第8話

 スマートフォンに電話のプッシュボタンを表示させ、暗号文の通りに数字を追った。

 私の目線がスマートフォンと暗号のあいだを行ったり来たりしてちまちまと数字を書き連ねていると、リリが「できたよ」とメモを差し出した。私がまだ半分も書き出していないのに頭の中で作業を完結してしまったらしい。


『0507396003604547455702303539』


 二十八桁の数字が書き連ねてあった。リリに遅れて数分、なんとか作業を終えた私と同じ内容だったので間違いなさそうだ。


「先頭に『*』アスタリスクを入れなくてもいいのかな?」

「わからない。現れたのが数字の羅列だから、僕は必要ないと思って書かなかったけど」


 リリがそう言うなら、多分必要ないのだろう。


「なんだろうね、この数字。先頭が『050』だから電話番号かな?」

「電話番号にしては長すぎるね。国内なら普通は十桁か十一桁だから、電話番号が二つ並んでいるとしても六から八桁余る。二か所の電話番号と残る数字が他の何かを示しているという可能性は十分にあるけれど」

「もし電話番号だとして、そこにかければ箱を開けるヒントをくれる人につながる……なんてわけないよね」

「僕も同感だね。先頭の『050』はIP電話で使われる十一桁の番号だけど、その後ろの『045』は確か、神奈川県内の市外局番だ。先輩、心当たりはありますか?」


 私たちと同じようにリリのメモを覗き込んでいた万能倉まなぐら会長はその質問に首を振った。


「少なくとも私のスマホの電話帳メモリーに『050』で始まる番号はありませんし、神奈川に知り合いもいません」

「なら、この数字列は別の意味を持つわけだ。そのまま箱のボタンにあてはめるのは無理そうだし、まだ何か変換する必要がありそうだね」

「どう変換すればいいんだろう?」

「楽譜、ではないでしょうか」


 と、会長。私とリリは顔を上げてそちらを向く。


「暗号文には『楽譜』とあります。それはこの数字列を楽譜に変換しろという意味なのでは?」

「なるほど……」


 うなずいて、改めて数字列に目をやる。

 楽譜ということは、五線譜に音符を並べるということなのだろう……けども。

 この数字をどうすれば音符にできるのか想像もつかない。


「リリ、どう思う?」

「楽譜だの演奏だのカノンだのと、暗号文には音楽に関係する単語がいくつもあるから、解読に音楽が関わっているのは間違いないと思う。でも……この数字列を楽譜にする方法は思いつかないね」

「だよねぇ……」


 音階に番号を振って音符を並べたとしても、それが箱を開けるボタンを押す順序とどう関連するのか。

 それに、『英語が読めないのか』『俺が翻訳してやる』という部分が気になる。

 これって、『英語に変換しろ』という意味じゃないだろうか。

 そうリリに言うと、ううん、と唸って数字列とにらめっこを始めた。


「数字を英語……アルファベットに変換する手法は、暗号では非常にポピュラーなものです。ですがその場合、数字は『01』から『26』です。スペースやコンマ、ピリオド、アポストロフィーなどを入れても、せいぜい『30』まで。しかし、この数字列にはそれ以上の数字があります。なので、アルファベット変換ではないと思うのですが……」

「いえ、そうでもないですよ。先輩」


 私の意見を否定しかけた会長に待ったをかけ、リリは紙の余白にペンを走らせていた。


「アルファベットだけでも大文字と小文字で区別するなら『52』まで対応します」

「でも、リリ。『57』や『60』は? やっぱり何かの記号?」

「数字なんじゃないかな。『53』が『1』、『54』が『2』、という感じで並べていけば『62』まで対応できる」

「数字列で数字に変換するの? なんでそんな面倒な……」

「変換後はアルファベットと数字が混在するんだよ。数字だけそのまま使おうとしても、アルファベット変換する数字と区別できないからそういう形になったんだろうね。……で、変換したものがこれだ」


 忙しなく動かしていた手を止め、私と会長に向けて変換後の文章を掲げて見せた。

 ……って、もうできたの? 早すぎない? さすがリリ。


『EGm8D8sus5Bdim』


「これ……和音コード?」


 音楽に関係があるという先入観があったので、なんとなくそう思った。

 リリを讃える歌を作曲しようとギターの練習をしていたときに、簡単なコードはある程度覚えたのだ。けど、『8』や『5』はあまりコードに表記されない数字のような気がする。


神前かんざきさん、『53』は『0』ではないですか? そうすれば数字が一つずつ前にずれて、コードが『マイナーセブンス』や『セブンスサスフォー』になり、一般的に聞くものになります」

「私もそう思う」


 会長の意見にうなずくと、リリは素直に訂正と見やすいようにコード間にスペースを入れたものを書き直した。


『E Gm7 D7sus4 Bdim』


 『ディミニッシュ』なんてほぼ使わないコードが出てきたが、一応見慣れたものになった。

 なったのはいいが、これが答えなのか? ギターか何かでこの通りにコードを弾けば箱が開く?

 いやいや、箱はボタンを押して開けるのだから、これをさらにどうにかして数字に変換する必要があるのだろう。

 ……数字とアルファベットが混じった暗号文を数字に変えて、数字をアルファベットに変えて、また数字に戻して……ホント、心底面倒くさい暗号だなぁ。

 はあ、と無意識にため息が漏れる。


「大丈夫だよ、ミコ。もう解けたも同然だ」


 疲れ始めた私と違って、自信たっぷりなリリの一言。ここまではっきりと言われると本当に大丈夫なのだという気になる。ちっこくて可愛らしいのに、なんとも頼もしい彼女カノジョだ。


「音階は一オクターブで十二音だ。箱のボタンも十二個。つまり、コードを構成している音を数字に置き換えてやれば、一から十二までの数字で構成される数字列ができるというわけだよ。あとはそれを箱に入力してやれば、おそらく鍵が――開く」

「さすがです、リリ様。それじゃあサクッと……」

「いや、その前に問題があるんだ」

「問題……?」


 波に乗った勢いのまま箱を開けてしまおうという流れを断ち切って、リリが深刻そうに言った。

 その雰囲気に飲まれ、私と会長は緊張を漂わせて続くリリの言葉を待った。


「僕は音楽が苦手でね。コードなんて全然わからないんだ」

「…………」


 場の空気が凍りつく。

 簡単なコードは音楽の授業でも習ったじゃない、と言いかけて……さては居眠りしていたなと思い直す。

 リリは他の授業でもよく居眠りしているが、それは授業内容がすでに頭の中に入っているから改めて聞く必要がないのだと思っていた。

 それは私の勘違いだったということか。少なくとも音楽に関しては。


「……リリが知らないことなんてあったんだ?」

「当たり前じゃないか。僕は叡智の女神メーティスでも知恵の女神アナヒットでも弁財天サラスヴァティでもない。ただの女子中学生だよ」


 少し怒ったように頬を膨らませるリリ。さらっと私の知らない名前を並べてくる辺り、ちょっとだけ意地になっているようだ。可愛い。キスしたい。

 万能倉会長がいるので我慢するけど。


「ミコはギターを弾けるよね? コードの音を教えてくれないか」

「もちろん」


 Fコードで挫折したのでギターを弾けるというのは誇張というか誤解だが、コードを構成する音は音楽の授業でピアノを用いて習ったから教えることくらいはできる。


「……あ、でも、コードにどうやって数字を当てはめるの?」

「『ド』の音を『1』にして、順に『シ』まで十二個の数字をあてるだけだよ。初めの『E』は?」

「ええと……『ミ』『ソシャープ』『シ』だから……『5』『9』『12』かな」

「その調子だ」


 嬉しそうに言って、リリは数字をメモした。

 次の『G m 7ジーマイナーセブンス』は――



 ――という具合に、コードを数字に変換した。

 『ディミニッシュ』などという、まずお目にかかれないコードの構成音はさすがにネット検索で調べたが、なんとかできあがった。


「推測通り、上手い具合に十二までに収まったね」


 とメモを掲げるリリ。


『5 9 12 8 11 3 6 3 8 10 1 12 3 6 9』


 合計十五個の『1』から『12』までの数字が現れた。これが答えに違いない。


「では、やってみますね」


 箱を手元に引き寄せ、会長は私とリリに声をかけてから操作を始めた。こればかりは部外者の私たちがする作業ではない。……さっきは私がやってしまったけど。まあ、会長もあの時点では開かないとわかっていたから黙認したのだろう。

 カチ、カチ、とクリック音が、静まり返った部屋に妙に大きく響く。

 しかし……全部で十五個のボタンを押さなければならないなんて思わなかった。間違っても総当たりで解けるような数じゃない。

 ええと……リリに言わせると、十二の十五乗通りになるって話だっけ? 暗算はさすがに無理だから、床に転がっていた電卓を拝借して計算すると――約一けい五千四百兆通り。

 ……想像の埒外らちがいだ。

 そんなことを考えているうちに会長がボタンを押し終えて、レバーに手をかけた。そして再び私とリリに目をやり、レバーを――引く。


「……


 希望が絶望に反転し、私たちは大きな落胆に飲まれた。

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