第2話 紛糾

「…何か御用ですか? あまり騒がしくされると子供たちが起きてしまうのですが。」



 ステラは扉を半開きにして宵闇よいやみに浮かぶ男たちの表情をうかがおうとしたが、そのうちの1人が更に扉を広げようとその淵を無造作につかみながら、って掛かるように答えた。



「それなら単刀直入に言わせてもらうぜ。今日の昼間にあんたらが大陸軍から無償でもらった食糧、いくらか分けてもらいてぇんだよ。」



 それはステラにとってあまりに予期しない、信じられない要請だった。反射的に両腕を広げて裏口に立ちふさがるような格好になった。



「何ですか、それ…!? 大体いくらかって、どれくらいのつもりで…!?」


「そんなもん実際に見てからじゃないと決められねぇんだよ。騒がれたくなけりゃ黙って調べさせろや。」



 だが反論をさえぎるように別の男が身を乗り出し、強引にステラを退かそうとその手を伸ばしてきた。



「ちょっ…!? やめてください! 子供たちのための食糧なんですよ!?」


「うるせぇ、俺にだって子供はいるんだよ! なんで身元もわからんどこぞの餓鬼がきどもに食い扶持ぶちが優先されてんだよ!!」


「…なんですって…!?」



 ステラは何年も親代わりとなってきた身寄りのない子らに対する非情な言い掛かりに、愈々いよいよ顔を紅潮させ声を張り上げたい衝動にられた。



「…おい、手荒な真似まねに走るなと言っただろうが。」



 だが不意にその奥から現れたまた別の大柄な男が、低く抑圧するような声音でとがめながら、ステラにって掛かる男を強引に引きがした。

 突如とつじょ迫り来る威圧感にステラは一瞬たじろいだが、その熊のような見た目の男とは顔馴染なじみであった。


 グリセーオ製鉄所の所長を務めているランタンという男は、外見とは裏腹に物静かな性格で、決して横柄でなく理屈の通った話ができる人物であった。最初に裏口を取り囲んでいた男たちはみな、ランタンの部下であるように見えた。


 彼らが強引に押し付けようとした要求には辟易へきえきしていたが、一先ひとまずランタンがこの場を制してくれたことで、ステラはわずかに安堵を覚えた。 



「ステラ嬢、こんな時間にうちの奴らが迷惑をかけた。こいつら言っても餓鬼がきみたいに我慢できねぇみたいでなぁ。」


「……。」



 ステラは昔からランタンが真面目な顔で繰り出してくるその呼称が、いまだにむずがゆく感じられていた。

 立場上は確かに領主貴族の娘であるが、今は家なき子供たちの命を預かる孤児院の管理人として務めを果たそうとしているからである。



「だが単なるやっかみでぞろぞろと集まってるわけじゃねぇことぐらいおまえさんならわかるだろう。この際相場以上での買い上げでも構わない、食糧を少しばかり回してほしいというのは俺自身の正直な意見でもあるんだ。」




 冷静な判断が期待できるはずのランタンがこの騒動をしずめるどころか、むしろ擁護したうえで交渉の席に着くよう促してきたことは、ステラにとっては予想外であった。



——まさか、本当に孤児院側と交渉するつもりだったなんて。…確かに最近の切迫した食糧品事情を考えれば、市場を介さない孤児院への無償配給は一部の住民からねたまれて当然だったのかもしれない。

 

——でも、これはあくまで子供たちに配給された食糧なのよ。それを大の大人がこぞって横取りしようとするなんてあんまりだわ。


——そもそも配給も含めて孤児院は大陸軍の所管なのに、夜になって受託者である私に直接押し寄せて来るなんて…甘く見られたものね。



 何十という家なき子供の命を支える者として、安易に譲歩しようとは思えなかった。

 ステラは一度深呼吸を挟んでから改めてランタンの巨体を見上げると、険しい表情で応戦の姿勢を返した。



「グリセーオの街が直面している問題は私も大変憂慮ゆうりょしています。ですが、孤児院への配給は特別扱いでも何でもない、大陸軍と取り交わされた定期的なものであって、これがなければ子供たちの生活を維持することが元より出来できかねます。ご不快かもしれませんが、ご理解のうえお引き取りいただきたく存じます。」



 ステラがはっきりと意見を述べると、ランタンの背後で部下が舌打ちするような声が聞こえた。


 ランタンはにらむように一瞥いちべつしその男を牽制けんせいすると、ステラに向き直って落ち着き払った声音で交渉を継続させようとした。



「おまえさんが孤児たちを想う気持ちはよく知っているつもりだ。だがおまえさんも領主の娘なら、グリセーオの街全体のことも少しは気遣きづかってはくれねぇか。いまはこの食糧難をみなで乗り越えられるよう、お互い助け合っていくべきじゃねぇか。」



 そのさとすような台詞せりふが、日中にイリアから向けられた励ましの言葉と重なって、ステラは思わず口をつぐんでしまった。

 

 しかしその直前に領主の娘という露骨に責任感をあおるような堅苦しい肩書を聞いて、かえって反発し湧き上がる矜持ぎょうじがあった。

 このよわいにして孤児院の管理人を担っている理由が、ステラを止まることなく突き動かした。



「ランタンさんのおっしゃる通り、いまは街のみなが助け合っていく必要があります。そしてそれは孤児院の子供たちも同じことです。ただ施されているだけでなく、微力ながら働き貢献することはできます。」


「ですから、そのために必要な力を大人の事情で奪わないであげてください…私たちも日頃から十分な食糧を備蓄しているわけではなく、必要に応じて市場から仕入れているのです。」




 ジェルメナ孤児院に収容されているよわい8以上の孤児には、就労時間というものが設けられていた。

 午前中に読み書きなどの勉強にてる時間を過ごし昼食をった後、大陸軍の仲介により資材採掘の現場や畑、畜産農家などで簡易な仕事に夕方まで従事する規則となっていた。


 当初は急速に成長するグリセーオの街で保護される孤児が、穀潰ごくつぶしと揶揄やゆされないための措置であったが、孤児院には原則としてよわい12になるまでしか所属できないため、どちらかといえばその後の自立に目線を向けた社会経験という意義に事実上の重きが置かれていた。


 とはいえ就労時間には当然駄賃だちん程度の日給が発生し、その一部が孤児院の運営費にてられる仕組みにもなっていた。

 よわい10前後の子供に携われる労働などたかが知れていたが、それでも住民と社会的なつながりを持つことで、孤児院の子供たちは無下に扱われずそれなりの立場が保証されていた。



「配給があるのに食糧が十分じゃないってのは、孤児を拾いすぎだからなんじゃねぇのか?」


「それは言えてるだろうな。大陸軍が一度に持って来れる量にも限度があるわけだし。」



 だがステラが必死に組み立てる説得を横から小突くように、ランタンの背後で部下たちが小声で批判を交わし始めていた。


 それはステラにもはっきりと聞こえており、受け入れがたい物言いに耐えられず身を乗り出してその男たちをにらみ付けようとした。それよりも早く、ランタンが振り返って再び静かな叱責を放っていた。



「てめぇら、黙ってろって言ってるだろうが。」



「いいや所長! 俺やっぱり納得いかねぇ!!」



 それでも部下のうちの1人が少し声音を震わせながらその叱責をけ、一歩前に出ていた。最初に孤児院の裏口に無理矢理入ろうと迫ってきた子持ちだという男だった。



「いまは食糧を街全体で分け合わないといけねぇから結局充分には買えねぇ。金はあっても子供にちゃんと食わせてやれねぇ。…それなのに何で身寄りのない餓鬼がきどもは今まで通り我慢せず腹を満たせられているんだよ!? おらぁ理不尽に思えてやるせねぇんだよ!!」



 夜分にもかかわらず声を荒げるその無神経さにも我慢の限界を迎えたステラは、男の前に勢いよく進み出ると、遂に丁寧ていねいな言葉づかいも忘れてまくし立てた。



「親のいる、いないで子供の命の優先度を決めないでくれる!? 孤児院の子供たちはみなが望んで孤児になったわけじゃないの! 充分に稼ぐこともできないし、あなたみたいに食べさせてくれる人もいないの! そういう子供たちが生きていくための食糧を確保してもらっているだけなのよ!!」



 予想だにしない剣幕で詰め寄ってくるステラに対し、男は激情を反論に変えることもままならず鼻息を荒くしていた。

 

 だがそこへ別の部下と見られる男が、冷ややかな口調で横槍を入れてきた。



「その食糧に余裕がないのは施設の許容量を超えた孤児の引き取りをしてるからだろって話だよ。あんたの度を超えた裁量を問題視してんだ。」



 先程ランタンの背後から聞こえた批判の1つが改めて投げ付けられていた。ステラは表情を変えることなく、かさずその男に反撃を試みた。



「じゃあこの街で他に親なき子供の手を取ってくれる人がいるっていうわけ!?」


「そういう感情論じゃなくてよぉ、行き当たりばったりで取りまとめようとしてきた皺寄しわよせが来てんだよ…この孤児院も、このグリセーオの街も。そもそも孤児が増えすぎないようにすることが領主側の役割なんじゃねぇのか。」



「ああ、それは一理あるな。大抵たいてい店先の金や食い物を盗もうとするのはそういうどうしようもねぇ餓鬼がきどもだ。一体どこから湧いてくるんだろうな。」


「スラムじゃねぇの。結局アヴァリー家側の責任問題ってことになってくるんだよなぁ。」



 1人、また1人とランタンの部下たちが口を開いて非難を強めており、反抗の矛先を定められなくなったステラは、徐々に立ち込める焦燥しょうそうさいなまれていた。

 そこらじゅうで泣きわめく赤子をあやして回ることよりも、遥かに収拾が困難であるように思えた。



——どうしてそんなこと言うの? 私が間違ってるの? 貴方あなたたちは自分の子供以外に養う義理も必要性も感じないから、そういうことが言えるだけなんじゃないの?




 近年グリセーオ郊外ではスラムと呼ばれる極貧層の居住地が広がりつつあり、そこで身を寄せ合っている孤児らの噂もステラは耳にしていた。

 そしてスラムの問題に対しては、領地管理の不十分さが追及される声が上がることも致し方無いように思えた。


 元々アヴァリー家は大陸の内戦時代に領地争いに敗れて大陸北東部に追いられた没落貴族であり、何百何千という住民も大規模な産業も抱えた経験がなかった。

 だがそんな歴史は、今や大多数を占める移住者にとっては些末さまつなものであった。


 ステラは施政に日々忙殺される両親を案じながらもみずからに課せられた使命をまっとうすることに必死だったが、あたかも孤児院までが身内と一括ひとくくりに敵視されてしまっているように聞こえ始め、気付けば冷や水を浴びせられてしまっていた。



「いやいやわからんぞ。孤児院の奴らだって盗みを働いている可能性もあるじゃねぇか。」


「おいおい、そりゃたちの悪い冗談にしとけや。」



「!? …ちょっと!?」



 男たちの非難がぎぬを着せるような談議に昇華し始め、ステラはたまらず声を荒げた。


 だがかつてそういう孤児がいなかったわけではないことを思い出すと、自然と踏み込もうとする足が重く、てのひらかすかに震え出していた。

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