火曜日

 火曜日の朝。


 昨日は我ながら恥ずかしいことをしてしまったと思いつつ、いつも通り足湯に向かったわたしを待っていたのは、

 ……コンビニで適当に買ったようなサングラスと、微妙に丈があっていない黒いスーツを着て変装をしている昨日のお姉さんが足湯に向かっているところだった。


 何故そんな頓珍漢な恰好をしているのかと、疑問に思いなら昨日同様物陰からお姉さんを観察し始めると……あ。足湯の直前で転んだ。


「——大丈夫ですか?」

「いたた……、あ、貴女は?」

「単なる通りすがりです。ちょっと擦りむいちゃってますね」

「え……」


 お姉さんが抑えていた腕の箇所を見てみると、転んだ時に小石かなにかに引っかかってしまったのか、擦り傷ができてしまっていた。 

 たかが擦り傷なのに、お姉さんがやけにショックを受けていたのが気になるけれど、取りあえず応急処置をしないと。


「えっと、そこに水道があるのでそこで洗いましょう。絆創膏とかはわたしが持っていますから」

「……あ、はい! ありがとうございます」


 昨日足湯に入れなかった逆恨みは一旦忘れて、わたしはドリンクや防犯ブザーを入れているポーチから、念の為に持たされている簡易な救急セットを取りだす。

 すぐにお姉さんの処置は終わったので、わたしはいつも通り日課の足湯に入ることになった。


 ……その場の流れでお姉さんと一緒に。


「えっと、ありがとうございました。まだお名前を聞いていませんでしたが」


 足が温まる中、お姉さんから名前を聞かれたけれど、……うーん、9割9分観光客なんだろうけれど、万が一のこともあるし見知らぬ人に名前を言うのは問題があるかな。


「……名もなき小市民です。お姉さんは?」

「小市民……? 私は……まあ、お、お姉さんでいいですよ」

「「………………」」


 お姉さんもわたしと同じく名乗れない事情や思惑があるのだろうか、露骨に互いを誤魔化しあったわたし達は気まずくなってしまった。

 こ、こんな暗い足湯は嫌だ……! な、なにか話題を……!


「……お姉さん、昨日もここにいましたよね」

「ええ……、あ、そういえば昨日逃げてしまった——」

「逃げた人です。この時間に人がいるのがつい珍しくて」


 お姉さんはわたしが昨日逃げた人と同一人物だとは思ってもいなかったのか、今気づいたようだけど、もしかして結構抜けている人なのかも。


「でしたらこの近くに住んでいるんですね。……この時間は人が来ないんですか?」

「はい。わたしみたいな物好きじゃなければ地元の人はここに来ないので、早朝は独り占め出来るんです」

「そうだったんですね……。ごめんなさい、お楽しみの時間なのに……」

「そんなことないです。たまにはこういう変化球もいいと思うので」


 いつも一人で足湯に入っているから、こうして誰かと話しながら入るのは間違いなくわたしにとっては新鮮だ。

 友達を誘うにも、日中は学校があったり、観光客の人が多くて近寄りづらいといった事情があるからどうしても誘いづらいし。


「変化球……。ちなみに、私はまだ数日この近くに滞在しているんですが、明日もお邪魔させていただいていいですか?」

「わたしがこの足湯の管理者だったら駄目。……って言いますけれど、生憎そんなことはないので大丈夫です」

「ありがとうございます」


 わたしのジョーク混ざりの返答に、はにかんだ笑顔でお礼を言ってくれたお姉さんだけど、お姉さんの笑顔が眩しすぎてわたしはつい目を逸らしてしまう。


 ——逸らした先に見えたのは公園の時計、そしてその時刻は……!


「げ、すみません、学校に行かないとなのでおいとまさせていただきます」

「え、もうそんな時間、ではまた明日——は、速い……」


 昨日と同じく、挨拶を終えたわたしは全速力で家へと向かう。

 全力で急げばまだ遅刻するような時間じゃないけれど、朝ごはんを食べる時間が無くなることは避けたい。


 ……お姉さん、明日もいるみたいだけど、明日も今日みたいに変装しているのかな。

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