第8話 おもかげ

 よわい23にして部隊を率い今やジェルメナ孤児院の元締めも担っていたルーシーは、ステラとも2年ほど前から付き合いがあり、昨日から物資提供の取組みのため駐在していた。


 そのルーシーが初対面のはずのカリムに同伴しているということは、確実に何かただならぬ問題が起きたのではないかとステラは懸念した。

 だがその一方で、静かに立ち並ぶ長い黒髪の2人はどこか雰囲気が似ているようにも感ぜられていた。



「ルーシーさん…態々わざわざカリムを送って下さりありがとうございました。おまけに何か買ってもらったみたいで…ほらカリム、ちゃんとお礼は言ったのね?」



 本来なら隊長であり孤児院の元締めであるルーシーには相応そうおうの敬称を付けるべきなのだが、堅苦しさを敬遠する当人から名前で呼ぶよう言いくるめられていた。


 とはいえ孤児院の子供が直接世話になったならば恐縮するのは当然であり、カリムが大事そうに抱える小袋もルーシーが露店で買い与えたものだと咄嗟とっさに思い込んでいた。

 そしてステラが口走るその台詞せりふに、カリムは視線を合わせることなく気まずそうにうなずいてこたえた。



「そう。それじゃあリオが待ってるから早く行ってあげなさい…昼食は残しておいてあるからね。」



 ステラがやや早口のままに促すと、カリムはルーシーに向かって一礼し、長い黒髪を揺らしながら廊下の奥へと姿を消していった。



 その様子を見届けたのち改めてルーシーに謝意を伝えようとステラが向き直ったとき、ルーシーはおもむろかばんから取り出した小汚い巾着袋きんちゃくぶくろを放り投げるように寄越よこしてきた。


 驚く間もなくステラがそれを両手でつかむと、その手触りから中には幾らか小銭が入っているのがわかった。



「道中の拾い物だ。孤児院の雑収入にでも計上しておいてくれ。」



 ルーシーがさばさばとした口調で言い残し颯爽さっそうと孤児院を出ようとしたが、その巾着袋きんちゃくぶくろっすらと見覚えがあったステラは、慌ててそのすらりとした背中を呼び止めた。



「あの…カリムが何か、ご迷惑をお掛けしなかったでしょうか?」



 神妙な面持おももちで尋ねるステラに対し、ルーシーは半身をひるがえして変わらぬ声音で答えた。



「私は特段不快な思いをさせられてはいないが?」


「そうではなくて…何か無礼を働いたりしなかったでしょうか? あの子は昔から不愛想ぶあいそうだし…最近は何を考えてるのかもよくわからなくて…。」



 呼び止めておきながら台詞せりふ尻窄しりすぼみになっていくことにステラの身は委縮したが、ルーシーは構うことなくきっぱりと言い放った。



「そう思うなら、君ももう少し落ち着きをもってあの子と接した方がいい。私はあの子に何も買い与えてなどいないのだから。」



 先程の早計を暗に指摘されたステラは一瞬ひるんでしまい、その間に今度こそルーシーは悠然ゆうぜんとその場を後にしていた。


 玄関口に立ちすくんでいたステラは、ルーシーが残した助言の真意を追って確認したい衝動に駆られていたが、古ぼけた巾着袋きんちゃくぶくろを握り締めるとぐに野暮に思えた。

 それと同時に、ようやくカリムの隠し事に向き合う決心が着いたのであった。




 ステラが廊下の突き当たりにある個室へゆっくりと向かうと、ベッドから身を起こしたリオがさながら小動物のように小さなリンゴにかじり付いていた。


 それがカリムにとってどうしてもリオに買い与えたいものだったのかどうかはわからなかったが、その愛らしい食事の様を椅子に座ってながめていたカリムに向かって、ステラは背後から鎌を掛けるように話しかけた。



「ねぇ、カリム…さっきの隊長さんが落とし物を拾ってくれてたみたいなんだけど、これは貴方あなたの物?」



 その質問と共に例の巾着袋きんちゃくぶくろをぶら下げて見せると、カリムの黒い瞳が一瞬大きく見開いた。だがぐにその視線を伏せると、なく答えを返した。



「…知らない。俺のじゃない。」



 だがステラにとっては、その一連の言動だけですべてを察するのに充分であった。



「そう、わかったわ。じゃあ早く昼食を食べてしまいなさい。そのあと…少し先生とお話ししましょう。」



 できるだけ言葉を選んだつもりだったが、カリムもこの先に待ち構える追及から最早もはや逃れられないことをさとったのか、表情を一段と曇らせながら小さくうなずき、昼食をりに行くために椅子から立ち上がった。



 だがそのカリムの服の裾を、リンゴの果汁にまみれたリオの小さな左手がつかんだ。



「お姉ちゃん、もっと食べたい…。」



 リオはカリムのことを初対面の頃から、その長い黒髪をもって『お姉ちゃん』と呼び続けていた。今では当然カリムが男だと認識しているはずなのだが、愛称のようにかたくなに変えることがなかった。



「ごめんなリオ、今日はもうそれしかないんだ。…って、もう1個食べ切ったのか?」



 カリムはなだめるように振り返ったが、右手でリンゴの芯を握り締めながらなお強請ねだるリオの様子に驚いた。



「うん。美味おいしかった。もっと欲しい。」


めなさい、リオ。昼食も食べたのに、これ以上はおなかを下すわよ。」



 見兼ねたステラがベッドへと歩み寄り、ハンカチを取り出してべたつくリオの左手をぬぐった。


 続けてリンゴの芯を回収し右手もぬぐおうとしたとき、その袖口からつるのようなものが顔を出していることに気付いた。



 そのつるは瞬く間に伸びてステラの手首に絡み始め、唐突とうとつな怪奇現象をステラは理解することができずその場で硬直してしまった。


 かろうじて見遣みやったリオの表情は今にも癇癪かんしゃくを起こしそうで、つぶらなにび色の瞳が萌黄もえぎ色に染まり始めているのがわかった。



「…欲しいの。もっと、欲しいよおおおおおおおお!!」



 リオのわめき声と共にステラの視界がおびただしいつるによって埋め尽くされ、そこでステラの意識は途切とぎれていた。




 次にステラが目覚めた時には既に日が暮れており、ジェルメナ孤児院と周辺の建物が無惨むざんひしゃげ、自身を含めた多数の住民が救護を受けていた。全身が冷たく気怠けだるい感覚で、立ち上がれるまでに数日を要していた。



 その間に、ステラはルーシーから怪奇現象の真相と顛末てんまつを聞いていた。


 リオに顕現した『強欲の悪魔』という厄災のこと。リオが無差別に吸い上げた生命活力を制御できず、悪魔の力に呑まれて命を落としたこと。それゆえに比較的短時間で、大き過ぎない被害で厄災が収束したこと。


 そして一足先に首都ヴィルトスへ帰還することになったルーシーが、カリムの身元を新たに引き受けること。


 これらの報告はルーシーの出発間際まぎわに聞かされたもので、軽症だったカリムはすでに問題なく動ける身だったらしいが、ステラの元に別れの挨拶あいさつを告げに現れることはなかった。



 カリムはリオの死を受けて精神的に打ちのめされている旨をルーシーから聞かされたが、彼がその事実だけでなく更に深刻な後悔と自責の念にさいなまれていることを、ステラは推し量らずにはいられなかった。


 そして幼くして壮絶な悲劇を経験した少年に寄り添えないことが、何より悔しく沈痛な思いだった。



**********



 以来、ステラはもう二度と孤児院の子供たちに同じような思いをさせないよう、命を取りこぼすことなく護り抜けるよう、そのためだけに心身を尽くしてきた。そのためならば、こうして悪魔の力を自ら宿すこともいとわなかった。



——でも、その奇跡のような力でどんなに怪我や病気を治癒して活力を与えようとも、心に負ったきずまでは治すことは叶わない。それは子供だろうが大人だろうが同じこと。1人1人の命に向き合い、寄り添わなければ、真に護り抜くことはできない。


——リオを失い、カリムに無言の別れを告げられてわかっていたはずなのに、結局見失ってしまっていた。…『強欲の悪魔』に呑まれた。そして悪魔への復讐ふくしゅう心をたぎらせ再び相見あいまみえたカリムに、こうして打ちのめされてしまった。



 そのカリムの言う通り、ひとがりで数多あまたの命を雁字搦がんじがらめにしてしまった罪をあがない、厄災の根絶を願う人々のにえとなることが、今この場における『正しい選択』なのだろうと思わずにはいられなかった。



——もっと早くにカリムに寄り添えていれば、隠していた背徳感を見過ごさず踏み込めていれば、ラ・クリマスの悪魔が顕現することもなく、カリムもリオも真っ当に人生を謳歌おうかしていたのかしら…。


 

 そう考えるとすべての発端ほったんが、諸悪の根源が自分自身にあるように思えてならなかった。

 たった1人…いな、たった2人の子供にすら真摯しんしに向き合えなかったむくいなのだとみずからを責め立てた。



——でも、これじゃきっとあのときと何も変わらない。カリムが目の前にいる。にえとなる運命を受け入れる前に、青年となった彼への負い目を晴らさないといけない。


——彼が負った心のきずを癒せない代わりに、せめて何か希望となるものをのこしてあげないといけない。…それが里親として面倒を見てきた者が果たすべき、最後の仕事でしょうね。



 そのために、ステラには最期さいごに確認しなければならないことが残っていた。




「…ねぇ…最後に、1つだけ…いいかしら。」



 ステラがくらい表情でカリムを見上げ、か細い声音で尋ねた。


 カリムが無言で小さくうなずくと、ステラは可能な限り後方へ首を回し、背後で羽交はがめにしている少女を見遣みやろうとした。



「…貴女あなた、名前は何ていうの?」



 今更な質問に少女はいささか顔を強張こわばらせたが、ステラが愈々いよいよ覚悟を決めたことを察したのか、つぶやくように答えた。



「…サキナ。」



 その答えを聞くことができたステラは、安堵あんどしたように顔を正面に戻し、ひとごとのように背中でサキナに言い聞かせた。



「そう、サキナ……貴女あなた、どこか面影おもかげがリオに似てるわね。あの子はずっと生き別れたお姉ちゃんを探してるみたいだった……ひょっとしたら貴女あなたが、本当のお姉ちゃんだったのかもね。」



 少し苦笑いが混じるようなその台詞せりふにサキナも、そしてカリムも目を見開いた。

 だが何を問い返される猶予ゆうよも許すことなく、ステラは差し向けられている杖のつかを両手でつかみ、先端の黒い鉱石をみずから胸元に押し当てた。



 再び全身が粒子状に崩れ、そらに浮き上がり、その鉱石に意識も何もかも吸い込まれていくような感覚に襲われたが、不思議とそこに苦痛はなく、何も抗う理由もなくその静かな流れにすべてを任せていた。



 不図ふと目線を上げると、カリムが戸惑いながらも『封印』を止めることができずに何とも情けない表情を浮かべていた。

 不愛想ぶあいそう面影おもかげを崩して新たな一面を垣間見かいまみれたようで、満足感のようなものがステラの最期さいごに生まれていた。



 その前髪に隠された瞳の色をついに知ることができなかったことは心残りだったが、ステラは最早もはや残っているかすらわからない口元を動かして、聞こえるかどうかもわからない本当に最後の言葉を伝えようとした。



——カリム、後のことは頼んだわ……。



——ちゃんと私の命に、意味を見出して……。



——前を向いて、最後までしっかり生きるのよ……!





 高台に乾いた音が響き、立て続けに嗚咽おえつを伴った叫声きょうせいが上がった。



 サキナは空になった緑地のワンピースを握り締め、恥ずかし気もなく地に伏せ身体を震わせるカリムを無言で見つめながら、しばし立ち尽くしていた。


 だがやがてローブの中から腰元に付けていた液瓶を取り出すと、平らな地面に置き、拾い上げた杖の先端をその水面に向けた。


 先端に着装されている隕石から萌黄もえぎ色に淡く輝く粒子がかたまりとなってこぼれ、たちまちそれを捕らえるように液体がうねり、凍結した。



 『封印』を終えたサキナは同じく地面に転がっていたカリムの拳銃を手にすると、黄昏たそがれの空に向かって信号弾を放った。


 グリセーオの街をおおい尽くしていたおびただしいつるちりと化して跡形もなく消滅しており、救援活動の開始をしらせる合図が周辺に待機していた大陸軍へと伝播でんぱした。

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