第4話 再来

 ステラはカリムが戻ってくるのを待つ間、憂鬱ゆううつな思いで窓の向こうに広がるつるの湖をしばし見下ろしていた。

 太いつるは心臓が脈打つように青白い光を放ち続けており、さながら生き物のように見えた。


 大分だいぶ傾いているなか、気怠けだるさがぶり返しつつあったステラは、このまま夜を迎えることに焦燥しょうそうを覚え始めていた。

 孤児院の子供たちが、両親や住民のみなが心配で、自分だけ何もできず高みの見物に浸ってしまっているような罪悪感をいだいていた。



——本当にこのままじっとしているだけでいいのかしら。何か、私にできることがあるんじゃ…?



 だがその青白い光の点滅をぼんやりと見つめていると、不意に心の奥底から別の意志がい上がってくるのがわかった。



——違う。私には。私にしかできないことがあった。それは……。



 長椅子に座り直してまぶたを閉じ、意識を失う直前までの記憶を取り戻そうと、暗闇の奥から生えてくる糸のようなものを捕らえた。


 それを慎重に手繰たぐり寄せていくと、遠くから別の得体の知れない何かが、とてつもなくおぞましい存在がにじり寄って来ている気がした。


 それでもステラはおくすることなく、少しずつそれを引き寄せていった。



——きっと私に必要なもの……もう少し、もう少しで…!




 そのとき、再び小屋の玄関扉が開いた。


 ステラは座ったまま顔を上げ、戻ってきたカリムに改めて謝意を伝えようとした。



「お帰りなさいカリム、態々わざわざありがとうね……?」



 だがそこに立っていたのはカリムではなく、紫紺しこんのローブで全身を頭からおおい、顔を無機質な白い仮面で隠した、見るからに不審な人物だった。



 右手には何か杖のようなものが握られており、その不審者は扉を閉めると、静かにステラの方へと歩み寄った。



——誰…? 何をしに来たのかわからないけど……この場を離れた方がいい気がする。…それなのに…。



 足音すら立てずあっという間に迫り来るその姿に確かな恐怖を覚えて思わず息を呑んだステラは、長椅子に貼り付けられてしまったかのように身動みじろぎができなかった。



「…貴方あなた、一体何者な……うっ!?」



 その不審者は台詞せりふみなまで聞くことなく杖を構えて、先端に着装されている黒い鉱石をステラの胸元に突き付けた。


 ステラは軽く胸を圧迫されるような反動を受けた後、それが柔らかな衝撃となって全身を揺さぶり、五感を少しずつにぶらせていくのを感じた。

 視界がゆがみ、身体がまるで空気にとろけていくようなその感覚を味わいながら、ステラは自分が追いられている状況を明確に理解した。



——えっ…嘘……私……死ぬの……!?



 風に舞うの葉のように軽くなった身体が、意識が、胸元にあてがわれている黒い鉱石に吸い寄せられそうになっていた。ステラはその力に抗おうと、散り散りになりそうな意志を必死でかかえ込もうとした。



——どうして? どうしてこんなことを…!?


——このままじゃ私、何もできない……みなを助けられないじゃない!!



 その心の中で放たれた悲痛な叫びは、萌黄もえぎ色の粒子状に崩れかけていた肉体を元の形へと押し戻した。

 なおも素肌が淡い輝きを放つなか、ステラは歯を食い縛って差し向けられている杖のつかを右手でつかみ返した。



 その抵抗を見た不審者は、無機質な仮面の奥で確かに動揺していた。


 そして予想外の執念をもって杖をつかむステラの右手を見遣みやると、その視線の先にある床材の隙間から、彼女の足元へと伸びる一本の細いつるに気が付いた。


 つるの行く先はステラのワンピースの裾に隠れていたが、不審者はみずからの軽率が招いた危機を察知し、ステラの手から杖を引きがして離脱しようとした。

 だがその判断までのわずかな時間の内に、ステラの右手の袖の内から生え出てきたつるが、つかに絡まりながら不審者の右手をも固く捕らえていた。


 そして取り戻したステラの萌黄もえぎ色に輝く瞳が、不審者の仮面の奥からのぞく視線を捉えた。



「私にはやるべきことがあるの……だから、邪魔しないで!!」



 ステラの叱声と共に、小屋全体がひしめき揺れ出した。


 次の瞬間にはステラの背後の壁や天井のあちこちからつるが侵食し、高波のように2人におおかぶさった。

 急速に小屋の外側に蔓延はびこっていたおびただしいつるが、その勢いのまま小屋を握り潰すようにうごめき、いとも容易たやすく倒壊させていた。




 小屋が建っていたはずのき出しの場所は、青白い光が脈打つ太いつるあふれていた。


 まぶしい西日を正面に受けるステラは胴や腕が細めのつるに巻き付かれ、全身が持ち上げられるようにわずかに宙を漂っていた。服の裾からは更に細いつるが生えてうねっており、所々小さな葉が生えていた。


 ワンピースの柔らかな生地が強く締め付けられているように見えたが、すべてを思い出したステラの表情はあやしげな微笑をたたえていた。



 他方でその向かい側に同じく胴と両腕をつるに巻き付かれていた不審者は、やや肩で息をしているように見えた。


 いまだ右手に握り締めている杖にはもうつるは絡まっていなかったものの、今度は右腕が巻き付くつるによって強く締め上げられ、不審者はその激痛に耐え切れず結果的に杖を落としてしまった。


 杖は乾いた音を立てて少し坂を転がり落ち、わびしく横たわった。



——他愛もないわね。…さて、素性すじょうを隠して襲いかかるような人には、お説教をしないと。



 無機質な仮面の奥から漏れるうめき声を聞きながら、ステラは何も抵抗できない不審者のフードと仮面をがしてその素性すじょうを暴いた。


 最初からこの不審者の正体はカリムだと思っていたが、その予想は外れていた。猫のように大きな鈍色にびいろの瞳に、顎下まで伸びた癖のある栗色の髪は、まったく面識のない少女であった。


 それだけではなく、ステラはその少女に馴染なじみのある面影おもかげが重なって見えてしまい、思わず萌黄もえぎ色の瞳をみはった。



——あの子に似ている。…でも、そんなことってあるのかしら。偶然が過ぎるわ。


 

 だが依然としてその少女が浅ましい物を見るような眼差まなざしを寄越してくるので、ステラは再び微笑を浮かべ、杖が転がった方へ向かっておもむろに声を発した。



「カリム、いるんでしょう? 自分だけ隠れて女の子に手を汚させるなんて、どういうつもりなの? さっさと出てきなさい。」




 さなが悪戯いたずらを仕出かした子供を柔らかくなだめるような台詞せりふだったが、今となっては冷徹に脅すような不気味な響きが備わっていた。


 それから十秒と経たないうちに、坂を下った先の岩陰からカリムが姿を現し、数歩前方に転がっていた杖を拾い上げた。

 その杖を構えながらゆっくりとステラににじり寄っていったが、ステラはその間何らカリムに攻撃を仕掛けるようなことはなかった。


 カリムの握る杖がこの厄災の力を自分の命ごと奪う必殺の武器だと理解していたにもかかわらず、それを高台から放り出すこともせず安易な回収まで許していた。

 そうしなければ、かつて世話をした孤児と正面から話すことはできないと思ったからである。



「ねぇカリム…最初から私を狙うつもりだったの?」



 全身につるまとい宙に浮き上がるステラは、自分より背の高くなったカリムを悠然と見下していた。


 カリムは叱られた子供のようにばつが悪い様子だったが、ステラのかたわらに捕らわれている少女が再びうめくような声をこぼすと、仕方なく化物ばけもののように変貌へんぼうしたかつての里親を見上げて低い声音で答えた。



「…ラ・クリマスの悪魔を『封印』する命を受けていた。でも先生に悪魔が宿っているとは思わなかった。」


「ふぅん…そうね、確かにそういう見方をしていれば、私だけ厄災から逃れて辺鄙へんぴな所で倒れてるだなんて違和感しかないものね。私としたことが、恥ずかしいわ。」



 ステラは茶目ちゃめを匂わせるように、口元を両手で隠し小さく笑って見せた。

 その少女のような上機嫌な言動にカリムは顔を引きらせたが、ステラは青年の強張こわばりをくすぐるように素朴そぼくな疑問を付け足した。



「でも、それなら私が気を失っている間にその杖で殺しちゃえば良かったのに。」



 その一言は案の定カリムの顔を、苦虫をみ潰したように一段とゆがませた。


 ステラは半分鎌を掛けたつもりだったが、やはり自分が意識を取り戻す前から確信があったことが判明し、そのときのカリムの心境を想像してまた自然と笑みがこぼれた。



——やっぱりこの子は昔から変わっていない。達観していて目的のためなら手段を選ばないような子だったけど、他人ひとを傷付けるような真似まねは…私のような関わりのあった人を害するようなことは出来できないままなんだ。



 一方で背後に捕えている少女から激しい嫌悪けんおを投げつけられていることを察すると、ステラはカリムの選択が何も間違っていなかったことをさとすことに努めた。



「ごめんなさい、私はただ嬉しかっただけなのよ…貴方あなたが私の命を惜しんでくれたことが。そういう優しさを持って育ってくれて、私は安心したの。貴方あなたは5年前、失意のままに孤児院を去ってしまったのだと思っていたから…。」


「もういい、先生。悪いけど悠長に話す気はないんだ。その人を解放してくれ。」



 だがその正直な言葉の羅列は青年に皮肉として受け取られてしまったらしく、カリムはつい苛立いらだちをあらわにして吐き捨てるようにステラの発言をさえぎった。


 他方でそれが交渉でも何でもないただの意思表明だと捉えたステラは、屈辱的な面持おももちを浮かべている捕らわれの少女を尻目にもう一度カリムを揶揄からかってみせた。



「そうねぇ…答えにるかしらね。このはカリムにとってどんな人なの? 単なる仕事仲間? それとも…恋人だったり?」



 ステラにとってカリムは思い入れのある孤児であると同時によわいの離れた従兄弟いとこのような存在であり、不愛想ぶあいそうだった彼が同じよわいくらいの異性に対しどのような反応を示すのか単純に興味があった。

 

 その露骨な関心を当のカリムも察してわずらわしさを覚えたように見えた。だが元々真面まともな返事を期待していなかったのか、一度溜息をついてからステラが満足しそうな答えを不愛想ぶあいそうに返してみせた。



「…その人は……恩人だよ。」



「ふふっ…恩人。恩人ねぇ…。」



 ステラが若気にやけながら捕らえている少女を振り返ると、少女は最早もはや2人のやり取りに目も当てられなくなったのか、視線を伏せて只管ひたすら憤懣ふんまんを溜め込んでいるようだった。


 だが興が乗ったステラはつるを操ってゆっくりとその少女の左腕を吊り上げると、ローブの袖をまくって何重にも包帯が巻かれている手首をさらし出した。



——随分荒っぽい処置をしているように見えて気になっていたけど…このがカリムの恩人なら、私としても少しはお礼をしなくちゃいけないわね。



 そしておもむろに少女の左手を握ると、ワンピースの袖から細いつるい出して瞬く間に包帯の上に絡み付いた。

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