第14話

 ひとしきり笑い、気が済むと、高清水たかしずさんはリリをじっと睨むように目を細めた。


「なんですり替えに気づいたスか?」

「普通、レターセットを購入して手紙を用意したなら、何も書かれていなくても罫線のある便箋が入っているはずだろう。よしんば罫線のないものを買ったとしても、。封筒は上質で手触りのいい紙だったのに、白紙はホームセンターで安売りしているようなコピー用紙だったからね。しかもそれはクイズ研の備品のコピー用紙と同じだった。疑いもするさ」

「なるほど。そこまで注意してなかったッスね。かつだったッス」


 てへへ、とふざけるようにぺろっと舌を出し、高清水さんは見せ掛けだけの反省をした。


「で、さっき『やはり』って言ったッスね。わたしに目星をつけてたんスか?」

「手紙の入れ替えができるのはクイズ研会員だけだというのは言うまでもないね。あの暗号文のことを知っていて箱を操作できるのはクイズ研関係者だけなんだから。つまり、僕たちの一年先輩の会員か、君か、一年生の二人かだ」

「一つ上の先輩は八人いたスよ。全部で十一人スね」

「君に絞ったのは、万能倉まなぐら先輩が暗号が解けたと言ったときだ。君は大層驚いていたが、箱の中身を知りたがらなかった。?」

「……それだけで?」

「十分だと思うけど?」

「確かに。参りました」


 リリの言い分をあっさりと全面的に認め、高清水さんは両手を挙げて面白そうに笑った。事実を言い当てられたのに、まったく慌てる様子がない。

 リリの指摘どおりに手紙がすり替えられていたのなら、会長が『れい先輩らしくない』と言うのもうなずける話だが――それをやったという高清水さんはいったい何者なのだろう。

 普段教室の隅で一人黙々と読書をしている『高清水まどか』と、目の前にいるテンション高めの道化者『高清水まどか』のキャラの違いに私の認識が混乱している。

 それだけではない。

 手紙をすり替えるには会長以下会員全員が解けなかったあの暗号を一人で解かなくてはならないということで、それができたということはリリのような頭脳の持ち主であることを証明している。

 その事実がますます目の前にいる彼女の軽薄そうな立ち振る舞いとの齟齬そごを生み、高清水まどかという人物をわからなくさせていく。


「で? 神前かんざきさん。このこと、智花ちかさんに言うんスか?」

「言わないよ。面倒くさい。僕はすり替えたのが誰かわかればそれでいいんだ。それに他人の恋路の邪魔をするほど野暮でもないつもりだ」

「そッスか。助かるッス。なんせあの手紙には……」

「先々代がひたすら万能倉先輩に謝罪するような文章を綴っていたから?」

「……恐ろしい人ッスね。あんた」


 さすがにリリのこの一言を笑うことはできないのか、高清水さんは顔色を変え、月まで届くくらいに弾け飛んだテンションを奥に引っ込めた。


石刀いわと先輩の手紙を読んだ……わけないッスよね。それはわたしが持ってるんスから。どうして内容を?」

「推測だよ。先々代会長いわとセンパイが万能倉先輩の告白を断るつもりだったことはわかっているから、付き合いたい旨を書くはずがない。ということは、必然的に内容は断る方向になる」

「そッスね」

「話を聞く限り、先々代はなかなかに突っ走る傾向のある人のようだが、真面目で真摯な性格らしい。それで万能倉先輩を傷つけないよう断るために、ひたすら丁寧な謝罪を綴った。それがあさってに向かって行き過ぎて、逆に気を持たせるような表現になってしまったんだろう。『今は好きな人がいるから付き合えないけど、いずれは』『君のことは嫌いじゃない、むしろ好き』というような、ね」

「……ホントに手紙、読んでないんスか?」


 高清水さんがリリを見る目に怯えすら滲ませて呟く。

 それはリリの推測が当たっているということの証明だった。


「そんなものを万能倉先輩が読んでしまったら、二年も前に諦めたはずの恋心が再燃してしまう。それはわけだ」

「そうなんスよねー……石刀先輩も空気読んでほしかったスよ。……って、わたしが入学する前のことだから読むのは無茶ッスよね。ははっ」


 しみじみと認め、口をとがらせて愚痴り、自己ツッコミしながら苦笑し、高清水さんは肩をすくめた。表情がコロコロ変わるので百面相を見ている気分になる。

 万能倉会長と高清水さんが付き合っていることについては、私はさほど驚いていない。会長が二年間先々代に恋い焦がれ続けていたと思い込んでいるときなら「この浮気者!」などと思ったところだろうが。

 会長が後輩である私たちや一年生をで呼ぶのに高清水さんだけは呼び捨てだった辺りで、おや? とは思っていたし、片付けから戻った高清水さんを『まどか』と呼びそうになったことで察した。

 あとは、高清水さんが先々代と万能倉会長の関係を知っていたことだ。告白のことを会員に話していないと言っていたのに、それを知っているということは、そういう話をする関係にあると想像するに難くない。

 高清水さんが会長と付き合っていることを匂わせたときに私が驚いたのは、二人が付き合っているということではなく、そのあとのという発言のほうだ。


「高清水さん、質問しても?」


 リリとの会話が一段落したらしい隙を狙って、私は疑問を呈する。


「何スか?」

「クイズ大会に仕込んだメッセージに誰も気がつかなかったらどうするつもりだったの?」


 この質問は想定外だったのか、高清水さんは一瞬真顔になって、やがてけらけらと笑い出した。


「ははっ、面白いこと言うッスね、那須野なすのさん。を解決した神前さんが気づかないわけないでしょ。だからわたしは実行委員に推薦したって言ったスよ。神前さんにとっちゃそれくらい朝飯前だってこと、那須野さんが一番よく知ってるはずじゃないッスか」

「根拠のわからない過剰な信頼は友好の証と受け取っておくけど、あの件に僕は無関係だよ」

「はいはい、ヒミツなんスね。そういうことにしとくッスよ」


 リリの否定に「またまたご謙遜を」と言いたげにひらひらと手を振って二度うなずいた。

 あの件は盗難に遭ったものがそのまま戻ってきたことで一応解決したことになっていて、犯人探しは教師たちに一任された。しかし問題を大きくしたくない教師陣は真剣に犯人探しをしておらず、進展はない。このまま有耶無耶にするつもりなのだろう。

 だからこそいろいろな憶測が生徒のあいだで飛び交うことになっているのだが……リリが解決したという説がの耳に入っているのは、面倒ごとを嫌がるリリにとってあまり歓迎できることではない。

 基本的にクラスの中でのリリは、いつも眠そうにして実際寝ているか那須野わたしとイチャついてばかりいるあんまりアタマ良さそうに見えない子、という認識だ。成績はトップクラスなので本気でバカだとは思われていないが、やる気がなさそうなので事件解決やクイズ大会で優勝できるような子という印象はないはず。

 そんなリリの本来の能力を見抜いて異常に買っている高清水さんには身構えざるを得ないだろう。

 まあ、テンション高めで軽薄そうに見えるが、地頭は良いようだし、口まで軽いとは限らないので大丈夫だろうと思いたい。万能倉会長が付き合ってもいいとした彼女だし、ここは会長の信用度で埋め合わせておこう。


「君はまだミコの疑問に答えていないよ」


 逸れた話を戻すようにリリが問い直す。


「ま、誰も気づかなかったら、わたしが自分で開けて白紙の手紙を智花さんに渡してましたよ。スから」


 そうおどけるように答えた。一筋縄ではいかないクセモノ感がすごい。


「暗号解読にかかった時間はどのくらい?」

「二週間くらいスかね。わたし音楽が苦手なんで、数字を英数字に変換したものが和音コードだとわからなかったんス。変換時に大文字と小文字を逆にしていたこともあるスけど。何だこれ、と思っているときに音楽の授業で習って、ああこれだ、と初めて気づいた始末で。それを一時間程度で解いた神前さんには敵わないッス」

「僕も音楽は得意じゃなかったから、ミコがいてくれなければ解けなかったよ」


 ……ウソだ。

 解読中は気づかなかったが、おそらくリリは音楽やコードのことをよく知っている。

 というのも、転回形の説明を会長から聞いて例を挙げたのが『B 7ビーセブンス』だったからだ。

 暗号にあったコードを数字に変換するときにそれらの構成音を教えたが、リリには教えていないコード、しかも半音が多くて初心者が混乱しやすいと言われる『B』を例に出すなんて、いくら理解が早くても難しいだろう。それこそコードの構成法則のようなものをきちんと把握していなければ無理だ。

 だから私は――リリはコードに躓くことなく、辿と思っている。

 クイズ大会でまったく出番がなかった私がただのお荷物で終わったと思われないように、私の発想で暗号を解いたと見えるよう花を持たせてくれたのだろう。『神経衰弱』の練習をしていたときと同じに。

 リリはそういう子だ。

 ちっこくて、いつも眠そうで、笑うと可愛くて、髪がつやつやでぽわぽわしていて、驚くほど頭が良くて、私のことを一番に想ってくれる――私の最愛の彼女マイディアレストだ。


「暗号が解けたことをなぜ会長に言わなかったの?」

「言えないスよ。解読が正しいかどうかをこっそり試してみたら箱が開いて、そのときは石刀先輩がクイズ研会員みんなに出した謎解きだとしか聞かされてなかったし、まさか手紙の内容が告白の返事だとは知らなかったから遠慮なく読んじゃったんスよ。そしたら智花さんに見せられない手紙だったんで、こっそり白紙に入れ替えて知らせないことにしたんス。ま、わたしの好きな人を惑わせるなーって感じの嫉妬ッスよ。……あ、このときはまだ智花さんと付き合ってなくて、この手紙がキッカケでアタックを始めたんスよ。ちなみに智花さんとは小学校が同じで、初めて会った小学校三年のころから大好きッス」


 変わらず笑みを貼り付けた顔で高清水さんは言う。自分の本心を出さないことに長けているのだろう。まったくと言っていいほど彼女の考えていることが読めない。

 しかし、万能倉会長を想う気持ちが本物であることは、言葉の端々やわずかな表情の変化でわかる。そればかりは百合カップルを何組も見てきた私に一日いちじつちょうがあるというものだ。


「他に質問はあるッスか? お二人さん」


 訊かれ、私は首を横に振った。

 リリも特にないらしく、私に寄り掛かるようにしてあくびしただけだった。


「そッスか。じゃあ……」


 少し言葉を溜めて、高清水さんはにやりと口角を上げた。

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