第3話 引き寄せるもの

「…おまえら、もういい加減にしろ。論点をずらすな。憶測で物を語るな。俺らは食糧の分配を交渉しに来てんだ。戯言ざれごとなら酒場で交わしやがれ。」



 しばし部下たちの主張を静観していたランタンだったが、その脱線具合を見兼ねて、低く脅すような声音で強制的に打ち切ろうとした。



 ステラはいまだ不服を抱え込みながらも静まり返る男たちを見渡しながら、ランタンも民意を代弁する者として仕方なくこの場に立たされているのだろうと推察し、その心労に後ろめたい感情が生まれていた。



——私が妥協して少しでも食糧を分ければ、この場は一旦しのげるのかもしれない。それが正しい選択なのかもしれない。


——でも抜本的な解決にはならないし、一度許せば二度、三度と許すことになって、そのうち当たり前のことになってしまう。何か代わりの、もっといい方法がないと…。




 ステラがうつむいててのひらにじむ汗をエプロンでぬぐっていると、不図ふとポケットの膨らみに手が触れた。



 その中に仕舞しまっていた小さなリンゴをおもむろつかむと、5年前にリオが引き起こした厄災が脳内で再現された。


 そして後から聞いたその不可解な現象の実態を思い起こしたとき、心臓が一段と大きな鼓動を響かせたような気がした。



——もしも、あのときのリオと使



——この状況を打開するための時間を、きっと作れるのかもしれない…!



 自然と引き寄せられるように、ステラは小さなリンゴを口元に寄せてかじり付いていた。



 あまりにも唐突とうとつ宵闇よいやみで響く瑞々みずみずしい咀嚼音そしゃくおんに、周囲の男たちは言葉を失い茫然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


 集約される懐疑と不審の視線に何ら動じることなく、ステラは只管ひたすらにリンゴを頬張ほおばっていた。夜食などほとんったことはなかったが、何も気にする余地などなかった。


 何の変哲もないただのリンゴであるはずなのに、これを食べれば何かが変わるかもしれないという根拠のない期待が芽生えていた。


 酸味のあるさわやかな果汁がその土壌を活性化させるように、全身に不思議な活力をもたらしているような気がした。もし何の異変が起きなくても、自分を吹っ切れさせる言い訳の種にでもすればいいとも考えていた。



「…ステラ嬢、どうかしたのか…?」



 普段から物静かなランタンも突然のステラの奇行に戸惑いを隠せず、様子をうかがおうと恐る恐る近寄ってきた。


 だがその声が掛かる頃には、ステラは片手に芯だけを残してほとんど食べ尽くしてしまっており、果汁でまみれた口元をワンピースの袖で恥ずかしもなくぬぐっていた。


 そして、芽生えていた期待が実を結ぶことを確信していた。



「大丈夫です、ランタンさん。私に任せてください。…私が全部上手くやってみせます。みなの面倒を、私が見てあげますから…!」



 力強く宣言するステラの瞳には、煌々こうこうとした萌黄もえぎ色の輝きがともっていた。






「……先生! …ステラ先生!! 」



 聞き覚えのない青年の声音に引っ張り上げられるように、ステラは意識を取り戻した。



 何か硬い長椅子のようなものの上に横たわっているらしく、身体には毛布を掛けられていた。

 だが全身は微温湯ぬるまゆに浸かっているかのように気怠けだるほめいており、経験したことのない疲労感に浸されているようであった。


 そのステラを心配そうに見下ろす青年の表情に、徐々に焦点が合い始めた。左目を黒い前髪で隠したその外見にはどこか懐かしさを覚えたが、おぼろげな記憶の中で一致する人物が思い浮かばず、しば曖昧あいまい眼差まなざしでながめていた。



「……?」


「先生、俺だよ! 5年くらい前までジェルメナ孤児院で世話になっていたカリムだ…ほら!!」



 青年がかすかに声を震わせながら首に掛けていた銀札を朱色地しゅいろじのシャツの襟元から引き出し、ステラの目の前で掲げてみせた。銀札は2枚あり、それぞれ「カリム」「リオ」と刻まれていた。


 ジェルメナ孤児院に所属していることを示すその名札から、ステラはようやく青年のことを思い出し、安堵あんどするような深い溜息をついた。



 よわい12になる直前まで孤児院で過ごしていたカリムは、その当時から左目を隠すやや内気な子供だった。

 だが当時は髪全体が肩まで届くような長さだったうえだ声変わりもしておらず、精悍せいかんな顔立ちも相まって、あたかも少女と見紛みまがう容姿をしていた。


 それゆえステラにとっては、前髪以外を短く切りそろよわい相応の青年となったカリムがまるで別人であるかのように見えていた。




「…ああ、カリムね……しばらく見ない間に…随分男前になったじゃない…。」


「よかった…先生、道の真ん中で倒れてたからどうしたのかと思って…。」



 ステラにはそのような記憶はまったくなかった。孤児院の裏手でグリセーオの住民らと何やらいさかいを起こしていたような覚えはあるのだが、それすらも遠い昔の出来事のように感ぜられていた。



——おかしいな…私、何してたんだっけ……。



 横たわっている壁際のカーテンからは、やや傾き始めた日差しが漏れていた。改めて視界を隅々までめぐらすと、ステラは木造の物置小屋のような室内でカリムに介抱されていたことを認識した。



「…そういえば、ここはどこ…?」


「ここは…グリセーオの南にある高台に建っていた無人の小屋だよ。」


「グリセーオ……そうだ、子供たちのところに戻らないと…。」



 ステラは歯を食い縛りながら、異様なほどに重たい身体を起こそうとした。その動きを予期していたかのように、ぐにカリムはステラの肩をつかんで制止しようとした。



駄目だめだ先生、街に戻るのは…それにまだ休んでいないと…!」


「カリム、いま何時なの…? もう日が暮れるなら、早く夕食の準備をしないと…!」



 かつて世話をした孤児によるいたわりを振り払い、ステラはカーテンを開けておおよその時間帯をみずから把握しようとした。


 だが窓の外に広がっていた光景は、全身にし掛かる倦怠けんたい感を吹き飛ばすほど異様でおぞましいものであった。



 そこに広がっているはずのグリセーオの街並みは、おびただしい量の太いつるによって地形全体を呑み込むように埋め尽くされていた。



 つるはあちこちで波打つように青白い光を発しており、乾いた土地で不気味な湖面を作り上げているように見えた。

 ジェルメナ孤児院が建っていた場所も、アヴァリー家の邸宅も、そして遠方のスラム街に至るまでつるおおい尽くしており、更にその侵食を広げようとうごめいているのがわかった。


 あまりの惨状さんじょうに絶句したステラだったが、そのつるには忌々いまいましくも見覚えがあり、真っ先に浮かび上がってきた言葉が自然と口元からこぼれた。



「…あのときと同じ、厄災…。」



「そう…いや、あのときよりも段違いに深刻だよ。発生から丸1日も経たずしてこの被害の大きさらしいから。」



 カリムもまたその光景を沈痛な面持おももちでながめながら、ステラに言い聞かせるようにつぶやいた。カリムもまた5年前にグリセーオで起こった厄災に巻き込まれ被災したことを、ステラは覚えていた。


 当時は駐屯していた大陸軍が早急そうきゅうに事態を収束させたと聞き及んでいたが、その後カリムは国土開発支援部隊に連れられるようにグリセーオを去ってしまい、ステラは別れの挨拶すら交わせていなかった。


 カリムとはその時以来の再会でもあり、それ自体は嬉しいことであったが、同時に何故なぜこのような形で再会するに至ったのか素朴そぼくな疑問をいだいた。



「…カリムは、どうしてここに?」


「え? ああ、仕事だよ…偶々たまたま近くに駐在していたんだけど、厄災のしらせが届いて未明に急遽きゅうきょ駆り出されたんだよ…早急そうきゅうに事態を把握して議会に連絡しろってさ。」



 カリムが胸元に付けているバッジを指差しながら事情を明かすと、ステラは少しだけ胸をで下ろしたように長椅子にもたれた。



「そう…今もルーシーさんの下で立派にやっているのね。」


「うん。まぁ…そんなところかな。」



 カリムが少し目をせながら、判然としない相槌あいづちを返してきた。


 その反応をステラは見逃さずいぶかしんだが、次なる疑問は彼が調べたであろう孤児らの安否であった。いな最早もはや孤児だけでなくグリセーオの全住民の被災状況を確認せずにはいられなかった。



「それで、グリセーオの人たちはどうなったの?…私の他に誰か、助かった人は?」



 ステラの問いかけに、カリムは視線を戻すことなくどこか言いよどんでいるようであったが、やがて小さく首を横に振りながら答えた。



「…わからない。恐らく昨夜、日付が変わる前に起きたからか、1人残らずつるに取り込まれたままなのかもしれない。人影が視認できないほどつる幾重いくえにも蔓延はびこっているんだ。大陸軍も駆け付けてはいるけど、すでに規模が大きすぎて安易に近付けないらしい。」


「…そんな…。」


「でも、まだ悲観すべきじゃないと思う。5年前はリオ以外に死傷者は出なかった。つるみなの命が無事であることを信じて、この厄災の収束を待つしかないよ。」



 あくまで希望を言葉にするカリムだったが、その口調はどこかむなしく捨て台詞ぜりふのようで、気付けば青年は外へ出ようと玄関口へ向き直っていた。



「カリム、手伝えることがあるなら、私も…!」


「大丈夫。先生はまだ休んでて。…何か飲み水とか、食べられる物を探してくるから。」



 無理にでも腰を上げようとするステラの呼びかけをさえぎるように、カリムは背を向けたままこたえ、玄関扉を開けた。


 何か唐突とうとつたまれなくなったような、気無けなくなったような態度の変化にステラは少し戸惑ったが、この状況で更に気をつかわせるべきではないと自重じちょうし、長椅子に座り直した。



「…わかったわ。カリム、ありがとうね。」


「……。」



 カリムは小さくうなずいてこたえるのみで、そのまま黙って小屋を出て行ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る