自分のことを語らないのに相手のことなんてわかるわけがない 1
中間テストの結果が発表された。
発表は廊下で行われる。掲示板に大きく順位表が描かれている。
学年一位はおれだった。
二位が真夏だ。
順番で行くと、五位が杉崎隼人、七位が由比ヶ浜沙希、七十三位が青海結衣、二百一位が友崎奏歌、二百十位が軽井沢健太。
という結果になった。
ちなみに赤点を取った者はいない。
よかったよかった。
とおれは胸を撫で下ろしたい気分だが、そうもいかない。
「やったね健太! 私たち赤点回避したよ!」
「………………お、おうそうだな」
健太は喜んでいるのか喜んでいないのか、そんなどっちつかずの回答を残した。
「すごいじゃんいっちゃん! マジすごいって! 一位取るなんて思わなかった!」
「ふっ、まぐれだ」
「……今回は完敗です」
真夏が悔しそうに、本当に悔しそうに言った。一位取りたかったんだな。
「うわ、見てよあれ。椎名さん学年一位陥落だって。はや。期待外れもいいとこじゃん?」
「ほんとだよねー。新入生代表が聞いて呆れるわー」
真夏は完璧すぎるがゆえに、女子からの嫉妬を買いやすい。
ここはおれが言い返した方がいいか? おれは一歩前に出た。
だがおれがなにかを言い返すより早く、結衣が言葉を発した。
「ちょっとちょっとあんた! 情けないわねぇ! あんたたち人のことおちょくってそんなに楽しい!? だいたい真夏の得点、平均九十七点超えてるんですけど!? 充分すごい結果だし。あんたたち妬みのレベル低いんじゃないの? バカはどっち!?」
結衣が猛攻撃を仕掛ける。
これはおれが出る幕はなさそうだ。
言われた当人たちは、若干ビビっている。それだけ結衣が凶暴……いや、怖いってことだろう。
たしかに結衣は怒ると怖い。
嫁さんにしたら絶対に尻に敷いてくるタイプだ。
「それにしてもすごいですねいっちゃんさん。学年一位だなんて」
「中学の時、お前も一位取りまくってたんだろ?」
「……ふふ、そうですね。たしかに一位は取り慣れていたかも知れません。なので今回負けて、ものすごく悔しいです。次回こそは勝ってみせますよ」
「あはは。どんとこい」
おれは笑った。
真夏に勝てたんだな、おれ。
考えてみればすごいことだ。あの真夏に勝ったんだ。
「お二人さんあっつ! なんかカップルみたいに見えるよ!」
「か、カップルだなんてそんな! わ、私はただいっちゃんさんと会話していただけですよ」
慌てて否定する真夏。可愛い。
おれはちらりと、健太の顔を見た。
目が、合った。
数秒ほど見つめ合ったのち、健太はふっと表情を緩めた。そしておれの肩に腕を回して、頬をすり寄せてくる。ちょっと男にやられるときもいな。
「お前やるじゃんかよ! 一位なんて夢のまた夢だぜ! お前天才なんじゃねーの!? 学校中の噂になるかもな!?」
相変わらずの横暴さだった。
だが健太がいつも通りでよかったと思う。
「ほんとお前のおかげで赤点取らなくて済んだぜ! マジセンキュな!」と声を上げる。
多少の違和感はあるが、それでも健太は元気そうだ。
――だからおれは安心した。
「打ち上げ?」
おれは聞き返した。
「そうそう! みんなで打ち上げしようって!」
結衣がものすごい嬉しそうに言った。
「いや待て。一体なんの打ち上げだ? おれたちなんかイベントやったか?」
「やったじゃん! 中間テストを乗り切ったって言う、素晴らしいイベントが!」
それはイベントではない気がするぞ。って言うか、べつに中間テストは乗り切るモノじゃない。
だがあくまでもおれにとっては、か。
他の奴ら――とりわけ奏歌と健太にとっては、乗り越えるべき課題だったのかも知れない。
いけないな、おれのこういうところ。
自分は大したことないと思ってることでも、他の奴らにとってはたいへんなことなのかも知れないのだ。
自分本位過ぎるな、おれは。
反省だ。今度からはきちんと他人の立場になって考えるようにしよう。
いや元からやってはいるが、もうちょっと相手のことを考えられるようになろう。
「どこに行くんだ?」
「やっぱカラオケじゃねーの! 聞いて驚くなよ! おれこう見えてカラオケ超うまいんだぜ!」
「ヘェめっちゃ意外だね!? 健太が歌ってるところなんて想像……いやまぁつくけど! 湘南乃風とか歌ってそうだけど! それでも高得点出せるタイプには見えないなー」
「失礼な奴だぜ。まぁおれの歌声を聞けばわかるだろうけどな!」
健太は顔を真っ赤にしてふんぞり返る。
そんなにうまいのか。
是非聞いてみたいモノだと思う。前回はこのメンバーでカラオケに行くことなんてなかったしな。
いや、もしかしたらおれを除いて言っていたかも知れない。泣けるぜ。
「いいぞ。おれもみんなの歌声聞いてみたいし」
「わ、私は……え、えっと……」
真夏がおどおどと、どっちつかずの反応を見せる。
もしかしたらめちゃくちゃ歌が下手なのかも知れない。それはそれで聴いてみたい。
「……へへ、真夏~、一緒に行こうよ!」
「わ、私もですか……!? ひ、ひえ~」
なんちゅう反応だ。すごい可愛いけど、なんかいたたまれないものを感じる。
あの完璧美少女真夏が、カンペキじゃない姿を人にさらしている珍しい瞬間だ。
可愛い。ものすごく可愛い。結婚したい!
「隼人も歌うまいんだよねー」
「まぁね。けっこうカラオケとかよく行くし。他の女の子たちとかでね」
「うっわ。お前のその発言マジでいただけねーわ。いただき男子かお前? キモいぞ?」
「ちょっと健太? そういう言い方ダメだよ? 隼人だって、プレイボーイ気取りたい年頃なんだからね!」
「ちょっと待て! お前プレイボーイ気取ってただけなのか!? 本当はヤったことないのか!?」
「はーいちょっとダメダメあんたたち! 真夏が顔真っ赤にしてるから。そういう話題は男子だけでやって頂戴」
あはは。とみんなで笑い合う。
いやおれも若干驚いていた。隼人って自称プレイボーイなの?
もしかしたらおれが一番……いややめておこう。新たな亀裂を生みかねない。
それにおれの好きなのは真夏なのだ。今は、真夏しか見てない。
「それじゃ、みんなで今度カラオケだな。場所は駅前でいいか?」
「さんせー! いやー、楽しみになってきたなー!」
みんなでカラオケか。
そういや、おれはカラオケ何年ぶりだろう。
いや、意外と最近に行ったな。
おれはラノベ作家志望だったとき、たまに息抜きにカラオケに行っていた。
……かなりの頻度でだ。ほとんどひきこもり状態だったので、声を定期的に出す必要があったのだ。だからよくカラオケには行っていた。
うまいかどうかは……わからん。採点機能使ったことないからな。
それでもはやりの曲から、ロングヒット曲まで、幅広く歌っていた。
最近だと新しい学校のリーダーズとかYOASOBIとかな。ヨルシカもあいみょんもいけるぞ。
昔の曲は、相川七瀬とか松任谷由実とか、あとスピッツとか。
なんでもござれだ。おれは割と雑色系男子なのかも知れない。
もちろん恋愛においては草食系だけどな!
そしておれたちは今日、放課後を迎えたのだった――
カラオケルームにやって来た。
高校の友達同士でカラオケに来るなんて、なんか新鮮だな。
おれは嬉しくなって、ちょっとテンションが上がる。
だがそんな様子を周りに見せてはいけない。むしろクールに振る舞わなければならない。
おれはかっこいい男になる。そして女子ウケする男になるのだ。
だからこんなことでいちいち舞い上がってはいけないのである。
「よっしゃ、誰から歌うー?」
結衣がデンモクを持ってソワソワしている。
お前が一番早く歌いたがってるんじゃねぇの、とはあえて言わない。
みんなわかってるから。
「お前からでいいよ」
まぁ先頭バッターで緊張するモンな。逆に一番先に歌いたい人がいるのはありがたいかも知れない。
「じゃあ、私歌うね!」
もちろんデンモクに入っているのは二〇一四年までの曲である。
この時代ってどんな曲が流行ってたんだっけ?
EXILEとかか? いやそれいつも流行ってんな。
くそ。音楽についてももっと勉強しておくべきだった。二○二〇年以降の曲ばかり知りすぎている。二○一〇年代のおれ音楽に興味なさすぎだろ!
と思ったが、結衣が入れたのはスピッツだった。なんか安心した。これだけロングランしているアーティストなら、おれも耳に心地いい。
しかしいきなり『チェリー』を選曲していくとは。
結衣の歌声はふつうだった。美味くもなく、逆に下手でもない。
得点は八十五点。もしかしたら平均よりちょっと下かも知れない。まぁでも、いい歌声だった。聞いていて違和感とかはなかったな。
「ん~、ふつう!」
という結衣の感想。まぁそうだな。
「まぁ最初はそんなもんだろ。徐々に喉が慣れてくるってもんだ」
健太がまるで玄人みたいなことを言う。
まぁただ、言っていること自体は納得できる。
カラオケって、一曲目はあまりうまく歌えないんだよな。一人カラオケでもそうだ。
なぜか緊張する。逆に緊張しない人もいるんだろうが、多分だいたいの人は緊張すると思う。
喉が慣れていない、という健太の弁はものすごい正しいと思う。
慣れてくるとヒートアップするんだよな。
まぁ徐々に喉を慣らしていくとしよう。
「それじゃ、次は僕が歌おうかな」
隼人が立ち上がる。お前一人称急に僕にするなよ。お前は何様気取りだ。
曲は『三月九日』
隼人が歌い終えると、全員が拍手した。それくらいうまかった。
「うまいねー。マジで歌い慣れてるって感じがしたよー」
「ほんとだな。って言うかお前、男子にしては声高すぎないか?」
「あっはは。よく言われる」
得点は九十五点。すげぇな。
隼人の歌声は聞いていて、ものすごく感動した。
こりゃモテるだろう。高校生くらいの時だと、歌うまい奴って異常にモテるんだよな。なんで? べつに歌うまいの関係なくない? むしろ将来性とかで男見ようよ。
とか言いつつも、おれ二十四にもなってライトノベル作家目指してたんだった。
いやまぁ、ラノベ作家志望はけっこう幅広い年齢いるが、だいたいの人が他に職業を持っている。翻っておれは無職だった。いっそのこと転生したかったぜ……。
いやできたんだ。おれはこうやってタイプリープできたのだ。何の因果かは知らないが。
「次、誰歌う?」
「おう! んじゃ、次はおれが歌うぜ!」
健太の番だった。選んだのは予想通り湘南乃風だった。まぁこいつ好きだったもんな
全員で盛り上がる。濡れたまんまで……おっと、この先は著作権の問題があるので書けないが、ものすごい盛り上がった。
結衣なんかタンバリンならしてるくらいだった。ちょっと恥ずかしい……。
とかいう俺も合いの手なんか入れていたんだけどな。
隼人も手拍子で合わせていた。まるでみんな、子どもに戻ったかのようだった。
真夏も楽しそうに笑顔を振りまいていた。天使……。
「おぉ! 九十六点台! すごいね健太! やっぱ言うだけある!」
「へっへー。すげぇだろ! これがおれの実力だ!」
「や、やはり運動部の方は肺活量とかが違うのでしょうか。すごい力強い歌声でした……」
「はは、そうだね。けど健太はそのなかにもきちんと確実性があった。健太のくせに」
「なんだと! お前もういっぺん言ってみろこの日刊プレイボーイ!」
健太が隼人の肩をガクガクと揺さぶった。隼人はどこ吹く風とばかりに涼しげな笑顔を健太に向けていた。
「……はは、ンじゃ次はおれ歌おうかな」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私歌います!」
お?
おれがマイクを机の上から取ろうとした瞬間、真夏が割り込んできた。
「なんか意外だな。真夏が自分から歌おうとするなんて」
「い、いえ。杉崎さんのあとに歌えば、陰に隠れられるかなと……」
「あはは、そんな理由かー! でもばっちりみんな聞いてあげるからねー」
ニヤニヤと笑顔を浮かべる結衣。
真夏は「うぅ~~」と唸る。ちょっと可哀相だからやめてあげて!
「真夏が先に歌いたいのなら、譲るぞ」
「そ、そうですか? お譲りいただいてありがとうございます」
ものすごいバカていねいに返された。
まぁこれが真夏の性格なのだろう。もうとやかく言わない。
友達だからこそ、あえてその辺は突っ込まない。
「じゃ、じゃあ歌わせていただきますね」
おれは耳を疑った。まさか真夏がこの曲を歌うなんて予想だにしなかったから。
『潮騒のメモリー』である。某連続テレビ小説でアイドルの女の人(ざっくり)が歌ってた名曲である。
真夏の歌声は、お世辞にもうまいとは言えなかった。時々顔を真っ赤にして歌詞に詰まっていたし、歌詞でつっかえることもしばしばあった。めちゃくちゃ可愛い。SNSに投稿すれば、ざっと五百万いいねは貰えるくらいには可愛い。なにこの子天使なの? おれと結婚して! アァダメだダメだ。煩悩は抑え付けないといけない。
しかし、しかしだ。
真夏は片手を銃の形にして、サビで、バン、と見えない敵を打ち抜いた。そんなポーズあったっけ、と思ったがどうやら真夏のオリジナルポーズらしい。どう考えてもメロディーに合ってない。
ヤバいなにこれ。
おれは震えた。
見てはいけないものを見ているのかもしれない。
アァ神さま。やり直させて下さって本当にありがとうございます。
おれはきっとこれからも生きていける。明日が待ち遠しい。
真夏が歌い終えると、みんなから拍手が送られた。
部屋の温度が三度くらい上がっている。多分真夏が本気で熱くなったせいだろう。歌うのって相当にエネルギーが必要だからな。
採点は、六十三点だった。はぁ!? この機械壊れてんじゃねーの!? 今のが六十三点なんてありえねーだろばーかばーか!
ごほん。落ち着こう。おれは真夏の歌声を聞いてしまって冷静さを欠いている。クールに。そうクールに。おれはクールで大人かっこいい男だ。決して動揺を悟られてはいけない。
「なかなか個性的な歌い方だったな」
「っ! 褒めてないですよねっ! は、恥ずかしい……。もう二度と歌いません!」
「あーれー、すねちゃったの真夏ー。大丈夫だよ! バッチリ動画撮っておいたから!」
「そのかわいさは女の子として反則だよ……。って言うかなに顔赤らめてんのさ男子三人……」
「あぁいや……」「お、おう……いやすごかった。マジで」
隼人と健太がしどろもどろになって答えた。
ってマジ!? おれまで顔赤くなっているってバレた!? そんな!
暗い部屋なはずなのによく奏歌は顔色なんてわかるものだ。
けどまぁたしかに、ちょっと興奮した。
可愛い子の可愛い姿を見るのって、いや、なんというか、最高だよな。
「つ、次はいっちゃんだよ! ほらマイクマイク!」
おれにマイクを押しつけてくる奏歌。
なるほど。ついにおれの番が来てしまったというわけか。
仕方ないな。
おれはさほど歌が得意な方ではない。ユーチューブとかでカラオケ動画上げてる奴とか見ると、『アァこういう人ってマジで陽キャなんだな。おれとは無縁だ』と思うばかりであった。
おれは一人でカラオケに行くことはあった。だが誰かとカラオケに行ったことはない。
歌声が、おれの歌声が通用するだろうか?
緊張の一瞬だ。
おれは震える手でデンモクを操作して、ファンキーモンキーベイビーズの『旅立ち』を入れた。
「おぉファンモンだ! いっちゃんにしては意外!?」
奏歌が大はしゃぎしている。
そうか? おれがファンモン歌うのってそんなに意外か?
ちなみにおれがなぜファンモンを選んだかというと、おれが中学三年生の時よく聞いていたからだ。受験シーズンは本当にお世話になった。
流行りと言えば、まぁ流行りだろう。
おれは歌い始める。
するとどうだろう。
おれの歌声が通用するのか。緊張の一瞬だった。
だがおれが歌い始めた瞬間、周囲から「おぉ……」という声が上がった。
え? なに? おれの歌声ってそんなに変?
もしかしたらおれの一人カラオケは自己満足だったのかも知れなあい。そりゃ、自分でも調子乗って、『あ、おれめっちゃ歌うまいな』って錯覚するときもあった。
だがいざこうやって歌ってみると、めちゃくちゃ恥ずかしい。
だが恥ずかしがっているところも見せてはいけない。彼らには常におれの完璧な姿を見せたい。
特に真夏には失望されたくない。
おれは真剣に歌った。メロディーが流れ、映像が切り替わる。
全員が画面ではなくおれの方に注目していることに気がついた。やめてくれお前ら! めっちゃ恥ずかしい。
おれは必死に動揺を悟られまいと、歌を頑張って歌った。
下手かも知れない。もしかしたら音を外しているかも知れない。
おれは歌い終えると、冷や汗がうなじを伝うのをたしかに感じた。いやな汗だ。もしかしたらこいつらになにか言われて、もう二度と歌えない体になってしまうかも知れない。トラウマはぬぐいきるまでにものすごく時間が掛かるからな。
ところがどっこい。
おれが予想した反応とはまったく違う反応が返ってきた。
「いっちゃんめっちゃ歌うまかね!」
奏歌が大声を上げる。なんか方言が出てきた。多分実家とかの方言かな?
っていうか、なんだって!? おれが歌うまいだと!? いやそんなまさか。
「いっちゃんさん、なんかもう特技多過ぎじゃないでしょうか?」
真夏が言ってくる。これ褒められてるんだよな。
そんなにうまかったか?
「マジ、で、すごかった! 動画撮るの忘れるくらいにうまかった!」
結衣が言った。そ、そうか? う、嬉しいな……あはは!
「とりあえず得点を見てみようよ」
隼人が言った。
健太だけは、驚いた目を向けていたがなにも言わなかった。
画面に採点映像が流れ、ゆっくりとその画面が切り替わる。
おれの心臓がバクバク高鳴っていた。
キーンと耳鳴りがする。
思えばおれは採点機能なんて使ったことなかった。
今、おれの歌声が点数化される。
や、やべーな。手足がソワソワしてきた。点数見るのやめていいか?
おれがそう思った瞬間、無情にも点数が表示された。
「九十九点!? は、はぁ!?」
おれが一番驚いた。
何だこの数字は!?
おれは今までこんな数字見たことがない!
いや、テストの点数では見たことがある……いやねぇよ! そんなギリギリな点数は取らない。百点は取ったことあるが、九十九点はない。
マジか……!
マジかよ!
「お、おれが……九十九点……!?」
「歌った本人が一番驚いてるね。もしかして採点したの初めて?」
「は、初めてだ……。マジか……」
「い、いっちゃんヤバいって! これ天才だって! ふつうに歌手デビューできるレベルだよ!」
奏歌は身を乗り出していった。そうか? さすがにカラオケと歌手は別物だと思うぞ。
「ほ、本当にすごいです……」
おれは真夏からも褒められた。ありがとな。おれは素直に受け止めておくことにした。
健太はおれの顔を見て、しばし黙ったあと、絞り出すように言った。
「お、おう……マジですげぇよ……。お前天才じゃないの?」
奏歌がそこにすかさず乗っかるように言った。
「天才! だよねだよね! あれー? そういえば自分カラオケうまいから、とか言ってたの誰だっけ?」
「る……るっせぇよ。ま、まぁ本番はこれからだぜ。よーっし、今度はいっちゃんカラオケ点数勝負しようぜ!」
「お、おう……! 望むところだ!」
おれはうなずいた。
…………………………いやまずいなこの状況。
おれは少し、冷静になった。
奏歌は今、健太をいじった。おれの点数より、健太の点数が低かったことについてからかった。
奏歌としては無意識なんだろうが、健太は今の言葉で多分傷をつけられた。柔らかい部分に、プスッと針を刺すようなものだ。
何度も言うが、あぁ見えて健太は繊細な男だ。仲間思いで友達が傷付けられたらすぐにそいつのためにキレる。
だが同時に、自分になにか不都合が起きたときに、徹底的に自分を責めてしまう。
困ったな。
健太は悪い奴じゃない。
いい奴だ。
だが自分を傷付ける性格だ。本当にそんな性格と言える。自信があるときはあるのだが、なくなるときは本当になくなる。
……よし。
おれは少し、気分が落ち着いた。
健太からカラオケバトルを申し込まれたが、おれはここからは少しばかり手加減しよう。わざと音程を外したりして、得点を調整する。
おれは覚悟の決まった表情で、健太を見た。健太はとなりの奏歌と、何やら談笑している。
よし。今のところ問題が起きる気配はなさそうだ。
おれがうまくやれば、健太が傷つくこともないだろう。
そのとき、ちらりとおれの視界に隼人が映った。
若干おれの方を見て、眉をひそめているような気がした。
――よけいなことはやめておけ
おれは隼人がそのようなメッセージを送ってきていることに、ついぞ気づかなかった――
おれと健太のカラオケバトルは、健太の勝利に終わった。
四対二で健太の勝利だ。
もちろん選曲もバラバラだったが、各々の得意曲で勝負した。
言うまでもなくおれは手加減した。自分がこんなにもカラオケの機械に合っていると思っていなかったから、あえて音程を外したりした。
健太がそれに気がついた様子はなかったが、明らかに隼人は気づいていた。
ちらちらとおれの方を見ては、眉をひそめたりしていた。
悪いな隼人。
だがこうするしかないんだ。
健太をあまり刺激せずに場をやり過ごす方法はこれしかない。
だからおれはこの選択をした。
カラオケが終わったあと、健太がずかずかとおれに近付いてきて、肩を組んだ。
「僅差だったな! またやろうぜいつき!」
……ふぅ、とおれは一安心する。
どうやら健太は、おれがわざと負けたことに気がついてないらしい。
「そうかな~、健太の歌声もすごかったけど、いっちゃんの方が心に響いた感じがした!」
こらよけいなことを言うんじゃない結衣。
だが結衣の言っていることは本心らしかった。それに健太も怒る素振りはせず、むしろニッと笑ってみせた。
「んまぁ、たしかにな。いっちゃんの歌がうまいのは正直驚いたぜ。なんか歌のレッスンとか受けてたのか?」
歌のレッスン。そんなモノ受けてない。
っていうか、『歌のレッスン』って……。
なんか小学生みたいだぞ。
「ちょっ! 健太やめてよ! う、歌のレッスン……!」
どうやら結衣もツボったらしい。健太の口から『歌のレッスン』という言葉が出てきたことが、あまりにも面白かったようだ。
「そ、そうか……? 歌のレッスンって言う言い方がそんなに変だったか?」
「も~、変じゃないけど……! 健太が言うとちょっと面白かった。でも健太が聞きたいことはわかるよ。いっちゃん歌の先生とかから教わってたりしたの?」
「べつに。ただ一人カラオケとか割と行くからな。そこでうまくなったんだと思う」
おれはできるだけぼろが出ないような言い方をした。
「へ~、一人カラオケかー。いっちゃんめっちゃ大人だねっ!」
奏歌が手を叩き、目を輝かせて言う。
そうか? べつに一人カラオケくらい今時中学生でも行くのでは……?
と思ったが、今は二○一四年だった。
おれがやってきた令和の時代では、一人居酒屋とか、一人カラオケとかふつうに行われていた。
だが平成後期では割と価値観が違うのかも知れない。
そうか。おれはうっかりしていた。一人カラオケって言葉も、まだ浸透していないのか。
「まぁな。べつに本気でやってるってわけじゃない。適当に、自分が歌いたいように歌ってるだけだ」
「へ、へぇ……。本気じゃなかったんだー。す、すごすぎないいっちゃん? もう歌手でも目指しなよ……」
奏歌が若干引いたように言った。
ちょっと、やらかしたか?
『遊び』だなんて言い方は失敗だったかも知れない。
だが誰も彼も、おれを誉め称えてくれた。「いっちゃんほんとすごいね!」とか「いっちゃんさんは歌手を目指すべきです! 絶対に!」とか言う声も上がっている。
これで……よかったのか? 本当に?
おれは少しばかりそんなことを考えた。だがこのときのおれは、どうしても褒められているという喜びに浸っていたいと思ってしまったんだ。
なにせ人生でこれだけなにかを褒められたことはなかったから。
――いい気になっていたんだと思う。
「じゃあ、二次会にファミレスでも行くか?」
おれは笑顔で提案した。してしまった。
奏歌の顔がぱっと明るくなる。
「いいねー、行こう行こう!」
結衣が朗らかに肯定する。
「ここら辺だと、サイゼリヤが近いかな?」
隼人が提案する。
「わ、私ファミレスってあまり言ったことがないのですが」
真夏がおずおずと言った。
そして最後に残った健太に向かって、視線が集まった。
「健太ー、どうする? みんなファミレス行くって言ってるけど?」
結衣が健太の顔を覗き込むようにして聞いた。
そして健太は、ゆっくりと口を開いた。
笑顔だった。だからおれは、おれの提案を健太が飲み込んでくれることを期待したのだ。
「――わりぃな。ちょっち予定あって。おれ帰るわ」
そう言って健太が振り返り、おれたちに背を向け去って行ってしまう。
ちょっと待て。おれはそう言おうとした。
だが、おれにそんなことを言う権利があるのだろうか?
なぜなら健太は今ここで、自分の都合を明かした。
――予定があるから帰りたい。
その言葉は、二次会を断るのにもっともな理由だと思ったから。
友達が二次会に来たくないのに、おれが強引に引き留めていい理由など、あるわけがない。
来たくないのなら、しょうがないのではないか?
いくら友達だからと言って、やっぱり踏み込んでいいところと、踏み込んではいけないところはあると思う。
いや、考えすぎか?
おれが今ここで、『え~なんでだよ~、健太もこいよ』なんて冗談めかして言って引き留めた方がいいのか?
しかしそれだと、健太をますます追い詰めることにならないか?
くそ。
おれはどうしようもなくヘタレだ。ここに来て、いなくなってしまう友達を引き留めることもできない。
いいや正確に言えば、引き留めていいのかどうかすらもわからない。
健太の背中が去って行く。
おれはその背中を、ついに引き留めることはできなかった。
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