第4話 最後の質問

 安易に応じた途端とたん、予想だにしない角度から飛び掛かってきた問いかけに、ネリネは目を丸くして思わず硬直した。


 聴取用の道具のたぐいは既に仕舞しまわれており、あくまでに過ぎないとはいえ、その意図がまるで理解できず、とにかく沈黙を無駄に長引かせないために必死で返す言葉を選んだ。



「はぁ? 何でそんなことくのよ。あいつは街を1つ崩壊させた極悪人じゃない。私が何を進言するまでもなくさっさと処刑されて終わりでしょ?」


「ええ、拘束されれば間違いなく命の保証はないでしょう。ですが貴女あなたにとっては、拉致らちされたその身柄を案じ解放しようと抵抗した唯一の人間であり、手段はどうあれ闇市場が蔓延はびこるメンシスを浄化させた、ある意味恩人のような存在と言えるのではないでしょうか。」


「…だから今度は私があいつをかばえと? 冗談じゃないわ。元々その身を偽ってエクレット家に取り入って来た悪党よ。私が拉致らちされたのもあいつが首領として部下を統率できていなかったからでしょ。恩に着ることなんて何もないし、自業自得で同情の余地すらないわよ。」


「ですが、話を聞く限りリリアン・ヴァニタスは望んで海賊団の首領になったようには思えないんですよね。組織の体裁として仕方がなかったというか…事実関係をもっと整理すれば酌量しゃくりょうできる余地はあるんじゃないかなと…。」



「…ねぇ、まだこの話続けるの?」



 唐突とうとつに持論を語り出すカリムに対し、ネリネは露骨なわずらわしさをもって一蹴しようとした。

 みずからを議会の雑用と卑下ひげした分際で何様のつもりなのだろうといぶかしむ過程で、内心は動揺を通り越して辟易へきえきしてしまっていた。


 

——まったく…何のつもりであんな奴に同情を促そうとしてくるわけ? このに及んで嫌がらせのつもりなの!?


 

 もう二度と『海賊団の首領リリアン・ヴァニタス』の話はしたくない、と言い聞かせているのに、何の悪意をもってかその殻をつつこうとする無思慮な態度がひどく不快だった。




「…申し訳ありません、出過ぎた真似でしたね。でも自分の過去をかえりみると、少しは同情できるところもあるかなというか…。」



 歯切れの悪い謝罪以前に、そもそもネリネはこの男の過去に何ら関心をいだくつもりはなかったが、それでもカリムは独り言のように話し続けた。



「自分は大陸北東部地方の孤児院の出自でして…貧しい地域で治安も良くなく、幼くしてまるで生き甲斐がいを感じなかったんです。そんななかでも護りたいものができて、そのためなら盗みだの何だの軽犯罪のような愚行もいとわなかったんです。でも結局自分のせいで護りたかった存在を失ってしまった…文字通りの自業自得でした。」


「でもそれらすべてを汲み取ったうえで自分をたしなめて、生きる目的を与えてくれた恩師がいるんです。だから、少しでもゆるせる気持ちがあるのなら、たしなめることで救われる他人ひとの人生があるのなら、率先してそうするべきだ…と、思うんですよね。」



 カリムの独白が尻窄しりすぼみに終わり、狭苦しい空間にはしばしの間馬と車輪が駆ける音だけが静かに響いていた。いつの間にか窓の外は少しずつ薄昏うすぐらくなってきていた。


 ネリネは暇潰しにこの陰気臭い青年の過去がどこまで真実なのか推し量ろうとしたが、その男の最後の一言がどうにも触れがたく、かえって苦虫をみ潰したような面持ちを浮かべていた。



——あんな奴を、ゆるせるはずがない。あんなみじめで意気地いくじのない奴を、救う必要なんてない。そもそも大前提として、のだから…。




 不意に馬車が動きを止め、ネリネは驚きのあまり思わず小さく跳ね上がった。


 急停止ではなく平常通り減速し目的地に到着していたのだが、思いふけっていたネリネはまったくもって気付かなかったのである。

 


 さすがに醜態しゅうたいさらしてしまったのではと刹那せつな焦燥しょうそうられたが、向かいに座っていたカリムは何事もなかったかのように身支度みじたくを整えており、馬車の扉を開放するところだった。



「お疲れ様でした、ネリネ嬢様。足元にお気をつけてご降車ください。」





 ネリネが降り立ったのは、周辺地域でも名高い貴族の大豪邸…ではなく、雑木林をある程度り開いた辺鄙へんぴな空間に建ち並ぶ、木造平屋のうちの1軒であった。

 

 土地勘があるわけではなく、何ら背の高い目印も見当たらないので、現在位置がまったくわからなかった。ただ、かすかに潮の香りが漂ってくるような気がした。


 カリムのことを完全に信用していなかったネリネにとって、必ずしも期待通りの展開にならないことは想定内だった。だが当然にそうはならない。



「ちょっと!? 何処どこなのよここ!? 私が指示した目的地と全然違うじゃない!!」



 ネリネは何やら御者ぎょしゃと話し込んでいるカリムに向かって、張り倒すように文句を放った。御者ぎょしゃの外見は全身黒尽くめで、夕暮れ時の曇天ということもあり周囲は一段とくらく、その表情すら判然としなかった。

 

 カリムはゆっくりと振り返ると、令嬢の癇癪かんしゃくなど意に介すことなく、落ち着き払った声音で釈明した。



「申し訳ございません。街道を使えないため大幅な迂回うかいを余儀なくされておりまして、ご覧の通り日没も近いことから、誠に勝手ながら本日は大陸平和維持軍の臨時中継地点にて宿泊させていただく運びとなりました。ああ、ご心配なさらずとも臨時とはいえ宿泊施設は常に清潔に保たれておりますし…。」


「馬鹿にしないでよ! 街道をれたのは貴方あなた御者ぎょしゃの判断でしょう? 最初から同意なく私をここに連れ込む気で…!」


「恐れながら、ネリネ嬢様が厄災の元凶をご存知である以上、今晩はここで身を隠していただきたく進言致します。」



 叱責を強めるネリネを意地でもさえぎるように、カリムがかつてないほど声を張り上げて訴えかけた。


 予期せぬ気迫にネリネは一瞬たじろぎ、反抗の姿勢は冷や水を浴びせられた。


 だがそのお陰で、いまこの場に何処どこにも逃げ道がないことを再認識することが出来できていた。そして表情に不服さを残しつつも、冷静にカリムの進言の意図を聞き出そうとした。



「…どういうことよ?」


「もし今回の厄災の元凶がリリアン・ヴァニタスという女性だとすれば、彼女は貴女あなたを追ってくる可能性が高い…という懸念があるためです。」



 またもやリリアンの名を口に出され、ネリネはくどいと言わんばかりに腕を組んでカリムをにらみ返した。いい加減その話題に付き合うことにも疲れてきていた。



「…根拠は?」



貴女あなたは彼女を忌避きひされておられるようですが、話を聞く限り、リリアン・ヴァニタスにとって貴女あなたは唯一すがり付くことのできる存在だと言えるからです。」


「他方でもしまったく逆の心証をいだいているのならば、厄災の元凶を唯一知る貴女あなたを生かしてはおかないでしょう。竜巻を起こせる力を持っているのならば、風に乗って急接近してくることも想定できます。ここならば駐屯ちゅうとんしている大陸軍の者に夜間の警戒に当たってもらえますので、あくまで護送の一環としてご承知いただきたく存じます。」



 カリムは至って真剣な眼差しで——とはいっても片目は前髪で隠されているが——その進言の真意を打ち明けた。

 拒絶する余地のない現状に、ネリネは首を振って露骨に大きな溜息をついた。



「…そう。そこまで言うなら聞き入れておくわ。いずれにせよ乗り心地の悪い馬車のおかげで余計な疲労が溜まっているし、早いところ休ませてもらうわよ。」



 ネリネは最後までに落ちない素振そぶりを見せながらも、カリムの進言を大人しく受諾して身をひるがえし、目の前の平屋の玄関に手を掛けた。



「ご理解をいただき恐縮でございます。それでは、明朝またお迎えに上がりますので、どうかごゆっくりお休みくださいませ。」


 

 その場で深々と礼をする青年を一瞥いちべつし、ネリネは颯爽さっそうと扉を開けて室内に入った。



 そしてぐさま玄関を施錠し、静かに扉にもたれかかった。


 間もなくして馬車が動き出し去っていく音に耳をそばだて、ようやひとりの沈黙が訪れると、先程よりも更に深い溜息が漏れた。



——言い得て妙だったな。あの男、やはり何を考えているのか読めたものじゃない。これ以上関わりを持つべきではないな。




 大陸軍の臨時中継地点と言い表しただけあって、室内は宿泊施設としては最低限の、簡易で質素な設備しかなかった。ネリネはその狭い空間を隅々まで調べ、何も罠のようなものが仕掛けられていないかを入念に確認して回った。


 しばらくして室内の安全を信用できるようになると、ベッドの上に仰向あおむけに倒れ込んだ。大して柔らかさのない本当に簡易なベッドであったが、それがとても心地良く感じられた。



——疲れた。とても長い1日だった。…さて、これからどうするべきか…。



 今朝はメンシスの海岸に漂着していたところから始まり、慣れない長時間の馬車移動を経て、まったく知らない土地の小さな室内で夜を迎えていた。

 それだけでなく、窮屈きゅうくつな空間で繰り返される男の問答にも、思った以上にこたえるものがあった。


 肉体的にも精神的にも、隠し切れない疲労を抱えて当然であった。



 だがこの平屋を大陸軍に包囲されている事実や、カリムという青年がまだ何かたくらんでいるのではないかという懸念を考慮すると、このまま大人しく眠りにくわけにはいかなかった。


 まるで袋のねずみのように着実に自分を追い詰めようとしているのではないかと疑わずにはいられず、ネリネは横たわったまま必死に思案をめぐらせた。



——宵闇よいやみまぎれて脱走するべき? ここが大陸のどの辺りなのかわからないけど、恐らく海は近い。今夜は曇天で月明かりがなくて、海風で雑木林がざわめいているから、風に乗って姿をくらますことは不可能ではないかもしれない。


——でも、不自然な風そのものが警戒されているかもしれない。いっそのこと本当に出現したことにして、不意打ちを仕掛けてここら一帯を竜巻で吹き飛ばすべき? 大陸軍とはいえ、竜巻に対抗できるような手段を持ち合わせているものなの?


—— いや、そもそも海が近いということは、この一帯に生い茂る雑木林は防風林の役目を担っているのかもしれない。もし悪魔を宿していると最初から疑念を掛けられているのなら、そういう地形に誘導されていても不思議じゃない。



——そんな環境下で、どれだけの被害をもたらすことができる? 再び一帯を蹂躙じゅうりんするだけの力が、残されているの…?

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