金曜日

 金曜日の朝。

 結局今日も寝坊したであろう凪を置いていくことに決めたわたしは、いつものように足湯に向かい、お姉さんと一緒に浸かっていた。


「……さて、昨日の続きからお話しましょうか」

「はい。お姉さんがここで自首するか、それとも東京に戻って自首するかでしたよね」

「管轄を考慮すれば、ここより都内で自首したほうがややこしくならなそうですが……じゃないですよ! あなたが東京に行きたい理由の話です!」


 わりとお姉さんはからかいがいがあるから、ついもっとからかいたくなってしまうけれど、こうして話せる時間は限られている。

 だから、きちんと昨日一日わたしが考えたことをお姉さんに話さなくちゃ。


「冗談です。……正直、ただの知的好奇心かと思っていたんですけれど、そうじゃなくて、きっとわたしがこの町にいる以外の可能性を見てみたいって思ったんです」

「可能性……をですか」

「はい。まだわたしはやりたいこともできることもよく分からなくて、親や先生に聞かれても適当な答えを言って誤魔化しているんですけれど、なにもしたくないわけじゃないんです。だから、こうして朝のトレーニングや、あんまりですけれど勉強も自分なりに頑張って、いざできることややりたいことが見つかったらすぐに行動できるように備えてるんです」

「……そう思って行動に移せる方はすごく立派だと思いますよ。それこそ謙遜するようなことではありません」

「でも、それはそれでなにもしていないと同じじゃないかとわたしは思ってるんです。他の人と比較して焦っているとかではなく、……もし、このままなにも見つからなかったらどうしようって」


 普段軽口をたたき合っている凪だって、最近は私立の中学に通うために塾に通い始めたし、他の子だって色々なことをし始めて成長している。


「だから、本当は東京じゃなくても、どこでもなんでもいいんです。……自分がすべきこと、自分がしたいことを見つけたくて……」


 いつの間にかぽろぽろと涙が出てしまっていたわたしを、お姉さんは優しく、軽く抱きしめてくれた。

 足湯の蒸気と、お姉さんのぬくもり、まだ徐々に登っている日光がわたしの体温をどんどんと上げていく。


 お姉さんの腕の中はすごく心地よかったけれど、このままだとどうにかなりそうだと思ったわたしは、お姉さんの腕の中からゆっくりと離れた。

 時間にして一分も経っていない、一瞬の出来事のはずなのに、もう一生忘れないと確認できるほど衝撃的な時間だった。


「……昔の私もそうでした。自分がなにもできないんじゃないかって、周りの人を羨ましがって、……行動しても自分が納得いくものを得ることはできなくて、」

「でも、それじゃ……」

「それでもいいんです。誰かとその気持ちを分かち合えたり、不安なことを共有して支え合っていけば、そんな弱い気持ちには負けたりしませんから」


 そっか、立派に見えるお姉さんにも弱い気持ちがあるんだ。

 もしかしたら凪も、わたしが凪の前では弱い気持ちを口や顔に出さないだけで、わたしと同じようなことを思っていたりするのかもしれない。


「……みっともないですけれど、ありがとうございます。……本当に」

「いいえ、私も同じように励まされたことがあって、いつか誰かにとは思っていたんです。お互い様ですよ」

「じゃあ、わたしも将来——」

「ああっ‼ え? なになに? どういうこと⁉」


 いきなり足湯どころか、公園中に大きな声が響き渡ってびっくりしてしまったけれど、……どうやら声の主は凪だったようだ。

 今日も寝坊したのかと思ったら朝から騒いで、本当、はた迷惑。


「……凪? なんでここにいるの?」

「いや~、今日も寝坊したけどなんとかベッドから抜け出せたから、足湯に直接来てみたんだけど、なんで——あがががががが!」


 のこのこと近づいてきた凪に、お仕置きも兼ねてわたしは右腕でアイアンクローをかけて凪を静かにさせたけれど、……ん? お姉さん、何故かバツが悪そうだ。


「お姉さん、どうかしました?」

「いや、凪さんでしたっけ、私のこと……ご存じですか?」

「ぞ、ぞりゃはまあ……、あ、ごの子はじらないばづでず、ズマボォももっでないでずじ、ばやねずるぜいでデレビもびにゃいんで……」


 ん? 凪がちゃんと喋らないから今一状況が分からないけれど、凪とお姉さんが知り合い、……というわけでもなくて? んん?


「でしたら、このことは是非秘密にしていただけますか? 勿論隣の子に対しても」

「……! ば、ばがりばしだ! いのぢにがえでも!」


 お姉さんが凪にお願いをしたけれど、どうやら凪はお姉さんのことを知っているようだ。

 ……今一意味が分からないけれど、まあ、あとで凪から問い詰めよう。残念ながらもうそろそろ時間だし。


「お姉さん、今日はこれでおいとまさせていただきます。……明日もいらっしゃいますか?」

「はい。……明日が最後なので、必ず来てくださいね」

「勿論です。絶対に来ます」


 明日が最後。

 多分、これでもうお姉さんに会えなくなるんだろうけれど、……もっと話していたいというのが正直な気持ちだ。 

 でも、毎日会うのもそれはそれで違う気がして、一切会えないのもそれはそれで辛くて。

 ……どうするべきか分からないまま、わたしは凪を引きずりながら足湯を後にした。

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