第6話 貴方が殺した理由

 だがひとりその結論に辿たどり着いたところで、ステラの心の中ではまた別の疑問が浮かび上がってきていた。



——そういえばこの大陸では昨日までに、3つの厄災が立て続けに起きていたんだっけ。メンシスの竜巻被害、セントラムの伝染病、そしてディレクタティオのあおい火災…それってつまり、私と同じようにラ・クリマスの悪魔を顕現させた人が3人いたってことなのよね。


——その人たちはどうなったの? 厄災が終わったということは、その人たちは命を落としてしまったということ? …カリムたちが、命を奪っているってこと?



 不安と懐疑にられたステラは揺らめくように振り返り、萌黄もえぎ色をたたえたうつろな視線をカリムへと傾けながら新たに問いかけた。



「ねぇカリム、貴方あなたは『ラ・クリマスの悪魔を命を受けていた』って言ってたわよね。…『封印』ってどういうこと? 私はこのにその杖を向けられたとき、全身が粉々に崩されていくような感覚を味わったわ。あれは何? ただ私の命を奪うだけなら、そもそも鋭利な刃物で一突ひとつきすれば充分だったんじゃないの?」



 先程とは打って変わって冷ややかに変容したステラの声音を前に、カリムは固唾かたずを呑んで出方をうかがっていた。



「…機密事項なんだよ。実際に悪魔を顕現させた先生だからって開示するつもりはない。」


「じゃあ質問を替えるわ。大陸軍でもない貴方あなたたちが厄災を封印する特命を受けているのなら、これまでの3つの厄災とも対峙たいじしてきたんじゃないの? そのが手首に負っていた傷の具合は明らかに普通じゃなかったわ。貴方あなたも何の躊躇ためらいもなくその不思議な杖で私のつるを無力化していたし…今日までに私みたいに悪魔が顕現した人と少なくとも1人以上と対峙たいじして、その命を奪ってきたんじゃないの?」



「だったら何だって言うんだ? また昔みたいに説教でもするつもりなのか?」



 カリムは杖を構えながら、ステラの矢継やつばやな問いかけをくどいと言わんばかりに首を横に振った。一方のステラは、青年の意固地な態度に失望し、露骨な溜息をついていた。



——もしカリムにとって厄災と対峙たいじする初めての相手が私だったのなら、人としてあるべき道から踏み外さないよう、悪魔の力を誇示してでも説得させようと思っていたのに。…私は思い違いをしていたのね。


——でもだからといって、突き放すわけにはいかないわ。道を踏み外したのなら、元に引き戻すのが。…5年前のあのときと同じように気後きおくれして、後悔したくないから。



「ええ、そうね…貴方あなただ人殺しを躊躇ためらう思いりのある子だと捉えていたことが糠喜ぬかよろこびだったんだもの。貴方あなたが今日までに1人でも誰かの命を奪ってきていたのなら話は別。…貴方あなたはリオの死から、何一つ学んでいないんだから。」




 その静かな叱責とともに地鳴りが起こり、カリムの周辺を囲い込むように地中から幾重いくえものつるり出した。


 カリムは反射的に杖を振りかざそうとしたが、ステラの忠告が脳裏をよぎり、尚且なおかうごめつるが自身に直接迫ってこなかったことから、身構えたまま警戒を続ける態勢になった。


 その包囲網を上からのぞき込むように、ステラはつるによってそらに掲げられていた。

 その表情からはうに浮かれるような笑みは失われており、いまかつて抱いたことのない威圧感をもって青年の真意を問いただそうとしていた。



「教えなさい。悪魔が顕現した人の命を、貴方あなたはいくつ奪ってきたの?」



 カリムはステラの萌黄もえぎ色の瞳に呑まれるように硬直し、首筋を冷や汗が伝っていた。有耶無耶うやむやに答えようものなら、たちまつるおおつぶされそうな予感がしていた。


 そのつるぎ払うことは難しくなかったが、容赦を放棄したステラによって延々と再生させられそうな気がして、思い切った反撃を逡巡しゅんじゅんしてしまっていた。


 ゆえに、仕方なくステラと向き合う他なかった。



「…俺が直接手を掛けたのは、2人だ。」



「そう。貴方あなたはその2人を、ただ悪魔が顕現したからという理由だけで殺してしまったのね?」


「ただ殺すだけじゃ、悪魔を捕らえることはできない。捕らえる必要がある。それを『封印』と呼んでいる。結果的に殺すことと変わりはないけれど、『封印』を施さなければこれからも厄災は起こり続ける。…この大陸の平和を実現するための必要な犠牲なんだよ。」


「でもそれは、所詮しょせんその特命を指示した人の受け売りなんでしょう? 私は貴方あなたが聞きたいの。もし貴方あなた他人ひとの言いなりになってとがめられることのない殺しを繰り返す空っぽの人間に成り下がっているのなら、これ以上の慈悲なんてあげないんだから。」




 本当はそんな理由をいたところで、最終的にステラが下す結論は変わらないはずであった。


 生命活力の総量を上げるため、猶予ゆうよを与えるまでもなくカリムもつるに呑み込み、新たな街を目指して歩き出す。それが願いをげるための正しい選択であり、『強欲の悪魔』としての本能であった。



——それでも、ちゃんと貴方あなたの口から聞きたい。貴方あなた何故なぜそんな役柄になってしまったのか、納得したい。そうじゃないと、貴方あなたつるに取り込んだところで私の心に絡まるわだかまりはほどけない。



 一方のカリムは、つる状の化物ばけものくらい口内に放り込まれているような重圧に抗いながら、徐々に激化していく問いかけに呼応しまくし立てるようになっていた。



「理由なんて聞くまでもないだろ? 悪魔が憎い、理不尽にリオの命を奪った悪魔が憎い。その悪魔に復讐ふくしゅうがしたい。そのために俺は悪魔に立ち向かうためのすべと武器を授かり、厄災と対峙たいじする日まで5年もの間備えてきた…先生ならその気持ちをわかってくれるんじゃないのか!?」


 

 ステラに突き付けられた青年の答えは、予測していた限りで最も単純なものであった。だからこそ、ステラは単純な動機として理解を示すつもりはなかった。



「いいえ、それは答えになってないわ。貴方あなたは自分の憎悪を晴らすためと言いながら、何の面識すらない人の命を奪っている。悪魔が顕現したならその命を奪われても仕方がないって、一方的な正義感をかこつけているだけじゃない。理由のない無差別な殺戮さつりくと、何も変わってないわ。」


「だから、それ以外に悪魔を封印する方法がないんだって言ってるじゃないか! 俺だって何も考えずに悪魔が顕現した人と対峙たいじしているわけじゃない!」


「それなら貴方あなたは私みたいに悪魔が顕現した人に、大陸の平和を実現するため犠牲になってくれるよう一度でも懇願こんがんしたことがあったの? 貴方あなたが手を掛けた人のうち1人でも、その理念に同意する返事を寄越よこしてくれたことがあったの?」



 その問いかけにカリムは一瞬動揺したが、ステラがこれから並べるつもりであろう美辞麗句びじれいくを予見したのか、たじろぐことなく声を荒げた。



「そんな生易なまやさしい理屈が通るわけないだろ? 悪魔が顕現した人がみなあんたみたいに話が通じるわけでもないんだ!」


「だからといって命の奪い合いをしていい道理にはならないわ。」


「道理も正義も知ったことか! 俺は昔から目的のためなら手段を選ばない愚かな悪党だ! 俺は悪魔を滅ぼすためならなんだってやる! そのためだけに今を生きてるんだ!!」



 その怒鳴どなり声がつるの壁の中で反響し、うごめいていたつるが驚いたように静止した。ステラはその天井から、再び露骨な失望の溜息をこぼしていた。



——貴方あなたがリオを失って悪魔を憎しむ気持ちは勿論もちろんわかるわ。でもそんな刹那せつな的な生き方の先にどんな未来があるのか、貴方あなたには見えているの?



 これまでのことはもう終わってしまったことなのだから、口を出されるいわれはないとわめいているように受けて取れたステラは、カリムを別の角度から問い詰めようと方針を転換させた。



「…貴方あなたが今を生きることに目的を、執念を持つこと自体は否定しないわ。でももし仮にその目的を達成したら、その後はどうするつもりなの? 私を殺して、他の悪魔もすべて封印して…その後貴方あなたはどう生きるつもりなの?」



 ステラの哀れみを差し向けるような問いかけにカリムは虚を突かれ、どもるような返事をこぼした。



「な、なんだよそれ…そこまで答える必要があるのかよ…?」


「ねぇ、貴方あなたがこの大陸から厄災を永遠に消し去ったとして、その活躍は世間一般に称賛されるものなの? 私を含めたいくつもの命の上に成り立つ貴方あなたの人生は、どれほど素晴らしいものになる予定なの?」



「……。」



 それはカリムがみずから拒絶したはずの道理や正義の話だった。それでもカリムが口籠くちごもるのは、只管ひたすらに確定してしまった過去を正当化するのみで信念が一貫しておらず、いまだに悪党を演じることすら決断し兼ねていることの証明になっていた。


 その短絡的な人生観で他人ひとの命を奪っている事実が、ステラにとっては何より残念でならなかった。たと相容あいいれなくとも具体的な自分の未来像を言葉にしてくれた方が、まだ救い出せる余地があると思っていた。



「カリム、貴方あなたがやっていることはただわ。他人ひとの命も、してや自分の命すらかえりみることのない破滅的な所業よ。これからも生半可なまはんかな理由と覚悟で悪戯いたずらに命を奪つもりなら、私は許さない。リオを失った貴方あなたなら、命の価値を理解してくれていると思ったのに。」



 最早もはや何の感情も伴わないステラの台詞せりふが、無言でうつむき立ちすくむカリムへと降り掛かった。その周囲では再びつるがうねり始め、徐々に包囲網を狭めていた。



——もう、これ以上の言葉は必要ない。カリムはここで私が抑えつけるしかない。あとは時間を掛けて、ゆっくり自分自身と向き合ってくれればいいわ。



貴方あなたにはもっと希望を持って生きてほしかった。でも、もうこれ以上貴方あなたにそんな特命を続けさせることも、貴方あなた自身をおとしめることも私は許さない。そうなってしまうくらいなら、私が貴方あなたの命をもっと有意義に使ってみせるから。」



「だから…きたるべき時まで、おやすみなさい。」



 ステラは子供を寝かしつけるような静かなささやきと共に、手元まで伸びていたつるおおかぶせるようにして、カリムを包み込もうとした。




「おい!! 躊躇ためらうな!! やるんだ!!!」



 その寸前、ステラの背後で捕らえていた少女が切迫した声音を張り上げた。



 それまでの間も少しずつ少女からは生命活力を吸い上げていたにもかかわらず、いまだに怒鳴どなるような声量を絞り出せることにステラは驚き、思わず振り返った。

 だが少女の視線は真っ直ぐカリムを囲むつるに向けられており、その先でにぶこすれるような音が響いた。



 ステラが再びカリムの方を見遣みやると、一帯に蔓延はびこっていたはずのつるが瞬く間に干乾ひからびるように縮んでいくのがわかった。

 その中心に悠然と立つカリムが、力強く握り直した杖を使って分厚いつるの包囲網を容易たやすく崩していた。



「まったく、往生際おうじょうぎわが悪いんだから……!?」



 ステラが溜息を付きながらただちに新たなつるを生成しカリムを捕らえようとしたが、目の前でまるで焼け焦げるように黒ずんで枯れていくつるを見て違和感を覚えた。



——おかしい。さっきつるを無力化されたときと崩れ方が違う。まるで腐食していくような……!?



 次の瞬間にはその枯れ行く根元から地中を侵食していたつるを伝っておぞまましく危険な力が逆流してくることをステラは察し、全身に鳥肌が立った。

 咄嗟とっさに身体をひねるようにして、周囲に蔓延はびこつるすべて粒子状に崩し、一気に霧散むさんさせた。

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