第5話 幾千もの敵意

 違和感を解消するはずの答えがあまりにも不可思議な真相であったため、ピナスは呆気あっけに取られて銀色のまなこしばたたかせた。



「…人間は、そのような突発的な老衰の病をわずらうことでもあるのですか。」


「世間には急病だと流布るふされておるが、老衰という実態は何故なにゆえ秘匿ひとくされておる。その真相は誰にもわからぬ。…とはいえ、『魔祓まばらいの儀』という偉業の裏に何かがあったことだけは確かじゃろう。」




 炎の中でもろくなったたきぎが不意に崩れ落ち、奇怪な逸話いつわに没入していたピナスは思わず目をみはった。オドラ―もまた咳払いを挟むと、脱線しつつあった話題を元に戻そうと語り始めた。



「つまり千年前に生きたラ・クリマスの人間たちは、国王たるグレーダンが突如崩御ほうぎょしたことで、厄災をもたらす悪魔を二度と目覚めさせぬよう彼がのこした『7つのいましめ』にこぞってすがり付いたのじゃ。その集団が宗教的な組織へと転じ、幼き皇子を教皇として飾り立て、新たな帝国の時代へと変遷へんせんした。」


「じゃが信仰心を確固たるものにすればするほど、新たに悪魔が顕現した事実それ自体が強く否定された。悪魔を宿した者は一段と過激な迫害を受け、あまつさぎぬを着せた者を『魔祓まばらいの儀』を模した儀式ではりつけにする、所謂いわゆる『魔女狩り』も屡々しばしば横行するようになった。」


「その頃にはすでにディヴィルガムは所在がわからなくなっていたのか、儀式はその形状を模した槍で突き殺すだけの低俗な見世物に成り下がっておった。そのために罪のないラピス・ルプスの民が何人も捕らえられ、犠牲になったと言われておるのじゃ。」



 戻された話題の先に待っていた展開は、ピナスにとって何とも胸糞の悪い人間の歴史であった。


 新たなたきぎを炎に放り込むと、抱えた膝に顔をうずめ、くらく沈んだ銀色のまなこでそれを睨み付けながら、低い声音で改めてオドラ―に問いかけた。



「結局我々は人間によって都合よく『貪食どんしょくの悪魔』の役割をかぶせられ続けている…そういうことなのですか。」



「ピナス、人間とはおまえが考える以上に臆病な生き物なのじゃ。瑠璃銀狼るりぎんろう様の血をたまわったラピス・ルプスの民と比べて人間の寿命は短く、身体はもろく、我々以上に共生を深めなければ存続できない。それゆえおのが命への執着が強く、保身のためなら真実を捏造ねつぞうし、歪曲わいきょくし、時に他人の命さえも容易たやすく利用するものなのじゃ。」


「創世の神はそのような愚かな民を律するために隕石にせて悪魔をこの地に根付かせたのだと、グレーダンは主張しておった。そのうえで『貪食どんしょくの悪魔』の顕現を我が一族の役割と捉えるか呪縛と捉えるかは、おまえ次第じゃ。」



**********



——お爺様じいさまは人間との関係を築くにあたり、只管ひたすらに平和的な着地点を模索し続けておられた。ラピス・ルプスの民が厄災をもたらす役目を担っているのではないと人間に歩み寄る一方で、同胞には呪縛のように悪魔にとらわれる必要などないと言い聞かせたかったのかもしれない。


——それ自体は一族を束ねる長老として、何ら間違った姿勢ではないと思う。だが、現実は違う。我々が委縮しておるに、人間は厄災に比肩するほどの武力をうに身に付けておった。



——人間は臆病で脆弱ぜいじゃくだが、狡猾こうかつで器用で。生物的な優劣など最早もはやあってないようなもの。そして千年の時を経てグレーダンなる預言者の主張など形骸化けいがいかし、我が一族へのたちの悪い偏見だけが残った。


——ならば我々の役割とは、人間の歩む歴史の中で厄災の畏怖いふを、悪魔のいましめを何度でも呼び覚ますことではないだろうか。




 大陸西部の首都ヴィルトスに近付くにつれてまた少しずつ雨脚が強まってきたが、くらい空をかけるピナスの碧色へきしょくの瞳は燃えたぎるように揺らめいていた。


 その瞳に再び砲弾が迫り、追い駆けるように爆発するような発射音が聞こえてきた。


 ピナスは冷静に滑翔かっしょうしてその軌道をくぐり抜けると、より高く舞い上がって目下に広がる旧城郭都市トレラントににらみを利かせた。



 先程の旧砦きゅうさいと首都ヴィルトスの中間地点にあたるこのトレラントも内戦時代の名残なごりが強く、今なお街は正方形の堅牢な城壁に囲まれて成り立っていた。

 現代では東西南北の品々が交わる大陸有数の商業都市として栄える一方で、大陸平和維持軍の演習施設などを兼ね備えており、治安維持の目的もあわせて常時数千単位の軍人が駐屯していた。


 旧砦より打ち上げられた信号弾がトレラントで確認されたことで即座に住民らへ避難命令が発せられ、数千に上る軍人たちが都市中に展開し『貪食どんしょくの悪魔』の迎撃態勢を敷いていた。

 ここへ来てようやく先によぎった緑色の煙の意味を理解したピナスは、桁違いの敵意をその身で受け止めながら内心舌打ちをしていた。



——さすがにこれだけの軍勢を無視するわけにはいかんのう…。だが近辺は開けて見晴らしが良く、先のような奇襲策は採れそうにない。それに街中の軍人どももほとんどが家屋かおくの屋根や高台に立っておる。これでは地を蒼獣そうじゅう真面まともに歯向かうことが出来できん。



 いかに蒼獣そうじゅうとはいえ狼を模したその姿では、跳躍ちょうやくできる高さや距離には限度があった。代わりに鳥を模すことも可能であったが、狼のそれと比べ動作が複雑化するため、生み出せる数や襲撃能率が大きく低下するおそれがあった。


 そして蒼獣そうじゅうは意志を持たないため、臨機応変に姿を変化へんげさせることもできない。

 地形的にも戦略的にも人間側にとって万全な態勢とも言えるこの要塞に正面から挑むことは、明らかに無謀であるように思えた。



 他方でこれだけの武力を放置してヴィルトスに向かえば、目的を果たす前に大陸軍に挟み撃ちにされる可能性があり、衝突は避けられないとも推察した。


 逃げ続けるにしても怪鳥の姿で飛行するという人の身とかけ離れたわざは想定以上に力の消耗が大きく、クラウザへの帰還を見据みすえればその弊害へいがいを少しでも排除すべきであった。



 だがそれ以前に、ピナスの本音はすでにそうした懸念けねんや理屈をお座成ざなりにした、敵意にむくいるためのたかぶる闘争心ですっかり満たされていた。



——これはむしろ良い機会と捉えるべきではないか。人間どもには今ここで思い知らせるべきなのだ。…我が一族になすり付けた悪魔による厄災の力を。


——あわよくばこの街の殲滅せんめつによって、大陸議会にその力を誇示してみせようぞ!!




 その宣告が怪鳥の鋭いき声となって雨中を切り裂くと同時に、身体が無数の青白い粒子となって弾けた。


 粒子は椋鳥むくどりを思わせる群体となって一面に広がり、くらいい空に映る巨大な青白い壁となってゆっくりとトレラントへにじり寄った。


 その不気味な現象に大陸軍はみな息を呑んだが、それが目晦めくらましだと判断すると、隠れて迫って来るであろう『貪食どんしょくの悪魔』を予期してその青白い壁へ一斉に発砲した。



 だがピナスはその壁の下をくぐり抜け、い上がるようにして颯爽さっそうと城壁へ降り立ちながら、間近で銃口を掲げていた軍人の首元をつかんで押し倒した。


 それは元のラピス・ルプスの民としての姿に青白い簡易な翼を生やしただけのき出しの形態であり、ほぼすべての悪魔の力を一旦放出しおとりとした捨て身同然の作戦であった。


 周囲の軍人が異変に気付く頃には青白い壁が急速にピナスへと吸収されていき、次の瞬間にはその輝きが暴発して、城壁の上で何十という蒼獣そうじゅう二手ふたてに分かれてあふれ出した。

 それと同時にピナスは再び怪鳥の姿へと復帰し、トレラントの市街地へと突撃した。



 その翼はそれまでのたかのような柔らかさからはやぶさのような鋭さへと変化し、迎え撃つ銃撃を荒々しく舞い踊るようにかわしながら、高所で分散している軍人へ次々に喰らい付いていった。


 ついばんでは丸呑みし、あるいは鉤爪かぎづめで握り潰し、時に狼の姿に転じて牙を立てながら、容赦なく人間を青白いおのが身の輝きに取り込んでいった。


 多少なりとも銃弾や弓矢がその身体をかすめていたが、最早もはや気にさわるような痛みは感じ得なかった。

 この無数の敵意を制圧するために、おのが身が傷付くことへの躊躇ためらいはうに失われていた。



——だだ…立ち止まるな…! 人間が厄災に恐れをなして降伏するまで、決して攻撃の手を緩めてはならん!!



 だがピナスは、しばらく経っても周囲から浴びせられる銃撃の数が思ったように減っていないことに徐々に疑心を抱き始めていた。

 旧城郭都市の構造上、外堀の制圧は蒼獣そうじゅうに任せて内側をみずからが崩していく魂胆こんたんだったはずが、その通りに機能していなかった。


 不図ふと城壁へ視線を移すと、その外堀の侵略を喰い止めている者がいることに気付いた。



 紫紺しこんのローブをまとい無機質な白い仮面をかぶった何者かが、黒い棒のようなものを振り回しており、その棒に裂かれるように蒼獣そうじゅうが次々と霧散していた。



 そのさばき方は長剣と大差なかったが、明らかに刃のような鋭利さは無く、警棒と見なすのが妥当であるように思えた。

 だが武器とは到底言い表せないその稚拙ちせつな道具によって蒼獣そうじゅうが無力化されており、反対側の城壁でも同じような服装の者が黒い棒であらがっていた。


 予想外の事態にたちま焦燥しょうそうに駆られたピナスが思わず城壁を見回すと、明らかに大陸軍とは異なる紫紺しこんのローブをまとう謎めいた存在が他にも数名視認できた。



——どういうことだ!? 蒼獣そうじゅうを、悪魔の力を無力化できるのはディヴィルガムだけではなかったのか!? あのような武具の存在など、お爺様じいさまから聞いたこともない……!?



 そのとき、羽搏はばたきながら周囲に気を取られていたピナスの脇腹辺りに一本の矢が突き刺さった。


 その衝撃自体は大きな苦痛を伴うものではなかったが、間もなくしてピナスに猛烈な脱力感が襲い掛かった。

 やじりには麻酔薬が塗られており、通常の弓とは異なる所謂いわゆるクロスボウで放たれた金属製の矢の軌道と回避を見誤っていたのであった。



——くっ…力が、抜けていく……羽搏はばたけない……!



 ピナスは流石さすがに飛行が不安定になったため、隙を突かれる前に市街地の路地裏へと隠れるように急降下した。

 

 そして人の姿に戻ると、苛立いらだちをぶちけるように強引に矢を引き抜いた。そこからしたたる赤黒い血を確かめる余裕がないほどに、視界はくらく狭まりつつあった。



——おのれ…一体何がどうなっておる……わしは……このまま…みじめに最期さいごを迎えるのか……!?



 立て続けに襲い来る異変を、意識が朦朧もうろうとしていくピナスは咀嚼そしゃくできないままでいた。


 蒼獣そうじゅうは完全に無力化されたわけではなく、城壁からあふれた個体が何十か獲物を求めて路頭を彷徨さまよっていたが、黒い警棒のようなもので霧散させられてしまうのは時間の問題であった。

 一旦すべての蒼獣そうじゅうを再吸収することが妥当であったが、その軌跡を大陸軍が辿たどればより正確に隠れ場所をさらしてしまうおそれがあった。



 だが判断力がにぶっていく最中さなかで必死に歯を食い縛るピナスの脳内は、護るべき一族の尊厳と、果たすべき使命への固執と、小賢こざかしい人間へつのる激しい憎悪ぞうおで満たされていた。


 動悸どうきが加速し、全身に木霊こだまし、その高鳴りに載せて何者かが『殲滅せんめつせよ』とあおり立てていた。



——このようなところでたおれるわけにはいかぬ……このまま…人間どもをおごらせたまま…死んでなるものかああ!!!

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