第2章 騙る赤百合

第1話 逃避行

「はぁーあ、まったくもって最悪な乗り心地だわ。もっとまともな道は走れないわけ?」



 空が分厚い雲におおわれた昼下がり、雑木林の中を1台の馬車が駆けていた。

 

 満足に舗装が行き届いていない道を行く馬車の乗り心地はお世辞にも快適とは言えないが、淡い桃色を基調としたドレスを身にまとう少女にとっては、そもそも馬車移動自体が不慣れなようであった。

 しかめ面で窓の外をながめ続けることにも耐えられず、遂に文句をぶち撒けずにはいられなくなっていた。



「心中お察ししますが、街道は足止めをらった商人たちで大変混雑しております。目立たず迅速に移動するためだとご理解ください、ネリネ嬢様。」



 その向かいの座席で羊皮紙を広げている黒髪の青年が、不貞腐ふてくされる令嬢を柔らかくなだめようとするが、ネリネと呼ばれた少女は苛立いらだちを抑えきれないようであった。



「大体貴方あなた、平然と私の前に座っているけど何者なの? 護衛を務める者のようには見えないけれど?」



 ネリネは不快感を紛らわすように、片目を黒髪で隠す青年に口撃こうげきの矛先を向けた。

 この陰気臭そうな男が目的地まで同行することは承諾していたが、何もこの窮屈きゅうくつな空間で対面を続ける必要性はないのではないかと暗黙に訴えたかった。



「…申し遅れました。私は大陸議会の事務官を務めております、カリムと申します。まぁ事務官と言っても、議員達の雑用のようなもので大層な身分ではないですけどね。今回はネリネ嬢様をヒュミリア州内のご親族様の屋敷へご案内する責務を仰せつかっているのですが…。」



 朱色を基調としたシャツの上に議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキをまといながら、自虐的に微笑を浮かべるカリムと名乗る青年を前にして、ネリネは余計に不快感がつのっていった。


 よわい16の自分とあまり大差ない年齢だと思っていたのに、大陸議会に携わるような職に就いていることがまず信じられなかった。

 そのうえ前髪で片目を隠す身形みなりも、陰気を上塗りしようと浮かべる微笑も声音も、何かを隠し取り繕っているように思えてならなかった。



——いや、私は恐らくそういうわずかな感情表現にも、敏感になってしまったのかもしれない。



「…そのついでといいますか、ネリネ嬢様にもメンシスでの竜巻被害の一件について聴取するよう指示を受けておりまして…。」



 カリムの恐縮しがちな発言の続きを聞くや否や、ネリネの背筋に悪寒おかんはしった。



「はぁ? なんて不躾ぶしつけなのかしら!? 私はあの竜巻の被災者なのよ!? それなのに逃げ場のない馬車の中で強引に記憶を掘り返そうとするなんて…!!」



 …と、反射的にわめき散らしたいところであったが、その衝動をかろうじて抑え込んだ。



 このわざとらしい上面うわつらの男を前に、感情的に拒絶を繰り返すことは愚策であるように思えた。

 竜巻の真相を追及したところでこの男に何ができるとも想像できないが、どちらかと言えば取り乱すことで被災の後遺症のような精神疾患を疑われることの方がネリネにとって不都合であった。


 それにこの男が本当に大陸議会に連なる立場であるならば、下手な黙秘を貫く方がかえって後々面倒臭いことになるような気がした。 

 ゆえにネリネは深い溜息をついて悪寒おかんと動揺をゆっくりと沈静させると、カリムに向かって不服そうに同意を寄越した。



「…仕方ないわね、できる範囲でなら答えてあげるわよ。ただし私は被災者なんだから、そこのところちゃんと配慮しなさいよね。」




 ラ・クリマス共和国は大陸国に分類されながら外洋に囲まれた島国でもあり、代表的な交易都市が2ヶ所存在している。1つは大陸西部に位置するグラティア州、首都ヴィルトスに近いソリス港。もう1つは大陸南東部のヒュミリア州にあるメンシス港である。


 昨夜そのメンシス港は、突如とつじょ発生した巨大な竜巻によって甚大じんだいな被害をこうむった。


 交易の街並は無惨むざんにも蹂躙じゅうりんされ、一夜にしてその機能を喪失してしまった。当然人的な被害も計り知れず、死傷者の数は現在進行形で調査が進められていた。



 ネリネ・エクレットはメンシスの領主であるホリー・エクレット伯爵はくしゃくの一人娘であり、竜巻の被害にったとされ、未明に街の海岸に打ち捨てられているところを保護されていた。


 メンシス内のエクレット邸も竜巻によって倒壊し、そこで伯爵はくしゃくは巻き込まれたとされ既に死亡が確認されていた。ネリネの母はだ行方がわかっていない。

 他に生存が確認されたエクレット家の人間はおらず、ネリネにはかろうじて生き延びた侍女や数名の使用人らと共に、領主の跡取りとして今後のメンシス再興についての打ち合わせが予定されていた。


 だが憔悴しょうすいしていた彼女は早くもその事業を救援に駆け付けた大陸平和維持軍に一任し、逃避するようにメンシスから立ち去ろうとした。



「…私には荷が重すぎます。それ以前に、このようなおぞましい災害を生んだ土地に居住を続けたいと思えません…いましばらくは別の場所で静養したく存じます。」



 その言葉を聞いた侍女がネリネの心境に配慮し、同州内の親戚の元へ一時的に身を寄せることを提案した。


 他の使用人らもネリネは物腰が柔らかく大人しい少女だと認識していたが、両親に溺愛された箱入り娘であったため、昨夜の出来事で殊更ことさら傷心しょうしんを負ったのだろうと推察し、大陸平和維持軍への取り次ぎに賛同したのであった。


 程なくして上等な馬車が供与され、事務官のカリムと共にネリネはメンシスを後にしていた。


 だが出発して以降の令嬢は、何か糸が切れたかのように刺々とげとげしい態度で同年代の青年にって掛かっていた。いまだに潮気が抜けきらず整わない金髪にも、徐々に嫌気が増してきているように見えた。




「…わかりました。それでは順を追ってご質問させていただきます。」



 かしこまった態度で改めて羊皮紙を広げ筆の用意をするカリムを前に、ネリネは本当にこの落ち着きのない馬車で文字が書けるのかといぶかしんだ。



「まず最初に…ネリネ嬢様は昨晩の竜巻発生当時、何処どこで何をされておられましたか?」




 その一見当たりさわりのないような質問を受けて、ネリネは早くも聴取に応じたことを後悔し始めていた。


 素直に竜巻の発生状況について尋ねれば良いにも関わらず、被災者自身の行動履歴を詮索しようとする時点で信用が持てなかった。それにこの男は「順を追って」という前振りを、許諾を得てからり気なく付け加えている。



「…何? 竜巻についてきたいんじゃないの?」



 明らかに聴取の対象は竜巻ではなく自分自身であることを察したネリネは、腕を組んで露骨な不快感でこたえて見せた。



「…ああ失礼、かえって迂遠うえんな言い方になってしまいましたね。」



 一方のカリムからは謝罪のわりにあまり悪びれた様子はなく、ネリネからすれば事務官の仕事ぶりとしては稚拙ちせつというより軽薄けいはくな印象を受けていた。



「ですが、例の竜巻があまりにも異常であったことはネリネ嬢様も想像にかたくないでしょう。竜巻の発生は昨夜21時頃と言われていますが、当時は小雨だったとはいえ竜巻が生じるような気候条件ではありませんでした。そのため、竜巻そのものが何処どこでどのように発生したのか情報をり合わせる必要があるのです。」


「ただでさえ現場は救援活動でそのような余裕はなく…議会としてはできる限りお話が可能な現地の方にご協力を仰いでいる次第なのです。」



 だがネリネはカリムの長ったらしい釈明を聞き流している間、案外大陸議会も人手不足で、自分と同じくらいのよわい半端はんぱ者の青年をこうした被災地へ送り出さざるを得ないのではないかとも思えてきていた。

 


 10日ほど前に大陸北西部のディレクタティオで発生した大聖堂焼き討ち事件は共和国を震撼しんかんさせ、グレーダン教なる宗教団体は勿論もちろん大陸議会もまた調査や事後処理などに追われていると聞いていた。

 国教と言えるほど現代において信者は多くはないようだが、千年という歴史をかざして近年再興しつつあることも知っていた。


 それに地理的にも、竜巻の発生したメンシスはディレクタティオとはほぼ正反対の位置にある街である。ひょっとしたらこのカリムとかいう不躾ぶしつけな青年は、大陸議会に即席で雇われた近隣の住民なのかもしれない。


 そう考えると、ネリネはこの聴取を適当にあしらっても問題がないような気がしてきた。



「…竜巻なら、メンシス港から見て西側の沿岸辺りで発生したように見えたわよ。」



 ネリネが窓の外を眺めながらあきれたようにつぶやくと、カリムはかさず羊皮紙に筆を走らせた。



「昨晩の西側の沿岸…確かそこには、アルケン商会の船舶が停泊していたと聞いていますが。」



 まるで回答を予期していたかのように次の質問を口走る青年を前に、ネリネは内心舌打ちをしてみずからの浅はかな判断を再び悔やんだ。



——違う。こいつは即席の雇われなんかじゃない。昨夜の街の状況を隅々まで把握していなければ、その発言が容易たやすく放たれるはずがない。



 そして如何いかにも自然な聴取を装うようなその姿勢に、早くも危機感をいだき出したネリネには、また別の角度からの疑念が湧き上がってきていた。



——噂に聞く『かげの部隊』…大陸議会で密かに組織され、軍人などに紛れて諜報に勤しむやからがこの大陸中に存在しているらしいが、こいつもその1人なのか?


——もしその推測通りならば、最初から情報のり合わせなど必要なく、望ましい言質げんちを確保するために結論ありきで誘導しているのかもしれない。



——私が、竜巻を引き起こした張本人であるという事実に辿たどり着くために。




「…アルケン商会はエクレット家とも面識があったそうですが、その正体はメンシスの闇市場で密輸品などを数多くさばく『ヴァニタス海賊団』であるという情報もございまして…。」



——やはり、こいつは情報を握りすぎている。移動中の馬車というおりを利用して、隠したい事実を容赦なく引きり出すつもりだ。


 

「…恐れながら、ネリネ嬢様は昨夜、ヴァニタス海賊団を名乗る者達に拉致らちされていたと聞き及んでおりまして…」



——これ以上は、危険だ。



「やめて!! もうやめて!!!」



 たった1つ壁に許した罅割ひびわれを逃さず、ここぞとばかりに杭を打ち込み破壊しようとしてくるような、にじり寄る恐怖をネリネは犇々ひしひしと味わっていたが、遂に耐え切れず発狂した。

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