第4話 誇りか、呪いか

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 巨大な青白い怪鳥の姿で悠然と西へ羽搏はばたき続けるピナスの身体を、少しずつ雨粒が弾くようになっていた。見上げる空は夜が明けきらないかのようにくらく、天気が下り坂であることをしらせていた。



 他方で眼下に続く線路は、そびえ立つ塔を中心に広がる石造りの壁際に差し掛かろうとしていた。

 ここは北のディレクト州、西のグラティア州、南のプディシティア州の3つの地域の境目であり、これらをまたぐように造り上げられたとりでかつての内戦時代の名残なごりであった。


 その旧砦きゅうさいには現代も大陸平和維持軍が駐屯し境界線の警備に当たっているほか、路線の中継地点としても運用されていた。

 ゆえに、定刻を過ぎても煙すら見せない蒸気機関車に不審をいだいた大陸軍によって、旧砦きゅうさいは物々しい雰囲気に包まれていた。


 間もなくして、やぐらの機能を果たしている塔で軍人の1人が迫り来る不気味な青白い怪鳥を発見し、迎撃するための態勢へ慌ただしく展開を始めていた。



 一方のピナスもその騒がしい様子を遠巻きにながめていたが、旧砦きゅうさいに配備された大陸軍がこちらを目掛けて一斉に弓矢や銃弾を放ってきたため、無視をするわけにはいかなくなった。



——面倒だのう。逐一ちくいち軍人どもの相手をしていたら日が暮れてしまうわ。



 普段から動物の狩猟に従事していたピナスのまなこからすれば、弓矢の射程や銃弾の軌跡を見極めることは難しいわざではなかった。

 だが転身している怪鳥の姿で機敏な飛行ができるわけではなく、高度を上げればその分悪魔の力の消費が激しいように思えて、大陸軍の射撃を回避しながら越境することに躊躇ためらいを覚えた。


 仕方なく大きく旋回し、旧砦きゅうさい迂回うかいしてグラティア州へ突入しようと試みたが、今度はそれを見越していたかのように大きな爆発音が響き、ピナスのかたわらへ瞬く間に砲弾が迫ってきた。



 ピナスは反射的に身をひるがえしてかろうじてこれをかわしたが、その砲弾が付近の山壁に着弾し身体を震わせるような轟音ごうおんを立てた。


 さすがに冷や汗を浮かべて旧砦きゅうさいにらみ返すと、その視線の先では黒煙を上げる大砲へ続けざまに弾が装填されようとしていた。



——人を、生き物をあやめるために、人間はここまで仰々ぎょうぎょうしく残酷な道具を使わねばならんのか。いかにわしが悪魔を宿しているとはいえ、問答無用でこのようなものを放つのか。



 グラティア州への侵入を警護する大陸軍の役目などピナスには知る由もなく、端的に『貪食どんしょくの悪魔』に対し強い敵意を向けられているという認識しか持ち得なかった。


 ゆえにピナスは絶え間ない射撃にわずらわしさを覚えるだけなく、かつてない忌避きひを人間へと向けていた。



——これでは厄災と何も変わらん。こんなものがクラウザに放り込まれるような未来など、許すわけにはいかん。




 意を決したピナスは勢いよく滑空して旧砦きゅうさい周辺に広がる森林に飛び込むと、狼の姿に転身して茂みの中を疾走し、石造りの壁際へと急接近した。

 そして再び怪鳥へ姿を戻し跳ね上がるように飛翔すると、即座に狼へと転じて壁の上に降り立った。


 そこで迎撃の配置に就いていた軍人が大袈裟おおげさ叫声きょうせいを上げてひるんでいる隙に、ピナスは生み出せる限りの蒼獣そうじゅうを解き放ち、瞬く間に旧砦きゅうさい中をめぐらせた。



 蒼獣そうじゅうは個々が自立した意志を持っているわけではなく、単純に周囲の人間を探知して襲い掛かるだけの『力のかたまり』であった。


 恐れおののいた軍人たちがあちこちで銃を乱射する音が響いていたが、蒼獣そうじゅうもや状の身体に通用するはずもなく、阿鼻叫喚あびきょうかんは次々と蒼獣そうじゅうに呑み込まれていった。


 ピナスは再度怪鳥の姿に変化し飛翔すると、追撃を警戒しつつ蒼獣そうじゅう旧砦きゅうさい蹂躙じゅうりんしていくその趨勢すうせいを見守った。



 やがて銃声が静まり人影がまったく視認できなくなる頃、弾けるような音とともに緑色の煙をともなう信号弾が打ち上がった。


 ピナスにはその意味が理解できなかったが、気味の悪いその煙の流れを嫌うように風下を避けて石壁を越えようとした。


 だがその手前、無人となった旧砦きゅうさいで沈黙する複数の大砲を土台ごと破壊したい衝動にられた。

 数十の人間をらった蒼獣そうじゅうおのが身に取り込んでもなお、そのための力が不足しているように感じられ、人間の冷徹な創造物に激しい嫌悪をいだいた。



——やはりお爺様じいさまの考えは甘かった。人間がこのような兵器を動員すれば、30人程しかいない我々の集落を破滅に追いるまでに1分も経たぬ…我々を支配するも殲滅せんめつするも造作もないことだろう。


——それなのに何故なにゆえラピス・ルプスの民は、このに及んでへりくだり歩み寄るような真似まねをせねばならんのか。何故なにゆえあらがうための力をかざしてはならんのか。



 そうして苛烈にたかぶっていく敵愾心てきがいしんが全身の血のめぐりを益々早め、悪魔の力を増長させみなぎらせていくような気がした。



——この力は、やはり一族に掛けられた呪いなどではない。創世の神よりたまわりしラピス・ルプスの民の誇るべき力に違いない。それを人間に知らしめぬ選択肢など皆無かいむ…そうでしょう、お爺様じいさま



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何故なにゆえラピス・ルプスの民は『貪食どんしょくの悪魔』を宿すのでしょう。隕石と共に一族に掛けられた呪縛とでも言うのですか。この呪縛を解かぬ限り我々は、将来も幾度いくどと同じような悲劇を演じなければならないのですか。」



 人間とのいさかいの末に父を失い、『貪食どんしょくの悪魔』を顕現させた母をディヴィルガムによって討ち取られたピナスは、祖父であり長老であるオドラ―のかたわらで鬱屈うっくつした表情を浮かべ淡々と問いかけていた。



 棲家すみかとする洞穴ほらあなで囲む焚火たきびが静かにぜる音が響くなか、妹のアリスは泣き疲れて眠りについていた。

 

 オドラ―はくすんだ体毛におおわれた目元からピナスのくらく沈んだ銀色のまなこうかがうと、穏やかな口調で逆に問い返した。



「ピナスよ、おまえは瑠璃銀狼るりぎんろう様が憎いか。絶滅しかけた瑠璃銀狼るりぎんろう様の子をはらませ、その子孫を増やし続けてきた先祖が憎いか。」


「…!? 何故なにゆえそうなるのです!? そのようなことを考えたことは、一度も…。」



 思わぬ切り返しに狼狽ろうばいしたピナスだったが、オドラ―はその反応を受けて安堵あんどしたように一息つくと、古き時代を回顧しながら語り掛けた。



「じゃが同じように憎しみを吐露とろする同胞がかつていなかったわけではない。『貪食どんしょくの悪魔』の根源は無差別的な殲滅せんめつ思想じゃ。ところが、悪魔を宿した一族が同胞を襲ったなどという逸話いつわは残されておらぬ。他方で、この大陸の人間が内戦に明け暮れていた時代に蒼獣そうじゅう跋扈ばっこしたという記録もない。」


「結局『貪食どんしょくの悪魔』はラピス・ルプスの民が宿し人間に牙を向けるものなのだと、千年近く前から我々も人間ものじゃ。事実として、預言者グレーダンが『魔祓まばらいの儀』で滅した『貪食どんしょくの悪魔』の宿主は、紛れもなくラピス・ルプスの民であったと伝えられておる。」



 ピナスにとってこの大陸の厄災の歴史は小耳に挟んだ程度でしかなく、馴染なじみのない言葉を反復してつぶやくように尋ねた。



「…『魔祓まばらいの儀』とは、一体何なのですか。」


「ラ・クリマス大陸に隕石が墜ちてから7つの悪魔がこの地にみ付き、悪徳をつのらせた女に顕現して厄災をもたらすようになった。そうして悪魔を宿した7人の女を捕らえて一堂に集め、ディヴィルガムをもっすべての悪魔をまとめて『封印』した。その偉業に後から付せられたのが『魔祓まばらいの儀』という名じゃ。」



「…ディヴィルガムとは、この地に墜ちた隕石をあしらった例の杖を指すのですよね。それが何故なにゆえ悪魔に対抗する力を持つのでしょうか。」


「ディヴィルガムを生み出した預言者グレーダンは、隕石が悪魔を宿していたはこであり、それを用いることで悪魔を立ち返らせることが可能だと述べたらしい。預言者と称えられているのは、そうして厄災を鎮めるために創世の神から天啓てんけいたまわったからだと言われておる。」



「ですが、ラ・クリマスの悪魔は今なおこの地で生き永らえております。そのような天啓てんけいも儀式も偽りだったということですか。」


わからぬ。じゃが再び悪魔が顔を見せるまで、大陸はグレーダンがおしえた『7つのいましめ』を遵守じゅんしゅする世相せそうに満ち、宗教として確立されるようになっておった。グレーダン教というやつじゃな。結果として、悪魔を新たに顕現させた者はグレーダン教のおしえにそむむべき存在として、『魔祓まばらいの儀』以前に増して迫害されるようになったのじゃ。」


「そして蒼獣そうじゅうの出没が再び確認されるやいなや、ラピス・ルプスの民は異端の種族として人間社会から早々に追いられるに至ったのじゃ。新たに『貪食どんしょくの悪魔』を宿した者が、我々の一族だと確認する余地もなく、も当然のようにな。」



 それを聞いたピナスもまた当然のように身を乗り出し、詰め寄るようにオドラ―に答えを求めた。



「それはつまり、グレーダンなる者が『魔祓まばらいの儀』の失敗を誤魔化ごまかすため我々の一族にぎぬを着せたということではないのですか!?」


「…いな、グレーダンは大陸帝国時代の王としてラピス・ルプスの民に友好的であり、一族を同じ大陸に暮らす民として受け入れ、同じ悪魔の被害者であることを人間に訴えかけた良き理解者であった。現に『7つのいましめ』で貪食どんしょくに該当する悪徳は、『他人ひとの心身を害してはならない』という極めて広義的で、人間に宿る余地を内包した表現が掲げられておる。我が一族を追いったのはグレーダン教の信者であり、厄災以前から我々のような『獣人じゅうじん』をこころよく思わなかった者たちじゃ。」



「グレーダンは国王でありながら、そのような人間どもをとがめなかったのですか!?」


「グレーダンは『7つのいましめ』を民衆と交わして間もなく崩御ほうぎょされた。…我が先祖は老衰であったと口伝くでんしておる。」


「そんな…一族への友好の意志は、即位される次期国王に継承されなかったのですか?」


「…第1皇子はまだ幼かった。ちょうどいまのおまえのよわいを人間のそれに換算した程度だったじゃろう。」



 ピナスは徐々に回答を言いよどみつつあるオドラ―をいぶかしげに見つめながら、頭の中で冷静によわいの換算を行った。


 ラピス・ルプスの民は生まれて5年ほどは人間とほぼ同様の速度で育つが、それ以降の身体の成長は人間と比べ2,3年ほど緩やかになるものであった。

 このときピナスはよわい23だったが、人間に換算すれば外見的にはよわい11,2ほどにしかならない。


 その程度のよわいの第1皇子を老衰で崩御ほうぎょするほどの国王が抱えているという描写には、さすがのピナスでも違和感を覚えずにはいられなかった。その怪訝けげんな様子を察したオドラ―が、仕方なく補足を続けた。



「当時のグレーダンはよわい40手前だったはずじゃ。それが『魔祓まばらいの儀』を経た翌日には、更に50年を生きたかのようにその身がひどく老衰しておったという。民衆にはその様相がわからぬよう遠巻きにされておったが、人間よりも目のくラピス・ルプスの民は遠くからでもはっきりと、国王の老いれた姿を刮目かつもくしておったそうじゃ。」

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