エピローグ
カフェ『ヴァリアント』。
客としてくるのは何回目になるか。もう数えちゃいない。
店内には落ち着いたBGMが流れており、主婦達がこそこそと談笑している。こそこそ? いやがやがやだな。けっこう騒がしい。
まぁそれもある意味この店のBGMなのかもしれんがな。
カップをソーサーに置いて、目の前の沙希が言う。
「それで? 私にもその原稿読ませてくれるの?」
「読ません。絶対にな」
よくよく考えりゃわかったことだが、沙希はおれがラノベを書いていることを知らない。
いや、正確に言えば、まだデビューしてないのでラノベとは言えないが。
「まぁいいわそのことは。あなたの趣味に口出しするつもりはない。あなたが私に対してまで隠したかった趣味ですものね。さぞ面白い作品なのでしょう?」
「おいなんかちょっとお前怒ってないか?」
「怒ってないわよ。ただ、ちょっと気に掛かるだけよ。あぁ、なんで教えてくれなかったのかなー、って思ってるだけよ」
やっぱ怒ってんじゃないっすか……。
やべー、女の子の静かな怒りって怖いんだよな。昔から慣れない。
「軽井沢君と仲直りできたのならよかったじゃない」
「仲直り、ってほどでもないけどな。ちょっとしたすれ違いを修正しただけだ」
「あなたらしい方法で、ね。さすがにそんな方法を採るとは思わなかったけれど、結果的に解決したのならそれでいいんじゃない」
めっちゃ投げやりだこの子……。
それともおれの原稿をそんなに読みたいのか?
読ませられるもんじゃない。しかも相手は女の子だ。
おれが書いているのは男性向けのラノベだ。
女の子が読んだらドン引きするタイプのモノだろう。
男である健太だって、若干顔引き攣ってたからな。
まだまだオタク理解というものは、世の中に浸透していない。
まぁ令和の時代でも、全世代に浸透しているわけじゃなかったんだけどな。
「高校デビューって明かしたことで、あなたの肩の荷が下りたのではなくて?」
なんて優雅な態度で聞いてくるんだこいつ……と思いながらおれは応えた。
「……まぁ、たしかにな。自分が肩肘張らなくてすむ、って思えるようになった」
「よかったわね。けどこれから、あなたのキャラ作りはたいへんじゃない?」
「作る必要があるのかとも思うけどな。素のままで、お互いを理解し合えるのが本当の友達だって学んだ」
「……あら。大人になったのね」
「……お前はどの立場からモノを申してるんだ」
「あなたのアドバイザーとしての立場よ。夜の駅で泣きついてきたのは誰だったかしら?」
「返す言葉もございません……。その節は本当にありがとうございました!」
あの夜の公園で、こいつに背中を押されなければ、きっとこの問題は解決しなかった。
きっと健太は時間と共に他人となって、おれが思い描いていた理想の青春とはかけ離れていったはずだ。
よかった。本当に。
健太が友達でいてくれて。
おれは伝票を持って、レジへと向かう。
「金はおれが払っとく。アドバイス料ってところだ」
「ずいぶんと安くない?」
「これくらいがちょうどいいんだ。それに、高いモノ奢ったら女の子は調子乗るだろ」
「あら。あなたもわかってるわね。ありがとう、と言っておくわ。このあと予定あるの?」
「みんなでカラオケ行こうって話になってんだ。お前も来るか?」
案の定、沙希は首を横に振った。まぁこいつは来ないだろう。おれたちのグループを邪魔したくない、とかそんなような理由だ。
おれは千二百円を払って、カフェ『ヴァリアント』をあとにした。
駅前のカラオケ。
おれたちはそこに集合と相成った。
みんなで揃ってカラオケルームに入室。
「いやー、健太が戻ってきてくれて本当に嬉しいよ! ね! 健太!」
ぱしぱしと奏歌は健太の肩を叩く。対する健太は、あまり嬉しそうじゃない。
まぁ完全にフラれちまったからな。むりもねぇか。
「それにしてもいっちゃんの小説、めっちゃ面白かったね!」
「いっちゃんさんがあんなに文章書けるとはちょっと驚きでした。私はものすごく感動しましたね。……ほんと、笑ってすみませんでした」
「そーだよねー! ちょっと男の子がよくわかんないことたまに考えてたけど、それ以外はめっちゃ面白かったね!」
おれはめちゃくちゃ恥ずかしい思いを今している。どうせならすぐにでもここから逃げ出したいくらいだ。
「いっちゃんの小説、どこかに応募するのかい?」
「……ん? いや今んところは考えてねぇよ。まぁちょっと前に落ちた作品の改稿版だからな。もう一回送るのは、ちょっと気が引ける」
実際送ったのは令和なのだが、つじつまを合わせるために中学校時代に送ったってことにしておくか。
まぁもっとも、このグループの中でラノベに詳しそうなのはいないので、嘘ついたところでバレないだろうが。
「しっかしまたカラオケとはな」と健太。
「今回はバッチリ真剣勝負と行こうか。お前には、この間の勝負おれがわざと負けたってバレてるんだもんな」
「当たり前だ。あれでバレてねぇと思ったら大間違いだぜ。外すタイミングおかしいところで音程外してたからな」
……ちっ。バレてたか。これだから勘のいいガキは嫌いだよ。
「ぜ、前回の勝負って? え、えと、二人ともどういうこと?」
奏歌が小首を傾げて聞いてくる。
そうか。そうだったな。勝負が八百長だったってこと、気づいてない奴もいるのか。
って言うかあの場だと、おそらく健太と隼人以外全員気づいてなかったかも知れない。
あれ待てよ? 喫茶店で健太と話し合いをしたとき、カラオケバトルでおれがわざと負けたって趣旨の発言、健太がしなかったっけ?
……まぁ、そういえばカフェの中色んなBGMが掛かってたもんな。もしかしたら雑音にかき消されて聞き取れなかったのかも知れない。
おれはゴホンと咳払い。それから説明をする。
「この前の勝負は、おれがわざと負けた。なんでかって言うと、まぁ健太が落ち込んでたし、元気づけるためにわざと健太の勝ちにしたってのが主な理由だ。まぁもっとも、健太が落ち込んでた理由はおれがハイスペック過ぎたからなんだが」
「ちょっ、それ自分で言う! さすがいっちゃん!」
結衣が腹を抱えて笑う。まぁこういうジョークも時々挟んでいくとしよう。そっちの方が和むしな。
「へー、なるほどねー。じゃあいっちゃんが気を遣ってたってこと! すごいねいっちゃん!」
「お、おう……」
その辺にしといてやれよ……。奏歌がおれを褒めるたび、健太が苦い顔をする。
あれだな。この子は空気を読むってことを覚えた方がいいかもしれない。
「……あー、いつき。いやいっちゃん。おれからもひとつ言わせてもらっていいか?」
健太が片手をあげて言った。おそらく彼なりのけじめをつけようとしているのだろう。
すると健太は、ぶん、と頭を下げた。爽やかなワックスの香りが飛んでくる。
「迷惑掛けた。この通りだ。おれが女々しいせいで、お前らに心配掛けちまった」
「いいっていいって! 健太が落ち込みやすいタイプの人間だって、もっと早い段階から気づいてたし」
「そうですよ健太さん。健太さんの悩み聞いてて、ものすごい健太さんらしいなと思いました。どうぞ顔をお上げ下さい」
結衣と真夏からすかさずフォローが入る。
「そっか……。健太が悩んでたのって、私のせいでもあるんだよね。ごめんね健太。け、けど……お願いがあるんだけど、いいかな?」
「?」
健太は顔を上げて奏歌の顔を見た。
奏歌はにっこりと笑った。ほんの少し、苦いモノが混じっていたような気がするが、おれは見ない振りをした。
「友達……でいてよ。健太の思いは、私には受け止めることできないけど、それでも私、親友としての健太好きだから」
健太はほんの少しだけ、目を泳がせた。感情がどの方向に揺らいだのか、おれにはわからない。悲しかったのか悔しかったのか、それとも嬉しかったのか。あるいはそのすべてなのか。おれにはわからない。健太じゃないから。
だが健太は、最後には屈託のない笑みを見せた。白い歯が眩しい。そうだ。お前にはいつでもどんなときでも、その笑顔があれば充分だ。
「おう!」
清々しい笑みを皮切りに、大カラオケ大会が幕を開けた。
おれは想像しただろうか。
二十四歳無職ラノベワナビだったおれがタイムリープして、大切なモノを手に入れるなど。 いやつかなかっただろうな。今だって、現実感がねぇよ。
だがひとつ言えることがある。
――おれの青春は太陽みたいに黄金色に輝いてるってことだ。
弱キャラこじらせ黒崎くんの二度目の青春 相沢 たける @sofuto
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