第5話 悪魔の使い方

 ステラはつるを通じて力を注ぎ込み、そこに隠されているであろう傷跡の修復を試みた。だが予想をはるかに超えた悲惨な具合を察すると、かえって気の毒な思いをいだいてしまっていた。



——り傷や切り傷なんかじゃない…ただれたような、痛々しい肌。一体何をしたらこんな怪我を負うのかしら。



——…それでも、治せない傷なんてないんだから。



 一方の少女は間接的とはいえ、傷跡にまとわりつく奇怪なつるに気付くと流石さすがに顔を青褪あおざめさせていたが、過度に抵抗すれば骨にさわるかもしれずすべがなかった。

 カリムもまたステラの意図が読めず、包帯に絡み付くつるしばし青白い光を放つ様を注視するしかなかった。


 だが少女は特段苦しみもだえる様子もなく、ステラは手首をつるから解放させながら慣れた手付きで包帯をがした。


 少女が左手首に負っていたはずの火傷のような傷跡は治癒されて綺麗きれいさっぱり無くなっており、少女もカリムもその現象に驚きを隠せず目を見開いていた。



「どうかしら? すごいと思わない? このつるの力!」



 ステラは両腕を広げ、カリムに向き直って得意げに言い聞かせた。カリムはその魂胆こんたんようや合点がてんがいったかのように、今一度杖を強く握り直した。



「…まさか、その恩を売った代わりに大人しく引き下がれって言うつもりなのか?」



 だが期待通りの反応が得られなかったステラは、両手をつるが巻き付いた腰に当てて不貞腐ふてくされたような表情を浮かべた。



「そんな無粋ぶすいなこと考えてないわよ。ただ粗雑に処置されてた怪我を治してあげたいと思っただけよ。私がそういう人だって、貴方あなたならわかっているでしょう? …そうでなくても、最初から私がこの容易たやすく手放すことがない前提で立ち向かってくるつもりでしょうに。」



 ステラはそう言いながらまた少し浮き上がり、捕えている少女の背後に回って盾にするように肩に抱き付いて見せた。

 カリムの目にはその構図がセントラムでみずからがおちいった状況と重なって映り、その屈辱を払拭ふっしょくしようと反射的に声を荒げて口走っていた。



「先生、一体何をするつもりなんだよ!? 先生に顕現しているのは『強欲の悪魔』なんだろ!? 人から生命活力を吸い上げるその力がどれほど凶悪なものなのか、先生は5年前に身をもって知っているはずだろ!? それなのにどうしてそのつるでグリセーオの街ごと住民を呑み込んでいるんだよ!?」



 カリムがいさめようとするその台詞せりふを聞いて、ステラは萌黄もえぎ色の瞳をあやしく輝かせた。カリムの方から関心を寄せてくれる展開を待っていたのであった。



——貴方あなたならそう言ってくれると思っていた。これはおぞましい厄災の力であることは、貴方あなたも私もその身をもって知っていたもの。


——でもね、カリム…実際に悪魔を宿してみて初めてわかることもあったのよ。



「このつる他人ひとの生命活力を奪うのは事実だけど、理解としては不十分ね。正確には生命活力の『分配』なの。つるを介して豊かな人と貧しい人の均衡をはかることが、この厄災の本質なのよ。」




 その切り返しに、カリムは思わず半歩たじろいだ。悪魔の力に正当性を語ること自体、意外であったかのように見えた。ステラはその反応に何ら構うことなく、カリムを見つめながら語り続けた。



「グリセーオが最近の度重なる厄災のせいで物資が行き着かず食糧難におちいっていたことは知ってる? 少ない食糧をめぐって街中で争いが起きるのは時間の問題だったわ。お互いに傷付け合って、立場の弱い人や虚弱な人からしいたげられていく明日あしたが、私には容易たやすく想像できてしまったの。」


「だから厄災の力を借りて、流通事情が回復するまでみなに眠ってもらうことにしたの。街をおおい尽くすつるで全員の生命活力を共有すれば、その間誰1人として苦しい思いをすることはないわ。そして私は、全員の命を維持するために力を供給し続けなければならないの。」


「さっきは力の扱いに失敗して気絶しちゃってたみたいだけど、もう大分だいぶ慣れたし同じあやまちはおかさないわ。そしてそのためにはね…1人でも多くの他人ひとつるに取り込んでいくことも必要なのよ。」



 カリムはステラが抱え込んでいた壮大で無謀な野望を前に、また半歩後退あとずさってしまった。

 という発想自体が受け入れられないようだったが、それ以上に信じがたい前提をステラに確認せずにはいられなかった。



「先生、その言い方だと…まるで自分からラ・クリマスの悪魔を呼び寄せたみたいじゃないか。」



 ステラには青年の震えた声音に沸々と湧き上がる怒りがっているように聞こえたが、何も負い目に感じることなくはっきりと答えた。



「ええ、その通りね。だってそうするしかなかったもの。」


「どうして!? …いや、どうやって都合よくそんな真似まねができたんだよ!?」



「理屈は私にもはっきりとはわからないわ。でも真似まねならしたわよ。…リオと同じようにね。」




 ステラがリオの名前を口にした途端とたん、カリムは一気に頭に血が上り、雄叫びを上げながらステラに向かって突進した。


 その瞬間、ステラの背後で少女の身体に巻き付く太いつるが青白く輝き始め、少女は悲鳴に似たうめき声を上げた。


 同時にカリムの前方をさえぎるように地中から束になったつるが突き出してきたが、カリムは迷うことなく杖で一閃いっせんし、先端に着装された黒い鉱石は鋭利な鎌のように青白いつるの束を容易たやすり払った。


 つるは鉱石が触れた箇所からちりのように霧散むさんしていき、カリムはその中を駆け抜けて勢いのままステラの胸元に向かって杖を突き立てようとした。



めなさい。無駄なことだってわかっているんでしょう?」



 だがステラは何ら身構えることなく、低く冷たい一言でカリムの暴走を制止させた。


 嫌悪けんおに満ちた剣幕を向けるカリムもその事実はわきまえざるを得なかったのか、あと一歩踏み込むことができず立ちすくんでしまい、かざしていた杖を瀬無せなく下ろした。


 ステラの背後では、少女が一気に疲弊ひへい項垂うなだれるように小さくあえいでいた。それが見せしめだったと言わんばかりに、ステラはなおうつろな表情でカリムをたしなめた。



「今貴方あなたが破壊したつるは、このの生命活力を『分配』して生み出したものよ。そして私の命は地中に伸びるつるを介してグリセーオの街を埋め尽くすつるうなががっているわ。」


「このが私を仕留め損なったことを忘れたの? 貴方あなたも私の命を奪おうものならグリセーオの人々の生命活力を使って抵抗せざるを得ないのよ。そんなことをしたら本末転倒になるでしょう? だから、無駄な攻撃はめなさい。わかったわね?」



 ステラは一通り言葉にしながらも、これがグリセーオの問題を平和的に解決する足掛かりと言うにはあまりにも卑劣な所業だという自覚はあった。

 だが今は、ここで自分が呆気あっけなく命を落とすことの方が本末転倒であるように思えて、さながら住民を人質ひとじちに獲るような牽制けんせいをせざるを得なかった。


 そしてゆらりと振り返ると、新たな人質ひとじちとなった少女の方にもあやしつけるような声音で語り掛けた。



貴女あなた随分ずいぶんと忍耐強いのね。でも眠ってしまった方が楽になるわよ。私も余計な力を使わずに済むし、お互いにとっていいことだと思うけど?」



「…笑わせるな…悪魔に協力なんて、してやるものか……悪徳に呑まれた災禍さいかの、化身けしんめ……!!」



 初めて口をいた少女は衰弱し始めながらも、ステラをにらんでこれ以上ない侮蔑ぶべつの言葉を絞り出し、吐き捨てていた。


 その台詞せりふを受けたステラは、瞳に萌黄もえぎ色をたたえたまま表情を変えることなく、少女を更に締め上げるようなこともせず、色褪いろあせる虚空こくうをぼんやりと見上げてつぶやいた。



「悪徳に呑まれた、か…。確かにそうののしられても仕方がないのかもしれないわね。…でも、必ずしも悪意でないことは周知されるべきだと思うの。ねぇカリム、貴方あなたなら理解できるんじゃないかしら?」



 ステラは再び警戒するように数歩距離を取り始めていたカリムに向かって、首をかしげて問いかけた。



「私、リオと同じ悪魔が顕現したことで、リオの抱えていた気持ちが理解できたような気がしたの。虚弱体質で寝たきりだったあの子はおのずと生命活力を求めてしまっていたのよ。…カリム、貴方あなたに迷惑を掛けたくない一心で。」




 再びリオの名を出されたことでカリムは顔をしかめていたが、ステラが付け足した一言によって真に触れられたくない所を掘り返され、たちま嘔吐おうともよおすような表情を浮かべた。



貴方あなたが当時街中で窃盗を繰り返して、自分で稼いだお金のように見せかけてリオに食糧を買い与えていたことは、リオ自身も薄々勘付かんづいていたんじゃないかしら。虚弱でもさとい子だったしね。」


「…!! ……なんで、先生まで、それを…?」


「私だって多少の疑念はあったわ。貴方あなたよわい11になった辺りから、帰宅が遅くなることが増えていたし。でも確証を得るきっかけはなかった…5年前に厄災が起こる、あの日まではね。」



 苦悶くもんさいなまれるカリムを見下しながら、ステラはれていた話を戻しながらしゃべり続けた。



「今更貴方あなたにそのことを追及する気はないわ。勿論もちろん真っ当な手段だったとは言えないけど、リオのことを誰よりいつくしみ案じていた心はないがしろにされるべきじゃないから。」


「ただ、リオがそんな貴方あなたの心にこたえるために引き寄せた力はあまりにも強大すぎた。あの幼い身体で制御するにはあまりにも難しすぎたんだって、今ならわかるわ。…でも裏を返せば、強大な悪魔の力も真っ当に制御できれば、厄災として恐れられ滅ぼされるいわれはないと思うの。」



 ステラはそう言って捕えている少女の元へ近付き、先程治癒を掛けた左手首を優しく握って持ち上げた。



「生命活力の操作っていうのはあくまで貴方あなたたちが表面的に捉えている現象に過ぎない…より厳密には細胞の活性化を促す力なんだと思う。だからこうして怪我を治したり、病気をしずめたりすることも出来できる。…でもその本質は、非現実的で魅力的な滋養のもとなの。」


「言うなれば、夢中で頬張ほおばりたくなるような甘い果実。その強欲の衝動をリオは抑えられず、取り込み過ぎた力が毒となってその身を滅ぼしてしまったのよ。…リオだけじゃない、この大陸で厄災が起こるようになったときから、きっと同じようにして尊い命が何度も失われ続けてきたんでしょうね。」



 そしてステラは高台から一望できるつるの湖をながめながら、自分の命を狙ってきた2人に言い聞かせるように力強く言葉にした。



「でも、私は違うわ。私は愛する孤児たち、グリセーオの人たち、そしてだ手の届いていない貧困や病にきゅうする人々まですべからく生きながらえさせたい。その願いのためにこの悪魔の力を使いこなして見せる。」


「…そう、これは願いを叶えるための力なのよ。確かに悪魔の力は恐ろしい厄災をもたらすけれど、その顕現にはちゃんと理由がある…人知れず消えていく願いがあるはずなのよ。」

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