第2話 ラピス・ルプスの民

小腹こばらを満たそうと列車に放った蒼獣そうじゅうが思ったように頭数を増やさずいぶかしんでおったが、その杖を持つ者が乗り合わせていたとはな…これはかえって運が良い。早くもディヴィルガムを持つ者にめぐり合うとはのう。」



 小さな身体で途轍とてつもない威圧感を放つピナスに対し、カリムは『貪食どんしょくの悪魔』を宿した『獣人じゅうじん』の少女が杖を認知していただけでなく、なおも好戦的な姿を見せる展開にかつてない緊張感を覚えていた。


 加えて走行する機関車の屋根という経験したことの無い足場ゆえに、踏み出す一歩に明らかな躊躇ためらいを覚えていた。そのかすかな震えの原因すら、ピナスには看破されてしまっていた。



「ラ・クリマスの悪魔の力を封じる隕石をあしらった杖、母を討ち取りしむべき武具…だが杞憂きゆうだったのう。貴様ではわしの間合いすら侵すことは叶わん。下手に動いて死にたくはないと、顔に描いてあるぞ。」



 図星を突かれたカリムは思わず眉間みけんしわを寄せ、構えている杖を握り直した。背後からはサキナの小さい溜息が聞こえた。


 一方のピナスは何ら攻撃を仕掛けてくる素振そぶりもなく、2人の朱色を基調とした制服姿を見越したうえで、両腕を組みながら更に高圧的に問いかけてきた。



「そもそもわしには貴様らの相手をしている暇はない。わしはこのラ・クリマス共和国首相たるルーシー・ドランジアに用があるのだ。貴様らも大陸議会の人間なら奴の所在を知っているのではないか? 何か申してみよ。すれば命だけは見逃してやろうぞ。」



 ピナスの口からルーシーの名がこぼれた途端とたん、カリムとサキナは一段と警戒心を強めたように見えた。そんななか、かろうじてカリムが返事を寄越した。



「…生憎あいにく俺らはしたなんでね。ご多忙な首相の日々の予定なんて把握していない。」


したにディヴィルガムが託されるわけがなかろう。貴様らのような存在を一国の首相があずかり知らぬはずがない…そして逆もまたしかりだ。もう少し上手な嘘を考えておくべきだったな。」



 ピナスは即座に言い返しあおり立てていると、身体に吹き付ける冷たい風の勢いが徐々に弱まってきていることを察した。

 蒸気機関車の操縦士が蒼獣そうじゅうに呑まれて燃料が注ぎ足されなくなったことで、列車が次第に減速し始めていた。


 その事態にカリムとサキナが気付くよりも早く、ピナスは背中から鷹のような青白い翼を生やしてそら羽搏はばたき、冷笑せせらわらいを浮かべて2人を見下した。



「まぁ、今回はサキナに免じて見逃してやるとしよう。首都ヴィルトスを適当に襲撃すれば、いずれ首相はあぶり出せるであろう。そうして目的を果たした後ならば、幾らでも相手になってやらんこともない…では、さらばだ。」



 そして再び巨大な青白い怪鳥に姿を転じさせたピナスは、大陸西部にある首都を目指してより高く舞い上がった。


 下方から何やらサキナがわめき散らす声が追い打ちを掛けてきたが、ピナスは微塵みじんも意に介すことなく、風を切る音に身をゆだねていた。



——首相と相見あいまみえるまでにはディヴィルガムが一番の障害になると身構えておったが、思っていた以上に矮小わいしょうな脅威だったのう。…この調子なら、確実に目的を果たすことが出来できるであろう。



**********



 さかのぼること約40日、ディレクタティオ大聖堂が『悲嘆の悪魔』によって焼け落ちる日から15日前の明朝。



——何者かが、近付いてくる。


——ひづめの音、車輪の音……行商にしては数が多すぎる。一体何だ?



 アヴスティナ連峰の中腹に『獣人じゅうじん』こと『ラピス・ルプスの民』がひっそりと生き続けるクラウザという集落で、ふもとから少しずつのぼってくる怪しげな物音にピナスの獣の耳が反応した。



 千年以上前にラ・クリマス大陸に存在していた瑠璃銀狼るりぎんろうという伝説の獣の血を引くラピス・ルプスの民は、人間と比べ2,3倍の寿命を与えられながらも、現代ではクラウザに住まう30人ほどしか確認されていなかった。


 その内訳も老人と女子供がほとんどを占めており、少女のような外見ながらもよわい30を数え長老オドラ―の孫でもあったピナスは、集落に近付く不審な音に誰よりも敏感であった。


 よわい18になる妹のアリスを起こさないよう寝床としている山壁の洞穴から音もなく飛び出すと、ピナスはクラウザに間もなく辿たどり着こうかという数頭の馬と、騎乗する数名の軍人を視認した。


 そして集落の入口でにらみをかせながら、仁王立におうだちするようにして出迎えた。



「このような朝早くから大陸軍が何用か。それともわしの知らぬに人間の活動時間が早まっておったのかのう?」



 ピナスが皮肉を込めた挨拶あいさつを差し向けると、先頭で騎乗していた女性軍人が地に降り立ち、深々とこうべを垂れた。桃色がかった流麗りゅうれいな金髪が静かになびいた。



「…ラピス・ルプスの民よ、突然の来訪と我々の非礼をお詫び申し上げます。恥ずかしながら、昨日の午後には到着する予定が我々の過失により遅滞してしまいました。」


「私は大陸平和維持軍、国土開発支援第1部隊長のイリア・ピオニーと申します。此度こたびは大陸議会よりラピス・ルプスの民の代表者へ、勧告をしたためた文書をお渡ししたくさんじた次第でございます。」



 イリアと名乗る女隊長がりんとした声音で、だが集落にいまだ眠るラピス・ルプスの民に配慮しひそめて要件を述べた。


 一方のピナスはその聞き慣れない表現が気に食わず、種族特有の銀色の瞳を光らせ、ぐさまみ付くように切り返した。



「勧告だと? わしらが一体何をしたというのか。そのような人間の命令を一方的に聞き入れる余地などないわ!」



「…ピナス、勧告と命令は同義ではない。法的拘束力の伴わない大陸議会からの意思表示のようなものじゃ。」



 そんなピナスを喰い止めるように、背後からしわがれた声音が制止を掛けた。

 そこには銀色がくすんで灰色同然となった、全身毛むくじゃらのラピス・ルプスの民が、古びた杖を付きながら静かに歩み寄っているところであった。



「お爺様じいさま…!」



 振り返ったピナスが気まずそうにつぶやいたが、当の本人は目元まで体毛におおわれたその隙間から真っぐにイリアを見つめていた。



「大陸議会の使者よ、孫の未熟な言動をご容赦いただきたい…何分なにぶん過去に人間と一悶着ひともんちゃく経験しているものでのう。」


「…いえ、我々の不躾ぶしつけな訪問は非難されて当然かと。貴殿がクラウザを治めておられる御方おかたですか。」


左様さよう、オドラ―・ベルと申す。こいつは孫のピナス・ベルじゃ。早速さっそくだがその勧告とやらを聞かせてもらおうかのう。」



 するとイリアは肩から下げているかばんの中から上質な赤い巻紙を取り出すと、封を解いてオドラ―に手渡しながらその内容を簡潔に述べた。



「記載されているのは、グラティア州北西部に位置する国有地への移住案となっております。このアヴスティナ連峰と比べ環境は大きく変わってしまいますが、大陸軍により保全された緑豊かな土地であり、定期的な物資提供などもお約束させていただく所存でございます。」



 オドラ―が巻紙にしたためられた勧告を黙々と読み進めるかたわらで、依然としてイリアたちをこころよく思わないピナスは露骨に怪訝けげんな表情を浮かべた。



「移住案だと? 何故なにゆえ我々がそのような庇護ひごに甘んじなければならんのだ?」


「主な理由は2点ございます。第一に、長い大陸史の中でいまだにラピス・ルプスの民が人間によりしいたげられ、減少の一途いっと辿たどっていることです。伝説の生物と言われる瑠璃銀狼るりぎんろうが絶滅してもなお、その系譜けいふを継ぐラピス・ルプスの民独特の毛並みや血肉までもが希少価値を見出みいだされ狙われていると聞き及んでおります。そのような非人道的行為の横行を国としてもこれ以上看過するわけにはいかないのです。」



 瑠璃銀狼るりぎんろうとはその名の通り瑠璃るり色混じりの美しい銀色の毛並みを持っていたが、千年を生きると言われた長寿の獣でもあった。

 ゆえに、人間もその血肉を喰らえば寿命が延びるなどという迷信が蔓延はびこり、輝かしい毛皮とあわせて最高級の価値を見出され、たちまち頭数を減らしたという歴史があった。


 みずからの種の絶滅を危惧した瑠璃銀狼るりぎんろうは、人間と交わることでその血を後世にのこそうとした。それがラピス・ルプスの民の起源だと言われていた。


 だが瑠璃銀狼るりぎんろうが絶滅した現代でも、遺伝子を受け継ぐラピス・ルプスの民の身体は同様な値踏みをされ、闇市場で密かに取引されていた。それがラピス・ルプスの民すら絶滅へと追いる一因にもなっていたのである。



「第二に、翌年に控えた千年祭により増加するであろう外国人の物見遊山ものみゆさんが想定されることです。我が国で稀有けうな種族である貴方方あなたがたのことは当然に海外諸国にも認知されております。先のような野蛮な目的でなくとも、物珍しさからこの地に人間がたかるような事態は好ましいとは言えず、議会としても事前にこれを回避する施策を検討しなければならないのです。」



 イリアは実際に大陸議会で交わされた勧告の根拠を懇切丁寧こんせつていねいに打ち明けたつもりだった。

 だがピナスから見れば相手は大陸軍の隊長とはいえ歳下の女性であり、講釈を垂れているかのような不快感が込み上げて来るばかりであった。



「話にならんな。結局は貴様らの面子めんつのためにわしらを動物のように管理したいだけではないか。」


「ピナス、それはおまえに都合がいいだけの解釈に過ぎん。我々を人として扱っているからこそのなのじゃ。」



 またしてもオドラ―に発言をたしなめられたピナスは、愈々いよいよ限界と言わんばかりにみ付く先を長老である祖父へと向けた。



「お爺様じいさまはどういうおつもりか!? 易々やすやすと国の庇護下ひごかに身をやつすことが辿たどるべきラピス・ルプスの民の末路であるとでもお考えなのか!?」



 だがオドラ―は何ら動じることなく勧告をしたためた巻紙を巻き上げると、八重歯をき出しにして喰い縛るピナスを一瞥いちべつしながら静かに答えた。



「そのように大声を出すと同胞がいぶかしむぞ。何故なにゆえ使者が明朝に訪れたのかをよく考えるがよい。それに、我々の回答はこの場でただちに下す必要はない…そうであろう、イリア殿。」



 再びオドラ―からくらい眼光を差し向けられたイリアは、その沈着さと聡明さに敬服し改めて一礼した。



「お気遣きづかい痛み入ります。此度こたびの勧告の回答期限は本日より数えて60日後とさせていただいております。期日の際には署名の通り隊長…いえ、ドランジア首相が直接この集落を訪問される予定となっておりますので、ご承知おきくださいますようお願い申し上げます。」



 そしてイリアが半身をひるがえすと、その後方では荷車から下ろした荷物を抱えた数名の部下が待機していた。

 大陸議会ならびに大陸軍として少しでも友好的な関係を構築するためか、国土開発支援部隊が配給して回っている食糧などの物資を無償提供したのち、イリア率いる部隊は敬礼して早々にクラウザを立ち去って行った。



 引き渡された荷物の中身は野菜や果実、肉の燻製くんせいや調味料など多岐たきにわたり、小規模な集落にとっては消費に何日も要するほどの量であった。

 それでもピナスは釈然としない面持おももちで、さげすむようにその品々を見下していた。



「恩着せがましい奴らめ。こんなものに頼らざるを得ないほどわしらの生活は切迫などしておらんわ。」


「ピナス、そのようなごのみで食べ物を粗末にすることは許さぬ。むしろそれらを口にすることなく、同胞の行く末を語ることなどわしは認めんぞ。」



 だが再三オドラ―からその姿勢に釘を刺され、小さく舌打ちをしたピナスは、り場のないもどかしさを呑み込もうと手頃な位置に積まれていたリンゴをつかみ上げると、荒々しくかじり付いた。

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