第3章 湿る大岩桐草

第1話 寂然たる館

 女使用人ロキシーの朝は早い。


 ここ数日で身体に気怠けだるさがつのりつつあったが、よわい17にして領主貴族に仕える彼女は当然ながら従者のなかで最年少であり、些細ささいな疲労を理由に仕事を休むわけにはいかなかった。


 っすらと明るみを増す部屋に反応して目覚めると、ゆっくり身を起こして窓を開けた。

 み込みで働く邸宅から見渡す農業盆地セントラムは、今朝も霧におおわれており、ふたをされているかのような圧迫感を覚えた。

 


 胸元の露出した黒地のエプロンドレスに着替えて長い藍色の髪を手早く整えると、部屋を出て廊下の窓を開けて回った。

 そしていつものように玄関口を掃除し、広々とした庭園の管理に従事した。ここ数日は来客がないが、庭園は領主の威厳や品格を表象するものであるからして、手を掛ける優先度は高いと考えていた。

 

 それが一段落つくと、邸宅裏手にある風蜂鳥かぜはちどりの小屋に立ち寄り到着している伝書の有無を確認すた。

 帰巣きそう本能が強いこの大陸特有の品種は、訓練させることで各地の貴族や大口の商人、大陸議会に至るまで迅速な文通を可能にしていた。


 ロキシーは新たに届いていた数件の伝書を回収すると、厨房に立ち寄って簡単な朝食をとりながらその中身を閲覧えつらんした。朝食は決まって固くなったパンとこの地方特産の果実、れ直した紅茶であった。


 そうしてまた次の仕事に取り掛かる…のだが、今朝は珍しく大陸平和維持軍から使用人長にてた伝書が届いていた。


 ロキシーはその文面を流し読みしていたが、末尾に記されていた差出人の名に思わず目が留まった。



『フォンス邸別邸べってい

 使用人長 レピア・アルクリス殿


 拝啓 先日セントラム一帯で発生したという不可解な伝染病において、領主を務められていたクレオ―メ・フォンス伯爵はくしゃく訃報ふほうにつき、大変いたましい想いであります。


 現在もセントラムでは感染の拡大が続いていると聞き及んでおり…(中略)…新たに出動する救援部隊とあわせて、伝染病の原因を調査する者を派遣いたします。


 このような状況下で大変不躾ぶしつけではございますが、ご協力いただきたくお願い申し上げます。この伝書が届く日中には、その者がフォンス邸別邸べっていに到着するかと存じます。


 伝染病の早期収束のため、当方としても引き続き尽力させていただきます。 敬具


 ラ・クリマス大陸平和維持軍 国土開発支援部隊

 第1部隊長 ルーシー・ドランジア』




 その肩書と名前を名乗る女性は5日前に部隊を引き連れてフォンス邸別邸べっていを訪れており、その際ロキシーは意図せず面識を持っていた。

 彼女はみずからの業務を建前として、その裏で何かを詮索せんさくしているようであったことを思い出した。


 伝染病がセントラムで発生したのはその翌日からであり、領主であるクレオ―メ・フォンス伯爵はくしゃくは朝の時点ですでに亡くなっていた。

 その事実は駐屯している大陸軍が放った風蜂鳥かぜはちどりによって、大陸議会側にただちに知られ渡ったものと思われた。



 だが知られ渡ったのはであり、伝染病について調査する者に態々わざわざ許諾を取り付けるような字面じづらに、ロキシーは違和感をいだかざるを得なかった。

 領主が病死した緊急事態ならば、部隊長の権限でも行使して使用人長には調査を承知させるだけで充分なはずだからである。


 ロキシーにはこの書面が、まるで伝染病の調査にかこつけてフォンス邸別邸べっていへ家宅捜索に踏み込もうとするかのような通告に読めてしまい、伝書をまむ指先が徐々に冷たくなっていった。

 当時差出人の建前の姿しか見ていなかったであろう使用人長に、その魂胆こんたんが読み取れるとも思えなかった。



——どうしよう。きっと大陸軍は私達の秘密に近付くつもりなんだ。それを暴かれたら……きっと生きた心地なんてしないわ。



 だがその一方で、ロキシーはこの邸宅に留まり続ける動機が軽薄けいはくなものであることを改めて思い知らされた。

 物心付いた頃からこのフォンス邸別邸べっていの使用人だったがゆえに、他所よそに行く宛も頼る宛もないという消極的な理由だけで、今もこうして領主を失った邸宅に従事し続けていた。


 自分はずっとこのままなのだろうかという虚無感をともなう不安が、また少し気怠けだるい気分を増長させているようにも感じた。



——それでも、いま私のやるべきことは変わらない。



 ロキシーは冷めてしまった紅茶を飲み干すと、伝書に記された調査員が訪れるまでに片付けるべき業務に取り掛かることにした。





 ラ・クリマス大陸中央部のプディシティア州は、北部山脈から南方へ突き出るような丘陵きゅうりょう地帯が大部分を占めており、その中心に位置するセントラム盆地は大陸有数の農作物生産量を誇っていた。

 特に壊月彗星かいげつすいせいが接近する時期は決まって作物の実りも品質も良くなることで知られ、諸外国からも注目を集めていた。


 その原因は気候条件にるものなのか、この地に湧き大きな湖としてたたえられる水の品質にるものなのか、土壌成分に特殊な性質があるのか、いまだにはっきりとは解明されていなかった。


 それでも若くして領主の座を継いだクレオ―メ・フォンス伯爵はくしゃくは、その勤勉さと野心をもってセントラムの生産を20年以上取り仕切り、農業盆地として発展させていったことで知られていた。


 地元の果樹園の娘と婚約し一子いっしを授かるも、領主としての業務に専念するため別邸べっていを設けたほどであった。

 小高い丘に建つフォンス邸別邸べっていはセントラム一帯を見下ろせるその裏で、地場産の果実を熟成させた醸造所じょうぞうじょも構えており、建物としては本邸よりも大規模なやかたとなっていた。



 そのセントラムを、突如とつじょとして不可解な伝染病が襲った。一夜にして感染が拡大し、多くの住民が同時多発的に罹患りかんしたと駐屯ちゅうとんする大陸軍は報じていた。


 その病状は全身のしびれや痙攣けいれん、頭痛や呼吸器の痛みなどであったが、奇妙なことに性別やよわいで症状の重さがはっきりと分かれていた。


 成人男性がとりわけ重症となる傾向にあり、伯爵はくしゃくをはじめ命を落とす住民が相次いでいた。

 一方で女性や子供は比較的軽症であったものの、満足に身体を動かせる者が多いわけではなく、大陸軍をもってしても救護活動は困難をいられていた。

 

 そんな不気味な状況が続くセントラムは、上空を分厚い霧でおおわれた3回目の朝を迎えていた。




 午後になると沈黙する街中で、フォンス邸別邸べっていの建つ丘へ向かってける1台の馬車が姿を現した。

 成人男性を中心に病におかされている事態とあって、経済活動が停滞したセントラムの街はさながらジオラマのようで、その中を突っ切る馬車は滑稽こっけいなほどに目立っていた。


 ロキシーは廊下の窓辺からその様子を視認すると、来客を迎えるために玄関口へと移動した。

 何気なく邸宅内での仕事に従事しながらも、セントラムで広がる不可解な伝染病について聞き及んでおり、その惨状さんじょう憂慮ゆうりょしていた。


 だからこそ、馬車を伴って別邸べっていを訪れたくだんの調査員が、自分と同じよわいくらいの青年だったことに驚きを隠せなかった。



「こんにちは。大陸議会より命を受けてせ参じました。調査員のカリムと申します。」



 朱色を基調としたシャツの上に、議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキをまとうその青年は、鞄を引っげて丁寧ていねいな一礼をしてみせた。

 口元はせめてもの感染予防のつもりか、バンダナのような布地を巻いておおっていたほか、左目も前髪で隠されていた。


 その外見は、事前に一報を受けていなければ怪しげな行商と見紛みまがおそれがあった。

 

 とはいえロキシーも長い髪を結わえたりめたりしなければ、陰鬱いんうつな少女と評されかねない容姿であった。

 その通りの性格もあいまってか、こうして改まって見知らぬ男性と相対あいたいすること自体、身構えるような緊張感をいだかずにはいられなかった。


 その感情をどうにか押し殺しつつ、ロキシーは小さく礼を返して挨拶あいさつこたえた。



「…使用人のロキシー・アルクリスです。本日は遠路遥々はるばるお越しいただき恐縮でございます。…どうぞ、お上がりください。」



 そして静かな面持おももちをたたえたままカリムを迎え入れながら、馬車の御者台ぎょしゃだいで何やら作業をしている黒尽くめの御者ぎょしゃにも一礼した。

 ゆっくりと玄関の扉を閉めた。邸宅内の沈黙を破ることのないよう足を進め、カリムを客間へと案内した。


 派手さのない比較的落ち着いた内装に、柔らかそうな生地のソファがローテーブルを挟むように2台置かれており、開け放たれた窓の奥では造形の美しい裏庭が広がっていた。


 ロキシーはカリムをソファに座らせると、丁度ちょうどよく準備していた紅茶をその前に差し出した。



「ああ、ありがとうございます。」



 カリムはそうこたえながらも、ぐに口にすることはなく何やら鞄の中身をしばらあさり続けていた。

 かたわらに立つロキシーはその様子をいぶかしむように、少し身体を傾けて青年の表情をのぞき込んで尋ねた。



「…あの…もしかして、紅茶は苦手でしたか?」


「いえいえ、とんでもない。多少猫舌なだけですよ。」



 苦笑いを浮かべて答えたカリムは、若き女使用人からっすらとかもし出される警戒心を察したのか、表情を変えずにしゃべり続けた。



「まぁ、奇妙に思われて当然ですよね。いまセントラムに広がる不可解な伝染病は男性の方が重症率は高いというのに、それを知っていながら派遣される調査員もまた男だっていうんですから。僕は元々大陸議会の事務官なんですが、実態としては雑用みたいなもので…正直気が重いんですが、やることはやらなきゃなんで…どうかご協力お願いします。」



 座ったままもう一度深々とこうべを垂れるカリムに釣られるように、ロキシーも小さく返事をこぼして会釈えしゃくを返した。



「ところで…使用人長のレピア・アルクリス様はどちらに?」



 カリムは気を取り直して仕事を始めようと言わんばかりに、準備をしながらロキシーに問いかけた。だがロキシーは少し言いにくそうに、首を小さく横に振ったのち回答した。



「…使用人長は、例の感染症に罹患りかんせっておられます。」



 ぐさまカリムは、肩透かしをらったような驚きの声を上げた。



「えっ!? それじゃあ、他の使用人の皆様みなさまは…?」


「…女性の使用人はみな身体を起こすことができず、来客用の寝室にて安静にしております。男性は…みな亡くなりました。いまこの邸宅で動けているのは、私だけです。」

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