第5話 疑念

「あら、先客がいらしてたのね。それじゃあ私は今日はこれで…。」


「構わないよドール、私の孫が見舞いに来ただけさ。こっちに来な。」



 普段とは違う光景にドールは尻込みしたものの、アメリアはいつものさっぱりした口調でその足を引き留めた。足腰が衰えようとも、今日こんにちに至るまで快活さはまるで変わっていなかった。



「でも、それなら猶更なおさら…。」



「いや、用事は済んだから私が出ていくさ。老婆の介護は修道女さんにお任せするよ。それじゃあまた。」



 アメリアに孫と紹介された黒髪の女性は、いつの間にかリンゴを切り分けて皿に盛り付けると、ドールを軽く一瞥いちべつしながら颯爽さっそうと立ち去ろうとした。


 そのれ違いざまにドールは視線を合わせようと慌てて顔を上げたが、銀縁の眼鏡の奥に宿る眼光が鋭く突き刺さってくるような気がして思わずひるんでしまい、真面まとも挨拶あいさつをする余裕はなかった。



「なんだい、相変わらず年寄りに優しくない奴だね。」



 アメリアは孫の不遜ふそんな態度に鼻を鳴らしたが、ドールはそんな老婆をなだめるように苦笑いを浮かべて相槌あいづちを打った。



「あはは…。でも、こうしてお見舞いに来てくれたんでしょう? 美味しそうなリンゴも綺麗きれいに切ってくれて。」


「申し訳程度の土産みやげなんてらないね。ドール、全部食べてしまいな。」



 アメリアの不貞腐ふてくされた表情を微笑ほほえましくながめつつ、他愛のない会話を交わすことが、ドールの日常における数少ない楽しみの1つになっていた。


 皿に盛られたリンゴは1人で食べ切るには少し量が多いように感じられたが、ドールはさわやかな甘みにかれて、気付けばすっかり平らげてしまっていた。




「…そういえばドール、千年祭に向けた準備は進んでいるのかい?」



 不意に、アメリアは預言者グレーダンの偉業から千年という節目を国全体で祝う催しについて話を振ってきた。


 グレーダン教とは昔から一線を画してきたアメリアが千年祭を話題に出すことは、ドールにとって意外であると同時に、なごやかな心証をいだかせた。



「ええ。来年のことだけど、今夜の正教徒の礼拝でも大司教様から千年祭についてのお話があるみたい。…アメリアおばさんも興味があるなら、一度くらい普段の礼拝に参列してみればいいのに。大聖堂までは私が送迎するからさ。」


「何度も言わせるな。あんないけ好かない宗教の総本山に、仕事以外で足を突っ込む気はないんだよ。…ああすまん、おまえの信仰心を悪く言うつもりはないんだ。」



 アメリアは正直すぎる回答に苦笑を浮かべるドールを見遣みやるとかさず訂正を挟んだものの、依然として神妙な面持ちを浮かべていた。



「だが大聖堂の連中がいけ好かないのは事実だ。特にここ数年の奴らの動きは怪しい。千年祭が近付くにつれ息巻いているのかもしれないが、それにしたって羽振はぶりがいい。」


「…そうなの? 私は幼い頃から修道院でお世話になってるけど、別にそんな違和感は…。」


「ふん、内側でのうのうとしてりゃわからんものなんだろうよ。…まぁ、内側からじゃないとわからないものがあるのも事実だけどね。」



 ディレクタティオの住民は当然ながらグレーダン教の信者が多数を占めているなか、アメリアは一貫して無宗教の人生を歩んでいた。天国の存在すら信じず、先立った夫の魂も無に帰したと言い放ったことがあった。


 それでも彼女がこの街で邪険に扱われないのは、ひとえに夫婦で長年にわたり建築事業や自治活動に寄与してきた功績が大きい所以ゆえんであった。


 グレーダン教の話題となると毎度辛辣しんらつな口振りになってしまうアメリアに、ドールは修道女としてどうにかもう一歩関心を寄せてもらうことはできないものかと日々思案していた。



「でも、千年祭に向けてみんなで盛り上がれるのは良いことだと思ってるよ。厄災に苦しむ大陸の民が救われる道が啓示されてから千年、その大いなる節目は大陸中でよろこびを分かち合う絶好の機会。大聖堂から見渡す世界は必ずしもみな信者というわけではないけど、そういう人達とも一緒にお祭り気分が味わえるのは素敵なことだと思うな。」



 ドールは特段取り繕ったわけではなく、千年祭の正直な印象を述べたつもりだった。だがそれを聞いたアメリアは、少し身体を動かしてドールの表情をのぞき込むように問いかけてきた。



「ドール、あの大聖堂が千年前は旧大陸帝国王グレーダンの住まう王宮だったことは知っているかい?」



 唐突とうとつに切り替わる話題にドールは目を丸くしたが、答えを返すことは容易たやすかった。



勿論もちろん、本で読んで知ってるわ。当時ラ・クリマスの悪魔が顕現した7人の女性を一堂に捕らえて、『魔祓まばらいの儀』を執行した場所を祭壇にしたのよね。その執行のため造られた7つの十字架が、いまでも祭壇に飾られていて…。」


「それじゃあ、何故なぜいまの大聖堂は正門が北の山脈の方を向いているのか考えたことはあるかい? 千年前の王宮は、ふもとの街が見渡せる南側に正門があった…それは街の博物館に展示されている大昔の絵画でもわかることだがね。」



 回答をさえぎって立て続けに設問を繰り出すアメリアを前に、ドールは思わずしどろもどろになる。



「そ、それは…うーん……南側を背にした方が、壊月彗星かいげつすいせいがよく見えやすいから?」



「…成程なるほど、あんたらしい答えだね。」



 本の虫だったドールにとっては何の出典もない思い付きの回答になったが、アメリアは口元を緩めて納得するようにうなずいて見せた。だが、少し間をおいてから再び語り始めた。



「大聖堂が千年来せんねんらい存続しているのは、その間に何度も改装し続けているからさ。そのうちの1回に、私の旦那もかかわった。だが旦那は改装の履歴と図面を見比べているうちに、とある違和感を覚えたらしいのさ。」


「直近で大規模な改装が完了したのはいまから百年ほど前、祭壇を軸に正面が南から北に変わったのはそのときだ。だが地形を考慮すると確実に埋め立てなければならない空間が生じるはずなのに、その施工履歴が見つからなかった。…ちょうど祭壇の真下辺りだったらしいねぇ。何かを隠すにはうってつけの空間なのかもしれないね。」



 アメリアは冗談めいた口をくことはあっても決して適当な虚言を吐くような人ではないと思っていたドールは、その物々しい老婆のつぶやきに戸惑いを隠せなくなっていた。



「…一体、何の話なの?」


「いや百年ほど前っていうとね、グレーダン教が再興し始めた時期と重なるんだよ。…教勢きょうせいって意味じゃなく、資産的な話でね。」





 それ以降アメリアは不穏な懐疑を再度提起することはなく、日が傾き始めたこともあり、しばらくしてドールはアメリアの自宅を後にした。


 帰路に付きながらも、ドールはアメリアの珍妙な発言が尾を引いて心の中が落ち着きを見せる気配がなかった。



——ディレクタティオ大聖堂に、何かが隠されている…?



 だがそれは胸騒ぎと言うよりも、胸の高鳴りと表現した方が相応ふさわしいものであった。ドールには大聖堂の図書室で最新の図面資料を広げて見た記憶があり、足早になりながら夢中で推察をめぐらせていた。



——もしアメリアおばさんの仮定通りなら、教団は何か評価額の高い物品…昔から大聖堂にあって、安易に持ち出せない資産を隠し部屋に保管して、換金のために必要最小限の手間で搬出する体制をっていたことになる。…じゃあその入口は何処どこ


——祭壇の奥、壁の向こうの南側は広い庭園になっているけど、夜間の警備は北側の正門だけしか就いていないはず。潜伏の容易たやすい南側…そもそも外壁沿いに隠し部屋につながる入口があるとは考えられない。


——秘匿ひとく資産は別の荷物に紛れて大聖堂の正門を潜り抜けていると推測するのが妥当。そうなると入口がありそうなのは祭壇の床だけど、私のようなただの修道女の身では上ることすら叶わない。いや、怪しい場所なら他にも…?



 そして推察に没入するドールは、アメリアの自宅を出たときから密かに尾行してくる人影に気付く余地もなかった。




 その日の夜、正教徒の礼拝をこっそり抜け出したドールは、予想通りの場所に呆気あっけなく隠し部屋への入口を発見していた。


 礼拝堂の右手側に隣接する図書室とは、図面上わずかな空間が挟まれていた。

 その壁側には明らかに1台書架を設置できそうな余地があるにもかかわらず、不自然なさくが置かれたまま長年放置されている実態について、ドールは幼い頃から図書室に入り浸りながら疑問をいだいていた。


 そしてその位置は部屋の出入口や司書の座席から近いため、正教徒の礼拝で人気ひとけのなくなる時間が詮索できる唯一の機会であった。

 修道院でも対人関係が希薄きはくだったドールは、礼拝を抜け出したことをとがめられる懸念もないと踏んでいた。



 不自然なさく退かして隣にあった書架に手を掛けると、壁に沿うように緩やかに滑り、ひんやりとした暗闇がドールを迎えた。

 そしてその先に続く階段を、ランタンを掲げながら慎重に、だが可能な限り素早すばやく下って行った。



『…内側からじゃないとわからないものがあるのも事実だけどね。』



 物心つく前から世話になっていた教団をいぶかしみ、悪事があればいさめようなどとは微塵みじんも思っていなかった。

 はやる気持ちはアメリアへの恩義の延長か、それとも疑念を払拭ふっしょくしたいがためか、いずれにせよ真相を確かめたいという確固たる意志がその脚を動かしていた。




 然程さほど長くはない階段が終わり、ドールは図面に存在しない地下空間に辿たどり着いた。思った以上にほこりっぽく、ハンカチでおおった口元をゆがませた。


 ランタンを適当にかざすと、左手側にかなり劣化した石造りの壁が照らし出されて思わず後退あとずさった。これほどもろい壁面では、いつ罅割ひびわれて崩壊してもおかしくない有様だと感じた。


  だが限られた照明をめぐらせてその全容を把握すると、ドールは別の意味で息を呑んだ。



——いや違う、これは壁じゃない……壁画だ。



 王宮から見渡す南東の空に降り注ぐ流星群が壮大に描かれた壁画が、大聖堂の地下に密かに保存されていたのである。ドールは特段考古学に精通しているわけではないが、その古さからある程度の情報を汲み取っていた。



——壁画ということは、芸術をのこすような媒体ばいたいが他になかったということ…それこそ千年前の時代を物語るような。


——もしかしてこれは、ラ・クリマスの悪魔を宿した隕石が降り注いだときの情景を描写したもの? 仮にそうだとすれば…国宝級の遺物なんじゃないかしら…?

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