることで娘がいつか悪魔を顕現させるのではないかと気が気でなかった。集落の事情から仕方なく狩猟の任を負わせているとはいえ、かたくなに再会を許そうとしなかった。


 ラ・クリマスの悪魔は昔から女にのみ宿ると言われ、極力女性はクラウザから外界に出ないよう自重じちょうする風潮があったため、ピナスは母の拒絶反応に無理を通すことがはばかられた。

 一方でピナスの意志も尊重したかった父カランは、妥協案として明日を最後に人間の姉妹とは縁を切るようけじめを付けさせようとした。


 ピナスは釈然としなかったが、これ以上の妥協は得られないだろうと渋々しぶしぶ同意せざるを得なかった。




 きたる翌日、天候は愚図ぐずついていたがピナスは約束通りに広場の茂みに身をひそめて姉妹の到着を待った。

 

 とはいえ時計など持っておらず、分厚い雲に日差しをさえぎられて正確な時間を把握できていたわけではなかったため、いつまで経っても姿を現さない2人にしびれを切らしつつあった。



——遅いな。昨日は先に待っていてくれていたのに。…何かあったのだろうか。



 ピナスはそのまま別れを告げず集落へ帰るのではなく、むしろ少し人間の村に近付いてみようかと思い立ち、一旦茂みから身を退こうとした。


 

 だがその刹那せつな、鋭い発砲音が響くと同時に、銃弾がその茂みを突き抜けてきた。


 尾をかすめたその銃撃の理由をピナスは呑み込むことができず、一瞬で血の気が退いてひっくり返ったような姿勢で硬直してしまった。



——狙撃された…!? 表には顔も尾も出していなかったのに……!?



 少しでも物音を立てれば再びこの鉛玉なまりだまを撃ち抜かれるのではないかと危惧きぐする一方で、そのままの姿勢では銃口の位置も距離感も視認できなかったため、身動みじろぎすら躊躇ためらわれる状況に冷や汗が吹き出していた。


 ピナスが銃撃に狙われたのは、これが初めての経験であった。

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