壊月彗星が廻る

吉高 樽

第1章 舞う金盞花

第1話 私を殺す理由

 くらい夜空の下、小高い丘の上の廃墟に1人の修道女がうずくまっていた。



 北の山脈から吹き降ろす風がうなりを上げ、彼女の露出した長く美しい白髪はくはつ棚引たなびかせていた。

 だが当の本人は微塵みじん身動みじろぎすることなく、あかい瞳で目下もっかおびただしく散乱している瓦礫がれきや人骨を呆然ぼうぜんながめている。

 

 ここには街の象徴であり、ラ・クリマス大陸の歴史的建造物であるディレクタティオ大聖堂がそびえていたはずだった。



 だが今となっては壮大な焼き討ちにったかのように無惨に崩れ落ち、くすぶり、たたえられていた荘厳そうごんさの面影もなければ、救いをうような人影さえ見当たらない。

 ただ1人瓦礫がれきの山で人形のように腰を下ろしている白髪はくはつの修道女が、かえって異質な存在感を放っていた。


 ドールという名のその修道女は、ひど刃毀はこぼれし黒ずんだ大鎌を力無く握り締めており、異質さに磨きをかけていた。そして、おもむろ口遊くちずさみ始めた。



「…嗚呼ああラ・クリマスよ などかひとり 行きめぐる月に 魅せられし 知らずや 今宵こよい むるみやは 嘆かふ声さへ 消え去りけり…」



 かすれるような声音でうたい終わると同時に、その口元から小さく乾いた笑いがこぼれ落ちた。


 即興とはいえ、その残酷な替えうたは原曲となる聖歌をこの上なくけがすものであった。だが信仰していた創世の神を、偉大なる預言者をたたえる聖地は、もうここには存在しない。




 夜空をおおっていた雲が流れ去り、今宵また一段と大きな輝きを見せる壊月彗星かいげつすいせいが、天井をくした大聖堂を静かに照らし出した。

 ドールはゆっくり首をもたげると、壊月彗星かいげつすいせいの光に反射してきらめき舞う粒子に思わず見惚みとれてしまった。


 恐らく北の山脈から風に乗って運ばれてくる粉雪だろうと、おぼろげな意識で推測した。厚着をしているわけではないのに、不思議と寒さを感じなかった。

 ドールはそうした疑問をいだくまで、一体どれだけの時間が過ぎたのかすら曖昧あいまいになっていた。



——いつから私はこんな場所に居るのだろう。何故なぜこんなに冷たく、物騒な武器を携えているのだろう。


 

 頭の中がなまりのように重く、にぶく、少し前のことが何も思い出せなかった。

 その一方で胸の内になまりよりも冷たく、よどんだ何かがつかえているような違和感を覚えていた。



——身体が冷える前に、修道院に戻らないと。



 そう心の中で言い聞かせて立ち上がろうとしたその時、ドールは背後の少し離れた瓦礫がれきの陰からかすかな気配、それでいて明確な殺気を向けられていることを察知し、反射的にひるがえって大鎌を投げつけた。



 大鎌は数回転しながら猛烈な勢いで瓦礫がれきの山に突き刺さり、あたかも岩壁をえぐったかのように盛大に破片を散らした。



 その衝撃から弾けるように、何者かが飛び跳ねて距離をとった。

 

 ドールの修道服と同じような紫紺しこんのローブをまとっており、表情は無機質な白い仮面でおおわれていた。フードを被ったその身形みなりでは、男か女かも判別できなかった。



「あなた、誰? ……グレーダン教徒の、生き残りの人?」



 2人の間を再び北風がうなり散らす中、ドールはつぶやくように問いかけながら、瓦礫がれきに埋もれた大鎌を拾いにゆっくりと足を動かした。

 その胸元では、黒い鉱石をちりばめたグレーダン教徒のペンダントがあやしげに揺れていた。

 

 問いかけは風にき消されたのか、返事らしきものは聞こえてこなかった。だが何も反応を返されなくとも、答えがいなであることは最初から明らかであった。


 無機質な仮面の奥から向けられる視線は、恐怖でも怒りでも憎しみでもない、純粋な敵意だった。

 ドールのあかく染まった瞳には、その何者かが自分という存在をこの世界から排除するためにつかわされたかのように映っていた。



「…あなたはきっと、死神なのね。私を殺すためにやってきた……私がこの大聖堂を破壊して、正教徒たちを皆殺しにした罪をとがめるために。」



 自分の口から自然と生まれるような言葉を聞きながら、ドールはもやがかかっていた記憶が徐々に晴れていくのを感じていた。



——そう、すべて私が壊した。殺した。



 かつて創世の神が初めに創られたと言い伝えられるラ・クリマス大陸で、いまから約千年前に大陸帝国王グレーダンが神から預言をたまわり、厄災に苦しむ国民を救った。

 その栄光を崇めたたえて新興したグレーダン教の総本山たるディレクタティオ大聖堂、ならびにそこにつどった大司教をはじめとする正教徒数百人…。



——そのすべてを、私は壊した。殺した。



 ドールはその罪科つみとがを思い起こしていくにつれて、胸の内のよどんだ何かが決壊したように溢れ、血がめぐるように全身を満たしていくのがわかった。

 それは震え出すほど冷たいはずなのに、たぎるように熱くてどこか心地良く、身も心もほぐされていくようだった。



「…でもね、違うのよ死神さん。」



 ドールはグレーダン教を信仰する修道女であるため、創世の神以外に何者も神として扱うべきではないのだが、立ちはだかる者が名乗らないために都合良く世俗的な表現を当てはめていた。



「私はこの神聖な場所を壊すつもりなんてなかったし、誰1人として殺すつもりなんてなかったの。突然私は捕らわれて、異端者だの廻者まわしものだの悪魔だのと決めつけられて、大勢の教徒たちの前で処刑されるところだったの。」


「大司教様が私をはりつけにして心臓を穿うがとうとして…その後も教徒たちが一斉に襲い掛かってきて……こうしなければ、私は一方的に殺されていたの。何も悪いことなんてしてないのに、弁明の余地なく殺されたい人なんていないでしょう?」


「だから死神さん、お願いします……どうか私を見逃してください。」



 ドールは湧き上がる記憶と感情を、せきを切ったように言葉に変えていった。祈るように両手を組み、あかい瞳を真っ直ぐ死神へ向けて懇願こんがんした。

 


 しばらく双方の間で絶えず吹き荒れ続ける風が、廃墟に染み付いた不快な臭いを誤魔化ごまかし続けていた。

 死神は依然として何の言動も寄越よこすことなく、ドールの出方をうかがい警戒しているのか、その場でローブをはためかせているだけであった。


 他方でドールもまた、死神相手に命乞いのちごいがまかり通ることなどはなから期待していなかった。

 そして期待していないことが期待通りに進むたびに、また胸の内で冷たい何かが沸々ふつふつと湧き上がっていた。




 ドールは悄然しょうぜんとしつつ揺らめくように死神に背を向けると、夜空に燦然さんぜんと輝く壊月彗星かいげつすいせい名残惜なごりおしそうな表情で見上げた。



「…知っていますか。あの壊月彗星かいげつすいせいは、千年前までは『月』と呼ばれた丸い天体だったんですよ。」



 吹きすさぶ風にき消されないよう、ドールは意識的に声音を強めていた。背後でにらみをかせる死神に対し、あたか猶予ゆうよを訴えかけるように語り始めていた。



「『月』は今から千年前、隕石がこの大陸にちる際に、衝突を受けて砕けてしまったのです。それ以来軌道を変えて彗星となり、一定周期でめぐるようになったと言われています。…しかしその現象以上に、当時のラ・クリマスに生きた民にもたらされた大きな変化がありました。」



 壊月彗星かいげつすいせいに照らされて舞い踊る粉雪が幻想的で、いまかつて見たことがないほどの美しさを覚えたドールは気分が高揚していた。気付けば、歴史や御伽噺おとぎばなしが好きだったことを思い出しながら饒舌じょうぜつになっていた。



「創世の神はこの世界を創造されたとき、管理者として御自身の姿に似せた『人』を創造し、男と女に分けてひとしく役割を担わせました。しかし体格差や力の差などをもって男が女の優位に立ち、支配し従属させ富を集約するようになったので、哀情と失意のあまり涙を流されたのだ言われています。それが『月』を壊し、この大陸にちた隕石なのです。」


「その隕石には、大陸の民をいましめるべく厄災をもたらす7体の悪魔が宿っていました。…伝承される『ラ・クリマスの悪魔』のことです。『悪魔は隕石の衝突と同時に創世の大陸にみ着き、さいなまれし女を憑代よりしろとして、民をいましめるがごとく厄災を振り撒いた』と、グレーダン教の聖典には記されています。」


「一連の史実を根拠にして、グレーダン教は『隕石がすなわち創世の神がこぼした涙であるならば、壊月彗星かいげつすいせいの先には神の住まう天国がある』と考えています。敬虔けいけんな信仰の果てに死後の魂が天国に導かれ、永久とわの安息を得ることを待ち望み神聖視しているのです。」



 「もちろん教徒である私も同じように信じていました。…でも、もう私にそんな資格はない。」



 一段と強く吹き付ける風に腰元まで伸びた白髪はくはつが大きくあおられると、ドールは途端とたんに現実に引き戻された。


 おびえるようにまぶたを閉じると、暗闇の中で冷たいよどみが破裂しそうなほどに膨れ上がっているのがわかった。

 突き上がるような息苦しさを紛らわそうと、ドールは震えた声音で心情を吐露とろしていく。



「きっと私は天国へは行けない。沢山たくさんの命を奪ってしまった事実に変わりはないから。私が死んだときはきっと、底なしの落とし穴に吸い込まれるようにどこまでもちていって、そのうち何を考えているのかもわからなくなって、『私』は何ものこらなくなってしまう。…そうなることがとてつもなく恐ろしくて、悲しいの。」



 そのとき、ドールは胸の内を圧迫するよどみの正体をようやく自覚した。すると同時に、自分が今どうするべきなのかをはっきりと理解した。



——そう、死ぬこと以上に悲しいことなんてない。どうして私は素性すじょうわからない他人ひとに命を狙われているの? そんな理不尽で悲しい最期さいごなんて嫌だ。悲しいのは嫌だ。



 ドールは深紅の瞳をうるませながらゆっくりと死神の方へと向き直り、改めて仮面の奥からのぞかせる視線を捉えた。そしていまにも弾けそうな感情を抑えるように、只管ひたすら詭弁きべんまくし立てた。



「死神さん。貴方あなたが私を殺す理由は何ですか。私が貴方あなたにとって何か不都合なことをしましたか。私が大勢を殺したことが許されないのだとしたら、何故なぜ貴方あなたが今ここで私を殺すことは許されるのですか。」


貴方あなたが本当に死神であるならば、神様に見放された人の魂が死んだ後どうなるのか教えてくれませんか。そうして私が死という未知の闇に恐怖する心を、悲嘆にとらわれる心を和らげてくれませんか。私が殺されることに、納得できる意味を頂けませんか。」




 死神の寂然じゃくねんとしたたたずまいは、まるで初めから置物であったかのように何ら変わるところはなかった。

 わかっているからこそ、何ら応答することもなく、みずから動かず警戒を続けているように受け取れた。

 

 ドールは置物と向き合っているかのような虚しさを覚えると同時に、おのが身に降り掛かった悲しい宿命から逃れるすべがないことを自覚した。



——悲しい。が悲しくてたまらない。……でも…。



 ドールが小さく溜息をつくと、突然時間の流れが緩やかになったかのように、吹き荒れていた風がしずまり返り、流麗りゅうれい白髪はくはつなびきがんだ。



「…わかってる。貴方あなたが私を殺すことは、きっと正しいことなの。」



 ドールはみずから結論を導きながら、瓦礫がれきに突き刺さったままの大鎌のつかに再び手を伸ばし、固く握り締めた。



——でもその止めどなくあふれる悲しみが、今の私を奮い立たせる。悲しみのままに力をふるってあらがえと、ささやく声が響いてくる。



「だって私には、厄災をもたらす『ラ・クリマスの悪魔』が顕現してしまったのだから。」

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