第2話 四十九

「いらっしゃいませ。遠いところをよくおいでくださいました」

 宿の玄関に入ると、直角に曲がっているのではないかと思うくらい腰の曲がったおばあちゃんが出迎えてくれた。

 かなり皺の入った顔で、その表情はあまり分からないが、多分笑顔で出迎えてくれているのではないかと勝手に推測した。


「ほんとに遠かったよー。めちゃめちゃ山奥じゃん。ここ」

「おい!……すいません」

 遠慮も無く軽口を叩く雄二を注意する。


「いえいえ、本当のことですから」

 そう答えたおばあちゃんは、やはりどんな感情で言っているのか見た目では全く分からない。

 こういう人はポーカーが強そうだなとか、全然関係無いことが頭に浮かんだ。


「私が当館の女将でございます。ご滞在中のお客様のお世話をさせていただきます」

 年齢的にそうだろうとは思っていたけど、お世話をするっていうにはちょっと年齢的に不安を感じる。他に若い従業員はいないんだろうか?


「お部屋の準備は出来ておりますので、スリッパに履き替えてお上がりくださいませ。ああ、脱いだ靴はそこの下駄箱に入れて、鍵はご自身でお持ちください」

 昔の銭湯にあったような木の札を差し込むタイプの下駄箱があった。


「こういうのって風情があって良いわよね。書いてある数字も漢数字だし」

 朱莉がそう言いながら木札の鍵を見ていたので、俺も自分の取った鍵の数字を見てみた。


『四十九』


「お、ヨークじゃん!何?自分でわざわざ選んだんか?」

 それを俺の肩越しから見た雄二が嬉しそうにはしゃいだ声をだした。


洋玖ひろきくん、本当はその呼び名自分でも気に入ってたり?」

「ちがっ!これはたまたまで――」

「はいはい。そういうことにしておきますよ。くん」

 俺の言葉をまるで無視するかのように雄二と朱莉はおばあちゃんの案内されるがままについて行ってしまった。

 普通、こういうところって「4」と「9」は避けて作るもんなんじゃないのか?

 来て早々に嫌な感じだな…。


「洋玖くん。早く行かないと部屋分かんなくなっちゃうよ?」

「あ、ああ……」

 俺は下駄箱の番号を変えようか迷っていたが、恭子の声に慌てて女将さんの後を追った。



 案内された部屋は隣り合わせで二部屋。

 当然男女別になっている。

 俺たちの部屋の入り口には『富士の間』という表札のような看板が掲げられており、隣の部屋は『桐の間』と書いてあった。


「お、結構広いし綺麗じゃん!」

 部屋は八畳の和室になっていて、二人が寝るには十分すぎる広さだった。

 部屋の中央には雰囲気のある木目の入った座卓が置かれており、小型の液晶テレビに、床の間には水墨画の掛け軸、その前には一輪挿しに桃色の秋桜コスモスの花が生けられている。


「げっ!やっぱり窓からは木しか見えねえ…」

「まあ、山の中だから仕方ないだろ」

 窓の外を覗いていた雄二は残念そうな声を出したが、そもそもこんな山奥で何を期待していたのか。


「お客様。失礼いたします」

 女将さんがそう言って部屋へと入って来た。女子二人に何か説明していたようなので、今度はこちらの番といったところだろうか。


「夕食の時間は19時でございます。温泉の方はいつでもご利用できますので、お好きな時にお入りください」

「え、じゃあ夜中でも入って構わないってこと?」

「はい。今晩は他にお客様もいらっしゃいませんので、ごゆっくりとお入りくださいませ」

「マジで?!やった!貸し切りじゃん!」

 軽そうに見えて大の温泉好きな雄二。貸し切り温泉と聞いて、さっきまでの下がっていたテンションが一気に上がっている。

 そもそも俺たちは大学でたまたま知り合った温泉好きな四人。雄二だけじゃなく、俺も同じように気分が上がっていた。多分、隣の部屋の女子二人もそうだと思う。

 しかし――貸し切りというのは変な話だ。

 ここは山奥なのに秘湯マニアに人気があって、普段からなかなか予約が取れないという口コミだった。今回はすんなりと予約を取れることが出来てラッキーだと思っていたんだけど、今日に限って俺たちだけというのは変だな……。


「ああ、でも……」

 部屋を出ていこうとしていた女将さんが最後に振り返って――


「あまりお一人で館内を出歩くことはお勧めいたしません。特に夜中は…」

 何か意味深な事を呟いて出ていった。



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