自分のことを語らないのに、相手のことなんてわかるわけがない 2

 ――間違えたのだ。


 きっとどこかで選択を。

 おれは自分が正しいと思う道を選ぼうとした。二度と青春を後悔しないようにと行動した。


 その結果、おれは今すでに、後悔しそうな事態に陥っている。

 おれは健太の背中に憧れた。雄々しく、たくましいその背中。


 ついて行きたいと思える男の姿に、おれは心の底から憧れた。

 だが、今日の健太は違う。


 少なくとも、おれが憧れてきた健太ではなかった。そこに太陽みたいな眩しさはなかった。一切感じられなかった。

 おれはあんな健太の姿を見たかったんだろうか。

 答えは否だ。断じて見たくない。


 おれは健太のことが好きだ。友達として。これ以上なく尊敬しているし、一緒にいたいとも思う。

 その友達が今、おれたちのグループから徐々に、距離を置こうとしている。

 それを感じ取れないほど、おれはバカじゃない。


 今日のことが引き金になって、グループに、もう二度と戻らなくなってしまうのではないか。

 そんな予感すらあった。だとしたらおれは絶対に後悔する。後悔しないように、きっちり入念に準備して高校デビューしたのに、入学早々後悔する事態に陥る。


 なんて情けねーんだよ。ちくしょう。

 おれはどうしようもなく不器用だ。ヘタレだ。鈍感だ。

 人の繊細な気持ちにあまり気づけない。


 だが、ひとつだけわかることがある。

 健太は繊細な人間だと言うことだ。


 だからこそ入念に準備する。不器用ながらも、バットを毎日千回振り、相手投手の球種をすべて把握してから試合に臨む。


 だからこそ試合で結果を残してきた。おれはそんな健太が大好きだった。

 まるで野球少年が、プロ野球選手に憧れるように。


 おれはその背中が大好きだった。輝かしい背番号『三番』。そしておれは『十三番』だ。遠い。あいつの背中は遠かった。


 いったい、どうしたらいい?

 おれは真夏のことが好き。これは恋愛的な意味だ。

 そして奏歌は、おそらくおれのことが好き。これも恋愛的な意味だ。

 だけど奏歌は、べつの男から好意を寄せられている。それが健太だ。


 こじれていく。


 人間関係がこんなにも危ういものだなんて知りもしなかった。

 はは、そうだよな。おれは今までずっと一人で、学校生活をやり過ごしてきた。

 だからこんな事態に陥るなんて予想もつかない。


 一人でいるときは気楽でいい。誰からも好かれない分、誰からも嫌われない。


 空気に近い存在。それがおれだった。

 だが今は違う。


 おれは健太や、奏歌、真夏、隼人、結衣の中心的な存在だ。精神的な意味でも、きっとおれはこれからもっと頼りにされると思う。そんな予感は、いくらおれにだってある。


 だからこそ、失いたくないのだ。

 健太という存在を。

 ケドそのためにどうしたらいい?


 おれにはわからない。考えたって答えは出ない。言い訳かも知れない。おれは散々考えたのだから、もう逃げたっていいよねと、そう考え始めているのかも知れない。


 だがそれではダメなんだ。

 逃げたら、楽だ。そこでおわりだ。何のしがらみもなく、こじれもなく、ただひたすらに自由を得られる。しかしその先にあるのは、間違いなく『虚無』だ。『後悔』だ。


 おれは前世、そうやって生きてきた。

 あとから悔やんだって、取り返しのつかないものは数え切れないほどある。

 今手に入れなければ、もう一生手に入らないものがあるのだ。


 おれは手放したくない。あぁそうだ、手放すかよ。

 手に入れたいものは手に入れる。自分の力で。もう後悔はしたくない。逃げたくない。


 だから、恥を忍んでスマホの電話画面を開いた。

 とぅるるるる、という音がする。

 やがて「もしもし」という声が聞こえた。おれの幼なじみである、沙希の声だ。


「悪い、夜遅くに。だが、頼みがある。頼みっつうか、相談?」


 電話の向こう側で、ため息が聞こえた。べつに構わない。

 意固地になっても答えが出ることなんてない。誰かに頼ることだってまた、正解だと思う。


「いいわ。のったげる。いつもの公園に来られる?」


 おれは「あぁ」と答えた。




 おれが今日起こったことを説明すると、沙希は深い深いため息をついた。


「軽井沢君って、意外とウジ虫?」

「……そんな言い方すんなよ……傷つくぞ」


「あなたが傷ついてどうするのよ。そもそもあなたが傷付けているのでしょう?」

「……う? やっぱおれのせいか?」

「あなたのせい……な部分も話を聞いている限りではあるけど、その軽井沢君の方もなかなかに問題あるわね」


 容赦ない沙希の言葉。

 しかしだからこそ真実なんだろうと実感する。

 人間観察において、おれが沙希にかなうモノはない。

 おれなんかより遥かに大人なのだ、彼女は。

 二十四歳のおれが言うのだから間違いはない。


「この先、おれはどうしたらいいのか、まったく見当もつかない」


 おれは素直に言った。


「そうね。わかっていたら私に相談なんかしてこないものね」


 沙希の言葉は鋭い。まるでカッターナイフだ。


「そもそもカラオケバトルでわざと負けてること、おそらく軽井沢君は気づいてると思うわよ?」

「え……。マジかよ……」

「大マジ。軽井沢君は良くも悪くも勝負師なのよ? そんな彼が、真剣勝負してない人間を見抜くのは、簡単なことでしょう」


 そうか……。

 おれから見て、健太はおれの八百長に気がついてないように見えた。

 だがあくまでそれは『おれから見て』ってことだ。他のみんなから見たら、もしかしたら気づいていたのかも知れない。

 特に隼人なんかはそうだ。あいつは確実に、気づいてた。


「謝っちゃダメよ? 絶対に。友達カンケイ以上のモノが壊れる。あなたが謝ったら、関係性に『上下』が加わる。謝ったら負けなのよ、この世界は」


 なかなかに世の中を見通したことを言うなこの子は。

 だがその通りだと思う。謝ることが美徳とされるのは、お昼のニュースだけだ。

 友達カンケイにおいて、『謝罪』は『終了』を表す。


 上下関係ができた瞬間、友達ではいられなくなる。


「だいたいあなたは悪くない。悪いのは軽井沢君ね。そもそも奏歌があなたのことを好きになったのなら、軽井沢君なにも関係ないじゃないの? なに? それでなんで悩んでるのあの男は?」


 ……すごい。めっちゃ罵倒されてるぞ健太。

 だが言葉にしてみれば、たしかにその通りだなと思える。

 やっぱり沙希は人のことをよく見通している、と思う。


「おれは、どうしたらいい?」


「そうね。あなたが悩んでることはよくわかった。悩んだ上で、私に相談してきたこともよく。べつに恥ずかしくない。

 できることは……うーん、一番手っ取り早いのは、軽井沢くんを切り離すことでしょうね」


「って待て! おれがそんなことできると思うのか?」

「まぁできないでしょうね。ケドそれが確実だと思わない?」

「確かにそうだが、さすがに見捨てるような真似はしたくないな」

「そう言うと思ったわ。じゃあ、あなたが健太の立場だったらどうする?」


 健太の立場……だと?

 おれは考えもしなかった。

 だが、考えもしなかっただけで、似たような境遇はすぐに理解できた。


 ――今までのおれだ。


 おれは今まで、健太に憧れていた。

 そして今は、健太はおれに憧れている。

 立場が逆転しただけだ。

 そう考えると、おれはすんなりと事態を受け入れることができた。


「あなたが健太の立場なら、あなたになにをしてもらいたいと考えるかしら?」


 おれは考える。

 おれは健太の背中を見て、すごいな、と素直に思っていた。

 だけどそれは、健太のすべてをおれが知らなかったから、すごいと感じていたのではないか?


 今日、おれは、健太の本性を知った。


 おれがかっこいいと思っていた健太は、色恋に興味がなさそうな顔をして、実はちょっと嫉妬深い男だった。好きな女の子がべつの男になびいて、それを見てショックを受けるような男だった。自分よりもスペックの高い男子を目の当たりにして、自分は大したことないのではないか? と思ってしまうほど、人間くさい男だった。


 人間くさく、女々しく、そしてどこか男臭い。

 その姿は、おれが憧れていた健太とは真逆だ。

 前世のおれが見てきた健太と、今の健太。

 どっちの方が親しみやすいか?


「……はは」


 俺は笑った。答えが出たからだ。


「……出たの? あなたなりの答えが?」

「わかったよ。あぁわかった」


 おれに足りなかったもの。


 

 ――相互理解だ



 太陽は意外と眩しくない。

 おれ――黒崎いつきは、いくら眩しく見えたとしても所詮は人間だ。

 おれはそれを健太に示してやる必要がある。







 ――健太視点――


 わかっている。すべてはおれの責任だ。


 間違いなくいつきは悪くない。おれが勝手に嫉妬して、うらやんでいるだけだ。

 おれにないものばかりを、あいつが持っていたなら、おれはまだ納得できたかも知れない。あいつってすげぇよなって、認めることができたかも知れない。


 だがあいつができることは、ほとんどおれの得意としてきたモノばかりだ。

 いや、勉強は違うか。

 けど、野球、コミュニケーション能力、歌のうまさ……。


 そいつらはおれが少なくとも自信を持っていたモノだ。おれは今まで、他の奴らにはないもんだと思ってそれを大事にして生きてきた。


 悔しかった。その悔しさは徐々に徐々に膨らんでいった。


 ……だぁちくしょう!


 おれはなに、こんなに女々しいことを考えているんだ。ふだんなら笑って流せることだろうが!


 このモヤモヤはきっと色んなモノが積み重なった結果だと思う。


 極めつけは奏歌だった。

 彼女があいつを見るときの目は、完全に恋に落ちてるそれだった。奏歌なら男子なら誰彼構わずボディタッチするが、あいつにだけはしない。


 なぜか。それは奏歌があいつに好意を寄せているから、恥ずかしいのだ。

 おれは昔から他人の感情の機微にはよく気がつく。見ていればわかるっていうの? まさにそれだ。


 他人がなにを考えてるかわかっちまうからこそ、「このことは本人が気にしてそうだから言わないでおくか」とか思っちまう。ったく、なんでおれはこんなに女々しいんだろうな。


 おれは昔から感情的になりやすい。小学生の時は、よくケンカした。男友達と殴り合うのが日常茶飯事だった。ケンカはおれの代名詞だった。ったく、今思い返すと恥ずかしいったらありゃしねぇ。


 けどよ。ケンカすること自体悪いこととわかってても、今でもしちまう。他校の連中にケンカ売られたら、そりゃ買う。


 なぜかそのときになったら、頭にカッと血がのぼって挑発に乗っちまう。

 おれはバカだ。勉強もできない。それがめちゃくちゃコンプレックスだ。


 あぁくそ! 恥ずかしい。

 なにもできない自分が。


 おれは野球が得意だ。入学するときは、誰よりもうまいと思ってたし、絶対にレギュラーを取れるっていう自信があった。


 実際、おれはもうじきレギュラーになれる。その実力は、おそらくある。監督の期待値だって高い。


 けど。けどよ。

 おれを三振にとれる奴が、帰宅部にいるんだぜ?

 おれは悔しかった。


 今まで誰よりも練習してきたつもりだった。誰よりもうまいと思ってた。どんな球でも打ち返せる自信があった。


 その自信が、あの日、粉々に打ち砕かれた。

 おれは男としてなにもないんじゃないか。そうとすら思った。

 羨ましかった。あいつが。


 おれはあいつになに一つ勝てない。

 それが屈辱的……いや違うな。

 もう完膚なきにおれの存在意義を打ち砕かれたような気分だ。


 おれはあいつの劣化版。そう思っちまう。

 公園でおれが打席に立ったとき、あいつの目はおれと似たようなものを宿していた。


 似てる。おれはそう思った。おれとあいつは似てる。

 近しい存在だ。

 だからこそ負けたとき、おれは自信を無くした。


 自分があいつの劣化存在なんじゃないかと、疑惑を持ち始めた。

 なんて情けねぇ。恥ずかしくて、奏歌にこんな姿見せられない。


 お、おれは奏歌のことが好きだ。名前呼ぶだけでときめくなんてほど女々しくはねーが、それでも奏歌があいつに向けてきらきらした視線を送ってるだけで、胸が痛い。苦しい。死んじまいたいとすら思う。


 だからって、おれはいつきに勝てるとは思えない。


 学校生活はまだ長い、と割り切ることができれば簡単だっただろうな。


 けどおれはそこまで単純バカじゃない。そうだ。周りが思ってるほど、単純じゃない。頭の中はいつも考え事でうるさい。おれはそんな男だ。


 いつきはどうやって、あんなに輝かしい存在になれたんだろうか。

 それを知りたかった。


 今のおれには、あいつが眩しすぎて直視できない。存在自体遠い。アイドルとか、メジャーリーガーとか、そんな風におれの目には映る。


 大げさか? 実際あいつはアイドルでもメジャーリーガーでもない。

 だがおれの目には、どうしてもそう見えちまうんだよ。


 一言でまとめるんなら――おれはあいつのことが怖いのだ

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