木曜日
……というわけで、凪と待ち合わせをした木曜日の早朝。
案の定というか、凪は寝坊したのだろう。
待ち合わせ時間を過ぎても当然のように待ち合わせ場所に現れなかったので、待ちかねたわたしはいつもより短めにランニングを終わらせて、お姉さんがいるであろう足湯に向かうことにした。
いつもと違うコースになってしまったから、珍しく駅の前を通るけれど、……ちょうど朝に一本だけある東京の方に行く列車が発進するところみたい。
朝方に一本しかない東京まで直通運転をする電車だからか、心なしか駅員さんのアナウンスも気合が入っているように思える。
……東京。旅行でしか行ったことがないし、行っても実際に歩くのは観光スポットばかりでわたしにはよく分からない場所。
まだ六時前だけど、東京の人は……まだみんな寝てるよね。
そんな取り留めのないことを考えて走っていると、いつの間にか足湯にたどり着いたけれど、……でも、今日はお姉さんも寝過ごしてしまったのだろうか、姿が見えない——
「——わあっ!」
「わ、おはようございます」
お姉さんがいないことにがっかりしかけていたわたしだけれど、どうやらお姉さんは物陰に隠れてわたしを驚かせようとしていたみたいだ。
「あれ、せっかくなので驚き返してみたのですが……あまりびっくりしませんでした?」
「びっくりはしましたけれど、迫力が無くて……」
「そ、そうですか。よく言われる事なので気にはしないですが……」
うまく驚かせなくてがっかりしているお姉さんと、今日も一緒に足湯に入るけれど、……さて、今日はなにを聞こうか。
実は秘密結社の一員でこの町でなにかを企んでいるのか、それとも実は売れっ子作家でホテルに一人缶詰め、後は凪の意見だけど恋人に振られて一人で……なんとか旅行ってやつなのか——
「——東京」
「え? 東京ですか?」
「は、はい。お姉さんは東京から来たり……してます?」
わたしの中で無自覚に、駅の近くで見かけた東京行きの電車の存在が引っ掛かっていたのか、つい頓珍漢な質問をしてしまった。
お姉さんは少しだけ固まった後、海を、東京の方を見ながら質問に答えてくれた。
「はい。実は東京から来ているんです。昔、家族と一緒にここに来た覚えがあって、……今回、逃走先にここを選んだんですよ」
「逃走先。……一体どんな悪いことをしたんですか?」
「実はコロッケにソースではなく醤油をかけて……、じゃなくて、ちょっと目の前に迫っていることから逃げたくて逃げてしまったんです」
目の前に迫っていること、……お仕事、とかなのかな?
「逃げるにしても、東京ならここと違って色んなことができますし、選択肢もいっぱいあると思うんですけれど」
「その通りですね。私としては沢山の選択肢から自分の意思で一つを選んで、今まで精進してきたはずなのですが、……そのせいで逆に、いつの間にか、他の選択肢は無くなってしまっていました」
お姉さんはどこか自虐的な微笑みを浮かべたけれど、……きっと、今やっていることが苦しいからじゃなくて。
自虐的に微笑んだ対象がきっと、お姉さん自身だから。
「お姉さん、自信が無いんですか?」
「……はい、今だって、本当はここにいるべきではないのに、重責に耐え切れず逃げて——」
「そんなこと言わないでください。少なくとも、逃げたからこそ、こうしてわたしと会えたじゃないですか。わたしは多分、お姉さんとこうして過ごした時間を決して忘れたくないと思っていますから。……なので、えっと、お姉さんはそれぐらい魅力あふれる……?」
落ち込みかけとぃたお姉さんを励まそうとして、口下手なわたしなりに色々喋ってみたけれど、すごく……支離滅裂なことを言ってしまっている。
「安心してください。私はこの件でこっぴどく叱られるのは確定ですし、合わせて貴女のことも決して忘れはしませんから」
「……ありがとうございます!」
ついお礼を言ってしまったけれど、そんなにお姉さんの記憶から消えてしまうのが怖くなっていたなんて、……こんなこと、初めてかもしれない。
「ふふ、私こそありがとうございます。……ところで、貴女は東京に行ったことはあるんですか?」
「旅行とかで、遊園地や展望台とかには行ったことはありますけれど、それだけです。どんな人がいるのか、どんなことがあるのか、さっぱり分からないです」
「行ってみたいとは……きっと思ってるんですよね?」
「はい。……なんでなのかは、上手く説明できないですけれど——」
少し伸びをしたついでに時計を見てみると……あ、これはやばい。
「——ごめんなさい、朝ごはんは諦めましたが、学校は諦めたら駄目なんで行ってきます!」
「い、行ってらっしゃい! 今日の続きはまた明日——」
速攻で身支度を整えたわたしは、火曜と同じくきちんと挨拶を出来ないまま、立ち去ってしまった。
明日は金曜日。
……もし、仮にお姉さんが日曜から一週間滞在しているとしたら、会えるのは長くてもあと三日——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます