第13話

 暗号と箱を提示されるより前に、万能倉まなぐら会長は恋心を諦めたという。告白したときに先々代が困った顔をしたから、自分の気持ちは受け入れてもらえないだろうと悟って。

 しかし、先々代は告白の返事を箱に封じたと言っているのだ。それを開けて確かめずして、簡単に諦められるものなのだろうか。


「ミコ、自分を会長の立場に置いてみるといい」


 納得できないと眉間にシワを寄せる私を見かねてか、リリは言う。


「例えば、君が僕に好きだと告白して、その返事が数ヶ月先にタイムリミットを迎える暗号文だったら、君はどう思う?」

「必死になって解くけど」

「ミコらしい、シンキングタイムゼロのいい答えだ。でも、返事を暗号にするというのは、


 キッパリとそう言い切った。なぜか会長もうなずいている。

 どうやら、なぜそういう結論になるのかわかっていないのは私だけらしい。

 というか、リリにバカにされた気がしなくもない。


「詳しくお願い」

「暗号が解かれるまで返事を保留する意味を考えてみればわかる。もし告白を受けると手紙に書いたなら、箱が開くまでお付き合いするのを待たなくてはならない。下手すればタイムリミットに間に合わなくて付き合えないかもしれない。相手も自分も付き合いたいと思っているなら、そんなことをする意味がない」

「突然告白されて、すぐに返事ができなくて、じっくり考える時間が欲しかったとか」

「告白された日の夜に暗号を考えて、次の日に『返事を聞きたかったら解いてみなさい』とんだよ。つまりということだ。そもそも、付き合うか否かを考える時間が欲しいと言いながら暗号を作っているなんて本末転倒じゃないか」


 確かに。テストで悪い点を取りそうだからと言い訳を必死に考えているようなものだ。そんなことをするヒマがあるならテスト勉強するほうがいい(体験談)。


「つまり、暗号を提示した時点で僕の答えは決まっているわけで、それを先延ばしにするということは、結局お断り以外にないんだよ」

「私が暗号に四苦八苦しているあいだにリリが心変わりしたら? 中身を入れ替えるよね?」

「だから。断るのをやめて付き合うことに決めたなら、手紙を入れ替えるより直接付き合おうって言うほうが早いんだよ。ミコは暗号が解けるまで付き合えないという、もどかしくも無駄な時間が欲しいのかい?」

「丸めてゴミ箱に捨てるわそんな時間もん


 即答するとリリのツボに入ったらしく、大笑いされた。笑い過ぎて呼吸困難を起こし、椅子から転げ落ちそうになったリリの肩を慌てて掴んでこちらに抱き寄せる。ウケたのは嬉しいけど、心配させるようなことはしないでほしい。


「リリ、大丈夫? ごめん、そこまで笑うと思わなかった」

「やっぱりミコは最高だね。話を戻して――ともかく、先々代には断る以外の選択肢はなく、それを暗号に封じるという行為自体が意思表示になり、そのことに気づいた万能倉先輩は早々に諦めをつけられたんだ。……まあ、吹っ切れるまでに幾分か時間はかかったようだけど」


 そうでしょう? と問うようにリリは会長を見た。

 会長は小さく肩を揺らして微笑する。


れい先輩がそのあとも変わらず私に指導してくださったからですね。恋愛感情はないと言いつつ特に可愛がってくださるその行動を、実は愛情なのではと淡く期待していました。だから断りの返事が封じられていると知りながら、暗号と箱のことを他人に話さず、自分で解いてやると頑張っていたんです。自力で解けば、恋人になれなくても褒めてもらうくらいはできるかなと」


 結果はご覧の通りですけど、とさらに笑う。


「そうして目をかけてもらい、期待していた私でしたが、玲先輩から引退なさるときに『たった一人の一年生だから辞められると困るし』と照れ隠しの素振そぶりもなく真顔で言われまして、それも勘違いだったとわかりました。ただ後進を育てたいだけだったと。でも、そんなふうに意志がブレないところが玲先輩らしくて、より尊敬する気持ちが大きくなったのを覚えていますよ」


 そう、心底嬉しそうに言った。

 告白の答えを暗号に封じて先延ばしにするなんて、先々代はずいぶん残酷なことをするものだと思った。

 だが、先々代と会長のあいだにはある種の信頼関係(入部から一か月程度でそれを築き上げたことには驚かされる)があったから、会長がすぐに意図に気づいて理解してくれるという確信めいたものがあったらしい。だから会長が酷く傷ついたり落ち込んだりするような大事おおごとにはならなかったのだろう。

 ――聞いてみれば何ということはない。

 私がということだ。

 暗号にこだわったのは単なる好奇心で他意はなかったと。

 告白に関してすでに会長の中で決着がついているのならば、暗号が解かれ箱が開いた今、これ以上私が何を言っても意味がない。


「それじゃ、この件は解決したってことでいいんですかね、会長?」

「ですね。おおよそは」


 おおよそ? 完全には解決していないということだろうか。

 まだ何かあったっけ……と思い返し、すぐに白紙の返事が先々代らしくないという話のことだと気がついた。

 それはリリも言ったとおり、先々代を知らない私たちにはどうすることもできない問題だ。この謎だけは白紙の手紙を箱に入れた当人にしか解き明かせない。


「パンの無料券もちゃんともらったし、そろそろ帰ろうか、リリ」

「そうだね。とりあえずクラスに戻って飴玉が残っていないか訊いてみようよ。甘いものが食べたくなった」

「ん? 飴なら持ってるよ。リリの好きなマスカット味。ほら、あーんして」


 クイズ大会で頭を使って糖分を欲するだろうと思って用意しておいた、ブドウ糖多めの飴玉を可愛く開いた口に放り込む。リリはそれをコロコロと舌の上で転がし、にへっと嬉しそうに笑った。

 うむ、可愛すぎて気絶しそう。


「…………」


 そうしてしばらく飴玉を楽しんでいたリリだが、急に眠気が来たらしく、ふあ、と大きなあくびをした。目が半分閉じて今にも溶けそうだ。


「お疲れのところ、長々とお引止めして申し訳ございませんでした。私のワガママと話にお付き合いくださり、感謝いたします」


 椅子から立ち上がった会長が折り目正しくお辞儀する。それに引きずられて私も深々とお辞儀を返した。リリは眠そうに目を擦りながらこくりと首だけで頭を下げる。


「では会長、失礼します」


 もう一度頭を下げ、夢の国に旅立ちそうなリリを抱えて振り返り、入口のドアに向かう。

 そのとき。


「会長ー、片付け終わったッスよー」


 よく通る澄んだ声とともに、クイズ研会員らしき数人がドアを開けて部屋に入ってきた。先頭は私たちのクラスメイトの高清水たかしずさんだった。司会のときとはまた違うしゃべり方に少し驚いてしまったが、話したことがないから知らなくてもさもありなんと思う。


「おや、神前かんざきさんと那須野なすのさんじゃないッスか。いらっしゃい。さっきは惜しかったッスね」


 高清水さんは怪訝そうな顔をする後ろの一年生らしき二人と違って、部室に私たちがいても気にしないらしく、気軽に挨拶してきた。それに黙礼するリリ。


「ご苦労様、ま……高清水。藍本あいもとさんと淵垣ふちがきさんもお疲れ様でした」


 会長が声をかけると、一年生の二人が会釈する。


「一年生はもう上がっていいですよ。明日の部活は休みですから、ゆっくりしてくださいね」

「はい。失礼します」


 ほっとしたような顔の一年生二人は、どこか行きたいところがあったらしく、いそいそと部室を出て行った。ドアが閉まる寸前に手を繋ぐところが見えて、なんとなく微笑ましい気持ちになった。

 

「会長、わたしはまだ何かすることあるッスか?」

「会長職の引き継ぎは明後日にするとして……そう、那須野さんたちに例の券をお渡ししたから、購買部に行って追加発券の連絡をしてきてちょうだい」

「え? ってことは暗号が解けたんスか⁉ マジで⁉」

「ええ。彼女たちのおかげで」

「ほえー……」


 と驚きながら私とリリを見る高清水さん。

 けど、なんだか本当に驚いているとは思えないような、冷めた目をしている。

 彼女が何を思っているのか……読み取れない。

 会長といい、高清水さんといい、意図的に考えていることを他人に見透かされないようにしているらしい。クイズ研究会はそれが部是ポリシー工作員スパイ養成所なのかな?


「まァいいや。行きましょうか。お二人さん」

「え、あ、うん」


 勢いに押される形で部室を出て、購買部に向かっているらしい高清水さんのあとをついていく。足取り軽くスキップする彼女の背で、暗めの茶色に染めた長い髪が踊っている。ずいぶん機嫌がよさそうだ。

 別に私たちは購買部に行く必要はないが、なんとなく同行する空気になっていた。リリも特に何も言わないし、ついでなのでさっそく無料券を使ってみようかとも思う。

 しばらく無言で高清水さんに続き、特別教室棟一階の廊下に差しかかったところで――唐突に先導者がくるりと右足を軸にターンした。ぶわっと舞い広がったスカートの下に体操着の短パンが見えたが、彼女はまったく気にせず私たちを愉快そうに見ていた。


「とりあえず……箱を開けてくれてありがとうッス。これで智花ちかさんがわたしだけを見てくれるッス」

「え……?」

石刀いわと先輩のことは吹っ切ったって智花さんは言うんスけど、どうもどこかで引きずってたみたいなんスよね。だから箱を開けてくれそうな神前さんを代表にするよう、クラスの文化祭実行委員に根回ししたんスよ。さすが、わたしが見込んだだけのことはあったッスね」


 言って、けらけらと笑う高清水さん。

 なんだかとんでもないことを聞かされたような気がするが、理解が追いついていない。


「ま、先に智花さんが自力で開けてたら、大変なことになってたかもッスけど」

「なるほど、やはり君だったか」


 という声は私の隣から聞こえてきた。

 振り向くと、さっきまで眠そうにぐったりしていたリリが自分の足でしっかり立って、口の中で飴玉を転がしながら高清水さんを見据えていた。

 いや、何の話? また私、置いて行かれてる?


「僕たちが箱を開けるより前に暗号を解き、ことは察しがついていた。でも、それが誰か確信を持てなかったんだが……今の高清水さんの言葉ではっきりした」

「ははっ! いや、お見事ッス」


 リリの言葉が面白かったのか、大袈裟な仕草で手を叩いて笑いながら、高清水さんはまたも聞き捨てならないことを口走った。


「そう、

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