穏やかな日との別れ≪丙≫
藤泉都理
穏やかな日との別れ
蝋燭のような形なれど、果てしなく高いその崖の頂に、牢獄が在った。
その牢獄に、たった一人、男が囚われていた。
ずっと、ずっと長い間。
男の存在を知る者はもう居ないほどに、長い間だ。
「今日も来たのか?」
髭も髪も眉の毛も伸びるだけ伸び切ったが何故か他の体毛は薄いままの男は、素材もわからず劣化もない格子の間から見える一匹の鴉を見て言った。
何時頃だっただろうか。
この鴉が。いや、正確には、違う鴉かもしれないが、とにかく、一匹の鴉がここに来るようになったのは。
鴉は賢い動物だが、人の言葉を話すわけではない。
理解しているが、唯一言葉を発せる相手と言えばこの鴉だけなので、男はただただ言葉をこの鴉に投げつけていた。
反応は期待してはいなかった。
鴉は男の言葉に反応を示さなかった。
ただ、今日も黙って、蝋燭の欠片を地面に置いていくのみだ。
「火遊びがしたい年頃なのかねえ」
男は山積みになった蠟燭の欠片を見た。
もしかしたら、山積みとなった蠟燭の欠片は、見えていない箇所も置かれているのかもしれないと思った。
この牢獄をくるりと囲むように。
「俺を火あぶりにして喰おうと思っているのかねえ」
もしくは、燻ってか。
生肉では美味しくないと判断したのだろう。
そりゃあそうだ。
ほぼほぼ骨と皮と毛、かろうじて肉がある程度なのだ。
調理方法を間違えれば、食べる処なんてなくなっちまうぞ。
ちょうど目が合った時に、ニヤリと笑って言えば、鴉はガーと鳴いて飛び去って行った。
「またなー」
男はのんびりと言っては、目を瞑った。
ずっと、穏やかだった。
雨もなければ、風もなければ、雪もなければ、雷もない。
寒さも、暑さも、ない。
渇きも、飢えも、ない。
ずっと、ずっと穏やかな場所だった。
この牢獄さえなければ、天国かと勘違いしてしまうほどに。
ただただ。
「ああ。とうとう喰う日が来たのか」
久方ぶりに感じる熱をとくと味わってから、目を開けた。
すれば、視界に映るすべての景色が炎に包まれていた。
否。炎と言うには、あまりに小さかったので、火と言い直すべきだろう。
もしかしたら、喰らうのではないのかもしれない。
男は考えを改めた。
生贄だ。
牢獄を囲んだ山積みの蠟燭で陣を描いていて、自分を生贄にして何かを召喚するのではないだろうか。
それはいい。
男は軽快に掌で膝を叩いた。
こんな自分の身体が、それはそれは世を滅ぼすほどに凶暴な、もしくは世を救うほどに頼もしくも逞しい空想生物を召喚できるなんて、とてもいい。
高笑いしながら、さあやれすぐにやれこの身体がもっと瘦せ細る前にと囃し立てた。
結果。
召喚された。
子どもが、一人。
まんまるおめめが男をじっと見つめている。
そう。男を。
男は生き残っていた。
どうやら生贄ではないらしいと悟った。
「なんかあ。明るかったから登って来た」
「ああ。そう」
「おっちゃん?もしくは。毛の妖怪さんは。何で牢獄に居んの?」
「毛が世界中を覆って滅ぼしちまうから牢獄に居んの」
「本当に?」
「そうそう。本当」
鴉みたいだな。
男は子どもを見て、そんな感想を抱いた。
目が鴉にそっくりだった。
「えー。じゃあ。おいらは牢獄からおっちゃんを出すわけにはいかねえ。おいら。世界を滅ぼされちまったら困るし」
「去れ去れ」
「世界を滅ぼしたいやつが来るまで待ってろよ、おっちゃん。あ。でもおいら、また来るよ。そうだ。危ないから、火、消しとくな」
「あ」
「うん?」
「まあ。いいか。うん。消してから行け。もう来なくていいからな」
「うん。また明日来るな。おっさん」
「来なくていい、っつーのに。ったく」
土をかけては火を消して去っていく子どもを見送った男は、目を瞑った。
穏やかだった世界とは、暫くお別れのようだ。
「あなたが最終兵器の男ですね!その牢獄をどうにかしてみせたら私と一緒に国を救ってください!」
何十年後か、何百年後か。
男と会った子どもか、その子どもの子どもか、子どもの子どもの子どもか。
どの子どものほら話かはわからないが、男は最終兵器の男として名が知れて、連日、人が訪れるようになってしまった。
穏やかな日は、まだまだ当分訪れそうにはなかった。
「お願いします!」
「あ~。この牢獄をぶっ壊せたらなあ」
「やった!じゃあ行きますよ!」
「はは。がんば………げっ」
穏やかな日は、まだまだまーだまだ、もしかしたら、永久に、訪れそうになかった。
(2023.11.24)
穏やかな日との別れ≪丙≫ 藤泉都理 @fujitori
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