第3話 決意

 大陸議会からの勧告がクラウザに届いてから40日ほどが経った深夜2時頃、集落の高台にひとたたずむピナスは、壊月彗星かいげつすいせいまばゆい輝きに照らされていた。


 夜分にもかかわらずその背後によわい200を優に超えるオドラ―がゆっくりと近付く音が迫ってきていたが、ピナスは振り向くことなくほうけるように南方の夜空をながめ続けていた。



「何が見えているのか。」



 その視線の彼方かなたに捉えているはずの宵闇よいやみを、オドラ―はえて尋ねた。



「…数多あまたきらめきが見えます。…壊月彗星かいげつすいせいから降り注ぐきらめきが、渦巻き、大地に吸い込まれていく…。」



 譫言うわごとのように答えるピナスの視界には星々よりもまばゆい粒子の輝きが一面に映し出されており、その瞳の銀色が徐々に碧色へきしょくに侵されていた。


 他方でオドラ―はその変貌へんぼうを確認するまでもなく、小さく溜息をついてうれうように語り掛けた。



「…そうか。それは好ましくない予兆じゃ。わしら男にはちりほどにしか見えぬそのきらめきにせられた者は、漏れなく悪魔を宿して人間に牙を向き、殺されるかみずから破滅するかの二択を余儀なくされてきた。おまえもじきに、おまえの母と同じ末路を辿たどることになるじゃろう。」



 母を失った過去を想起させられたピナスはかすかに身体を震わせたが、やがて大きく息を吐き出すと、何か腹をくくったかのようにオドラ―へ背中で話し掛けた。



「…案ずることはありませぬ、お爺様じいさまわしは至って平静に、この地に満ちるあやしき輝きを刮目かつもくしております。ここ30日ほどの間、明らかに濃ゆいきらめきの奔流ほんりゅうが大陸の西で、南で…そして一昨日には東で発生し、昨日の黄昏時たそがれどきに沈静しております。」


「ラ・クリマスの悪魔じゃな。いま大陸各地で厄災が起こり、人間の世界が混乱におちいっておることは知っておる。じゃが壊月彗星かいげつすいせいが最接近する時期とはいえ、ここまで立て続けに厄災が生じる時代はわしも経験したことはない…千年前にグレーダンが『魔祓まばらいの儀』を執行して以来の惨禍さんかかもしれぬ。」



「お爺様じいさま肝心かんじんな点はそこではございません。この30日という期間を同じくして、連峰のふもとから度々たびたび風蜂鳥かぜはちどりが西を往復しておるのです。そして厄災が起きる度に、その風蜂鳥かぜはちどりの発つ地点が徐々に標高を上げております。昨日また1つ厄災が沈静したことで、その出立が最早もはや目と鼻の先で視認できるようになりました。」


「それも知っておる。大陸軍によって少しずつクラウザが包囲されつつあることもな。」


「…ご存知ならば、何故なにゆえ泰然たいぜんと構えておられるのですか?」


「人間は我々を恐れて当然だからじゃ。おまえも知っての通り、『貪食どんしょくの悪魔』は千年ほど前よりラピス・ルプスの民にのみ顕現するものと言い伝えられているようじゃからのう。警戒を寄せられても仕方がないのじゃ。」



 その静かな回答がまるで他人事のように聞こえたピナスはようやく振り返ると、碧色へきしょくに染め上げられつつある瞳を見せつけるようにオドラ―へ差し迫った。



わしは人間どもの魂胆こんたんを、勧告の真の理由を確信しました。奴らは我々を憐れんで保護するつもりなど毛頭ございません。ただ厄災の根源として一様に管理すべく隔離したいだけに過ぎないのです。」


「厄災が勃発しているこの時世が、争いを望まぬ我々を説得させる最も都合の良い道理を作り上げているのです。…お爺様じいさま、やはり最初から我々に選択肢など与えられていなかったのです!」



 人間がラピス・ルプスの民に歩み寄ることなどないと確信していたピナスは、一連の大陸軍の動きが初めから仕組まれたものであると長老へ切に訴えようとしていた。


 だがそれでもオドラ―は分厚い眉を微塵みじんも動かすことなく、いつもと変わらぬ調子ではやるピナスをとがめようとした。



「ピナス、それはおまえにとって都合の良い解釈に過ぎん。仮にその理屈をとするならば、人間側が我々を言いくるめるために意図的に厄災を起こしていることになる。まったくもって非効率極まりない計画じゃ。」


「それに悪魔が顕現する要因の1つは、悪徳の『かたより』だと言われておる。余程よほど標的を定めて密かに悪徳をあおり立てでもしなければ、そのような所業は不可能だろう。」


「そしておまえもまた、人間側の思惑通りに悪魔を宿しつつあるということになる。我々を隔離するどころか集落ごと殲滅せんめつする正当性を人間側に与えている…おまえの主張は、そのように聞こえるぞ。」



 その声音は自然と厳格さを増していき、深夜の冷たい空気がより一層張り詰めていくようであったが、ピナスはおくするどころか自嘲じちょう気味に応戦した。



成程なるほど、それこそ人間どもが仕込みそうなはかりごとです。我々の異形いぎょうの身を狩ろうとする野蛮な者どもを規制するよりも、厄災にかこつけて我々を駆逐した方が経済的で角も立たないでしょう。」


「…それともお爺様じいさまは、悪魔を宿しつつあるわしを軽蔑し、同胞を護るためにわしをクラウザより追放しますか。」



 敵意をき出しにし続ける孫娘を前に、オドラ―はあきれたように深い溜息をついた。



 長い寿命を生きるなかで、閉鎖的な集落での生涯に嫌気が差したり、人間の生活に憧れたり、あるいは人間に憎悪や怨恨えんこんいだいたりして、いつの時代にもクラウザを去る同胞が少なからず存在することは理解していた。


 だがそうしたはぐれ者が二度と故郷に帰ることはなく、それが千年の歴史の中で『貪食どんしょくの悪魔』を顕現させ続ける要因になっていることをオドラ―は推定せざるを得ないのであった。



自棄やけを起こすでない。悪魔を宿すのは人間もラピス・ルプスの民も同じこと。その線引きを取り払うことこそが、ラピス・ルプスの民という種族を絶やさぬために努めるべき姿勢なのじゃ。我々が何のために人間と同じ言語を話し、文字を読み、社会を理解しようとしているのか、今一度頭を冷やして考えよ。」




 オドラ―は低い声音で警鐘けいしょうを鳴らして立ち去ろうとしたが、ピナスは表情を変えることなく、年老いて丸くなった背中を引き戻すように言い放った。



「お爺様じいさま、それならばなおのことわしは沈黙するわけには参りません。」


「理解とは何でしょうか。それは互いに向き合い手の内を見せ合わなければ何も始まらないのではないですか。ラピス・ルプスの民は厄災をもたらすかもしれないという不信感が人間に畏怖いふいだかせているのであれば、むしろ明確に悪魔の力を誇示するべきだと考えます。そして厄災が勃発している昨今さっこんがその絶好の機会と言えるでしょう。いな、この機を逃すべきではないのです。」




 ピナスの高揚する衝動を流石さすが看過かんかできなかったのか、オドラ―は苛立いらだたしそうに振り返って再び低い声音でいましめようとした。



「ならぬ。『貪食どんしょくの悪魔』の根源は無差別的な殲滅せんめつ思想だと教えたはずじゃ。おまえはこの時世に便乗し人間をおびやかそうと悪魔にそそのかされているのではないか。」



「…恥ずかしながら、否定はできかねます。しかし執拗しつように人間を刺激すれば、かえって同胞の命が狙われてしまうことも重々わきまえております。」


「そのような生易なまやさしい妄想では済まされぬ。絶大な力は恐怖と憎悪ぞうおを生み、より強大な暴力となりかえって来る。理解とは程遠ほどとお顛末てんまつによって我々は愈々いよいよ淘汰とうたされるじゃろう。おまえは本当に我が一族の未来を背負う覚悟があるのか。」



勿論もちろんです。わしはラピス・ルプスの民を護るため、人間なぞに危害も庇護ひごも受けることのないしたたかな種族であることを証明するためにこの悪魔の力をふるうと約束致します。…少なくとも、このまま大人しく人間どもの勧告の期限まで待つという選択肢は無いものと考えます。今すぐにでも大陸議会へとち、回答と共にその証明を果たして見せましょう。」




 さなが壊月彗星かいげつすいせいから恩寵おんちょうが与えられるかのように、ピナスの瞳に満ちる碧色へきしょくが更に深く揺らめいていた。

 そのうねりを前にオドラ―は、人間と因縁いんねんを持つ孫娘の大言壮語たいげんそうごを抑える手段を最早もはや持ち得ないことを認めざるを得なかった。

 

 そのうえで、ピナスがかつてクラウザを去ったはぐれ者とは異なり、一族を想った確固かっこたる目的と意志を掲げていることから、悪魔の力を制御しつつ責務をまっとうしてくれることに一縷いちるの希望をいだいた。



「…よかろう。悪魔との共生を受け入れ、力をかざすことで人間の理解を得られると考えるのならば、その理想のために努めてみるがよい。じゃが、あと3つ約束せよ。無抵抗な一般市民を襲わないこと、必ずクラウザへ帰還すること。これらが果たせぬようでは、悪魔の力は我々にとって威厳にすらならぬ。」


「承知いたしました。…もう1つは?」


「ディヴィルガムを持つ者と邂逅かいこうしたとしても、決して牙を向けるな。」



 その台詞せりふののち、覚悟を決めていたピナスの表情がわずかに引きる瞬間を、オドラ―は見逃さなかった。



「あわよくば母のかたきを討とうとでも考えておったのじゃろう。わしは人間側に宣戦布告をするためにおまえの出立を許諾するのではないことを、努々ゆめゆめ忘れるでないぞ。」



「…承知致しました。」



 一段と厳格さを増す長老の声音に、ピナスはやや視線をせながら応じて見せた。悪魔の力を宿した身として譲れない思いがあったが、これ以上の酌量しゃくりょうは認めてもらえないだろうと判断した。



——やはりお爺様じいさまには敵わない。ならば目的を最優先で果たし、仇討あだうちの如何いかんはその後じっくり考えようではないか。



 そして再び壊月彗星かいげつすいせいへと正面を向けると、大きく深呼吸したのちつぶやくようにオドラ―へと別れを告げた。



「それでは、行って参ります、お爺様じいさま…アリスのことをよろしくお願い致します。」


「妹を想う心があるのなら、必ず帰って来るのじゃ。」


「はい、必ずや。…まずは手始めに、集落を包囲している大陸軍どもを掃討します。宜しいですね?」



 このときすでにピナスは、『貪食どんしょくの悪魔』の力をどのように駆使すべきか本能的に理解していた。

 『蒼獣そうじゅう』を生み出して人間を喰らうことで力を高め、ある程度の力を集約すれば亡き母のように鳥の姿へ転じ飛翔できるようになることも知っていた。


 そうして繰り返し殲滅せんめつ対象をらい、おのれの力を増長させていくことが『貪食どんしょくの悪魔』の本質であった。



「……同胞の眠りを妨げぬようにな。」



 最後の問いかけに応じるまでいささか沈黙があったが、オドラ―は断腸の思いで決断をしたように告げて立ち去った。


 ピナスはその姿を見送ることなく青白い狼の姿に転身すると、宵闇よいやみの底へと向かって飛び降りた。

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