第4話 隣り合わせ

 部屋をノックする音が聞こえた。時刻は22時を過ぎたところ。

 すでに寝床の準備はされていて、俺と雄二はその布団の上に転がって話をしていた。


「…ごめん。まだ起きてたかな?」

 ドアを開けると、そこには恭子と明美が浴衣姿で立っていた。

 どこか怯えている様子で、二人は身を寄せ合うようにしている。


「起きてたけど…。どうした?何かあった?」

 二人の様子からして、何かあったのは間違いなさそうだ。

 俺は二人を部屋へと招き入れると、落ち着かせるためにポットから熱いお茶を入れて渡した。


「ありがとう…」

 受け取りながらそう言った恭子の声はやはり覇気がない。


「どうしたん二人とも?特に朱莉はそんなキャラじゃないじゃん」

「別に普段キャラ作ってるわけじゃないわよ!」

 雄二に煽られて少し普段の調子に戻って来た朱莉。雄二もたまには役に立つことがある。


「ねえ、二人は何かおかしなことなかった?」

「おしとやかなお前を見たこととか?」

「違う!いい加減ぶん殴るわよ!」

 これはこれで互いに楽しんで言っているのだから、本心から二人は良い関係だと思う。だけどお互いに絶対に付き合うことはないと断言しているのが不思議だ。


「あのね…ずっと誰かに見られているような気がするの…」

 俺の隣に座っていた恭子がぽつぽつと話し出した。


「最初は気のせいだって思ってたの…。女将さんが他にお客さんはいないって言ってたし…。でも、温泉に入っている時でも誰かの視線を感じるし、廊下を歩いていてもずっと誰かが後ろをついてきてるみたいな…」

「そう、私もさっき温泉に入って来たんだけど、誰かの人影を見たような気がするの。それに部屋にいても他に誰かが部屋の中にいるような気がして」

「あ、俺も露天風呂入ってた時にそんな感じだったわ」

 何故か雄二だけは明るくそう言った。酒のせいか?


「雄二も?じゃあヨークくんは?何か変な感じなかった?」

「実は…俺も露天風呂で人影を見たような気がしてた…」

 でも気のせいだと思っていた。

 入る直前に雄二が変な事を言ったもんだから、そのせいで何かの影が湯気に反射してそう見えたんだろうって。


「洋玖くんも?じゃあやっぱり……」

 恭子はそう言いながら俺の腕に抱き着いてきた。


「いや、多分、何かの影が湯気に反射したんじゃないかって思ってる。それに古い宿だから、歩いてたら廊下の床の軋む音で誰かがついてきてるって感じたのかもしれない。部屋だって綺麗には見えるけど、風とかで何かが動いて人の気配に感じたんだと思う」

 実際に何かを見たわけじゃないんだから、そんなに怖がることもないと思う。


「だから大丈夫」

 俺は腕にしがみついていた恭子を逆側の腕で抱き寄せてそう言った。


「でもね……」

 震える声の恭子。


「他のお客さんだけじゃなくて……女将さん以外の旅館の人の姿も見えないのよ……。ねえ、この宿、全部あのお婆さん一人でやってるの?この旅館ていつも満室で予約が取れないって言ってたよね?」

「いや、今日はたまたまキャンセルとかが出て宿泊客が俺たちだけになったから、みんな休み取ってるとかで少ないんじゃないか?さすがにおばあちゃん一人ってことはないだろうから、どこかにはいてまだ姿を見ていないだけじゃない?それに料理は出て来たんだし、料理人は奥にいるだろうと思うよ。大丈夫。気のせいだよ」

 俺は出来るだけ落ち着かせようと、考えられる限りの理由を一気に話した。


「……そうね。幽霊とかいるわけないし。ちょっと私トイレ行ってくる」

 その説明で少し落ち着いた様子の恭子は、そう言うとユニットバスの方へと向かっていった。


「まったく、二人とも臆病すぎるんじゃね?幽霊とかいるわけないじゃん」

 朱莉をからかうように言っている雄二。おい、お前が最初に俺に変な事を言ったんじゃないか。


「きゃあぁぁぁ!!」

 突然恭子の悲鳴が聞こえ、反射的に俺はユニットバスの方へ走る。

 バン!!という大きな音と共に扉が開いて、恭子が飛び出してきて俺の胸に飛び込んできた。その身体は震えて、何かに激しく怯えている様子だった。


「どうした?!何があった?!」

「……か、鏡に!女の人が!!」

 恭子の言葉に鳥肌が立つ。

 そんな怪談話みたいなことが……。

 俺は恐る恐るユニットバスの中を覗こうとした。


 その時、ガン!という音と共に中から洗面台の下に置いてあったゴミ箱が飛び出してきた。


「きゃっ!!」

 音に驚いて悲鳴を上げる恭子。

 俺は突然のことで声も出ない。


「きゃあ!!」

 今度は朱莉の悲鳴が聞こえた。

 二人の方を見ると、雄二が朱莉を庇うような体勢で抱きしめている。


「どうした!!」

「いや…テレビが勝手に消えただけだ……」

 立て続けに起こる異変に、一気に酔いが覚めたらしい雄二が低い声でそう言った。


――ドタドタドタ!


 子供の走るような足音。


「いやっ!」

 恭子が俺に抱きついている手に更に力が入る。

 俺も恐怖でその場から動くことが出来ない。今この部屋で何が起こっているのか、考えるだけの余裕もない。

 部屋の中から聞こえてきた足音はどんどんと近づいてきて、俺たちの前を通り抜けたかと思うと、入り口の扉がゆっくりと開いた。


 そして、少ししてその扉が閉まると、それまでの事が嘘だったかのように部屋は静かになった。



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