第6話 おわりのはじまり

 ドールは想像だにしない光景と地下空間の肌寒さに身を強張こわばらせながら、ランタンを揺らして隠し部屋の更なる探索にのぞんだ。



 壁画の向かい側には、また別の何かを保管しているようないくつもの木箱が積み重なっていた。

 その先には少し開けた空間があり、低い作業台や金槌かなづちなどが確認できたほか、突き当りには古びた本が陳列された書架や書類が散乱した机が置かれていた。



——何かを加工する場所? 工房? 物や設備は古そうだけど、明らかについ最近まで人の手が付けられていたように見える。…やっぱり、教団には何か隠して生み出している物があるんだ。でも、一体何を……?



 不図ふとランタンの光に反射した何かを見遣みやると、机の上の壁に大きめの額縁が飾られており、ドールはそこに描写されていた絵画に自然と釘付けになった。


 左側では群衆が各々おのおの腕を掲げており、右側では十字架にくくり付けられた7人の女性が描かれていた。そのうちの1人の胸元に向かって、豪勢な装飾をあしらった1人の男が棒状の何かを突き立てていた。


 千年前に預言者グレーダンが厄災の悪魔を一網打尽にしてはらった『魔祓まばらいの儀』を再現したものだと、ドールはぐに理解した。



 だが同時に、はっきりとした違和感も覚えていた。


 『魔祓まばらいの儀』の描写は、美術館の芸術品から子供が読む絵本まで幅広く存在していた。いずれもグレーダンの栄光を誉めたたえ、救済と安寧の到来をよろこぶものであった。

 それに対してこの額縁に収められた絵画にはどこか悲壮感があふれ、怒りや憎しみ、殺伐とした雰囲気を放っているようであった。


 千年前の神託の御業みわざを皮肉に描いたものだろうか、としばし見つめていたが、不意に先程の壁画が脳裏をよぎったとき、突如とつじょ全身が凍り付くように震えあがった。



——違う、これは『魔祓まばらいの儀』なんかじゃない。時代が違うんだ。


——これはきっと…『魔女狩り』なんだ。


 

 次の瞬間、ドールは目の前が真っ白になった。



**********



 何も無い、真っ白な世界。


 死んだ自分は暗闇に放り込まれるのだろうとドールは想像していたが、視界は雪原のような一面の真白ましろに包まれるのだろうとも思った。


 もっと将来やりたいことは沢山たくさんあったはずなのに、今となっては何も思い出せなかった。最早もはや思い出すことすら億劫おっくうに感じた。

 それほどまでに自分の命は無様に転がされて生気を喪失してしまい、ドールは真白ましろの空間でぼんやりと回顧かいこふけった。



——アメリアおばさんは、どうしてあからさまに怪訝けげん素振そぶりを私に見せたのかな。話に乗せられた私が失敗して、魔女狩りのような目にさらされることを実は見越していたのかな。


——もう一度会って話したかった。どういうつもりだったのかって問い詰めてみたかった。そしてかばってほしかった。



 だがそれ以上に、怖いと思った。その先に立つ自分の姿を想像したくなかった。むしろもう二度とかかわるべきではないとふさぎ込むことが、正しい選択であるように思えた。



——私の軽率な立ち回りも、踏み入れた暗闇の深さを推しはかれなかった過失も、私が引き起こした厄災の前に同情を寄せられる余地なんてない。この世界で誰も私に手を差し伸べるべきではないし、みずかすがり付くべきでもない。


 

 とても背負いきれない禍々まがまがしい重荷を生み出してしまったがゆえに、一歩を踏み出すことすらもはばかられた。



——神様、どうして私はこんな目にわなければならないのですか? どんなに白髪はくはつみ子とさげすまれても、あなたの慈愛を信じて導かれることを待ち望んでいたのに。



 赤子の頃から面倒を見てくれた教団は、触れれば即時処刑することをいとわないような大きな闇を抱えていた。

 その闇の存在を示唆しさしたアメリアにも、修道女である自分をおとめてまで進めようとしていた計略があったのかもしれないとうたぐった。


 反芻はんすうする度に疑心暗鬼にとらわれて、一切を信じられなくなった。こぞって悪魔と指差す他人のことも、脆弱ぜいじゃく軽薄けいはくな自分のことも、何もかもが信じられなくなっていた。


 挙句あげくの果てに厄災の悪魔に見舞われて、向けられる殺意をどれだけぬぐっても心が安らぐことなど望めなかった。

 してや刺客しかくを脅迫しようとしても、何ら言葉を引き出すことすら出来できないでいた。



 敵対する者を圧倒する力を授かったところで、結局自分がことに変わりはなかった。…いな、そもそもこんな力など初めから望んではいなかった。



——神様、私は一体何のためにこの世に生を授かったのですか?


——それとも、やっぱり、最初から神様も天国も存在していないのですか?



——疲れた。何もかもが嫌だ。



——もう、いっそ死んでしまいたい。




 うなるように弾ける轟音ごうおんが耳に飛び込み、ドールは我に返った。



 真っ白な視界が激しく揺らめいていた。だがそれは絶望ゆえの幻影ではなく、厄災の悪魔の力である蒼炎そうえんだった。


 炎が更に白くほとばしるように輝きを増し、自分を取り囲むように高々と燃え上がっていた。


 ドールはその様子を呆然ぼうぜんと見つめながら、明らかな異変が起きていることに気付いた。



——炎を、制御できない。……止まらない……!?



 本能的に危機を察し、咄嗟とっさに記憶を巻き戻した。


 死神を追い詰めたにもかかわらず期待通りの反応が得られず消沈し、過去の回想に浸っていたことで、再び計り知れないほどの悲しみに満たされていたはずだった。

 だがすっかり底の抜け落ちた瓶のように、満ちゆく力をき止めるものが無くなっていた。


 最早もはや悪魔の力はしずめることの叶わない、無差別に延焼する業火ごうかと化していた。



 驚きと焦燥しょうそうのあまり、ドールは腰かけていた瓦礫がれきから滑り落ちた。

 その拍子に床に着いた左手が炎に触れた途端とたんすさまじい高熱が経験したことのない痛みとなってはしり、思わず跳ね上がって甲高かんだかい悲鳴を上げた。


 気が付けば取り囲む炎にてられて急激に体温が上昇し、既に全身火傷しているかのような錯覚におちいっていた。



——熱い。熱すぎる。ついさっきまでは炎をくぐっても平気だったのに、どうして……!?



 急速に青褪あおざめていく表情を、襲い掛かる熱気が容赦なく上塗りしていた。そしてドールを包囲する炎の壁が、徐々に内側へとにじり寄ってきていることに気付いた。


 自分の意思ではなく、やはり制御はできなかった。このままだと間違いなくに炎に呑まれてしまう。それが何を意味するのかわかっているのに、身体は動かなかった。


 だがそこでようやく、ドールは違和感の元凶を理解した。



——ああ、そうか……私はもう、諦めてしまったんだ。



 厄災のうつわとなった身でも耐え切れないほどの炎熱によって、抑えきれないほど燃え上がる『悲嘆ひたん』によって、意識を失うどころか自分で自分の身を完全に滅ぼすのだと察した。


 そのむなしい現実を、ドールはあっさりと受け入れていた。



 物語で見聞きしてきたこの大陸の厄災に、長い年月にわたって続いた脅威は皆無かいむだった。

 悪魔が顕現した者の末路は、恐れおののいた民によって討伐されるか、悪魔の力に呑まれて自滅するかのいずれかでしかなかった。


 ゆえに、この破滅は最初からわかりきっていた未来であり、終着点であった。



——もういい。私の最期さいごは、これでいいんだ。



 力無くへたり込み項垂うなだれる姿は、厄災をもたらす悪魔にすらこの世から用済みだと吐き捨てられているような気がして、ドールは静かに瞳を閉じて絡みつく真白ましろの炎に身を委ねた。




 その瞬間、叩きつけるような風圧がドールの正面を襲った。


 その勢いにあおられてりながらも反射的に目を見開くと、真白ましろの炎を切り裂くようにして大きな暗闇が生まれていた。


 そして暗闇の奥から迫り来る影を察知した直後、更に棒状の何かが飛び出してきて、ドールの胸元に激突した。

 見開かれた深紅の瞳は見覚えのある仮面の輪郭を映し、その奥から真っ直ぐに投げつけられる視線を捉えていた。


 今度こそ確実に胸元を突いた黒い鉱石は、心臓を穿うがつどころか刺さるわけでもなく、してや痛みすら生み出すこともなかった。


 だが、であればその事実だけで条件は満たされた。



 ドールは心臓が全身に木霊こだまするような1つの鼓動音を発し、それに乗って炎熱とは異なるやわらかな温もりが波打つように染み渡っていくのを感じた。

 まるで隕石が大地に衝突する様を、とてつもなくゆっくりした速度で再現しているかのように思えた。


 そして身体は空気にとろけるように軽く、心地よく浮かび上がって、徐々にかすれ行く意識とともに黒い鉱石の闇へといざなわれていった。


 一体自分の身に何が起こっているのか考えるまでもなかったが、そこには焦燥しょうそうも絶望も存在しなかった。



——これが、『封印』…? 預言者グレーダンが『ディヴィルガム』を使ってラ・クリマスの悪魔を捕らえたという…神託による御業みわざ……?



——そうか…きっと私にとっては、だったんだ。



 決して幸福に溢れた人生ではなく、最後に犯した罪の数々は到底あがなえるものではなかった。

 それでもはりつけにされるでもなく、悲嘆ひたんに暮れてひとり燃え尽きるでもない、正しい終わり方が出来できたのだと思えた。


 その意味で自分の命が確かに必要とされたことで、ドールは微睡まどろむように深い安堵あんどに浸っていた。



——沢山たくさん壊して、殺してしまってごめんなさい。でも、私を終わらせてくれたのが、あなたでよかった。



——さようなら。私の命が、あなたのためになりますように。





 ぎ払うような突風が廃墟一帯をおおい尽くしていた青白い炎を一瞬でき消し、焦げ付いた修道服と黒い鉱石のペンダントが静かに揺れ落ちた。

 

 それらを身に付けていた者はほのかにあかきらめく粒子のかたまりと化して、突き付けられていた杖の先端——千年前に大陸に降り注いだ隕石の欠片かけらへと吸い込まれていった。

 

 火種は完全に失われ、ディレクタティオの小高い丘にはむなしい沈黙が訪れた。


 瓦礫がれきの山に刺さっている大鎌には、乱雑に破かれた布切れが引っ掛かっていたものの、それをあおるような風すらもだんまりを決め込んでいるようであった。

 その静けさを破ることのないよう、杖の持ち主は颯爽さっそうと廃墟から立ち去った。



 そして丘の中腹に隠していた荷物の中から透明な液体が詰められた瓶を取り出し、平らな地面に置いてふたを外した。


 その液体の上澄みに向かって杖の先端を傾けると、着装された隕石に吸収されていたあかい粒子のかたまりがふわりとこぼれ落ちた。

 かたまりは上澄みをすり抜けるようにゆっくり液体に浸かると、たちまちそれを捕まえるように液体がうねり、そのまま凍り付いた。



 死神と呼ばれていた杖の持ち主はその現象を見届けると、再びふたを閉めて荷物に詰め、予備の紫紺しこんのローブを身にまとい直して再び丘を下り始めた。


 周辺一帯を包囲するように大陸平和維持軍の駐屯ちゅうとん部隊が一晩中警備にあたっていたが、死神が最も端に配置されていた軍人に合図を送ると、軍人はこれをやり過ごして死神を街の路地裏へと送り込んだ。


 その後死神は待機していた拠点まで戻ると、今度は荷物から小さめの紙切れを引っ張り出し、素早すばやく筆を走らせた。



[予定通り『悲嘆ひたんの悪魔』の封印に成功。未明発の列車にて帰還し、封瓶を引き渡す。大聖堂の調査は同時刻をもって開始される。]



 死神は手短に伝言を記すと、拠点のかごに眠っていた風蜂鳥かぜはちどりの脚にくくり付け、壊月彗星かいげつすいせいが傾くくらい夜空へと放った。

 大陸に生息している風蜂鳥かぜはちどりという種は帰巣きそう本能が強いことで知られ、その習性と飛行速度を利用して即時的な伝書の役割を仕込まれ運用されていた。



 まだ、夜明けまでには時間があった。そのなかで風蜂鳥かぜはちどり宵闇よいやみへ飛翔するのを見届けたまた別の影が、廃墟と化した大聖堂へ向かって静かに動き始めていた。

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