七、親心か人情か

「火事に巻き込まれた蕎麦屋は、周りの助けもあって再起できたが、ふところ事情が良くなくてね」

「……支払いを心配している、と」

「三ヵ月前、火傷を負った時は薬がよくなかったのか、痕が残りましてね」


 薬の出来というよりも、きちんとした処置をしていなかったのだろう。


 恒和国では医者の診療は薬の値段の何十倍、下手をすれば何百倍もするそうだ。庶民のための診療所もあるらしいが、常に満員だって聞いたこともある。

 それを考えたら、医者に診てもらうのを諦める庶民がいるのも頷ける。


 この商館にある診療所は法外な金額を請求しないんだけど、そうと言っても異邦人に診られるというのは、勇気がいるのかもしれない。


「私が払うと言ったら、そこまで世話をかけられないと、蕎麦屋の旦那も断ってきたんでね」

「だから、せめて薬をと考えていた時に、私の話を聞いたと言うことですか」

「……蕎麦屋の娘は十五になったばかりでね。これから良い出会いもたくさんあるだろうに。私にも十を迎えた娘がいるんで、それを思うと……」


 頷いた弥吉さんは切々と語った。

 他人の娘まで思いやるとは、何という人の良さだろうか。これが所謂いわゆる、親心というものか。出産どころか結婚すらしていない私には、到底想像もつかない心意気ね。


 ふと首筋に視線を感じて横を見ると、話を聞いていた通訳も涙ぐみながら私に熱い視線を向けている。まぁ、同情したくなる気持ちは、私にも分かるわよ。


 同情して傷跡が消えるなら、世話ないのだけど。


「三ヵ月前の火傷……場所は?」

「額のあたりなんですがね。白粉おしろいを塗っても、うっすら分かるって気にしちまうんですよ。痘痕あばたもえくぼって言いますから、惚れた男は気にしやしないって言っても、ダメでしてね」


 自分の頬を指差した弥吉さんは、ちょんちょんとその広い額を指差した。そんな場所に火傷の痕が残ったら、さすがの私も気にするわね。


 火事の際、落ちてきた材木の破片にでも当たったのかしら。

 三ヵ月前と言えば、恒和国はまだ冬の寒さが残っていた時期だろう。木造家屋が並ぶ街並みだし、一気に火の手も広がったのではないか──想像しただけでも、背筋か震えた。怖かっただろうな。


 私は思わず顔をしかめていたらしく、弥吉さんが「薬師殿?」と不安そうに声をかけてきた。


「やはり古い火傷は、難しいですかね」

「いいえ。多少、時間はかかりますが改善は可能だと思います」

「見なくても分かるんですかい」

「出来れば、見た方が良いんですけどね」


 苦笑を浮かべながら席を立ち、薬の保管庫の鍵を外す。中から取り出したのは保湿液の入った瓶と、軟膏の入った小さな壺だ。

 それぞれの効果を説明すると、弥吉さんは感嘆の息をこぼした。


「ぷれんてす殿は、医者じゃないんですかい? まるで医者のようだ」

「薬師ですよ。私は、医者のように直接の治療は出来ませんから」

「直接の治療とは何ですかね?」

「例えば、傷を縫い合わせたり、体内の悪いものを切除したり等の行為ですね。さて、これから薬の使い方を説明します。きちんと覚えてくださいね」


 医者と薬師の違いは他にも多々あるが、ここでその説明をする必要もないだろう。話題を変えるべく、私は弥吉さんの前に二つの薬の蓋を開けた。


「手を失礼します。まずは火傷痕の箇所を綺麗に洗ってから、この液体を優しく塗って下さい。」


 弥吉さんの手首を掴み、用意した濡れタオルでその甲を拭ってから、保湿液を垂らして指で広げてから抑え込んだ。馴染ませるように優しく抑えるのを繰り返し、しっかりと液体が肌に馴染んだ後、軟膏を指にすくって重ねて塗る。

 

 私の行為を、弥四郎は眉間にしわを寄せながら、真剣に見つめていた。息をするのも忘れてしまいそうな様子だ。本当に、蕎麦屋の娘さんのことを大切に思っているのが分かる。

 他人のためここまで必死になるなんて。これが、人情ってものかしらね。

 

「こうして軟膏を塗りましたら、上から綺麗な布を当てて下さい。それを毎日、朝と晩に行います」

「それだけですかい?」

「はい。一ヵ月後、出来れば蕎麦屋の娘さんをここにお連れ下さい。状態を見れば、これよりも適した薬を作ることも可能ですから」

「相わかった」


 ほっと安堵の息をついた弥吉さんは、深々と頭を下げ、お代はいくらかと聞く。すると、丁度よく部屋を訪れた会計が私に代わり、話を続けることになった。


 娘さんの気が変わって、ここを訪れてくれれば良いんだけど。そんなことを考えながら、私は薬の処方記録を魔法書に残した。

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