第6話 悪趣味


「…だとしたら何? 悠長にこのまま停泊し続けるつもりなわけ? あんたがいく猶予ゆうよを与えたのか知らないけど。」



 小雨こさめと潮気でうっすら湿気しけった甲板の臭いを間近に感じながら、ユーリことリリアンは冷淡に見下してくるローレンに何とからい付こうと足掻あがいていた。

 両手は縛られおのが身は組み伏せられ、部下だったはずの団員は誰一人助けを差し伸べることなく、かといって嘲笑あざわらうこともなく静観を続けていた。


 ヴァニタス海賊団という集団が、世襲で尚早しょうそうにも首領の座に就いた少女に付き従うよりも、敏腕で実績のある年長の幹部にくみする選択肢をることは、時間の問題だとリリアンは常日頃から危機感をいだいていた。


 尻尾を巻いてここから逃げ出すわけにもいかず、重圧にあらがうように、名実ともに相応ふさわしい存在となれるよう今日まで努力を惜しまなかったつもりだった。


 それでも団員たちは実情を斟酌しんしゃくし、歩調を合わせてくれるほどお人好ひとよしではなかった。海賊とは単純に、より確実に利益を最大化させる者のためにつどい、付き従う組織だからである。



 だからこそリリアンにとって、ネリネは幾度いくどとなく羨望せんぼうを重ねた夢想の人物像であった。


 ネリネを鳥籠とりかごで心地良さそうにさえずる小鳥にたとえるならば、リリアンは波間に揺蕩たゆたおりの中で藻掻もがく獣であった。


 決して相容あいいれることのない、純真と平穏の象徴。彼女が死を迎えるその日まで、醜悪しゅうあくな外界など知ることなくさらで幸福な人生を歩んでほしいと願っていた。



——それなのに、ネリネはけがされてしまった。…あたしが不甲斐ふがいないばかりに。



 視界の奥から、乗組員になおも身柄を抑えられ続けるネリネの姿が飛び込んでくる。その美しくつややかな金髪も上等なドレスも汚れて乱れ、最早もはや人生の何もかもを諦めたように顔を伏せていた。


 リリアンの様子を意識するような素振そぶりは見られなかった。そんな箱入り令嬢の心境を察するには、充分を通り越して沈痛な思いだった。



——拉致らちされた彼女のことは自分の命に替えてでも救わなければならないと思っていた。…それなのに。



「ネリネ嬢は今晩中に闇市場の人身売買に懸けます。」



 ローレンがいまだ抵抗を模索するリリアンにとどめを刺すように、顔を近付けて一段と低い声音でささやきかけた。



「愚かな領主のせいで何処どこ店仕舞みせじまいに追われていますからね。身代金ほどの額は期待できませんが、早急さっきゅうに片は付くでしょう。すでに奴隷商にも時間を指定して送迎に来てもらうよう取り計らっています。」



 その非情な算段自体に、リリアンは大した衝撃を受けはしなかった。


 ローレンを問い詰めた手前、有能な彼なら幾重いくえにも策を練っていることは想像にかたくなかったからである。

 自分が身代わりになれないどころか、最悪自分も同じように奴隷商に売られる可能性があることも含めて覚悟はしていた。


 だがその猶予ゆうよ愈々いよいと尽きたことで、リリアンの内ではそのささやきの衝撃を遥かにしのぎ、嵐のように逆巻いて膨張する衝動を抑えきれなくなっていた。



——ゆるさない。絶対にゆるさない。ネリネをけがしたこの海賊団も、これからけがそうとする醜悪しゅうあくな世界の存在も、愚かなあたし自身も。…ネリネがけがれたという現実も。



——全部消してしまいたい。全部消して、全部無かったことにしてしまいたい。…だから、そのために…!



 リリアンは瞳を大きく見開いてたかぶった激情をぶちけた——その瞳に、澄んだ空色をたたえながら。



「あたしの…ネリネを……返せええええええええ!!!」



***********



 くらい夜空をおおっていた雲が大きなあなを開け、壊月彗星かいげつすいせいあやしげにこちらをのぞき込んでいた。


 砂煙のような何かきらめいたものが、月光に照らされながら舞っていた。



 ベッドの上でドレスをまとったままいつの間にか眠りにちていた少女は、平屋の天井がすっかり無くなっていることを認識すると、その空色の瞳でゆっくりと周囲を見渡した。

 

 天井どころか壁も柱も、この辺鄙へんぴな広場に建ち並んでいた平屋はすべて跡形もなく吹き飛んでおり、一帯には壊れてひしゃげた家財や建材が無惨むざんに散乱していた。 

 人気ひとけはなく、広場を囲む雑木林が一連の出来事を物語るようにざわめいていた。



——無意識に力が暴発したのか。昨晩の記憶が夢に出てきたせいで…。



 徐々に鮮明になる意識によって今しがた起きた事態を把握し終えた少女は、ベッドからゆっくりと腰を上げていると、突如とつじょとして背筋に緊張感がはしった。


 そして、周囲に広がる凄惨せいさんな光景のあちこちへにらむような視線をき散らせた。



——いや、無意識のうちに自己防衛が働いたんだ。そしてだあたしは、命を狙われている。…この状況で敵がひそんでいるとすれば…!



 少女は素早く身をひるがえして左腕を振り抜き、それまで横たわっていたベッドを猛烈な風で吹き上げた。

 


 するとそのベッドの下にひそんでいた、紫紺しこんのローブをまとった何者かが姿をあらわにした。


 まるで巨大な害虫を見つけたかのように、少女は思わず空色の瞳を大きく強張こわばらせた。



 その何者かはベッドを吹き上げた風がぐ瞬間を狙って、飛ばされないよう床に突き立てていた短剣を左手で引っこ抜くと同時に、すさまじい瞬発力で地を蹴って少女との距離を詰め、その短剣を胸元に突き付けようとした。

 

 他方で少女はそれ以上にひるむことなく、ドレスの腰元に隠し持っていたナイフを右手で引き抜きながら、突き出される短剣をぎ払った。



 だが予想以上に軽すぎる手応えに、少女は少し姿勢を崩した。


 襲い掛かってきた何者かはその隙を逃さないと言わんばかりに、今度は右手に握っていた棒状のものを、先程より広く開かれた少女の胸元に向かってかさず突き出してきた。



——!? こいつ…!!



 少女は前面に構えられていた短剣だけに注目を奪われ、もう片方の手にも別の武器がえられていたことに気付いていなかった。


 それでも、少女は後方へ倒れるように大きく身体をらせてこれを本能的にかわし、宙を舞いながら身をよじって強烈な回し蹴りで反撃した。



 少女の脚は敵の右側の胴に入ったと思われたが、無理な姿勢だったためかこれも会心の当たりとは言えず、蹴飛ばされて広場を転がった何者かは受け身を取って即座に立ち上がった。


 少女もまたぐさま身を起こして、その不審者に向かってナイフを構えた。壊月彗星かいげつすいせいが静かに照らすその金髪は、あちこちがうねって巻き毛になっていた。



「…あんた誰? さっきのカリムって人? それとも…『かげの部隊』とかいう謎の存在? まぁ、何でもいいけどさ。」



 目の前で短剣と槍のようなものを両手に携え、白い仮面と紫紺しこんのローブを身にまとった何者かを、巻き毛の少女リリアンは気色悪そうに観察しながら問いかけた。



「あたしの命を狙うってことは、やっぱり大陸議会とか大陸軍関係の刺客しかくってことだよね。寝込みを襲おうだなんて随分と卑劣で悪趣味じゃない。海賊でもそんなことしないよ。」



 相手の身元を暴こうと挑発してみるが、当の刺客しかくうなり散らす風にローブをなびかせながら静かに身構えるのみであった。


 リリアンはこの展開をもって、メンシスからの道中が最初から仕組まれたものであったとおおむね断定した。

 そうでなければ、この刺客しかくだけがベッドの下に身をひそめ、無意識に引き起こした暴風から生き延びた理由が思い付かなかった。


 他方で刺客しかく以外に支援しようとする人の気配が皆無かいむであることを察すると、先の無意識の自己防衛によって大方の作戦は破綻はたんしたのではないかと推察した。

 そしてこの刺客しかくに関しても、虚を突ける初撃が唯一の好機だったに違いないと見定めた。



——あたしの風を起こす力といまの身のこなしを見て、あいつは正面からやり合うのは不利だと察したはず。そうなると次は…風をしのげる雑木林に身をひそめて機をうかがうつもりだろう。きっと最初からそのためにあたしをこの辺鄙へんぴな場所に連れ込んだんだ。


——それでもぐにその脚を動かそうとしないのは…そこまで無傷で逃げ込める自信がないからだろう?



「突っ立ってるだけなら、さっさと返り討ちにさせてもらうよ!!」



 リリアンはその宣言と同時に、みずからを吹き上げる突風を生み出し、一瞬で刺客しかくとの距離を詰めた。


 ぐさま刺客しかくも短剣で応戦したが、鍔迫つばぜり合いになることはなく、リリアンのナイフさばきに押されて少しずつ後退を余儀なくされていた。


 一方のリリアンは初撃を除いて追い風を起こすことはなく、単純な体術と力業ちからわざ刺客しかくを少しずつ広場の隅へと追い詰めていた。

 刺客しかくの応戦ぶりから単なる軍人でないことは想像にかたくなかったが、その短剣をなし続けるに連れて、露骨になる力量の差に思わず苛立いらだちがつのった。



「おい、そっちはき手じゃないんだろう!? めやがって!!」



 リリアンは怒号とともに力強く右足を踏み込み、ナイフを振り抜いて刺客しかくの短剣を弾くと、そのまま飛び跳ねるように左足で刺客しかくの左手を更に蹴り上げた。

 刺客しかく愈々いよいよその激痛をこらえきれず、短剣を手放してしまった。

 

 リリアンは更にその場で一回転すると、勢いを維持したまま数歩踏み込んで、蹌踉よろける刺客しかくに向かって強烈な飛び蹴りをらわせた。

 

 何を着込んでいたのか奇妙な反動があったが今度こそ痛烈な一撃となって、刺客しかくは数メートル距離があったはずの防風林の1本まで吹っ飛び、激しく背中を打ち付けた。

 そして受け身を取れる余地もなく、投げ付けられた人形のように力無く木の根元へ崩れ落ちてしまった。



 何ら猶予ゆうよを与えることなく、リリアンは刺客しかく胸座むなぐら辺りを左手でつかんで引っ張り上げた。

 無機質な白い仮面の奥にどんな表情が浮かんでいるのか多少なりとも興味はあったが、いまはこの刺客しかくをいち早く抹殺することが優先された。


 右手のナイフをかざし、ローブの奥の心臓目掛めがけて一突きにする…そして逃避行を再開させることが先決であった。



 だがその右手は動こうとしなかった。この刺客しかくを刺し殺すことに、確かな躊躇ためらいがあった。


 その異変にリリアンは一瞬動揺したが、ぐにその原因に納得した。



——そうだ。。…ネリネを脅かそうとする人はみな、漏れなく偶発的な事故や災害に見せかけて排除しないといけないんだ。



 リリアンはその周囲に風を巻き起こし旋回させ、刺客しかく胸座むなぐらつかんだまま上昇気流に乗ってそらへと浮かび上がった。

 幾重いくえにも重なる風が悲鳴のようなうなり声を発し、雑木林を激しく揺さぶりおののかせた。


 やがてその雑木林よりも高く浮遊すると、壊月彗星かいげつすいせいに照らされた水平線が見えてきた。やはり海の近辺だと察した感覚に、狂いはなかった。

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