第12話

 タイムリミットが過ぎているのに『時間がない』というのは変な話だ。

 時限爆弾のようにリミットオーバーで暗号が消滅したり箱が木っ端微塵に吹き飛んだりしたわけでもない。先々代会長の答えの有効期間は切れてしまったかもしれないが、暗号を解読し箱を開けるために使える時間はいくらでもありそうなものだ。


「三年生のクイズ研会員の引退は、文化祭の終了と同時なのです」


 またしても私の考えていることを読んだように万能倉まなぐら会長は言う。


「引退してしまってはこの暗号にも箱にも関われなくなってしまう。れい先輩が私の告白にどう応えるつもりだったのかを知る機会を失ってしまうんです。なので『時間がない』し、『なりふり構っていられない』のです」

「ああ、そういう意味だったんですか」


 納得――した直後に湧いた疑問が口をついて出る。


「待ってください。別に引退しても、OBとして部室に来るとか、箱を持ち帰ってじっくり開けるとかすれば……」

「伝統なんでしょうか。クイズ研OBは引退後に部に関わるのを良しとしない風潮があり、私もその慣習に倣おうと思っています。それにこの箱は一応クイズ研の備品ということになっていまして、引退した私が勝手に持ち出すわけにはいかないんですよ」

「備品? この箱は先々代が会長に個人的に渡したものじゃないんですか?」

「そうです。他人の手を借りられないからとひた隠しにしていたので、会員は誰もこの暗号と箱が作られた経緯いきさつは知りません」

「ところが万能倉先輩には暗号が解けず、期限を過ぎてしまって、それならいっそ会員みんなに出題されたものということにして解読しようと思った、と」


 リリの独り言のような言葉を、会長は無言で首肯した。


「期限切れで条件が無効になったと勝手に解釈し、この暗号はクイズ研全員に対する玲先輩からの『卒業祝いの置き土産』だという体裁にしたのです。大切なのは箱や暗号ではなく中に入っているという玲先輩の返事なのですから、とにかく開けなければ意味がない、そのための備品化も問題ない、と」

「……でも結局、開けられなかった……」


 思わず心の声が漏れてしまい、慌てて口をつぐむ私に会長が「いいんですよ」と笑う。


那須野なすのさんがおっしゃるように私の見通しが甘く、引退する今日この日のクイズ大会に賭けるしかなくなったのです。大会にメッセージを仕込み、それに気づくような聡明なクラス代表を呼び寄せて、暗号を解いてくれることを祈ったというわけです。呼ばれた人の迷惑も顧みず、すべてが手遅れだとわかっていても、玲先輩が残したものを見ることなく去ることだけは絶対にしたくなかったので」


 すべては私のワガママですよ、と自嘲する。

 私はそれをワガママとは思わない。

 二年間も封じられていた返事の内容だけはどうしても見ておきたい、と考えるのは自然な反応だと思う。そうしないといつまで経っても期待が残るし、未練が生まれる。諦めもつかない。それに縛られ続けるのは……多分、すごく苦しいはずだ。


「なのに、そこまでしてやっと手にした手紙がですものね」


 封筒に入っていた白紙を顔の横でひらひら振って、会長は困ったように首を傾げた。

 白紙――つまりは会長の告白に対して、先々代は何も答えないということなのだろう。告白を受けるわけでもなく、断るわけでもなく。なかったことにしてしまった。

 それはいくらなんでも不誠実ではなかろうか。会長の話しぶりでは、先々代は真面目で誠実な人のように思えたのだが。


「いえ、わかっていたんです。私が玲先輩の彼女になれないということは。でも、こんなやり方があまりにも玲先輩らしくなかったので、私には判断がつかなかったんです」

「わかっていて、どうして僕たちの意見を求めようとしたんです? 先々代の人となりを知らない僕たちに『らしくないから』と言われても判断できませんよ」


 と、リリ。

 いや、ショックを受けている人にその言い方は当たりが強すぎやしませんか。

 しかし会長はその遠慮のない物言いがおかしかったらしく、ふふ、と愉快そうに肩を揺らし、しまいにはおなかを抱えて大笑いした。

 会長が壊れてしまったのかと思うくらい、心底から、楽しそうに。


「そのとおりですね。ごめんなさい。先輩らしくなくても、箱に入っていたのは何も書かれていない手紙だったという事実は変わりませんものね。問い質したくても本人はもういませんし。……そんなこと、とっくにわかっていたのに」

「…………」

「私はただ、クイズ研会員には話せない玲先輩とのことを、誰かに話したかっただけなのかもしれません」


 笑い過ぎて滲む涙を指で拭い、ゆっくりと息を吸って吐く。


「本当にあなたたちに来ていただいてよかった。引退までにこの手紙を読むことができて、おかげで私の中にほんの少しだけ残っていた玲先輩への恋心も未練も、木っ端微塵に砕けて消えました。ありがとうございました、神前かんざきさん、那須野さん。今一度、深くお礼申し上げます」


 謝辞を述べて私たちに深々と頭を下げる。強がりでも無理をしているでもなく、本当にそう思っているらしいことが会長の表情や雰囲気から感じられる。

 それは、たった今、二年以上も抱え続けた淡い気持ちを無慈悲なやり方で否定された人がする顔ではないだろう。

 会長が何を考えているのか全然わからない。


「理解できない、という顔をしていますね。那須野さん。私がもっと落ち込むと思っていましたか?」

「それは……そうですよ。二年以上も想い続けてきた人に、こんなやり方で拒否されたらショックじゃないですか」

「……? ああ、なるほど。のですね」

「勘違い……?」


 私が何を間違えていると言うのだろう。

 思わずリリのほうを見る。リリはシニカルに笑って肩をすくめるだけで、何も言わなかった。


「勢い余って玲先輩に告白して、先輩が困った顔をした時点で、私の想いが遂げられることはないと、手紙を見るまでもなくわかっていたんですよ」

「どうして……?」

「知っていたからです。、と。ことも。私が告白したとき、玲先輩がその人のことを思い浮かべて困ったのだと悟ってしまった。だからそこで――

「じゃあ……どうして暗号を解いて箱を開けようと思ったんですか? 中身はあなたの恋心を拒否するものだとわかっていたんでしょう? 自ら傷つきに行ったとしか……」

「一つは先ほども言いましたが、僅かに残る未練を粉微塵にしてもらうため。もう一つは――」


 焦らすように言葉を切り、イタズラっぽい笑みを浮かべ。


です。玲先輩がどんなメッセージを封じ込めたのかに強い興味を持った。それだけです」

「…………」


 傷つくことより好奇心が勝ったというのか……?

 そんなことってあるのだろうか。


「呆れてらっしゃいますけど、那須野さん。それを他人ひとより強く持たない者に、クイズ研の会長など務まりませんよ?」


 ぽかんとする私をからかうように、会長は微笑を湛えて小首を傾げて見せた。

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