自分のことを語らないのに、相手のことなんてわかるわけがない

「……よう健太」


 おれは健太に話しかけた。教室。休み時間。

 健太は口に焼きそばパンをくわえ、こちらを見た。

 その目は細く、どこか悲しげに見えた。


 ――おれができること。それを昨日ひたすらに考えた。


 答えは出た。簡単なことだ。相互理解。それが一番重要だ。

 それはわかっている。だが実際に、おれはどうしたらいいか考えた。

 なるほど。おれは一時間ほどして理解した。


 こうすればいいんだな、と。確信に至った。

 それから先は簡単だった。まずコンビニに行って栄養ドリンクを二本ほど買い、家に帰ってからひたすらにパソコンに向かった。


 懐かしい感覚だった。実際の時間では二ヶ月くらいしか経っていない。

 だが色んなことがあったせいか、時間感覚が狂ったのだろう。


 おれは久しぶり、という感じがした。

 実際一日サボっただけで、全然感覚としては変わるもんだしな。

 ――そして今に至る。おかげで寝不足だ。


「お前、どうしたんだよその顔」

「いや、ちょいと寝不足でな。なかなかにイケてるだろう、この顔」

「いや全然イケてねぇよ。むしろこえーくらいだ」


 健太は相変わらず目を細めていたが、頬には冷や汗が流れていた。

 おれの鬼気迫る表情になにかを感じ取ったか。


「だ、だいたいよ。お前いつもワックスつけてんだろ? それどうしたんだ?」

「あぁ、忘れてたな。まぁつけなくても多少魅力が落ちるだけだろう」

「まさか、徹夜したって言うのかよ」


「まぁな。色々とやることがあってな。それより悪い。あとでまたじっくり話したいことがある。今日部活終わったあと、あの喫茶店に来られるか? おれと、お前だけで話がしたい」


 健太はしばらく黙っていた。

 まぁ考えてる振りをしているだけで、彼の中ですでに答えは決まっているだろう。


「……おう。いいぞ。『ヴァリアント』だったか? だが、まさか結衣はいねーよな?」

「大丈夫だ。一応確認した。あいつは今日シフトに入ってない。もちろんおれもな」

「おうけーわかった。んじゃ、十九時で平気か?」

「アァ問題ない」


 おれはうなずいた。健太もまた、覚悟を決めた表情を浮かべた。

 それからチャイムが鳴った。できるだけおれたちの間で、これ以上むだな会話をするのは得策とは思えなかったので、おれはさっさと席に着いた。




 おれより先に、健太の方が喫茶店に早く来ていた。

 正直意外だ。

 部活が早く終わったから、という理由もあるかも知れないが、おれがよく知ってる健太ならあえてどこかで時間を潰して、時刻通りに来ることが多いのに。


 まぁいい。


「よう」

「なんだ、ずいぶんと早かったな」

「べつに。部活が早く終わっただけだ」

「そうか」


 おれたちの間で流れる会話は短い。

 近くを通りかかった高梨先輩に、アイスコーヒーと一言告げた。すると健太も、

「おれも同じのを」と言った。

「まだ頼んでなかったのか?」

「じゃなきゃ平等じゃねーだろ」


 おれは正直驚く。

 平等、か。

 おれがよく知る健太は、図々しくて、常に上に立ちたいという欲求のある男だ。


 だからこそ輝いていた。

 ケド今の健太は違う。

 前回の健太とまったく違うのだ。なんというか、覇気がない。

 それに「平等」なんて言葉を口にする奴じゃなかった。


「お前、最近なにか悩んでるだろ?」

「おれが? はっ、まさか! おれは悩みなく生きてるのがとりえなんだぜ?」

「そうか。だがこの前の二次会、来なかったろ」


「……それがなんだってんだよ。べつに二次会なんて参加しなくていいだろうが」

「そうだな。それはそうだ。第一おれには予定があったんだ。あの日はな」

「今ここでその予定とやらを話せ」


 おれは淡々と言った。コーヒーが二つ運ばれてくる。おれはそれを口につけた。

 うちのコーヒーはうまい。そして飲んでいると、心が自然と落ち着いてくる。ドリップする奴がうまいんだろうな。もしかしたら高梨先輩かも知れない。


「話す義理はねーよ。友達同士でも、隠したいことのひとつやふたつはあんだろ。それに、隠し事はある程度友達同士には必要だろ?」


「そうだな。一理ある。だが端的に言う。お前の心が抉られようが知ったこっちゃねぇ。だが言うぞ。

 ――お前、おれのことで悩んでるだろ?」


 おれは健太から目を離さない。話したら、その瞬間健太とは友達ではいられなくなると思ったからだ。


「けっ。何を言い出すかと思えば」

「………………」

「……なんだよ。その目は」


 おれは無言でコーヒーをすする。少々ずるい作戦だが、あえて沈黙を選び取る。

 健太、悪いな。


 だが健太という人間が、何よりも沈黙を嫌う男と知っていた。

 こいつは気まずい時間というのをなによりも嫌う。それはこいつが繊細で、ちょっとのことを案外気にしやすいタイプだからだ。


 居心地の悪さ、に耐えられるほど強くないことを知っているからだ。

 ずるいな、本当に。

 だがお前から本音を聞き出すためには、この方法しかない。


 案の定健太の表情が歪んでいく。それは泣きそうにも見えたし、卑怯なおれをとがめているようにも見えた。


 今の健太にはおそらく、おれがなにもかもを見透かしているように見えるだろう。


 怖いのだ。


 健太にとって、おれの存在というのは。

 おれの存在がとてつもなく大きなモノに見えている。大人に見えている。もしかしたらすべてを知り尽くしている神さまにでも見えているかもな。


 おれは今ここに流れる、この時間が嫌いだ。健太も嫌いだろう。

 明らかに今、上下関係ができている。だが一時的なモノだ。

 おれは健太に願う。

 吐いてくれ。


 おれに対して、隠し事はなしにして欲しかった。友達なら隠し事のひとつやふたつあっていい。それは間違いない。だが隠してはいけないことだってあるのだ。

 面と向かって、二人きりで話すべきことがあるのだ。


 じゃなきゃいずれ、友達じゃいられなくなるから。


「わかった。降参だ。お前にはなにもかもを見透かされているような気分にさせられる。正直気分はよくねぇよ」

「助かる。…………悪い。試すような真似をして」


「まったくだ。だがまぁ、おれが悩んでるのはお前のことだ。それはお前が言ったとおりだよ。


 ――お前に野球の勝負で負けたこと、お前がテストで一位取っちまうくらい頭いいこと、カラオケがめちゃくちゃうまくて、あげくわざとおれに負けたこと、……奏歌が、お前を見るときに目を輝かさせていること。全部、おれの胸を締め付ける」


「………………」

「……お、おい、何だよその目は!? おれは言ったぞ! お前が言えって言ったから言ったんだぞ!」


「……お前奏歌のことが好きなのか? やっぱり」


「そうだよ。けど、あいつはおれになんか振り向かない。お前はすげーよ。おれに持ってないモンを全部持ってる。おれが持ってると思ってたもんを、お前はもっとすごい形で持ってる。おれがまがい物の人工宝石だとしたら、お前はダイヤモンドだ。みんなはそんなお前を見て尊敬する。


 そりゃ、そうだよな……。


 お前だって努力して、その舞台に立ってるってことくらいはなんとなく想像がつく。おれがこうやって、お前のことをうらやむ気持ちを吐き捨てるのがすげぇ情けないことだって、わかってる。


 だけどやっぱ悔しいんだ。悔しくて悔しくて、ケド弱い自分を心のどこかで肯定したくなくてよ。


 ………………悪い、男二人だからって――ぇええええええええっ!?」


 おれは立ち上がって健太の胸ぐらを掴んだ。

 ガタン! と凄まじい音が響き渡り、店内にいる人たちは何事かとこちらを見てくる。


 だが気にしない。


 おれは目の前の男に、めちゃくちゃ腹が立っていたからだ。

 おれが憧れていた男は、こんな奴じゃない。


 もっと前を向いて、泥臭くて、自分に不都合なことがあっても、それでも起き上がって。お前よくやるよな、って思われるくらいに努力して、かっこよくて、太陽みたいに輝いていたそんな男だ。


 こんな日の当たらないモヤシみたいな男ではねーんだよッ!


「――てんめぇッ! いい加減にしろッ!」


 すると健太もまたヒートアップして言い返してきた。健太の力は強い。彼はおれのアゴを掴み取った。


「じゃあどうしろっつうんだこのアホンダラッ! おれは……ッ! おれはお前の友達でいていいのかすらわっかんねーんだよッ! お前の劣化版! それがお前の目の前にいる男だよ! あぁそうだ! 情けねぇだろッ! こんなみみっちくて女々しい男が、お前になんか勝てるわけねーだろうがッ!」


「だからアホって言ってんだこのアホ!」


 おれはばちん! と平手で健太の顔を叩いた。

 健太の唇から血がこぼれた。だが健太の目は死んでいない。むしろこちらを睨みつけたくらいだ。


「やりやがったなてめぇ!」


 ばちん!

 おれは健太に平手打ちされた。きれいな意趣返しだ。上等だこの野郎。


 おれは健太の掴んだ胸ぐらを一気に引き寄せた。そしてすぐ近くにある顔に吠えた。


「お前から出てくる言葉全部チンケなんだよッ! 男ならもっと堂々としてやがれッ! できねーことも認められるくらいになれや!」


 おれはいいか、と付け足した。


「お前がつらい思いをしているのはわかった。それがめちゃくちゃくだらねーことだってこともよくわかった。けどなっ!」


 おれはすーっと息を吸って、そして吐く息とともに言い切った。


「――アホかてめぇは!?」


 ゴツッ! と額をぶつけた。健太のおでこはめちゃくちゃ硬かったが、その石頭に叩き込んでやりたい思いがある。言葉がある。


「アホとは何だてめぇ! あぁ!? 持つモノは持たざるモノの思いを知らねーだろ! おれだって散々勉強したさッ! だけどなぁ! 全然理解できねーんだよッ! お前から教わっても、すぐに頭から抜け落ちちまうんだよ!」


「じゃアホじゃねぇか!」

「……ぬぐっ」


 すぐ傍で店員さんのクスッと言う笑い声が聞こえた。おい誰だ今笑ったの。べつにおれたちは漫才をしているわけでも何でもないのだ。


「……すげぇよな。努力できるのも、立派な才能だぜ。おれが十聞いて理解しないといけないところを、お前は一聞いただけでわかっちまうんだ。ったく惚れ惚れするくらい素敵な才能だぜ!」


「お前はさっきからネガティブ方面に言語能力が高すぎるんだよ……」


 おれは頭を抱えた。なんでこいつの口からはメンヘラっぽいセリフばかり出てくるのだろうか。太宰かお前は。


「いいか、教えてやる。おれはお前が思っているほど、完璧な人間じゃない」


「はっ。言ってろよ。口だけならいくらでも言える。成功者はよく言うモンな。『私が成功したのは運がよかったからだ』とかよ! ッたく笑っちまうぜ。そんな運どこにあるんだよ。お前自分の努力ひた隠しにして、運のおかげにしてんじゃねーよッ!」


 こ、こいつは本当にネガティブな言語知性があまりにも高すぎる。なんだこいつ、小説家にでもなれるんじゃねーの?


 むしろおれよりも小説家の才能あるんじゃね?

 くっそめっちゃ腹立ってきた。

 だが堪える。


 おれはこいつを、取り戻しに来た。

 おれはこいつと、友達同士でありたいのだ。その思いが間違いじゃないっていう自信は大いにあるぜ。


 だから息を吸って、言った。

 これはもしかしたら今後の学校生活死ぬかも知れない。

 そんな大勝負だ。


「ちょっと待ってろ」


 おれは言ってから、鞄からある紙束を取り出した。

 その紙は百三十一枚だ。端はクリップで留めてある。

 タイトルと、ペンネーム込みで百三十一枚だな。


「お、お前、なんだこれ……」


 健太が目を丸くして、その紙束を見つめた。

 おれは顔が赤くなるのを承知で、言った。


「小説の原稿だ。ライトノベルの原稿だ。お前には今からこれを読んでもらう」


 健太はおれと、原稿の両方をちらちらと見比べながら、やがて「はぁ?」と言った。


「お前のことはよくわかった。お前がどんな奴か知れた。


 だから今度はおれの番だ。お前がお前のことを語った分、おれはおれのことを語らせてもらう」


 おれは席について、足を組んだ。そして大仰な動作で腕を組む。偉そうにふんぞり返って、最後の言葉を発した。


「――さぁ、相互理解の時間だ」




 


 ――健太視点――


しぶしぶ原稿を読むことにした。

 おれは正直驚いていた。

 マジか。


 おれの目の前では、いつきがソワソワとおれが原稿を読み終わるのを待っていた。

 いやその気持ちはなんとなく理解できる。自分の作った作品を、他人に読んでもらうのは正直びくつくし、どんな感想を言われるのか怖いもんな。


 けどよ。

 はっきり言わせてもらっていいか?

 この作品、ちょっとキモいぞ?


 いや内容自体は面白くはある。レイプされそうになるギャルな義妹を主人公が助けだすシーンは爽快だ。最初は不器用で、尖りまくっていたヒロインが、最終的に主人公と打ち解けるシーンはほろりとくるモノがある。


 ただ全体を見てみると、おれがライトノベルというモノに触れてこなかったせいか、いくつかキモいシーンがあった。


 ら、らっきーすけべ? っていうのか? 洗面所の扉をうっかり開けてしまい、裸のヒロインと遭遇、クソみたいにオロオロする主人公とか。


 あとは河原で二人きりで主人公とヒロインがお互いの境遇を語り合って、手を握り合うシーンとか、はっきり言って作者の恋愛経験の少なさがありありと出ている。


 なんつーか、青臭い。キモい。虫唾が走る。


 タイトルは『となりの義妹の小清水さん』

 うっわ。痛い。

 おれはこんな生々しい原稿を初めて読んだ。


「お、おう……返すぞ」

「そうか。で、感想はあるか?」


 いつきは腕を組んで、冷や汗を垂らして聞いてくる。

 ――それはおれが昨日まで見てきたいつきと全然違った。

 なんというか、オタクくさいというか。


 正直気持ち悪い。

 まるでメッキが剥がれたような、そんな感じだった。


「お前ひでー顔してんぞ」

「まぁな。誰かに原稿を読んでもらうのが初めてだったもんでな」


「ならはっきり言わせてもらうぞ。駄作だなこりゃ。気持ち悪い。全体的に作者の恋愛経験の薄っぺらさが出ててちょっとぞわぞわする」

「なっ! なんだと!?」


 うおっ、キレやがった。なんだこいつ!


「お前おれの作品を侮辱するって言うのか!? あぁ!?」

「お、落ち着けよいつき……!? そんなに感情的になるなよ!」


「おれが一日で完成させた原稿だぞ! テメーなめてんのか!」

「なめてねーよ! おれはただキモいと思ったからキモいって言っただけだ!」


 おれにはまったくわからなかった。

 なぜこいつはこのタイミングでこんな原稿をおれに見せてきたのだろうか?

 だいたいこんなモン人の目に触れさせて、いったいどうしようって言うのか?

 そしてなんで、おれのことを話させた直後に、これを見せてきたのだろうか?


 いつきはいたって真剣な表情でこの原稿を渡してきた。正直読んでいるおれからすると、なんでそんな自信あんの? って感じだった。


「これはおれがGA文庫大賞っていうラノベの新人賞に送った原稿を、一からまた書き直したものだ。まぁ書き直す前の原稿は訳あってなくしちまったが、二次選考で落とされた作品だ」


「二次!? これが!? ちょっと待て!? お前作家目指してんの!?」


 マジかよ!? いやすげーよ。たしかに文章は、それなりにまとまっていた。作品としての完成度も高かった。完成度が高いんだろうなってことくらい、おれにもわかったさ。


 ただ全体として気持ち悪い。そういう作品に耐性がない奴からすると吐き気を催す。マジでキモい。


「き、キモいとか言いやがったな。たしかにその作品はまだ世に出てない。まだな!」

「どんだけ自信あんだよお前!? これ世の中に出すとか……ちょっとウケる!」


「ウケねぇよ! てめぇおれのことなめてんのか!?」

「なめてんだよちくしょう! ……くっくくっ、なんだよこれ、超おもしれぇ! キモさも相まって超おもしれぇよ!」


 俺は腹を抱えて笑った。作品自体も面白くはあったのだが、おれにはなにより、いつきがこんな作品を書いた、というその事実こそが面白かった。


「お前、もしかしてオタクなのか?」

「……あぁそうだ、昔からな」


 ますますわからねぇ。

 こいつがなにを伝えたいのか。そんなこと語って、いつきに一体なんの得があるのか。

 だがいつきは偉そうにふんぞり返っている。

 何か目的があるのか?


「おれは昔からラノベが大好きでな。特に『生徒会の一幕』シリーズはおれの大好物だ」

「ちょっと待て! いきなり語り始めんなよ!? な、何かめっちゃ長そうなのはじまったぞ……?」


 いつきは表情を崩さない。ものすごく楽しそうに、自分の好きな作品について語っていく。その表情は若干おれには不気味に映ったが、しかしその表情からいつきが本当にそれらの作品が好きなんだなと言うことがうかがえた。


「他にもあるぞ。『おれは友達が少ない』シリーズ、『ガンアートオンライン』なんかはお前も知ってるんじゃないか? あとはそうだな『やっぱりおれの青春ラブコメはまちがっていない』とかだ。特にこの『俺ガイナイ』シリーズは、今後のライトノベル業界を席巻していく作品になる。この俺が言うんだから間違いはない。略して『俺ガイナイ』」


「もう一回言うが、どんだけ自信あんだよお前!? お前は業界の将来がわかるって言うのか?」


「あぁわかるさ。おれはラノベ大好きマンだからな。ちなみに業界だと、次は小学生のロリ娘が将棋する話がめっちゃ流行る」


 まるで見てきたかのように言うじゃねぇか。なんだこいつ……。業界の未来予測できるくらいオタクなのか……?


 おれは首を横に振った。原稿をバサリと机の上に置く。


「わかんねぇよ。お前がなにを考えてんのか。んなモンおれに見せて、いったいどうしろって言うんだ。原稿のアドバイスか? 全体的にキモいし、作者の恋愛経験の少なさが目立ちます、くらいしかできねぇよ」


「お前それアドバイスになってねぇだろ……。だがまぁ、おれがこれをお前に見せたのは、簡単な理由だよ」


 おれはいつきの目を見た。おれの目を、いつきは離さなかった。


「――お前が見てるおれはカンペキなんかじゃねぇ。カンペキに見えるように見えて、どこか人間くさい一面がある。それを示したかったからだ」


 おれは、「あ」と声を漏らした。

 そういうことか……。


 おれはたしかに、いつきという男に向ける視線を、今日でがらりと変えたような気がする。


「これは中学時代までのおれの写真だ。どうだ、キモいだろ」


 いつきがスマホの画面をおれの方に向けて見せてくる。

 そこには髪の毛がボサボサで、死んだ魚のような目をしていて、顔も老けて見える一人の男が映っていた。


 あだ名をつけるとしたら、『クソ眼鏡』だろうか。それしか思いつかない。


「――ってええ!? これがお前なのか?」

「そうだ。似ても似つかねぇだろ?」

「垢抜けすぎだろお前! さすがに別人だぞこりゃ!?」


 おれはぞっと鳥肌が立った。一人の人間がここまで変わるのか?

 おれはその写真と、目の前にいるいつきの顔を見比べた。


「た、たしかに面影はあるかも知れない……。だが全然べつの人って言われても納得するレベルだぞ……」

「ふん、すげぇだろ」


「その反応はちょっとうぜーな。……しかもお前がオタクだってわかったことによって、何かお前ってかなり痛い奴なんだなって認識したぞ」

「言い方ずいぶんとひどくないか?」


 おれは思わず笑っちまった。なんだろうな、いつきが一気に親しい人間のように思えた。不思議だ。今までは遠くの存在に感じていたのに、今は手が届きそうなほどに近い。


「あっっはは! わりぃわりぃ。ケド本当に驚いてんだ。お前がこんな奴だって、理解できて、共有できて、初めてお前って言う人間の輪郭をはっきり見た気がする」

「……ふっ、そうか。ならよかった」


 おれは思う。


 軽井沢健太という人間は、黒崎いつきという人物像を勝手に妄想して拡大してしまっていたのではないかと。自分で勝手に、いつきは大きい人間だと思い込んでいたのではないかと。


 実際その通りだと思う。


 いつきだって人間なのだ。カンペキじゃない。クソだってするし、ションベンだってする。ラノベ読んで、ゲラゲラ笑ってるちょっと傍から見たら痛い奴なのだ。


 いつきはふん、とふんぞり返って、おれに言った。

 その言葉が、おれには何より響いた。


「おれは高校デビューで内心びくびくしながら学校生活を送ってる。

 お前が見てるおれはカンペキなんかじゃねぇさ。カンペキに見えるように、努力してあがいてるちっぽけな人間なんだよ」

「そう……か」


 おれは黒崎いつきという人間を、この時初めて本当の意味で理解した。

 遠く、自分の力が通用する範囲を見極めて、努力する。前に進んでいく。


 翻っておれはなんなんだろうな。好きな女の子に振り向いて貰えなかったからうじうじして、勉強できないと自分を蔑んで、三振したくらいで落ち込んで、ったく本当に情けねぇよ。反吐が出る。けどその反吐は、いつも自分に返ってくるのだ。


 あぁ。ちくしょう。いつき。

 完敗だ。

 いつきに全部、おれのこと見抜かれてる。


「……はは、悪かったないつき、いやいっちゃん。うじうじ乙女チックに悩んだりしてよ」

「まったくだ。お前は乙女じゃないだろうが」

「ったくな。あぁあ、こんなとこ奏歌に見られたら、幻滅されるんだろうな」


 そのときだった。

 背後の席で、ガタン、という音がした。




 ――いつき視点――



「……奏歌?」


 おれは目を見開く。ちょ、ちょっと待て!

 なんでお前らがここにいる!?


 奏歌があはは、と照れたように笑い、その向かい側の席には結衣と真夏がいた。三人とも苦笑いを浮かべている。


「話は聞かせてもらったよ。バッチリ録音でもしとけばよかったんだけどね」

「おい、おいおいおい! なんでお前らがここにいんだよ!?」


 健太の絶叫。って言うかもはや悲鳴だった。


「お二人さん、青春してたね……。えぇっと、健太、わ、私のこと好きだったんだね」


 顔を真っ赤にする健太。むりもない。

 なんせほぼほぼ遠回しに告白しているようなもんだからな。


「ご、ごめん。受け止めきれない、かな? あはは。べ、べつに健太のこと嫌いじゃないんだけど、こ、恋人としてはちょっと……」


 あっさりフラれた健太だった。


「おいけんたしっかりしろ! おい!」


 おれは健太の目を覚まそうと肩を揺さぶった。でっかい肩だ。まるでメロンである。

 だが健太の精神はガラスでできている。体の頑丈さとは対照的に、メンタルは貧弱な野田こいつは。


「奏歌。もうちょっと気遣ってやりなよ」

「き、気遣った結果がこれだもん……」


 隼人が奏歌の肩をぽんと叩いた。うお、さりげないボディータッチ。おれも見習いたいね。

 真夏はまじまじとおれの方を見てきていた。


「……なんだ? おれの顔に何か付いてるか?」

「い、いや、決してそういうわけでは! た、ただいっちゃんさんがそのようなモノを書いているとは意外で……」


 ヤバいな。これはヤバい。

 おれは健太が振られたことは極めてどうでもよかった。だがおれ自身が真夏に嫌われることはどうしても避けたい。


 うわ。マズい。真夏にこの原稿を読まれたら、俺の望んでいた青春は一瞬にしてパーになるかも知れない!


「ダメだ。真夏。それを読んではいけない!」

「えーいーじゃん! 見せて見せて!」


 結衣が好奇心旺盛に手を伸ばす。

 だがダメなモノはダメだ!


「ていっ!」


 おれは原稿をなんとか奪い取った。これをこいつらに見せるわけにはいかない!


「えー見たかったのにー」

「ダメなモンはダメなんだ。これは健太に見せるためのモノであって、お前らに見せるためのもんじゃない」


「でもチラッと見えちゃったなぁ。えーっとなんだっけ? 『おれの妹に手を出してんじゃねぇよッ!! 泣かせてんじゃねぇよッ!!』 だっけ?」


 あぁああああああああああああああああああ死ぬ! おれを殺す気かお前は!?


「え!? なになに!? それ作中のセリフ!? うわー私の角度からちょうど見られなかったー!」

「い、妹さんを助けるお話なのですか? ますます呼んでみたいです」


「け、ケドその部分は結構面白かったよな。なんか、暴力的な元カレに対して、主人公の容赦ない攻撃が加わって」これを言ったのは健太だ。


「なかなか面白そうだな、とは思ったよ。おれもしっかり読んだわけじゃないから、いっちゃん是非今度ちゃんと読ませてよ」

「ダメだと言っているだろう! おれにだって隠したいことはあるんだ」


「み、見たいです! 読みたいです! 読ませて下さいいっちゃんさん!」

「あほらー、真夏もお願いしてるよー。どうなんだよー、ねぇいっちゃん!」

「私からもお願いしたいな! いっちゃんの作品、みんなに読ませてよ!」


 おれはぐぬぬ、と唸った。顔が真っ赤になっていると自覚する。こんな作品、こいつらに本当に読ませていいのだろうか?

 いやだが。真の友達でいたいのなら相互理解は大切だ。

 おれはため息をついて、肩をすくめた。


「勝手にしろ。ただし原稿はここにあるだけな。お前らで勝手に回し読みしろ」


 やったー、と声が上がる。何事かと周囲の客達がざわめいている。


「どうせなら店長さんにも読ませちゃおうよ! あと高梨先輩にも!」

「えーなになにー? なんか呼んだー?」

「おいやめろ! やめろやめろ! ここの店で居場所なくなるだろうが!」


「えーいいっていいって! もういっちゃんが痛い奴ってバレてるんだし!」

「そうですよいっちゃんさん。いっちゃんさんは想像以上に面白い人なんだなと実感しましたから。……ぷっ……くくっ…………いえ失礼……っ!」


 く、くそ……。おれは真夏には甘い。甘くしたくなってしまう。だって男の子だもん。


「わかったよ。好きにしろ」


 もうおれの心はぼろぼろだった。苦いコーヒーをすすりながら、そんなことを思った。

 …………………………………………はぁ。

 おれと健太は二人して傷心モードである。


「……まぁなんだ、色々失ったな。結果的に」

「まったくだ。……はぁ、おれ明日からどう生きていけばいいってんだ」


 おれと健太は二人して肩を落とした。

 男同士の、真の友情が芽生えた瞬間だった。

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