中間テスト 2
「勉強会?」
おれは聞き返した。教室。休み時間のことである。
「あぁ。奏歌と健太が特にヤバいらしくて、どうせなら勉強わかる奴が教えた方がいいんじゃないかって、結衣からの提案だ」
おれは隼人の言葉に、なるほどな、とうなずいた。
勉強会か。前世ではやったことがない。やってくれる友達がいなかったので……
おれは多分教える側に回るだろうな。
奏歌と健太の学力が低いことは十分承知している。教室の後ろの黒板に、赤点リストとしていつも載っていた。
どうやら二人は、それを回避したいらしい。
「ちなみにいっちゃんは勉強できるのかい?」
「まぁな。それなりには」
入試では中の中だったが、今テストを受けたら上の上は取れる。
所詮は高校一年生の問題だ。まだつまずく時期じゃない。
……なんてことを奏歌と健太に言ったら怒られるだろうな。くわばらくわばら。
「誰が勉強できるんだ? うちのグループでは?」
おれは聞いた。
「いっちゃんと、真夏……それからおれかな」
隼人は答えた。つまりおれ、真夏、隼人は学力高い勢ってことか。
教師三人いれば、それなりに回るだろう。
「結衣は勉強できないのか?」
「ん~、どうだろうねー。正直頭いいってレベルじゃないかな。苦手なのと、得意なの半々って感じ」
結衣が答えた。本人の自己申告なので信憑性が高い。
「私も教える側はやったことがないので、ちょっと新鮮です。ところで勉強会はどこでやるんですか?」
「そーだなー。どこがいい? ファミレスとか? それとも誰かの家?」
「あー、家もアリだな。けどご家族に迷惑が掛かるから、できればファミレスとかの方がいいと思う」
「あっ! そしたらさ! うちのカフェとかどうよ!」
「おういいなそれ! うちのカフェ使っちまおう! あの店長けっこう気さくな人だしな」
おれは結衣の提案に乗った。
うちのカフェはけっこう学生にも使いやすい場所で、勉強してる高校生とか大学生とかけっこういる。
「そういえばお二人は同じカフェでバイトしているんですよね」
「そーそー。いっちゃんすごい仕事できるんだから!」
「ふふ。いつきさんはさすがですね」
お。おう……。いつきさんなんて呼ばれ方初めてされた。ちょっと新鮮すぎてドキッときた。
「でも、いつきさん家遠いのではないでしったっけ?」
「あぁ、まぁそうだな。土日はできるだけ入れてもらわないようにしている。学校おわりにバイトして、そのまま電車に乗って帰るって形だな」
「すばらしいですね。学校おわりにバイトなんて。私は家が厳しいので、アルバイトは大学生になるまで禁止なのです」
「そうなのか。真夏の家、厳しいのか?」
「はい。家に帰るときも門限があるくらいですからね」
初めて知ったぞ。これは前回では知らなかった事実だ。
いや、真夏の家が厳しいのはなんとなく想像がついた。なんせ彼女の父親は大企業の社長らしい。
つまり真夏は社長令嬢なのだ。
なるほどな。まぁそれなら、門限があっても不思議じゃない。
けど大学生になったらアルバイトしていいのか。社長令嬢がどんなアルバイトするのか、ちょっと気になるな。
「ちなみにそのカフェの看板メニューって何なのですか?」
「ウインナーコーヒーとか、あとはオムライスかな。ミルクティーも推してて、最近だとインスタ映えするクリームソーダとかかな」
「結衣さん。それは看板多過ぎではないですか?」
あははは、と笑い合う。たしかにそうだな。看板だらけで、まるでドーム球場だ(意味わからん)。
ちなみにこの場に奏歌と健太はいない。部活動ミーティングだそうだ。
そういやあったなお昼の部活動ミーティング。
なにが悲しくてお昼休みにまで先輩の顔見なくちゃいけないんだ。まったく、いやになっちゃう。
先輩マジで怖かったんだよな。それでサボると、マジギレする。もう二度とあんな目はごめんだ。頑張れ奏歌、健太。
「へぇ……行ってみたいなぁ……どんなお店なんだろう」
「じゃあ決定でいい? うちの店で勉強会。あーそうだなー、私たちのシフトがない日がいいよね。ね、いっちゃん?」
「そうだな。おれは木曜日あいてるが、結衣はあいてるか?」
「来週の木曜日? あいてるあいてる! いいよ! ンじゃこの日にしよう! 真夏と隼人も大丈夫?」
「おっけー」「いけます」
「とりあえず奏歌と健太にも伝えとくか。グループラインに予定乗っけておくぞ。ちなみに何時集合にする?」
「うーん、健太と奏歌が部活終わったあとがいいから、十九時くらいが無難かなぁ」
「そうですね。もしお二人が遅刻されるようなら、私たちだけで始めてしまっても良いですし」
「よしっ、んじゃあ十九時で決定な。これで予定乗っけるぞ」
三人からの肯定の声が上がり、おれはラインで他の二人に予定を伝えた。
そして木曜日がやって来た。
おれは前世で勉強会なるものをしたことがない。
だから少しばかり緊張していた。
いや、正直に言うとかなり緊張していた。
「おっすー、いやー学校の友達連れてくるとは思わなかったよー! ゆっくりしてきな!」
高梨先輩が優しい笑顔でこちらにグーサインを送ってくる。
この人めちゃくちゃいい先輩だよな……。
おれが真夏に出会っていなかったらこの人に惚れていたかも知れない。
きっと彼氏がいるのだろう。
なぜかショックだった。おれが好きなのは真夏なのに、高梨先輩に彼氏がいるところを想像するとめちゃくちゃショックだ。
まぁそれが男という生き物なのだろう。
健太と奏歌は時間通りに到着することができたようだ。
まぁこのカフェ、学校から近いからな。
「ひー、めっちゃつかれたー。勉強の前にコーヒー頼んでいいか?」
健太が言う。それに答えたのは隼人だった。
「そうだね。せっかくだから、みんなでなにか頼もうか」
夕食も兼ねて……という感じだ。
なので各々、飲み物と料理を注文していく。ちなみに全員オムライスを頼んだ。キノコ、スタンダード、チーズ、チキンなど菜はあるが、みんなオムライスだ。
まぁ夕食に選ぶのならばオムライスだろう。
「おいしい! うちの店の料理初めて食べた!」
結衣の感想。たしかにな。店の料理ってあんまり食べないからな。
「ほんとだな。おれの作ってるのと、味がちょっと違う。おいしい……。おれも見習わんとな」
「へっへー! すごいっしょ! それアタシが作ったんだよね~」
高梨先輩が腕組みこちらにやって来た。
高梨先輩は色々できる。ホールもできるし、キッチンもできる。
なんて完璧な人なんだろうか。
眩しすぎて火傷してしまいそうだ。
「このウィンナーコーヒーうんめぇな!」
そうだな。うちのコーヒーは本当にうまい。おれもたまに飲ませてもらうことがある。
「あまりシュガー入れすぎるなよ。血糖値上がって眠くなるからな」
健太に向かって、隼人がアドバイス。まったくその通りだ。
「食べてばかりだとあれなので、早めに勉強会を開始しましょうか」
真夏が言った。そうだったな。真夏の家は門限がある。
だから勉強会をさっさと始めなければ。
飯だけ食って勉強会終了となったら、さすがに何のために集まったんだよって感じだよな。
「ごゆっくり~」
高梨先輩が去って行った。混ざりたそうな感じはなかった。あの先輩だいぶ大人だからな。 マジかっこいい。尊敬。
「それじゃあ始めようか」
隼人の宣言で、勉強会が開始した。
「はへー、いっちゃんの説明超分かりやすい」
「そうか?」
「うん! なんか家庭教師のバイトとかしてたの?」
ただいま奏歌に世界史を教えている最中だ。
世界史なんて、エピソードをしっかり語っているだけでそれなりの勉強になると思うんだがな。
どうやらそういう勉強の仕方が苦手なタイプらしいな、奏歌は。
「えーっと、アンティゴノス朝がマケドニアで、セレウコス朝が……シリア?」
そうだ。まぁでも、おれは実はテスト内容を知っているからわかるのだが、国名だけ書けば正解である。
つまり『マケドニア』とか『シリア』とか書けば正解なのだ。
アンティゴノス朝とかセレウコス朝とか、あんま覚える意味がない。
「うっわー、これイケるかな?」
「とりあえずお前は赤点回避を目標にしろ」
「そうだねー。赤点取ったら、先輩にめっちゃ怒られるらしいし」
女子野球部は特に厳しいモンな。
先輩だけじゃなく、顧問からもひどい叱責を受けるそうだ。
それを今回では回避したい。
「健太の方は平気か?」
おれはストローを吸いながらこちらを眺めていた健太になんとなく質問した。
健太は不意を突かれたように「お、おう……」と答え「まぁ平気だ」と言った。
いや平気じゃないだろう。お前が一番あぶないんだ。
「わからない問題とかあるか?」
「数学なんだけどよ。二重根号の外し方? ってのがわからなくて」
「あぁ、それなら簡単だ。これをこうやって――」
おれは二重根号の外し方について、教科書よりもていねいに説明していく。
「お、おおおお! お前すげーな! こんな簡単だったのか!」
「そうだ。意外と二年生からの問題でも使うから、今のうちにマスターしといた方が楽だ」
数学って基礎の積み重ねが大事って言うか、基礎を忘れると一気に解けない問題とか増えるからな。
最初でつまづくと、のちのち痛い目を見る。
「二年生……? もしかしてお前、二年の問題にも手をつけてるのか?」
しまった!
おれはついやらかしてしまった。
なぜ二年生の問題をおれが知っているんだという問題が発生してしまった。
たしかにおかしいよな。おれはまだ一年生だ。
「し、知り合いの先輩から聞いたんだよ……」
おれはコナンくんばりの無茶全開な言い訳をする。
しかしこの言い訳は、案外健太には通用したらしい。
お前が鈍くて助かったよ……
「そうか……お前そんな知り合い多いのか……ほんとすげぇな」
そんなに褒められたことか?
まぁ実際、知り合いの先輩なんかいやしない。
だがまぁ、いてもおかしくないと思われていると言うことだろう。
「ねぇいっちゃん、これ! 覚えられないんだけど……。ローマ時代の五賢帝」
「それは暗記するしかない。おれに聞いたってむりだ」
「そっかー。何日語呂合わせとかない?」
「語呂合わせか……いやないな。すまん。おれが知ってる範囲ではない」
五賢帝の名前は自力で覚えた。
受験の時はセンター試験のみ世界史を取っていたので、フィーリングでいけたのだが、学校の定期テストとなるとそうもいかない。
この部分はおれも覚え直さないといけないところだな。
「ネルヴァ……トラヤヌス……………………トラヤのヨーカン……」
ローマにそんなモノはないぞ。
おれは突っ込みたかったが、きっと奏歌は部活で疲れているのだろう。
眠い時って、わけのわからないことを考えてしまうモノだしな。
「よっし! 今日はおわりにしよっか!」
隼人が言った。こいつの場を仕切る能力は天性のものがあるな。
「今回だけでだいぶ進歩したんじゃないか? なぁ奏歌、健太」
「おう! ばっちりだぜ! へへっ、なんかわからないものがわかるようになると、途端に勉強って楽しくなるんだな!」
白い歯を輝かせる健太。なにその白い歯おれにも頂戴よ……。
しかし勉強の良さがわかったのはいいことだ。
あれだよな、わからないところあるなら聞きにこいって言ってくる先生に限って、『んなもん自分で考えろ』とか言い出すんだよな。
この給料泥棒……。はっきり言って税金の無駄遣いだと思う。
おれたちはひとまず帰り支度をし、お金を払って店を出た。
「ふひー、めっちゃ勉強した! こんなに勉強したの生まれた初めてだよー」
奏歌が伸びをしながら、帰り道にそう言った。
といっても二時間半くらいしかやってないけどな。
こんなに勉強したのが初めてなら、今までどんな勉強してきたのだろうか。
おれにはよくわからない。
たとえめちゃくちゃ勉強したって、わからないことなどたくさんあるのだ。
学校では教えてくれない。恋愛も、友達の作り方も。
自分で探り探りやっていくしかないのだ。
そしておれはそれが苦手だった。
星がきれいな夜だ。
おれたちは帰り道を、噛みしめるように、一歩一歩踏みしめて歩く。
「お前、好きな奴とかいんの?」
唐突に健太が聞いてきた。
いきなりなにを聞いてるんだお前は。
修学旅行じゃないんだぞ。しかもすぐそばに女子がいるし。
おれはチラッと、女子の方を見る。
すると奏歌がこちらをちらちら眺めてきていることに気がつく。
なんだ?
もしかしておれの好きな奴に興味があるのか?
どっちにしろ、おれは好きな人をばらすのは恥ずかしいのではぐらかすことにした。
「さぁな。まだわからん」
嘘だ。
おれは本当は真夏のことが好きだ。
ずっと目で追ってしまうほどに好きだった。陽キャグループから離れても、おれは教室の陰からずっと彼女のことを見ていた。
今思い返しても、あのときのおれは気持ち悪かった。
今のおれはどうなんだろうか。
少なくとも、気持ち悪いとは思われていないとは思う。
真夏のことを目で追っていても、それはグループメンバーだから、という理由がつけられる。
真夏のことが好きとか抜きに、純粋に真夏のことが気に掛かっているから、目で追う。それは友達として至極真っ当なことのように思える。
「そういうお前はどうなんだ」
おれは健太に聞いた。今は男子三人が集まって喋っているが、隼人はこの会話に参加する気はないみたいだ。遠くで、おれたちの会話を見守っている。
「教えねぇよ。お前が教えてくれねぇんならな」
「……おれはべつに教える気がなくて教えないんじゃないぞ」
「わかってる。だけど、わりぃ、やっぱ恥ずかしくて言えねぇ」
なにを女々しいことを言っているんだこの男は、と思ったが、おれも自分の好きな子の名前を言えなかった。
恥ずかしい気持ちは、少なくとも健太もおれも同じなのだ。
駅まで到着して、解散という流れになった。
「んじゃねー! ばいばい!」
「おう! ンじゃな奏歌! 真夏も結衣も、元気でなー!」
おれたちは手を振って彼女達を見送った。
「じゃあ悪い。おれも帰るな」
そう言って健太も、別方向に向かって帰って行ってしまった。
さてと。
おれも電車に乗るか。
そう思っておれは隼人に挨拶しようとしたところ、隼人は「待って」と言った。
「なんだ?」
「少しだけ話がある」
まるでこのタイミングを狙っていたかのようなセリフだった。
おれは気がつく。
いつもの隼人なら、飄々とした表情を浮かべているはずだ。
それがなぜか、今日だけは暗い影を落としているように見えた。
陰のある男、たしかにそういえば聞こえはいいが、隼人は何か本格的に悩んでいることがあるように思えた。
「悩みか?」おれはストレートに聞いた。
隼人は首を横に振った。
「少なくともおれ自身の悩みじゃないよ。ただ、おれたちのグループについて、少し思うところがあるんだ」
おれはさぁっと、血の気が引いたのを感じた。
――おれが気づかないところで、なにか起こっているというのだろうか
隼人は人間をよく見ている。色々なところに気がつく。
人間関係に亀裂が入りかけたとき、いち早く気がつくのは多分こいつだろう。
だからこそ、健太がこんな思い詰めた表情を浮かべることに、おれは恐怖した。
真っ黒く塗りつぶされた青春時代を過ごしてきた。過去のおれは、周りすべてが眩しく見えた。
そして今、おれは青春生活をものすごく楽しんでいる。
その陰で、こんな悲しげな表情を浮かべる奴がいる。
「ちょっときてくれるか?」
徐々に、徐々に、よくないできごとへの入り口が開かれているような気がした。
おれが目指した黄金色の青春。
だがそんな楽園のような場所を得るためには、おれには大きすぎるほどの試練が待ちわびていることなど、このときのおれは知る由もなかった。
やって来たのは駅の裏手だった。
人の往来は少なく、二人きりで話すにはちょうどいいかもしれない。
「気づいたか?」
「気づいたか、ってなにがだ?」
隼人はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「健太のことだよ」
「健太?」
「そうだ。健太はおそらく、奏歌のことが好きだ」
は?
おれは口をあんぐりと開けてしまう。
だって、え? あの健太が?
奏歌のことが好き?
え?
おれは混乱を隠せない。
そんな素振り一回も見せなかったぞ?
おれが驚いていると、隼人はぷっと吹き出した。
「やっぱり気がついてなかったんだね」
「気づくもなにも、それは本当か?」
「本当さ。健太は勉強の途中、ずっとお前のことを見てたよ」
……?
意味がわからない。
それじゃあ健太が好きなのはおれってことになるんじゃないか?
「健太がおれの方を見ていたのは、なんとなく気づいてた。だけどそれが奏歌のことが好きってことと、どう繋がるんだ?」
「……。なかなかにお前は鈍いんだな」
おれはちょっと呆れられてしまった。
そりゃ隼人に比べれば、おれは遥かに鈍いだろう。
お前それ誰が気づくんだよ、って言う人間関係で生じたささいな問題に気がついてしまうのが隼人だ。
おれは鈍い。昔からそうだ。
人の感情に疎いのだ。
誰が、なにを考えているのか、なんとなくはわかるが、なんとなく以上のことはわからない。
人間観察が趣味だ、なんて偉そうに前世では言っていたが実際はなにも気づけていない。
「悪い。一体全体なんのことだか」
「そうだな、健太がお前のことを見ていたのは、奏歌がお前に勉強を教わっているときだった」
……………………そうか。
なるほどわかった。これならおれでもわかる。
「つまり健太は、奏歌に勉強を教えるおれが羨ましかった、ってことか?」
「正確に言うなら、奏歌の感情がお前に向いていることに嫉妬した、だろうな」
「……」
おれは沈黙する。沈黙以外の答えを返せなかった。
奏歌の感情がおれに向く。つまり奏歌がおれのことを好きになりかけるのを、健太は恐れた。
それはつまり、健太は奏歌のことが好きと言うことだ。
なるほど全部繋がった。
「おれは好かれるようなことしてないぞ」
「……はぁ、お前は本当に鈍いな。じゃあ反対に聞くけど、そこまで鈍いお前が、狙って他の女の子を好きにさせることができるのか?」
……正論だな。言い返せない。
「おれのささいな行動が、奏歌を好きになりかけさせている、ってことか?」
「うーん、この際はっきり言うけど、奏歌もお前のことが好きだと思うよ」
「――なっ」
おれは驚く。
あの奏歌がか?
いかにも男と遊んでそうなあの奏歌がか?
信じられない。って言うかそんなのあり得ないだろう。こんな中身陰キャ野郎を好きになるような女の子じゃない。
「心当たりがあるとすれば、そうだな、今日の勉強会でお前がものすごく頭のいいところを見せつけたところと、この前の野球かな。バッターである健太を三振に取っただろう? あの瞬間、奏歌の目が輝いてたよ」
どう、だったか……。
おれはあまり覚えていない。
なんせあの瞬間おれの視界に入ったのは、真夏の顔だけだったからだ。
彼女はおれのことを尊敬の目で見ていた。
けれど、奏歌のことを、おれは見ていなかった。
「気づいてない?」
「気づいてなかった。悪い」
「謝るな。人の好意なんて、意外と自分じゃ気づけないモノさ」
「そういう……もんなのか」
おれは複雑な心境だった。
好意を寄せられること自体に、おれは慣れていない。
前世でおれのことを好きと言ってくれた人はいるが、それは何というか、おれが大学のコミュニティ内で面白い奴を演じてるからだった。
今のおれは、そのときのおれとは違う。
だから、好意の意味も変わってくる。
奏歌は、どんなおれを好きになってくれたんだ?
高校デビューしたおれ?
それとも野球がうまいおれ?
勉強ができるおれ?
もしかしたら全部ひっくるめて、おれのことが好きな原因になってるのかも知れない。
案外好きな人のいいところって、あげれば切りがないからな。複合してその人を『好き』になる。それはおれにも経験があるからわかることだ。
だが、間違っちゃいけない。
おれが好きなのは真夏であって、奏歌…………………………じゃない。
いやほんとうにそうなのか?
おれはもし奏歌に告白されたとして、断れるだけの覚悟があるのか?
こちとら恋愛経験が少ない身だ。もしかしたら、成り行きでオッケー、してしまうかもしれない。
……………………くっ。
おれはそんなどっちつかずの感情に、また罪悪感を抱いた。こんな煮え切らない態度で本当にこの先やっていけるのか?
もっといえば、恋愛と、友情は同じグループ内で成立するんだろうか?
おれにはわからない。未知なことが多すぎて、本当にわからない。
「……悪い。頭痛くなってきた」
「はは。まぁ慣れてないんだろう」
隼人は苦笑した。たしかにこの男なら、女性を切り捨てるのになれているのかも知れない。
「帰るな」
「ん、じゃあ気を付けてな」
おれは電車の中でもひたすら考え続けた。
頭の中では、奏歌と、真夏が微笑んでいた。
神塚駅まで到着した。
最寄り駅だ。あとここから十五分ほど歩けば我が家に到着する。
駅のホームに降りる。
すると、おれが乗ってきた縦須賀線からある女の子が降りてくるのが見えた。
――沙希だ。野球部のバッグを持っている。
こんな時間に?
女子野球部の活動はもうとっくに終わってるはずだ。ってことは、もしかしたら友達とどこかに行っていたのかも知れない。
まぁいい。おれはとりあえず喋りかけることにした。
「沙希」
「あら。ごきげんよう」
ゴシックドレスでもまとっていればそれなりに絵になりそうな光景だった。
駅のホームでやるような会話じゃないな。
「練習つかれたか?」
おれは聞いた。べつに沙希のことを気遣ったからではなく、会話が滞るのが怖かっただけだ。
おれは昔からッコミュ障だ。きっと、治らないのだろう。上っ面だけを取り繕えるようになっても、本質部分は変わらない。
人間って言うのは、そういう残酷な生き物なんだと思う。
「そうね。つかれたわ。何か甘い物が食べたい」
「アイスでも奢ろうか」
「いいの?」
「……あぁ。久しぶりにお前とじっくり話したい気分だ」
おれたちはそれから改札を出て、コンビニに寄った。
帰り道にある公園まで行って、ブランコに座る。
夜のムシが忙しなく鳴いていた。羽虫も飛んでいるが、おれたちの方にはよってこない。
街灯がある方へと吸い寄せられて、ブランコの方はほぼ真っ暗だ。
顔が見えないくらいがちょうどいい。特に、こんな悩ましい夜は。
「あなたの顔の方が疲れているように見えるわよ? なにかあった?」
「……んまぁ、ちょっと勉強会をやってな」
「あら。じゃあクラスのお友達とはうまくいっているのね。それは幼なじみとして嬉しい限りだわ」
「……そうか。お前もおれのことが心配でしょうがなかったのか?」
「ば、ばかおっしゃい。心配なんてするわけないでしょう? って言うかあなたの心配なんてして、一体なんの特があるというの?」
ひどい言われようだった。せめてもうちょっとオブラートに包んでくれませんかね?
「お前、誰かから告られたことはあるか?」
おれは、ちょっとこの質問はずるいな、と思った。
なんせまだおれは奏歌に告白されたわけじゃないのだ。
あくまでも隼人の推測でしかない。
そんな推測の上に成り立つ質問を、おれは幼なじみに向けている。
また、ちらりと奏歌に対して罪悪感が湧いた。
「あなた、もしかして告白されたの?」
「バカ違う。だが、人から好かれるって、どんな感じだ?」
「……はぁ。あなたからまさか恋愛相談を受けるとは思ってもみなかったわ」
そう言って沙希はチョコモナカの袋を開けた。ちなみにおれはバニラモナカ。
「……んっ、うまっ。まぁ少なくとも嬉しいという感情はあるわ。ただ断るときの罪悪感は、やっぱすごいわね」
そりゃそうだろうよ。
「ただひとつ言えるのは、好きな人からは絶対に告られないってことね」
「お前好きな人いるのか?」
「杉崎隼人」
おれはぶはっと、モナカを噴き出してしまった。
なんだって?
「だ、だから杉崎隼人よ。あなたのお友達の!」
びっくりした。まさかさっきまで喋っていた男の名前を出されるとは思ってもみなかったからな。
そうなのか。沙希は隼人のことが好きだったのか。
なんかちょっと意外……でもないか。隼人を好きな女子は学校にたくさんいると聞く。そのうちの一人が沙希、と考えると、案外付き合ったらお似合いな二人かも知れない。
だがどうだろう。
隼人は沙希に告白するだろうか。
しないだろうな。あくまでも現状は、だが。
「あなた、さっきから私のことばかり聞いてるけど、あなた自身に悩みがあるんじゃないの?」
「…………まぁ、そうだ」
おれはどうしたもんかと少し考えたが、諦めて今日隼人に言われたことを洗いざらい話すことにした。
おれが健太を三振にとって、奏歌が目を輝かせていたこと。
おれが奏歌に勉強を教えて、そこに健太が嫉妬したこと。
特に前者の現場では沙希もいたから、話がスムーズに行った。
話している途中おれは思ったことがある。
おれには人間関係のトラブルが発生したとき、それを解決する能力がないのではないかと。
高校デビューして、それがたまたまうまくいっているだけ。
そうだ、前回もそうだった。
最初の頃はみごとに上っ面な関係性を築けた。
だがそのあとは?
おれはどうしても、自分がこの場所にいていいのかという劣等感を抱いた。
それは健太や、真夏、結衣、隼人がおれにとって眩しかったからだ。
だから、おれはここにいて本当にいいのかと悩んだ。
悩んで――逃げたのだ。
ここはおれの居場所じゃないと勝手に決めつけて、自分でダメな奴と決めつけて逃げたのだ。
おれが言い終わると、沙希はため息をついた。完全に呆れの入ったため息だった。
「あんたバカね」
「バカとは何だ」
「バカだからバカって言ったのよ。……はぁ、まったく。あなたが恋愛の話してきたから、一体なんだろうと聞いてみればこのザマなんてね。聞いて呆れるわ」
呆れるとは何だ。おれだって悩んだんだぞ。
「はっきり言ってあげる。あんたはアホよ。どうしようもなく」
「じゃあどうしろって言うんだ」
「あなたはね、関係性がこじれるのが怖いだけよ。奏歌がもしあなたに告白してきたら、あなたはそれを受け入れられる覚悟はあるの?」
それは……。
おれにはわからない。奏歌がおれに告白してきたら、おれはどう答えるのだろう。
たとえイエスと答えようが、ノーと答えようが、おれたちはおそらく、おれたちのままじゃいられないだろう。
「高校デビューして、あんた浮かれちゃったんじゃないの? って言うか、高校デビューに成功しすぎたから出てきた問題、といったところかしら」
耳が痛いな。たしかにおれは今まで、無自覚のままハイスペックなところをみんなに見せつけてしまったのかも知れない。
そこに気がつかなかったほど、おれはバカじゃない。
だがはっきり気がついていた、というよりは、うっすら勘付いていた、といった方が正しい。
おれは自分に自信のある方じゃない。
だから、本当におれの行動で、みんなの心が動かされているなんて思いも寄らなかったのだ。
おれなんかの行動で。
おれは前回教室の隅で小さくなっていることが多かった。だから誰かの心に響くこともできない。体育祭とかでは多少活躍する機会があったが、健太とか奏歌とかに比べれば大したことない。ただの有象無象だった。
そんなおれが、誰かの心を惹き付けているなんて、そんなことがあるのか?
気づけばおれのすぐ近くに沙希が立っていた。
「んま、その健太って言う奴もどうしようもないとは思うけどね。奏歌を振り向かせたいなら、自分で努力しないといけない話だし。けれど、そうやって必死に努力しても、もしかしたら今のあなたには追いつけないかも知れない」
人が、その人のことを好きになったとき、歯止めが利かなくなる。
話しているうちにどんどん好きになるかも知れない。そうすると、周りのことなんて見えなくなる。
「……まだ、健太が奏歌のことを好きって断定できるわけじゃない。もう少し様子を見てみる。その間に、おれは自分なりの答えを出す」
「まぁそうね。このままだと、健太があなたに嫉妬して、グループの存続危機だものね」
そうだ。健太はうちのグループの中心的存在。おれにとっては太陽みたいな存在だ。
おれはそんな太陽みたいな奴になりたかった。
憧れだったんだ。
奏歌の気持ちがおれに傾き、逆に健太の心が奏歌やおれから離れてしまったら、おれの大好きな、せっかく出来上がったばかりのグループが崩壊してしまう。
友情。そして恋愛。
前回ではこんなことは考えなかった。ただ茫然とリア充グループは恋愛とかいっぱいしてそうで楽しそうだな、くらいにしか考えてこなかった。
過去のおれでは見えない問題が、今徐々に浮き彫りになってきている。
「軽井沢君はきっとかなり純粋な人でしょうから、傷つくときは思い切り傷つくと思うわ。逆に奏歌は天然というか、あなたみたいに他人の感情に鈍いところがあるから、容赦なく軽井沢君を傷付けるでしょうね。無自覚に。ゴリゴリと精神を削っていくと思うわ。あなたにかかわることによって」
……………………。
的確だ。
沙希の言っていることは思いきり的を射ていると思う。健太はよく言えば純粋で直情径行、悪く言えば単純おバカだ。
調子がいいときは調子がいいが、悪いときはとことん悪くなる。
反対に奏歌は、キモオタとかその辺の男にも笑顔を振りまいてしまうタイプだ。人間関係を損得で考えない。『ただ自分が楽しいから、嬉しいから』という行動理念で動く。
なるほど。おれはこの二人のことが、しっかりと見えてきた。
前回だったら、単に『楽しそうで羨ましいリア充』で片付けちまっただろうな。
だが今回は違う。
おれは徹底的にこの問題に向き合いたい。
「ありがとな、沙希。おかげでなんとなく見えてきたものがあった」
「そ? まぁまだ問題にはなってないでしょうけど、いずれ表面化するでしょうね。そのときは、あなたの力で解決しないといけないのよ?」
「まぁ問題を起こさせないように善処するさ」
「どうかしらね。あなたの能力の高さは、あなたの自覚なしに発動されているから」
……そこか。
おれは前回の反省を生かして、見栄をはらないように生きている。謙虚に振る舞っていればまず人生において損をすることは少なくなる。
逆に見栄をはるとあとで痛い目を見る。『できるって言ったくせに』とか言われちまう。
そういうときの自分のメンタルはヤバい。徹底的に落ち込む。
そうならないために、おれは謙虚に振る舞おうと決意した。
だけど、その謙虚さが、裏目に出ているとしたら?
「あなた、もしかして自分が謙虚な人間だとか考えてない?」
見透かされたように沙希に言われた。何だお前エスパーか。
「あなたのは謙虚なんじゃなくて、ただ自己肯定感が低いだけよ。大損するタイプ。本当はできるくせに、ここぞという場面で出し渋る。自分以外に適任がいるからと道を譲ってしまうタイプ。典型的な理系男子」
おれは思わず笑ってしまう。
まさかそこまで見透かされるとはな。
おれは大学は理系だった。思い切り数学的に物事を見るタイプだった。
「お見通しかよ」
「あなたのことを何年見てきていると思っているの?」
やり直してよかったなと思うことがもう一つ増えた。
おれはこの時代の沙希に、もう一度会えて良かった。
おかげで自分では気がつけないモノに気がつけた。
「ゴミはおれが持って帰る。ありがとな、付き合ってくれて」
「そう? それじゃ今度は缶コーヒーでも奢ってもらおうかしら」
おれは沙希の額を小突いた。
「調子に乗るな」
そのまま昔みたいに、二人して笑い合った。
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