第2話 走馬灯

 罅割ひびわれた床を蹴り出したドールは、瞬く間に死神が維持していた距離を詰め、斜めにかざした大鎌を振り下ろしていた。


 間一髪かんいっぱつで死神は身をひるがえして回避し、狙いを外した大鎌は瓦礫がれきの山に突き刺さってあたかも鈍器で破砕したかのような衝撃音を放った。


 だがドールはその反動に一切ひるむことなく、すぐさま大鎌をもたげて弾けるように死神へ飛び掛かっていく。

 溢れんばかりの悲壮感が全身を熱くたぎらせるようで、常人離れした筋力、跳躍ちょうやく力、反射神経を生み出していた。

 

 かわされた大鎌が廃墟と化した大聖堂を更に破壊する度に両手には壮絶なしびれが襲い掛かってくるのだが、ドールはそれすら呑み込むような力の奔流ほんりゅうを感じ続けていた。


 殺されかけ、殺し返し、再び命を狙われているというのに、うつろな表情で大鎌を振り回すドールの口元からはくぐもった笑いがこぼれた。



 死神は初撃こそドールの勢いに虚を突かれたものの、その後は大鎌の軌道を予測して危なげない回避を続けていた。

 その身のこなしは自警団や軍隊が備えるような能力ではない、特別な訓練でつちかわれたわざだろうとドールはにらんだ。



——この死神は本気で自分を殺そうと機をうかがっている。もしかしたら本当に創世の神様が悪魔を宿した私を罰するためにこの死神をつかわせたのかもしれない。


——でも本当に神様の遣いだとしても、大人しく言いなりになるつもりなんてないわ。だってこんなの、あまりに理不尽で悲しいもの。



 一方のドールは非現実的な領域に突如として向上した身体能力にあっさりと順応していたものの、武器の扱い方は素人しろうと同然であった。大鎌は力任せに振るっているのが現状であったため、なかなか死神を仕留しとめることができないでいた。


 まるで泳がされ、もてあそばれるような応酬おうしゅうしばし続いていたが、それでもドールのあやしげな表情は変わらないままであった。



「…!?」



 何度目かの一閃いっせんを回避し距離をとるべく後方へ跳躍ちょうやくした死神は、着地の間際に転がっていた人骨に足をすくわれて仰向あおむけに体勢を崩した。

 その瞬間をドールは逃さず、大鎌を脇に構えながら飛び掛かった。


 無尽蔵にも思えるこの体力と適応力ならば、この場が瓦礫がれきや人骨が散乱し乱雑でいびつな地形と化している以上、相手に隙が生じるのは時間の問題であった。

 その隙さえ生まれれば、不慣れな武器でも神様のつかいをねることは容易たやすいと考えていた。


 ドールは呆気あっけなく倒れ行く死神の首元を狙って、勢いよく大鎌を振り切った。



「……っ!!」



 だが死神もまた反射的に頭部を後方へらしながら、右手に持っていた棒状の何かを首筋に迫る大鎌の刃に素早すばやあてがい、折ることなく斬撃をなした。


 それでも一閃いっせんの衝撃で強く吹き飛ばされた死神は、傷だらけの床を転がって瓦礫がれきの山に激突した。



 その一瞬の抵抗に違和感を覚えたドールは、追い打ちをかけることはせず、ゆっくりと死神の方へ向き直った。

 死神が初めから何か武器のたぐいを握っていることはうわついた意識の中で漠然と把握していたのみで、実際にそれを差し向けられるまで何ら警戒心をいだく余地がなかったのである。


 一方の死神は激突にひるむ様子を見せることなく既に立ち上がっており、身にまとうローブも乱れることなく仮面に少々亀裂が生じた程度で、多少肩で息をしているくらいの様相であった。


 その右手に握り締めていたのは、古びた杖のようなものであった。



「…それが死神さんの武器? お互い似合わないものを構えているのね。…交換した方がいいんじゃない?」



 物語に描写される死神は決まって鎌を携行していたことを思い起こしながらドールはささやくように軽口を叩いてみた。


 だがその裏で生じていたのは本能的な拒絶反応であり、熱に浮かされていたような意識が一転して冷静さを取り戻していた。



 死神が構える杖には簡素だが装飾が施され、先端にはドールのペンダントと似た黒い鉱石のようなものが着装されていたが、殺傷能力が期待できるような鋭利さには見えなかった。

 そんな武器と称することも躊躇ためらわれるような異質さにもかかわらず、ドールには追い打ちを踏み留めてしまうに足りる既視感があった。



——大司教様が権威の証として掲げていた杖に似ている…私をはりつけにして穿うがとうとした、あの杖に。



 預言者グレーダンの威光を崇め讃えて新興したグレーダン教の大司教を務める者が、千年来せんねんらい継承してきたと言われる国宝級の司教杖しきょうじょう『ディヴィルガム』。

 だが元来それはグレーダンが創世の神より啓示をたまわり、ラ・クリマスの悪魔を封印するため、大陸に墜ちた隕石を用いて創り出したものであった。


 悪魔を宿した者を討伐するにはおあつらえ向きと言わんばかりの死神の装備であったが、ドールは表情をやや曇らせながら懐疑的な思考をめぐらせていた。



——でも、大司祭様の杖はもっと豪勢な装飾が施されて、槍と遜色そんしょくないくらいの長さと鋭利さがあった。私が気付かない間にこの廃墟から発掘したとは考えにくい。損傷した様子もない。間違いなく最初から携行していたはず。


——良く出来できた模倣品としか考えられない。あの杖で私の悪魔を『封印』できるわけがない。だってあの隕石が着装された杖は、この世で2つと存在するはずがないのだから……。



 すっかり足が止まったドールを見越して、そのとき初めて死神から距離を詰めてきた。古びた杖を掲げ、意を決したように正面から全速力で突っ込んでいた。


 我に返ったドールは、その場で踏み込み大鎌を右手側からいで迎撃しようとした。今度は首ではなく、胴を狙って確実な一撃を与えようと切り替えた。



 だが死神はその軌道を容易たやすく見極めて大きく跳躍し、身体をひねらせながら間合いに飛び込み、右手に構えていた杖をドールの胸元に向かって突き出した。


 最初から狙いはそこしかないとでも言わんばかりの実直で洗練された身のこなしに、ドールは思わず目が吸い寄せられそうになった。



 だが吸い寄せられる視線の先にあったのは、胸元へ真っ直ぐ突き出される黒い鉱石だった。

 

 見立て通り鋭利ではなく、到底心臓を一突きに仕留められるような形状ではない。だがその、ドールにとっては致命的だった。


 深紅の瞳が大きく拡がり、つかえたような吐息がこぼれた。



——まさか!? …こっちが、本物の……!?



**********



 ラ・クリマス共和国の北部山岳地帯を主とするディレクト州、その中で最も歴史のある街であるディレクタティオの小高い丘には、グレーダン教の総本山であるディレクタティオ大聖堂がそびえている。

 数々の美しい彫刻や色硝子がらすで装飾が施されており、今も昔も変わらない栄華を維持しつつ荘厳そうごんな迫力をたたえていた。


 普段はふもとの街に住む一般市民にも開放されているのだが、週に一度の安息日あんそくびの夜は、大聖堂ならびに修道院に従事・奉仕する正教徒のみが一堂に会し礼拝を捧げる慣例となっていた。


 この日の夜も数百人もの正教徒が礼拝堂に集い、大司教が祭壇から説く説教に耳を傾けていた。

 男も女も正装である紫紺しこんの修道服を身にまとっている一方で、大司教の衣装は対照的に華美で絢爛けんらんなものに感ぜられた。

 

 その背後では2,3メートルほどの高さがある6つの黒い十字架が壁に埋め込まれ、円形の空間を取り囲むようにそびえ立っていた。



「…さて、今宵こよいもまた一段と壊月彗星かいげつすいせいが大きく迫って参りました。大いなる神は、再び我々大陸の民が悪徳に溺れ、悪魔にそそのかされ、恐ろしい厄災を引き起こすことの無いよう、聖なる壊月彗星かいげつすいせいの先から見護みまもっておられます。我々はいつでも天の国の門をくぐることができるよう、日頃の行いをかえりみて準備をおこたることのないよういましめるべきであります。」


「ここで改めて、偉大なる預言者グレーダンが厄災の根絶と永久とわ安寧あんねいを願い我々におしえられた、『7つのいましめ』を再掲いたします。」



①『おの運命さだめに絶望し嘆き悲しんではならない』

 神を信じれば必ずや貴方あなたいつくしみお導きくださるでしょう。


②『おのが身を虚実で取り繕ってはならない』

 神は貴方あなたを唯一無二の存在としてお創りになり愛しておられるのです。


③『他人ひとに憤り怒ってはならない』

 神は貴方あなたの平穏な魂を天の国へお迎えくださるでしょう。


④『他人ひとを羨みねたんではならない』

 神は他人ひとを愛し尊ぶ温かな心を至上としよろこんでくださいます。


⑤『他人ひとを情欲のままに支配してはならない』

 神は他人の尊厳を重んじる者を天の国へお招きになります。


⑥『他人ひとの心身を侵害してはならない』

 神は我々がともに手を取り合い生きることを望んでおられるのです。


⑦『他人ひとの生きる糧を欲し奪ってはならない』

 神に祈りを捧げれば必ずや施しをお与えくださるでしょう。



「グレーダンが神からの啓示をたまわり唱えたとされるこの『7つのいましめ』を我々と約束してから、来年で節目となる千年を迎えます。ですがそれまでの999年の間、厄災が起こらなかったと言える年は、結局は少なかったと言わざるを得ないでしょう。それほどまでに我々人間は容易たやすく心を揺さぶられ、悪魔のささやきに屈し続けてしまうのです。」


「しかし、いつまでもそのような醜態しゅうたいを大いなる神の御前みまえで、また天国で祈り続けておられる預言者グレーダンの御前みまえさらし続けるわけには参りません。来年には神の威光とグレーダンの偉業をたたえた千年祭の開催を、このラ・クリマス大陸総出で実施するべく大陸議会でも準備を進めております。もちろん諸外国の民からも注目を集めるでしょう。我々はラ・クリマスに生きる民の模範となるよう、『7つのいましめ』を遵守じゅんしゅして伝道に励むことが求められているのです。」



 大司教の野太い声音が礼拝堂に響き渡るが、拍手喝采かっさいが起こるわけではなかった。正教徒たちはみな祈るように両手を組みながら、祭壇の様子をじっと注視し続けていた。


 大司教もその何百という視線がかたわらに集まっていることに気が付くと、溜息に似た一呼吸をおいて説教を転換し始めた。



「…その千年祭に向けた我々の歩みを、誠に遺憾いかんなことにこころよく思わない者もまた、このラ・クリマスには存在しております。我々の伝道はグレーダンに連なる者の献身によって千年来せんねんらい継がれてきた尊ぶべき歩みであります。」


「しかしながらその尊厳を侮辱ぶじょくし、我々の献身をないがしろにしようとはかりごとたくらむ者がディレクタティオの街にも散見されるようになり、あまつさ今宵こよいは修道院の中から廻者まわしものが生じる事態におちいってしまったのです。」



 その台詞せりふが終わると同時に、大司教の背後で左右に分かれた2人の教徒が同時に滑車を巻き上げ、7つ目となる黒い十字架が屹立きつりつした。

 

 そこには1人の若い修道女が縛り付けられており、蒼白そうはくな表情の横からわずかに白髪はくはつこぼれていた。


 きしんだ音が礼拝堂に響いて十字架の動きが停止すると、教徒たちはおののざわめき始め、荘厳そうごんな空間は途端とたんに物々しい雰囲気へと変わった。



「…静粛せいしゅくに。」



 大司教は低い声音で、しかし通りの良い音圧で教徒たちをしずめると、ゆったりと振り返って諸悪の根源たる修道女へささやくように語り掛けた。



「ドール、貴女あなたは生まれつきの白髪はくはつみ嫌われ、幼き頃から悪魔の子などとさげすまれ、紆余曲折うよきょくせつを経て我々の修道院に引き取られました。我々の正装は髪を隠しますから、貴女あなたにとっても悪い居場所ではないと判断し、以来20年近くも養ってきたつもりです。それなのに何故なにゆえいまこのような形で会話をしているのか、わかっているのですか。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る