第5話 疑念
「あら、先客がいらしてたのね。それじゃあ私は今日はこれで…。」
「構わないよドール、私の孫が見舞いに来ただけさ。こっちに来な。」
普段とは違う光景にドールは尻込みしたものの、アメリアはいつものさっぱりした口調でその足を引き留めた。足腰が衰えようとも、
「でも、それなら
「いや、用事は済んだから私が出ていくさ。老婆の介護は修道女さんにお任せするよ。それじゃあまた。」
アメリアに孫と紹介された黒髪の女性は、いつの間にかリンゴを切り分けて皿に盛り付けると、ドールを軽く
その
「なんだい、相変わらず年寄りに優しくない奴だね。」
アメリアは孫の
「あはは…。でも、こうしてお見舞いに来てくれたんでしょう? 美味しそうなリンゴも
「申し訳程度の
アメリアの
皿に盛られたリンゴは1人で食べ切るには少し量が多いように感じられたが、ドールは
「…そういえばドール、千年祭に向けた準備は進んでいるのかい?」
不意に、アメリアは預言者グレーダンの偉業から千年という節目を国全体で祝う催しについて話を振ってきた。
グレーダン教とは昔から一線を画してきたアメリアが千年祭を話題に出すことは、ドールにとって意外であると同時に、
「ええ。来年のことだけど、今夜の正教徒の礼拝でも大司教様から千年祭についてのお話があるみたい。…アメリアおばさんも興味があるなら、一度くらい普段の礼拝に参列してみればいいのに。大聖堂までは私が送迎するからさ。」
「何度も言わせるな。あんないけ好かない宗教の総本山に、仕事以外で足を突っ込む気はないんだよ。…ああすまん、おまえの信仰心を悪く言うつもりはないんだ。」
アメリアは正直すぎる回答に苦笑を浮かべるドールを
「だが大聖堂の連中がいけ好かないのは事実だ。特にここ数年の奴らの動きは怪しい。千年祭が近付くにつれ息巻いているのかもしれないが、それにしたって
「…そうなの? 私は幼い頃から修道院でお世話になってるけど、別にそんな違和感は…。」
「ふん、内側でのうのうとしてりゃ
ディレクタティオの住民は当然ながらグレーダン教の信者が多数を占めているなか、アメリアは一貫して無宗教の人生を歩んでいた。天国の存在すら信じず、先立った夫の魂も無に帰したと言い放ったことがあった。
それでも彼女がこの街で邪険に扱われないのは、
グレーダン教の話題となると毎度
「でも、千年祭に向けて
ドールは特段取り繕ったわけではなく、千年祭の正直な印象を述べたつもりだった。だがそれを聞いたアメリアは、少し身体を動かしてドールの表情を
「ドール、あの大聖堂が千年前は旧大陸帝国王グレーダンの住まう王宮だったことは知っているかい?」
「
「それじゃあ、
回答を
「そ、それは…うーん……南側を背にした方が、
「…
本の虫だったドールにとっては何の出典もない思い付きの回答になったが、アメリアは口元を緩めて納得するように
「大聖堂が
「直近で大規模な改装が完了したのはいまから百年ほど前、祭壇を軸に正面が南から北に変わったのはそのときだ。だが地形を考慮すると確実に埋め立てなければならない空間が生じるはずなのに、その施工履歴が見つからなかった。…ちょうど祭壇の真下辺りだったらしいねぇ。何かを隠すにはうってつけの空間なのかもしれないね。」
アメリアは冗談めいた口を
「…一体、何の話なの?」
「いや百年ほど前っていうとね、グレーダン教が再興し始めた時期と重なるんだよ。…
それ以降アメリアは不穏な懐疑を再度提起することはなく、日が傾き始めたこともあり、
帰路に付きながらも、ドールはアメリアの珍妙な発言が尾を引いて心の中が落ち着きを見せる気配がなかった。
——ディレクタティオ大聖堂に、何かが隠されている…?
だがそれは胸騒ぎと言うよりも、胸の高鳴りと表現した方が
——もしアメリアおばさんの仮定通りなら、教団は何か評価額の高い物品…昔から大聖堂にあって、安易に持ち出せない資産を隠し部屋に保管して、換金のために必要最小限の手間で搬出する体制を
——祭壇の奥、壁の向こうの南側は広い庭園になっているけど、夜間の警備は北側の正門だけしか就いていないはず。潜伏の
——
そして推察に没入するドールは、アメリアの自宅を出たときから密かに尾行してくる人影に気付く余地もなかった。
その日の夜、正教徒の礼拝をこっそり抜け出したドールは、予想通りの場所に
礼拝堂の右手側に隣接する図書室とは、図面上
その壁側には明らかに1台書架を設置できそうな余地があるにもかかわらず、不自然な
そしてその位置は部屋の出入口や司書の座席から近いため、正教徒の礼拝で
修道院でも対人関係が
不自然な
そしてその先に続く階段を、ランタンを掲げながら慎重に、だが可能な限り
『…内側からじゃないと
物心つく前から世話になっていた教団を
ランタンを適当に
だが限られた照明を
——いや違う、これは壁じゃない……壁画だ。
王宮から見渡す南東の空に降り注ぐ流星群が壮大に描かれた壁画が、大聖堂の地下に密かに保存されていたのである。ドールは特段考古学に精通しているわけではないが、その古さからある程度の情報を汲み取っていた。
——壁画ということは、芸術を
——もしかしてこれは、ラ・クリマスの悪魔を宿した隕石が降り注いだときの情景を描写したもの? 仮にそうだとすれば…国宝級の遺物なんじゃないかしら…?
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