第6話 不変の摂理

「…なんだ、その目は?」



 酩酊めいていしたクレオ―メの酔眼すいがんが、ロキシーの羞恥しゅうちに震える恵体めぐたいめ回すようにながめたのち、おびえながらも何かを訴えようとする視線を捉えた。


 伯爵はくしゃくの顔面は紅潮こうちょうしていたが、深酒にるものなのか苛立いらだちにるものなのか、あるいはそのどちらでもあるように見て取れた。



「あの……私、今夜はその……薬をもらっておりませんので……!?」



 だがロキシーが縮こまりながらも絞り出す進言を最後まで聞く余地もなく、クレオ―メはさかずきを机に置き、その空いたてのひらでロキシーの肩をつかむと、力尽ちからづくでベッドの上に押し倒した。


 ロキシーは小さく悲鳴を上げたが、クレオ―メは表情を変えることなく抱えられていたエプロンドレスをぎ取り、あらわになった下着姿の上に馬乗りになった。

 そしておののいて顔を引きらせる女使用人を見下しながら、酒焼けしかすれた声音でつぶやくように言い聞かせた。



「そんなことはわかっている…だからといって口答えできると思うなよ……奴隷の子が……めかけの子が偉そうに……!」




 肩を抑えつけるクレオ―メの力が徐々に強くなり、ロキシーは痛みと恐怖とで早くも呼吸が荒くなっていた。

 だが伯爵はくしゃくこぼした言葉に未曽有みぞうの衝撃を受け、息の根を止められたかのように全身が硬直した。



——めかけの子って、どういうこと? 私が生まれたのは、母がセントラムに来る前のことじゃないの? …もしかして、私の父親って……!?



 だがクレオ―メは決して戯言たわごとを生み出したわけではなく、絶句するロキシーの様子を受けて嘲笑あざわらうように話し続けた。



「べつにレピアとは黙っている約束を交わした覚えはないが…知らなかったのなら、今からその身をわきまえさせるために全部教えてやるよ。」




 ロキシーは驚愕きょうがくと混乱の渦中かちゅうにありながら、その後クレオ―メが暴露した事実を事細かく記憶していた。



 母レピアは子連れで故郷を追われたのではなく、ロキシーが魔性病ましょうびょう奴隷として買われた、大陸東部の没落貴族の娘であったこと。

 

 当時から領主の仕事に明け暮れていたクレオ―メが闇商人の売り込みでレピアを買い上げ、み込みの使用人として従事させる一方で不倫関係を持ち、ロキシーをはらませたこと。



 取引していた闇商人は表向きには人材斡旋あっせんであり、数年間はレピアの身元を保証しなければならない契約だったため、レピアを一時的にかくまって出産させ、周囲にはだと納得させたこと。


 他方でレピア当人に対しては、親子で養う代わりにロキシーを使用人として育てつつ、毎晩の夜伽よとぎに引き続き従事するよう命じたこと。

 その際に闇商人から丁度ちょうど紹介されていた事前避妊薬『ミシェーレ』を、前提として服用させるようになったこと。



 そしてロキシーがよわい12になったとき、夜伽よとぎの従事をレピアと交代するよう事前に契約し、『ミシェーレ』の管理を伯爵はくしゃくからレピアへ引き継いでいたこと。



「そういえば確かあのときレピアは俺の実子じっしとも関係を持たせるよう提案してきたな…事が上手く進めば次期領主の義母になれるかもしれないってか。俺はあくまで社会経験としてやらせただけだがな。今頃首都ヴィルトスの学術院で別の女と交際しているかもしれないというのに。」



 クレオ―メは再び嘲笑ちょうしょうを浮かべながら、非情な真実に顔をゆがませるロキシーを容赦なく呑み込むようにおおかぶさってきた。



「よくわかっただろう? 俺もレピアも、めかけの子であるおまえの存在に価値を見出みいだし続けてきたんだ。衣食住で幼い使用人らしからぬ待遇を施してやったのもそのためさ…痩せ細った女なんて抱き甲斐がいがないからな。」



 そう吐き捨てると同時に、クレオ―メはロキシーの豊満な胸を下着の上から鷲掴わしづかみにした。

 その粗雑さによる痛みと逃れようのない迫力を受けてロキシーは瞳をうるませ、顔を背けながら小さくかすれた声音で拒絶の言葉を繰り返した。



——嫌…私…そんな……そんなことのために…生きてきたわけじゃ……。



 だがクレオ―メはいつもの昏蒙こんもう状態とは異なる女使用人の反応にむし嗜虐しぎゃく心をあおられたのか、たかぶりを隠すことなく酒乱のまままくし立てた。



「女はなぁ…その体躯たいくで男を欲情させて当たり前の存在なんだよ…そうしないと子孫を増やせないからな! それは創世の神様とやらが人間を男と女に分けておつくりになったときから変わらない当然の摂理なんだよ!!」


「そしておまえにはその恵体めぐたい以外に存在価値などない…身の程をわきまえたのなら、薬が無くたっておまえの役割が変わらないことくらい理解できるよなあ!!」



 ロキシーは降り掛かる罵詈雑言ばりぞうごんから必死に涙目をらし、力の限り叫んで邸宅中に助けを訴えたい衝動にられていた。


 だが領主貴族の男という圧倒的な権力者を前にその一切が無益に等しく、顛末てんまつによっては使用人長である母にも見捨てられてしまうかもしれないという恐怖が、その衝動に深々と突き刺さっていた。



 他方で、そうして苦痛にのた打ち回るような心を柔らかく包み込むように、不意に思い起こされる言葉が染み渡っていった。



『それでも、かつて確かに大陸の民がつちかった尊厳は今も重んじられていくべきだ。』


『君も仕事熱心なのは構わないが、ちゃんと自分の幸せのために生きるんだぞ。』



 そして愈々いよいよ我慢の限界を迎えたクレオ―メが、ロキシーの上下の下着を無理矢理ぎ取り、いやしく紅潮こうちょうした顔でロキシーの耳元にささやきかけた。



「別に俺の子をはらんだとしても心配することはない。レピアもおまえくらいのよわいはらんだ。それにおまえが俺の子を産んだとしても、ちゃんと俺がからな…!」





 その後の出来事は走馬灯のようで、ロキシーはあまり詳細を覚えていなかった。



 気が付けばクレオ―メは口から大量の泡を吹き出し、全身を痙攣けいれんさせて床に転がっており、眼球が飛び出て最早もはや身動みじろぎ一つしていなかった。


 ロキシーはその惨憺さんたんたる姿に発狂したい口元を必死で抑圧し、慌てて衣類をまとい母の元へ駆け込んだ。


 母レピアも同じように変わり果てた伯爵はくしゃくの姿に言葉を失ったが、簡潔に事実関係を尋ねられたロキシーは、そのとき唯一不必要な確認を問いかけてしまった。



「お母様……私が伯爵はくしゃく様とのめかけの子だって、本当なの…?」



「!! …いまはそんなことどうだっていいでしょ!? 早く医者を呼んできなさいよ!!」



 そうして突き飛ばされるように邸宅を駆け出して以来、レピアとは言葉を交わすことができていなかった。



 激しく気が動転していたせいか、夜分だというのに視界は弾けるようにまぶしかった。それでも伯爵はくしゃくの急患をしらせるため、息が上がりつつも街の医者を叩き起こしに丘を下った。


 だが再びフォンス邸別邸べっていに戻る頃には、レピアをはじめ邸宅内に居た者はみな似たような全身のしびれや呼吸困難を訴えて倒れており、駆けつけた医者もまたその例に漏れなかった。


 そして夜が明ける頃には、セントラムの街中で同様の症状を訴える住民が相次いでいた。



 そのときようやくロキシーはみずからに突如とつじょ顕現した不可思議な毒の力について本能的に理解し、昨晩の自分の行動が街一帯に甚大じんだいな被害を引き起こしてしまったことを自覚したのであった。


 盆地という地形も相まってか、毒は霧散することなくよどみのように住民を蝕み続けており、ロキシーはその惨状さんじょうを小高い丘の上に建つフォンス邸別邸べっていからただ茫然ぼうぜんながめているしかなかった。



**********



——本当に、節操のない男ほど俗悪なものはないわ。愛も責任もない情事と望まぬ子をはらませる可能性を、どうして長い歴史の中で結び付けられないのだろう。学習してくれないのだろう。…いや、愛と責任のどちらかが欠けても結局は同じことなのかもしれない。


——どちらかといえば、下手に責任だけ持とうとする男の方が尚更なおさらたちが悪い。その言葉を使えば女が心に負うきずのことなんて、天秤に掛けるまでもないと思っているのだから。きっと神様はそんな男どもを駆逐くちくするためにこの毒を…『魔性病ましょうびょう』を生み出したんだわ。


——そう思いたい。けど……きっと、そうじゃない。




 薄暗闇に満ちる静寂の中、空気を含ませたような口付けの音が断続的に響き渡っていた。


 依然として仰向あおむけのまま身動ぎの叶わないカリムの身体に、ロキシーはおおかぶさってその首筋から胸板にかけて静かな接吻せっぷんを繰り返していた。



 麻酔のような毒におかされ続けているカリムの弱々しい息遣いきづかいは、恥辱と屈辱が混在したような苦しげなものに聞こえた。


 その裏でどれほどの快楽が立ち込めているのか、どれほどの刺激を感じているのかロキシーにはわからなかった。

 それでも時折その恵体めぐたいを絡ませるようにり寄せながら、青年が自分を受け入れてくれることをこいねがい、深いすみれ色に満ちる瞳を輝かせて淡々とを続けていた。



 その最中さなかでロキシーは、クレオ―メが振りかざした理不尽があなが過言かごんとは言えないのではないかとおぼろげに思い起こしていた。


 

——神様が人を男と女に分けてつくったそのときから、双方は宿す・宿される、おかす・おかされるという相関関係なんだ。それは生物的にかなった当然の摂理だと思うし、能動側で優勢な立ち位置にある男が肉欲のままに女を支配したいと考えるのは、きっと本能的なことで何も間違ったことじゃないのでしょうね。


——でも女の方がその相関関係を逆手に取る場合もある。決してより良い子孫をのこすためではなく、人としての可能性を…価値を見出みいだすために。


——男が女の身体を道具のように扱って女を支配するのなら、女は女の身体を武器のように扱って男を支配しようとする。いずれにせよ女の身体に普遍的な価値が付いていることは、創世以来から不変の摂理なんだ。



 そのうえでロキシーは、よわいに似合わぬ恵体めぐたいと多すぎる経験に加えて、男を選別する圧倒的な力を手にしていた。


 望まぬ男を拒絶しあやめる毒と、望む男に執着し支配する毒という2つの武器を操る『淫蕩いんとうの悪魔』、それこそが『魔性病ましょうびょう』の正体でもあった。



——結局私がやっていることは、伯爵はくしゃく様とほとんど何も変わっていない。力を振りかざして、相手をおかだけ。



 ロキシーはやがて小さく溜息をつくと、甘えるように身体を重ね直してカリムの首元に顔をうずめた。



——それでも「違う」と言いたい。これは欲情を満たすためでも、日々を食いつなぐためでもないのだと。


——私は、私の生きる意味が欲しい。そしていつか…『普遍的な愛情』に触れてみたい。このあふれんばかりの毒が、どうしようもない私の脚を動かすための活力であると信じたい。

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