第10話
どこかで何かのイベントをしているらしい音楽と歓声がドアを挟んで低く響いている。軽音楽部が体育館でライブをしているんだよとリリが教えてくれた。この文化棟は体育館のすぐ近くなのでその演奏が漏れ聞こえるのだろう。
何を演奏しているのだろうと耳を澄ませると――タイムリーというか何というか、パッヘルベルの『カノン』をロックアレンジした曲だった。
「カノンといえば『うぐぅ』、もしくは『愛しき人に捧ぐ』だよね」
ふとそんなことを思って言うと、リリは呆れたようにため息をついた。
「なんでミコは僕たちが生まれる前の古いゲームのことを知ってるんだ。しかも『うぐぅ』は『C』じゃなくて『K』だよ。大体、思い浮かべるなら少し前に音楽で習ったし、アレンジされているけど今も演奏が聞こえてくるパッヘルベルだろう」
「そのツッコミを入れられるってことは、リリもしっかり知ってるんじゃない。……ま、パッヘルベルのほうを思い出したから、十五個の数字の間違いに気づいたんだけど」
米兵の通信の『カノンじゃなくアラベスクが一番』という一節は、『
なので正解は、
『8 12 3 11 2 6 9 6 11 1 4 3 6 9 12』
となる。『
「……でも、クイズ研の人って、頭が良かったり知識量も普通の人よりずっと多かったりするはずでしょ。なのに、なんで二年かかっても解けなかったんだろうね?」
別にバカにするつもりはなく、単なる疑問として呟く。個人的には『クイズが得意な人は謎解きもお手の物』という印象がある。
「クイズは純粋に知識量を問うゲームだけど、謎解きや暗号解読はそれだけじゃクリアできないからだよ。言っただろう、ミコのような『
「まったく、返す言葉もありませんね」
私の独り言に答えたリリのあとに、会長が笑顔で割り込んできた。いつのまに戻ってきたのだろう。ドアが開く音も気配もなかったんですが。
「す、すみません。クイズ研をバカにするつもりはありませんので……」
「いいんですよ。事実ですから」
特に気にする様子もなく、会長は手にしていたいくつかのチルドカップを部屋中央のテーブルに置いた。わざわざ購買部まで行って買ってきてくれたらしい。どうぞと勧められたので、私は礼を言ってカフェオレ、リリはストレートティーを手に取る。会長はミルクティーを選んだ。
「さて……わざわざ居残っていただいたのは他でもありません。これについてどう思うか、お聞かせ願いたいのです」
「……?」
リリと並んでパイプ椅子に座ってカフェオレをストローですすりつつ、テーブルを挟んだ正面の席に着いた会長に目を向けると、彼女は手にした真っ白な封筒を顔の横に掲げた。言うまでもなく、箱に収められていたものだ。
『
「中を拝見しても?」
「どうぞ」
内容を知りたいと思っていたが、まさか向こうからいきなり来るとは思わなかった。
リリが遠慮がちに封筒を受け取り、手紙を取り出す。それをテーブルの上で広げた。
私はリリの隣から覗き込んで――
「え……?」
我ながら素っ頓狂な声を上げてしまった。
真っ白だったのだ。
紙の色のことではない。いや、白い紙には違いないけれど、そうじゃない。
封筒に入れるためについた折り目があるだけの、文字一つ、罫線一本すら引かれていない真っ白な一枚の紙だった。
私とリリはキョトンとして言葉に詰まる。
「何か仕掛けでもあるのかと思いましたが……正真正銘の白紙です」
言って会長は眉根を寄せた。
この手紙(と言っていいのかどうかわからないが)を読み始めた会長が五分も十分も身動き一つしなかったのは、長い文章が綴られているからだろうと思っていた。しかし、実際は何も書かれていない白紙で、会長はそこに仕掛けがないかを精査していたのだろう。そうでなければただの白紙を十分も眺めていられるはずがない。
「…………白紙だねぇ」
光に透かしてみたり、匂いを嗅いだりして、リリはため息混じりに呟いた。
確かに透かしや炙り出しなどの仕掛けが施されてもいない、ただの紙だ。
「時間経過で消えるインクを使ったということもなさそうだ。何かを書いたのならわずかでも筆跡が残るはずだが、それもない」
「えぇ……? 封筒の中はこれで全部なんだよね?」
そう思って封筒を検めてみても、空っぽだった。
……わけがわからない。
すっかり困惑してしまった私とリリが正面に視線を移すと、会長も同じように困った顔をしていた。
「これはどう解釈すればいいと思いますか?」
「…………」
そう問いかけられても答えようがない。先々代のクイズ研会長が暗号を作り、この手紙を箱に封じたということ以外の情報がないのだ。
「この暗号文が作られた背景を知らなければ、答えようがないね」
私と同じことを思っていたらしく、リリが独り言のようにこぼす。
すると会長はしばしうつむいたまま黙考して、やがて顔を上げると私とリリを交互に見やった。
「……お二人はお付き合いされているんですか?」
暗号文についての話が始まると思いきや、唐突に会長はそんなことを言い出した。
「そうです。ミコは僕の彼女です」
急な話題転換に驚いてしまい、なんと説明したらよいものかと考えるより早く、リリがはっきりとそう返した。会長はそういう答えが返ってくると確信して質問したのだとリリは悟ったのだろう。だから隠す必要はないと正直に話したのかもしれない。
しかし……リリにはっきりと彼女だと言われると、恥ずかしいやら嬉しいやらで思わずにやけてしまう。私の中の『リリが好き』という気持ちが風船のように膨らんでいく気がした。
その返答を聞き、だらしなく緩む私の顔を見て、おかしそうに会長は笑う。
この質問、何の意味があるんだろう……と思っていると。
「私にも、好きな人がいたんですよ」
会長が何の脈絡もなく
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