第4話 熾烈の果て

 ドールが死神に向かって、正確には死神の足元に向かっておもむろに右手を差すと、その足元の床は一瞬震えるように光と熱を帯びたのち、轟音ごうおんともなって再び蒼炎そうえんの火柱を噴き上げた。


 死神はかろうじて横っ飛びにこれを回避したが、ドールが着地したその足元を差して立て続けに蒼炎そうえんを噴出させたので、息を付く暇もなく廃墟を跳ね回る他なかった。

 それでもなお機をうかがおうとする死神に、ドールはその場でゆらゆらと舞うように追撃をかけ続けていた。

 


 その戦況は、死神が単独で打開するにはあまりにも困難なものであった。


 大きく距離をとろうとすれば、それだけ確実に蒼炎そうえんが着地を待ち構えて迎撃するおそれがあった。一方で小刻みな回避では、かえってドールとの距離を詰めることができずにいた。

 また先程のようにわずかでも足元をすくわれれば、致命的な隙を与えることになりかねなかった。


 そして回避に専念し時間が経過するに連れて、数多あまた噴出する蒼炎そうえんと衝撃によって廃墟は更に崩壊を重ね、足の踏み場をより一層複雑にひずませていた。


 その非現実的かつ圧倒的な脅威こそが、千年来せんねんらい大陸に伝わる悪魔がもたらす厄災の力であった。



 だがしばらくして死神は次第に距離をとりつつ、支柱などが崩れてできた大きめの瓦礫がれきの山に身を隠した。


 そのうち仕留められるだろうとなかば悠長に構えていたドールは、単調な攻撃の裏をかれてしまったことで小さく溜息をついた。

 


 炎とは当然ながら火種がなければおこせず、べる素材がなければ立ち消えてしまうものだが、それらがなくとも意図的かつ強制的に発火させ思い通りに持続させることが、悪魔が為す災いの力であった。


 だが自然のことわりに逆らうほど体力、ならびに精神力の消耗が激しくなることを、ドールは本能的に理解していた。

 大聖堂を廃墟に変えるほどの短時間で激しい消耗をすれば、死神と対峙たいじする直前のように意識が朦朧もうろうとし、決定的な隙を許すおそれがあった。


 ドールはそのような事態を懸念し、局所的に狙いを定めた火柱という効率の良い攻撃方法を採っていた。だが予想以上に死神が執念深く立ち回っていたため、その方針の転換を迫られていた。


 その焦慮しょうりょするような展開にもかかわらず、ドールは不気味な低い笑みをこらえずにはいられなかった。



「ああ…本当に嫌になるわ…思い通りにならないと、どんどん悲しくなってくるじゃない…!!」



 えつに浸るような声音を口火に、廃墟の四方八方で同時多発的にいくつもの蒼炎そうえんが噴き上がった。耳が割れるような轟音と衝撃が連鎖し、丘そのものが震えているようだった。


 その状況下でドールは感覚を深く研ぎ澄ませ、瓦礫がれきの山の向こうで身を潜めたままの死神の存在をはっきりと認識した。


 そしてもろくなった足元を勢いよく蹴り出すと、瓦礫がれきの山のかたわらに噴き上がる蒼炎そうえんくぐり抜けながら、振りかざしていた大鎌をぎ払うように一閃いっせんした。



 不意を突いたはずの斬撃は岩盤をえぐるような鈍い音を盛大に響かせ、瓦礫がれきの山に突き刺さりながら死神がまとうローブの首元付近に深々と食い込ませていた。


 ドールはそのしびれる手応てごたえを諸共もろともせず、露骨ろこつに残念そうな表情を浮かべた。

 露出した白髪はくはつも修道服も何かにまもられているように微塵みじんくすぶることはなく、静かに揺らめかせながら不満げにつぶやいた。

 


「本当にしぶとい…。今度こそ絶対首をねたと思ったのに。やっぱり拾い物の扱いは難しいわ。」



 ドールとしては無作為におこした蒼炎そうえんとその衝撃で死神の警戒心を散漫にさせ、そのなかで最もかたわらに近い火柱の中から虚を突く魂胆こんたんであった。

 それでも死神の卓越した反射神経を前にわずかに及ばず、身動きは封じたものの致命傷を負わせるには至らなかった。


 所詮しょせん大鎌は焼き殺した教徒の1人がどこかから持ち出してきたものを拾い上げ、哀絶のままに振り回していたに過ぎず、徒党を組んで襲い掛かってきた教徒の大半は蒼炎そうえんで焼き殺していたことを思い出した。



 蒼炎そうえんが立ち消えた廃墟は間もなくむなしい静寂で満たされ、壊月彗星かいげつすいせいまぶしさが淡くくらく感じられた。



「動かないでね、死神さん。…動いたら、今度こそ燃やし尽くしてあげるから。」



 無理矢理にでもローブを引き裂いて脱出しようと藻掻もがく死神を、ドールは低く冷たい声音で脅迫し制圧した。


 虚を突かれ横っ飛びに回避しようとした間際を固定された死神は、不安定にもたれる姿勢にもだえて完全に静止することは叶わなかった。

 罅割ひびわれた仮面からのぞく口元はその苦痛や焦燥しょうそう、あるいは屈辱でゆがんでいるように見えた。


 それでも、左手に持ち替えていた杖だけはがんとして離さず握り締めていた。


 いまだに死神の正体が男か女か判別できないでいたが、ドールにとっては至極どうでもよい疑問になっていた。

 ただちにとどめを刺すことはせず、死神の目の前に転がる瓦礫がれきにゆったりと腰を下ろして、哀情を込めてささやきかけた。



「用意周到な死神さんならご存知なんでしょう? 『悲嘆ひたんの悪魔』は悲しい感情をかてにするの。暴虐の限りを尽くし、何もかもを燃やし尽くして、奪われ失われる他人ひとの命に哀情を抱き、只管ひたすらに道を踏み外していくおのが人生に絶望をいだくの。降りかかる理不尽も、期待外れの現実も、すべからく破壊の力に変換するの。」


「生まれつき悪魔とさげすまれ拒絶され、数えるのも嫌になるほどの憎悪と殺意を向けられ、挙句あげく本物の悪魔におかされ、いくら振り払っても終わらない私の悲しみを…止めどない激情がもたらす力を、あなたが制圧することは叶わない。…だから、いま貴方あなたがどう行動するのが最善なのか、理解できるはずだと思うの。」



 そのささやきは次第に低く重く声音を変え、深紅の瞳を見開いて差し迫っていた。



貴方あなたの雇い主は誰。貴方あなたみたいな人間がひとりで厄災に挑んでくるはずがないわ。教えてくれれば、貴方あなたの命は見逃してあげる。」




 経験皆無かいむの尋問を図った手前、この手の顛末てんまつは想像にかたくないことはドール自身も認めざるを得なかった。


 だが死神がこのに及んで沈黙を続ければ、それだけドールの『悲嘆ひたん』を増長させてしまうおそれは死神にも想定できるはずだと踏んでいた。

 ゆえのだと、えて念を押したつもりだった。


 いっそのこと多少蒼炎そうえんあぶってでも、その仮面から言葉を吐かせようかとも考えていた。只管ひたすらに道を踏み外した自分が行き着く運命は、明瞭に脳内で描写されていたからである。



 案のじょう、死神は口をつぐんだまま無様に打ち付けられた体勢を維持していた。ドールはしばらくして深い溜息をつくと、再び吹き荒れ出した風の冷たさに思わず打ちひしがれた。



 そのとき、ドールはかすかに違和感をいだいた。


 死神とは別の刺客しかくのような気配を察したわけではないが、どこかで何かゆがみのようなものが生じた気がした。だがわずかな動揺も死神に気取られないように、ドールは薄ら笑いを浮かべて透かさず語りかけ続けた。



「…何もこたえないということは、貴方あなたには代わりのく駒が控えているということでしょう。貴方あなたは自分の命が使い捨てのように利用される現実が悲しくないの? 貴方あなたのその身は呆気あっけなく灰燼かいじんして、貴方あなたの意識はきっと果てしない暗闇へちながらすべなく消えていく……それなのにどうして、何の抵抗もなく、そんなに容易たやすく死を受け入れようとするの?」



 扇情を試みたはずのドールの台詞せりふは、大して長続きしないうちに失望の投げかけへと移り変わっていた。壁に引っ掛かったぼろ人形に話しかけているようで、先程生まれた違和感が徐々に無視できなくなってきていた。


 いますぐこのぼろ人形を燃やし尽くして、何事もなかったかのように立ち去ることは容易たやすいのに、何かが途切れたようでその所作へとつながらなかった。



——立ち去るって、何処どこに? きっとまた同じような刺客しかくが私を狙ってくる。それを迎え撃っては殺して、殺して…いつしか親玉を始末したとして、そのあと私はどうすればいいの?


——厄災をもたらす悪魔を抱えながら、悲しみを抑えながら平穏に生き永らえることが本当に可能なの? そんな私を受け入れてくれる場所が、この世界の何処どこに存在するの……?



 全身を駆けめぐる悲しみが途端とたんに抑えきれなくなるような気がして、ドールは思わず身をかがめ、両手に顔をうずめて震え出した。

 ただちにこの世界から目を背けてふさぎ込まなければ、おのが身が崩れ落ちてしまいそうな気がした。


 だがその暗闇に浸っていると、どこかから馴染なじみのあるしわがれた声音が響いてきた。



『…おまえももう大人になるんだから、いつまでもみじめな環境に甘んじる必要なんてないはずだろう? この世界にはおまえの白髪はくはつを何とも思わず受け入れてくれる場所はいくらでもあるはずさ。』



——何言ってるの。私がどこかに行ったらアメリアおばさんの面倒は誰が見るの。



『…偉そうな口をくな。そんなことを頼んだ覚えはないね。それよりドール…おまえは将来やりたいことの1つもないのかい?』



——わからない…思い出せない…私あのとき何て答えたのかな……ねぇ教えてよ、アメリアおばさん……。



**********



 穏やかな昼下がりのディレクタティオの路地裏を、食糧の詰まった袋を抱えた修道女ドールが小走りに伝っていた。


 正装の頭巾ずきんにぴったり収められた白髪はくはつは、まがつ象徴としてみ嫌われていた。白髪はくはつとは老いる過程で生じる結果であり、先天的なそれはいにしえより呪いのようにうとまれていたのである。


 ドールは街中を歩く時も必ず白髪はくはつを隠していたが、住民にもうっすらと認知されていたため、なるべく目立たないように立ち回る癖をつけていた。

 3年ほど前に巻き込まれた些細ささいな事故で頭巾ずきんから白髪はくはつが漏れてしまい、それを目撃した住民から恐れられ、ののしられたことがあった。


 その場を治めたのが、アメリア・トリナーデという老婆だった。


 その聞き慣れない姓は大陸外からの移住者であることを何より表象していたが、若かりし頃に夫婦で移住し街の発展に貢献し続けてきた姿は住民にすっかり馴染なじまれており、彼女の堂々たる発言には無視できない威厳がともなっていた。



「悪魔の子だ? 馬鹿馬鹿しい、その小娘が今まで何をしたって言うんだね。あんたらの信仰とやらは、そんな小娘に石を投げつけるためのものなのかい?」



 だがその後、アメリアは足腰が不自由になり寝たきりの状態になる日が増えた。


 アメリアの𠮟責に一蹴されていた者の中には、悪魔をかばったから呪いをかぶったのだという嘲笑ちょうしょうも散見された。

 それでも恩義を感じていたドールはその冷やかしを背中に受けながら、出来できる限りアメリアの世話をして謝意を尽くそうと自宅に通う習慣が生まれていた。



 この日もドールは予定していた買い出しを済ませ、アメリアの自宅前に到着していた。


 玄関の前の鐘を鳴らして自分が来たことを知らせると、間もなく開錠される音がした。生前建築技師だった夫が自宅を改装し、居間でも寝室でも玄関の錠を手動で開閉できるよう前衛的な仕掛けを施したのだという。

 その甲斐あって、アメリアは寝たきりの状態でも来客を迎え入れることができていた。



「アメリアおばさん、昨日言われてたもの買ってきたから、台所に置いておくね。」



 ドールが報告がてら寝室に向かうと、そこには長い黒髪を下ろした、すらりとした見知らぬ女性が1人壁際に寄りかかっており、ベッドに横たわっているアメリアと何やら話し込んでいた。


 銀縁の眼鏡をかけた黒髪の女性はナイフを片手に、器用な手つきでリンゴの皮を剥いていた。

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