第7話 最後の手段

 火花のように一面に弾けた大量の青白い光の粒子は西日に照らされてあやしくきらめき、そらを浮かびながら強制的に力を発散させていたステラはつるの支えを失って地面へとちた。


 怪我けがを負うほどの高さではなかったとはいえ全身を強く打ちうめいたステラだったが、それでもぐさま身を起こしてグリセーオの街へ視線を飛ばした。街は相変わらず幾重いくえものつるおおわれたまま沈黙していた。

 

 その光景に一先ひとま安堵あんどしたステラは、蹌踉よろめき立ち上がりながら、破滅的な行動をったカリムに向かって憤慨した。



ひどい…あんまりだわ…つるに毒素を流し込むなんて…! あと少し私の判断が遅れていたら、街の住民全員にその毒が行き渡るところだったのよ!? それが何を意味するか、わかっててやったっていうの!?」



「充分わかってるさ…この毒は俺も身をもって体験したから。でも先生ならそれを防いでくれるとも思ってた。」



 ステラの目の前では、冷徹な表情を浮かべたカリムがゆっくりと歩み寄ってきていた。その左手には、小さな拳銃が握られていた。

 初めて見た凶器に、ステラは思わずひるんで数歩後退あとずさりながらも、気丈に牽制けんせいを放った。



「そんな物騒なものまで…!? でも、それで私を撃ったところで私はぐに傷を治してみせるし、私を殺したら悪魔の『封印』は叶わないんじゃないの!?」



 だがカリムは、その拳銃をステラにではなく真上へと掲げて宣言した。



「先生、これは信号弾だ。俺がこの信号弾を放てば、周辺に待機している仲間がグリセーオに蔓延はびこつるに向かって火矢を放つ。住民を犠牲にしたくなければ、悪魔の能力を発動するな。…抵抗することなく、大人しく『封印』されてくれ。」




 それはステラの想像を絶した最悪な脅迫であり、非情な覚悟を決めた真っ直ぐな視線をカリムが向けてくることが信じられなかった。

 だが今しがたつるに流された得体の知れない毒にかんがみれば、その脅迫に多分の信憑しんぴょう性をいだかずにはいられなかった。


 そして何か言い返そうと動いたステラの肩を、背後から何者かが固く羽交はがめにしてきた。

 


 先程まで捕らえていた少女がつるを一掃したことで拘束から放たれており、なおも執念深く立ち上がっていたのであった。

 そうして無防備に開けるステラの胸元に向けて、カリムが右手に持つ杖をかざそうとした。


 ステラは血の気が引く想いで、自分よりはるかに卑劣な駆け引きを押し付けるカリムを激しく糾弾きゅうだんするしかなかった。



「ちょっと、本気で言ってるつもりなの!? 何百、いや何千という人の命を貴方あなた天秤てんびんに掛けようとしているのよ!?」


「嘘だと思うなら抵抗してみればいいよ。本当は俺だってこんな卑怯な手は使いたくない。でも最後の手段として計画されていたのは事実だ。」


「信じられない…グリセーオの街が壊滅しても構わないっていうの!? それすらも必要な犠牲とでも言うつもりなの!?」



 だがカリムは依然として感情を押し殺した表情のまま、ステラを見下してはっきりと答えた。



「ああ、そうだよ。沢山たくさんの人の命が消えようとも、ラ・クリマスの悪魔を封印できるなら天秤てんびんは釣り合う…そういう考えなんだよ。」



「…暴論にも程があるわ! 悪魔の力が必ずしも悪意に満ちたものじゃないって、可能性のある力だって私が散々唱えたじゃない!! それなのに何も寄り添う余地なく人の命を無下むげに扱って…大陸議会はそんなことを考えてるわけ!?」



 ステラはカリムの胸元のバッジをにらみ付けながら訴えかけたが、カリムは静かに首を横に振って答えた。



「先生、この国にはね…厄災をもたらす悪魔に可能性を見出すよりも、撲滅ぼくめつし消し去りたいと願う人の方が圧倒的に多いんだ。悪魔に大切な存在を奪われ、憎しみを抱く人が俺以外にも大勢いるんだ。」


「そして俺は、大陸議会に係る正式な存在じゃない…『かげの部隊』っていう諜報ちょうほう機関の一員なんだ。その真の目的は7体のラ・クリマスの悪魔について調査し、対峙たいじし、すべて『封印』することにあるんだ。」




 カリムから無感情に打ち明けられた真実を前に、ステラは絶句しその場で崩れ落ちそうになった。


 カリムが立場をかたっていたことなどどうでもよかった。ただ自分が1人でも多くの命を護りたいという願いが、悪魔を滅ぼしたいというより多くの願いによって容赦なく淘汰とうたされるという現実を、むざむざと突き付けられていることを認めざるを得なかった。



「そんな…どうして……私、誰も傷付けようなんて思ってないのに……飢えやいさかいが起きないよう、みんなを護りたかっただけなのに……。」



 萌黄もえぎ色の瞳をうるませて愕然がくぜん項垂うなだれるステラに、カリムは溜息混じりに言い聞かせた。



「…先生は、欲張りすぎたんだよ。先生はお節介で、正義感も責任感も強いから、きっとなんでも1人でやろうと気張きばりすぎたんだ。その結果としてむべき悪魔の力を求めてしまった。」


「それがどんなに奇跡的な力でも、大勢の人の命を一方的にもてあそんでいることには変わりないんだよ。…俺が言えた口じゃないけど、先生にももっと他人ひとに寄り添える余地があったはずなんじゃないかな。」



 その冷静な指摘を受けて、ステラは更に脱力してしまいむせびながらへたり込んだ。背後で羽交はがめにしていた少女も、体勢を維持するため仕方なく身をかがめた。

 そのにぶい動きを辿たどるように、杖の先端がゆっくりと傾き下りていった。


 改めて黒い鉱石が胸元に突き付けられている様をぼんやりと見遣みやりながら、ステラはカリムの言葉をみ締めつつ、彼とジェルメナ孤児院で過ごしていたときのことを不図ふと思い返していた。



——ああ、カリム…やっぱり貴方あなたは、私にとっての負い目だったんだわ…。



**********



 ステラがジェルメナ孤児院で正式に従事するようになったのは、よわい14の頃であった。それから最初に孤児院に迎え入れたのが、当時よわい7のカリムという名の男の子であった。



 カリムは1年ほど前に事故で家族を亡くし、ひとり一命を取り留めたものの後遺症により以前の記憶をほとんど失ってしまった。

 元々大陸西部の出自だが、いくつかの里親や孤児院を転々とするうちに北東部のグリセーオに流れ着いていた。


 その理由の1つが『右と左で瞳の色が違う』ことで、他の孤児だけでなく身請けの大人でさえも畏怖いふいだいてしまっていた。

 結果としてカリム自身も心を閉ざしがちになり、ジェルメナ孤児院で引き受けた時にはすでに左目を前髪でかたくなに隠していた。


 以上が、ステラがカリムという孤児について当時の管理人であった母から聞いた情報であった。



 これらの事実を踏まえて、ステラは積極的にカリムに声を掛け続け、理解を示して打ち解けようと努めていた。


 だがカリムは規則正しい孤児院生活を淡々と送り続け、ステラや同年代の孤児らとは必要最低限の接点しか持とうとしなかった。

 それでいてよわいの割に達観しており、不愛想ぶあいそうで近寄りがたい雰囲気を無理矢理変えさせることも逆効果な気がして、ステラはもどかしさがつのる日々を過ごしていた。



 カリムを迎え入れてから3年ほどが経過し、面倒を見る他の孤児も一段と増えてきたころ、新たにリオという栗毛の女の子を預かることになった。


 北西の山岳地帯から流れてくるグリセーオ西端の川岸にひとり漂着していたところを発見されたらしく、体温が低下しひどく衰弱していたため直近の病院に搬送されていた。

 だが容態が回復しきらなかったために、しばし静養できる場所として近隣のジェルメナ孤児院に白羽の矢が立った。


 呼吸器に支障があるのかき込みがちであったため個室を用意したが、四六時中しろくじちゅう面倒を見るまでの人手を割くことが困難であった。

 そのため少なくとも朝晩は誰か1人歳上の孤児に世話をしてもらう方針が決まったところ、ステラはその担当にカリムを推薦すいせんしていた。



 よわい10となったカリムは相変わらず寡黙かもくな少年だったが、よわいに見合わぬ冷静さや管理能力の高さに定評を得ており、本人も孤児院の多忙さをおもんばかったのかその推薦すいせん渋々しぶしぶ受諾した。


 ステラはろくな報酬もなく孤児院の都合で手伝わせることに申し訳なく思っていたが、その裏でリオという存在が、カリムにとって少しでも心を開くことのできる相手となることを密かに期待していたのであった。



 リオもまた救助される以前の記憶が曖昧あいまいであり、名前もみずからがぼんやりと発したものにすぎず、よわいおおよそ7か8と推定せざるを得なかった。


 そのリオの世話にカリムは当然ながら最初は手を焼き、心労や不快感を隠せない日々が続いていた。



 だがリオは孤児院の生活に慣れて来ると次第にカリムにも懐くようになり、それにこたえるようにカリムの表情も少しずつ柔らかくなりつつあるようにうかがえた。

 ステラはその傾向を良しとし、2人の関係を微笑ほほえましく見守っていた。


 他方で徐々にカリムが就労時間から戻る時刻が遅くなり始め、何かを密かにたくらんでいるような、それまでの従順なカリムらしからぬ素振そぶりが目に付くようになっていた。


 だが依然としてリオ以外には安易に近寄りがたい雰囲気をかもし出す少年を前に、詮索せんさくを入れることはどことなくはばかられるものがあった。それ以前に、当時のステラは業務の多忙さゆえに気を配る余裕すらなかった。


 そしてその時間の蓄積が禍根かこんとなるとは、夢にも思わなかった。




 その日常が終わりを告げたのは、ステラがよわい19、カリムが間もなくよわい12になろうかという頃であった。


 12になれば孤児院を出なければならない規則だが、カリムには依然として運動すら満足にできないリオを案じ、後ろ髪を引かれる思いをいだいているようであった。



 その日は、国土開発支援部隊によるセントラム産の農産物を主とした物資提供の取組みが初めて実施されることになっていた。

 提供といっても大陸軍が直接露店を構えて住民に商品を販売することになっており、その品揃しなぞろえが数日前から街中で噂になっていた。


 一方でこよみ上は安息日あんそくび所謂いわゆる休日でもあり、ジェルメナ孤児院は午前中にみなで施設を清掃した後、就労時間がなく自由となっていた。

 だが清掃が一段落着くやいなやカリムは孤児院を飛び出したかと思えば、昼食の時間を過ぎても中々なかなか帰って来なかった。


 ステラはリオから、カリムが大陸軍の露店を見に行っている旨を聞き及んでいたものの、日々の就労時間の駄賃だちんで買えるものなどたかが知れているだろうと推測していた。

 長期にわたり貯蓄していればあるいはとも思ったが、あくまで小遣いは個人の管理であるため、普段から無暗むやみ詮索せんさくはしていなかった。



 やがてステラは他の孤児らに知らされる形で、帰宅したカリムを玄関口へと慌てて迎えに出た。



「おかえりなさいカリム、遅かったじゃないの……!?」



 だが小袋を抱えて物憂ものうげな表情を浮かべるカリムのかたわらには、国土開発支援部隊の隊長を務めるルーシー・ドランジアが付き添うように立ち並んでいた。

 驚き目をみはるステラに、ルーシーは軽く手を挙げてカリムの代わりに返事を寄越した。



「やぁステラ、ご苦労だね。」

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