第7話

 暗号文の後半が示すのは、箱のボタンを押す順番だったのかもしれない。

 それに気がついて、万能倉まなぐら会長も喜んでいる――という気配は一切なかった。ただじっと私とリリを見ているだけで、薄く微笑んだまま表情が動かない。


「とにかく、順番にボタンを押してみようよ」

「そうだね。基点は左下でなければならないから、一つめは『10』だ」


 言われてボタンを押すと、カチ、と小さなクリック音がした。

 次は『1R』だから、右隣の『11』。続いて『2U』で二つ上の『5』……という具合に、最後の『2D』で『9』に辿り着いた。全部でのべ二十九個のボタンを押したことになる。

 これが正解なら、ボタンの横にある勾玉まがたま型のレバーを動かせば蓋が開くはず。


「動かすよ、リリ」


 一言断ってから私はレバーに指をかけ、下に引いた。


「…………」


 。硬い手応えが私の指に逆らう。

 どうやら間違いのようだ。

 それがわかっていたから会長は冷ややかだったのか。多分、すでにクイズ研でこの推測にたどり着いていて、これが解答ではないと判明していたのだろう。

 ……言ってくれればいいのに。


「まあ、僕はこれが正解だとは思ってなかったけどね」


 リリまでそんなことを言い出す。

 それじゃあ「解けたかもしれない!」とウッキウキだった私がただのバカみたいじゃないですか。


「実のところ、クイズ研で同じ発想に至って試してみましたが、そのやり方では開かないことはわかっていました。そのとき、先ほど那須野なすのさんが言った『1D1L1D』が問題になりましてね」

「問題?」

「ええ。『6』から『11』へ移動する際に、なぜわざわざ『12』を避けるような動きをするのか、と。同じように三行目の『2D1L1D』も『12』を避けています。その理由がわからず、ここで行き詰ってしまったのです」


 ため息混じりに言って、会長は困ったように眉をひそめた。

 うむぅ……『12』を避ける理由か……。


「リリ、正解だと思わなかったって、なんで?」

「先輩の言う問題のこともあるけど、後半の暗号文だけで解けるなら、前半の米兵の話はなんだったんだということになる。あんな意味ありげに語っておいて全部がただの無駄話だとしたら、出題者は相当な意地悪か、センスがないと思わざるを得ないね。謎解きを仕掛ける者としてフェアじゃない」

「…………」


 リリの言いようが気に障ったか、会長の表情が変わった。目つき鋭くリリを睨んでいる。

 会長が尊敬する人を貶めるような発言なのだから、当然と言えば当然だろう。私が同じようにリリをバカにされたとしたらブチ切れて暴れる自信がある。


「でもさ、リリ。こんな大掛かりな仕掛けのある箱を用意するような人が、そんないい加減な暗号文を作ったりするかな?」

「ありえないね」


 私の取り繕うような疑問を即否定した。その意図を測りかねた会長が無言で続く言葉を待つ。


「仮にも二十人ものクイズ研会員をまとめる会長になるような人だ。知識も創意も人並み以上にあるはずだよ。だから必ず前半の文章に意味を持たせているに違いないよ。この『米兵の通信』は間違いなく解読のヒントになっている。……そうでしょう、先輩?」

「……ええ。そうですね」


 睨んでくる会長に笑顔を返し、リリはまた暗号文に視線を落とした。

 少なくともリリに先々代会長を貶める意図はないとわかってもらえたのか、少しだけ会長の表情が緩む。

 よかった。変に空気が悪くなってリリが集中できなくなったら、箱を開けるどころではなくなるところだ。暗号解読の主力はリリなのだから、邪魔になるようなことは極力避けてやりたい。

 ……極力避けるといえば。

 いまさらだけど、基本面倒くさがりでやらなくていいことはほとんどせず、隙があれば居眠りしてしまうリリが、なんでこんなにクイズ研の助けになろうとしているんだろう。

 パン無料券という報酬があるから、というのは違う気がする。クイズ大会のクラス代表を決めるときもそうだったが、リリはそれほど無料券に興味を示していない。二十枚という破格報酬にも際立った様子の変化はなかった。

 単に、謎解きに強く興味を引かれただけなのだろうか。


「ミコ? どうかした?」

「え……」


 ぼんやりと考え事をしていたせいか、心配そうに私を見つめるリリに気がつかなかった。

 なんでもないよ、と返し、余計なことを考えている場合ではないと暗号文に目をやる。


「後半の暗号文は箱のボタンを押す手順じゃないのはわかったけど、じゃあ何なんだろうってことだよね。それが『米兵の通信』の内容にあるのかな」

「そうだろうね。ただ、後半の暗号文は四行三列の何かだということは確定していいと思う」

「四行三列……」


 横に三つ、縦に四つ並んだボタンをじっと見つめて、他に何かあるかを考える。

 『1』から『12』が四行三列に並んでいるもの。

 基本的に十進数が使われている中で、十二進数なんて特殊なものを使用するものなんてあるのだろうか。

 ……いや、後半の暗号文は『12』を避ける動きをしていたんだっけ。『10』もスタート地点になっただけで、暗号文内では一度も通過していなかった。

 ということは、左下と右下は使われなくても問題がない……?

 で、真ん中下にひとマスくっついている形のものと言えば――


「テンキー……」


 私の思考を読んだように、会長がぽつりとつぶやいた。

 パソコンのキーボードについているテンキーがちょうどその形をしている。


「リリ、テンキーだよ。それか、電卓」

「いや、それは違う」


 会長と私の思い付きを、リリはすぐに否定した。


「テンキーも電卓も、機種によって『0』の形が違うんだ。僕が自宅で使っているパソコンのテンキーは『1』と『2』の下に横長の『0』がある。そこのデスクにあるキーボードのテンキーは『2』の下が『00』だ。そんな機種差のあるものを暗号文に使うとは思えない」

「でも、暗号を作ったのがクイズ研の元会長なんだから、クイズ研にあるものを前提にしていてもおかしくないんじゃない?」

「パソコンは壊れて買い替えることもあるし、古くなって入れ替えることもある。それでキーボードのキー配置が変わってしまったら解けなくなるよ」

「うぅ……そうかぁ……」


 会長と同じ発想に至ったと喜んだのも束の間、リリの反論で撃沈した。

 そんな私を、リリは少し上目遣いで見つめてくる。


「落ち込むことはないよ、ミコ。おかげでわかった」

「わかった、って……」

「うん。テンキーでも電卓でもない。だってこと」

「電話……?」


 言われてみれば確かに四行三列で同じではあるけれど、『0』以外は並びが上下逆だし、電話に限定する根拠……って。


「そうか、電話のボタンだったら右下と左下が『#』と『*』だから、暗号が示すものが数字だけに限るなら、その二つを避けるのもわからなくないよね」

「そう。それと『米兵より通信』の一文だ。兵隊の通信と言うと無線通信機を想像するけど、僕らの通信手段と言えば携帯電話やスマートフォンを思い浮かべるだろう。そういう意味では『通信』という単語から『電話』を連想するのに無理はなさそうじゃないか。何より、テンキーや電卓と違って、電話のボタン配置はどんな機種でも。暗号に使うにはちょうどいいんだよ」

「なるほど」

「そして左下の『*』は『アスタリスク』という名前だけど、日本じゃ『こめ』と読まれることがある。漢字の『米』に似ているかららしいけれど、暗号文にも『米』があるよね」

「米兵……」

「うん。以上を踏まえると、『米兵より通信』というのは、後半の暗号文の動きを電話のプッシュボタンになぞらえて行えということ。その起点は米兵、つまり『*』より始めるということだ」


 そうリリが話すと、会長がそれに違いないと言わんばかりに何度もうなずいていた。

 それが正解か間違いかは、試してみる他ない。

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