第4章 結う蓬莱蕉

第1話 負の連鎖

——親を事故や病気で失ったり、あるいは親に捨てられたりした子供がひとりで生きていくことは当然に難しい。かといって、ひとりにおちいる境遇を未然に防ぐことも叶わない。


——代わりにその幼い手を誰かがつないで、はかない命を少しでも育ててあげることは出来できるけれど、実際に手を差し伸べられる人はして多くはない。大抵はみな自分の命を抱え込むことで精一杯だから。


——だからこそ、願わくは1本でも多く腕を生やしてでも、1人でも多くの孤児に手を差し伸べたい。こぼれそうな命をすくってあげたい。…そう思ってきた。




「ステラさん、定期配給物資の積み下ろしが完了致しました。」



 ステラと呼ばれた緑地のワンピースを身にまとった女性は、赤味がかった三つ編みの茶髪を揺らして、りんとした声音の報告に振り向いた。



「お疲れ様です、イリア隊長。大変なご時世なのにいつも通りの物資をご用意くださり感謝致します。」


「いえ、定期配給ですので。むしろ5日も到着が遅れてしまい申し訳ない限りです。子供たちにさぞかしひもじい思いをさせてしまったことかと…。」


「お気遣きづかいくださりありがとうございます。でも今生活が苦しいのは、孤児院の子供たちに限った話ではないので…。」


「そう、ですね…いまこの国で一体何が起きているんだか…。」




 ラ・クリマス大陸北東部カリタス州は、北側をけわしい山々に囲まれたグリセーオ高原が大部分を占めており、乾燥していて土地の多くはせ細っていた。

 何より大陸の2大交易都市であるソリス・メンシスいずれからも遠く、昔から物資が行き届きづらい貧しい地域として知られていた。


 それにもかかわらず人が集まり街として発展したのは、30年ほど前に大陸議会で掲げられた「ラ・クリマス一周路線化計画」にるものである。


 大陸中央部に広がる丘陵きゅうりょう地帯を丸ごと取り囲むように線路を通すことで大陸全体に流通網をめぐらせ、いては民の往来も便利にするべく、千年祭を迎える前に完成を目指した一大国家事業であった。

 

 その開発拠点の1つに指定されたのが、大規模な鉄鉱石の鉱床が発見されたグリセーオ高原西部であった。採掘・採石ならびに製鉄まで機能を集約させたその地域は急速に街として発展し、やがてグリセーオとはその街の名を指すようになった。



 だが大陸東部を中心とした出稼ぎ労働者が立て続けに舞い込み人口が急増した結果、治安や住居・衛生面の改善が後手になり、路頭に迷う孤児の増加も問題の1つとして挙げられるようになった。


 大陸議会はこれを解決するため、国土開発支援部隊管轄かんかつのジェルメナ孤児院を街外まちはずれに設立し、領主であるキーウィー・アヴァリーにその運営管理を委託した。現在から15年ほど前のことであった。


 当時よわい9だったステラ・アヴァリーは領主キーウィーの一人娘であり、母が管理人となったジェルメナ孤児院で拾われた孤児らと生活を共にしていた。


 その後も歳下の孤児の面倒を見ていくに連れ、ステラはなし崩し的に孤児院で働くようになり、よわい22となった2年前に母から管理人の地位を継承していた。


 だが最初は十数人だった孤児が今では2倍以上に増加しており、大陸軍管轄かんかつの施設とはいえ子供1人1人を満足に食べさせるための運営に苦心する日々が続いていた。



 そんななか、メンシス港の機能停止とセントラムの伝染病被害が立て続けに発生した。


 グリセーオの街は5年ほど前から国土開発支援部隊によるセントラム産の農産物を主とした物資提供を定期的に受けていた。

 えて大陸軍が流通の一端を担う政策の意図は、治安の不安定な大陸東部で大量の物資を安全かつ広範に行き渡らせるためだと言われていた。


 だが昨今さっこんの連続した大規模な事件にともなって、到着の予定が5日ほど遅滞していた。

 

 そもそもメンシス発となる南方からの物流がいちじるしく途絶とだえたことで大陸東部全般に食糧品などが行き渡りづらくなっていたが、更にセントラムが一時的に封鎖されたことで西部からの物流量がより一層制限されてしまっていた。


 大陸の僻地へきちとも言える貧しき高原を国家事業の拠点の一つとして設けたことがここに来てあだとなり、増えすぎた人口をまかないきるだけの食糧を確保できない状態におちいっていたのであった。




 そしてこの日ようやく国土開発支援部隊からの物資提供が再開され、管轄かんかつ施設であるジェルメナ孤児院にも別口で定期配給が到着した。


 その配給を指揮していたのがイリア・ピオニー部隊長であった。


 桃色がかった金髪を顎の高さで切りそろえた銘家の令嬢だが、よわい26にして部隊長に昇進する優秀な軍人でもあった。

 若くして威厳を放つ淑女しゅくじょであったが、ステラとは5年来の付き合いでもあり、さながら友人のように慰労を交わし合う仲でもあった。



「メンシスに、セントラムに…まるでこの大陸が何かに攻撃されているみたいに感じますね…。」



 ステラが両手を組み締めながら不安そうな声を上げると、イリアは神妙な面持ちで情報を付け加えた。



発端ほったんはディレクタティオです。グレーダン教の総本山が不可解なあおい炎により焼け落ち、多数の死者が出ました。大陸議会はここ1カ月で起きた一連の事件や災害を、すべて伝承される悪魔にる厄災だと見做みなしているようです。」


「厄災、ですか…。」



 イリアが用いたその言葉が脳裏に引っ掛かり、ステラはまた一段と表情を曇らせた。その理由に察しがついたイリアは、ステラの肩に手を置いて励ますように優しく声を掛けた。



「いまは壊月彗星かいげつすいせいがかなり接近している時期だそうです。この大陸にいまみ付くと言われる悪魔がかつてなく猛威をふるうようになったのかもしれない…それでも、私たちはお互い助け合っていくしかありません。みなで乗り越えられるよう、力を尽くしていきましょう。」



 ステラはイリアの激励げきれいこたえるように、少し鼻をすすって笑顔を作って見せた。



「…そうですね。私たちは今できることを精一杯努めましょう。国のことはルーシーさんがなんとかしてくれると思いますし。」


「ええ。気苦労も察するに余りあるところですが、いまこの国で最も有能な人物であると信じています。その手腕に期待しましょう。」



 イリアは尊敬する元上司の名前が出るやいなや力強く同意を示したが、ステラは不図ふと彼女の言い回しに違和感を覚えていた。



「…隊長? ルーシーさんが隊長だったのは何年か前の話じゃないんですか?」


「いまは第1部隊の隊長を臨時で兼任しているんですよ。昨今さっこんの非常事態で大陸軍を再編成した際、慣れ親しんだ第1部隊に戻って来たそうなんです。代わりに私が臨時部隊の部隊長として異動させられまして…。」


「ああ、そうだったんですね…。」



 ステラには苦笑いを浮かべるイリアが、昔のようにルーシーと共に仕事ができなかったことの寂しさを物語っているように見えた。

 だがそんな軍人の珍しい表情は即座に消え失せてかしこまった目付きに戻り、ステラに敬礼して引き揚げる準備に移っていた。



「それではステラさん、我々は日没までに出発しなければならないので、これで失礼します。」


「夜間も移動しないといけないなんて、大変ですね…どうぞお気をつけて。」



 ステラは心配そうな面持おももちでイリア率いる部隊を見送った後、届けられた物資を整理するため休む暇なく孤児院の裏口へと回った。




 定期配給物資の整理は、孤児院の子供たちが消灯する21時を回って間もなく一段落しようというところであった。


 ステラ以外にも孤児院に従事する者はいるが、普段から孤児らの面倒を見るための最低限の人員しか採用できておらず、彼らも夕食の片づけが終わる20時頃には帰宅してしまうので、元々整理の一部始終をステラ1人で済ませていることがほとんどであった。


 子供を一通り寝かしつけてからも、後回しにしていた事務作業などを片付けるため日付が変わる時間帯まで管理人室での業務が続くのは最早もはや当たり前の日常であった。



——配給された食糧はいつも通り、不足なし…このご時世でも有難ありがたいことね。でもやっぱり、もう少し増やしてもらえないと不安かしら…これ以上はもう孤児を受け入れたくても受け入れられなくなってしまうし…。



 草臥くたびれた用紙に記載されている項目を確認しながら、ステラは差し出がましい希望を思い浮かべた。


 孤児院の収容人数自体がほぼ限界に迫ってきていたのだが、ステラの懸案はそこにはなかった。1人でも多くの命をつなぎ止めたいという揺らぐことの無い信念ゆえに、これからどうすべきかを腐心していたのであった。




 ようやく一通りの物資を箱から引き上げようという頃、不図ふとステラは配給物資が詰まっていた空箱の中に1個のリンゴが転がっていることに気付き、怪訝けげんな表情を浮かべた。

 

 リンゴは配給の項目には含まれていなかった。そもそも配給に含めること自体をステラが断っていた。

 5年前にこの孤児院でリンゴを食べたリオという女の子が、ラ・クリマスの悪魔を顕現させて一時的に厄災をもたらした過去があったためである。



 ステラも巻き込まれたその厄災は短時間で収束したものの、そこでリオのみが命を落としてしまっていた。厳密に言えば、跡形もなく消滅してしまったと表象するべきであった。


 すべもなく護れなかった幼き命を、その凄惨せいさんな記憶をステラは今なお心の中で引きっていた。



 リンゴ自体は今ではグリセーオでも流通している庶民的な果実であるが、当時のリオにとっては初めて口にした甘美な味だったと思われた。

 そうした刺激を他の孤児に与えれば同じようなことが起こるのではないかと、根拠は希薄きはくだがステラは確かな抵抗感をいだいていた。


 とはいえ、自分がリンゴを食べることに拒絶反応を覚えるようになったわけではなかった。



——イリアさんがセントラムで物資を詰めるときにおまけで入れてくれたのかしら。もう5年前の口約束だったし、忘れてしまったのかもしれないわね。今度お見えになったときに伝えておかなくちゃ。




 そのとき、管理人室から外へ出る孤児院の裏戸を叩く音が静かな部屋の中で響いた。


 思わぬ来客にステラは驚きを隠せず、恐る恐る裏戸を振り返った。

 


——こんな夜分に、一体誰が訪ねてくるのかしら。


 

 だが部屋のあかりが外に漏れていたこともあってか無視ができず、ステラはリンゴをポケットに突っ込みながら渋々しぶしぶ扉を開けた。



 外にはグリセーオの住民と思しき男が数人、裏口を取り囲むようにして待ち構えていた。


 彼らは明らかに不穏な雰囲気に満ちていたので、ステラは反射的に顔をしかめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る