第6話

 パン無料券二十枚とは、これまた豪儀な報酬だ。すべて『三種コロネ』につぎ込めば二万八千円近い価値になる。おなかいっぱい食べるには十分すぎるだろう。

 すごいね、と興奮気味にリリに目をやると――リリは万能倉まなぐら会長から受け取った暗号文を、先ほどクイズの答えを書き連ねた紙を横へ押しやって空いたスペースに置いて、無感情にじっと見つめていた。

 つられて私もそれに視線を落とす。

 暗号文はA4サイズのコピー用紙にパソコンで出力したもので、ゴシック体の文字が並んでいた。


『米兵より通信――

 ひでぇ音楽だ。楽譜どころか英語が読めないのか?

 俺が翻訳してやるから、教本通りにちゃんと演奏してくれ。

 それと、奴はカノンじゃなくアラベスクが一番だと思ってる。

 そこに気をつけないと奴は心を開かないぞ』


 その下に、数字やアルファベットの羅列がある。


『1R 2U 2D 1U1L 2U2R 2D 1U 1D1L1D

1U1D 3U1R 1D 1L2D 2U1L 1R 1L 1D 1U 1R 1U1D 1D1L

1R1D 3U 1R 2D1L1D 3U1R 1D1L 1U1R 2D』


 『米兵の通信』とやらも意味不明なら、この羅列もわけがわからない。

 まあ、暗号だからすぐに意味がわからなくて当たり前なんだけど。


「リリ、何かわかりそう?」

「…………」


 問いかけに応えず、リリはじっと文章を黙読している。

 リリに相手にしてもらえないので、しかたなく万能倉会長に視線を移した。


「会長、これは誰が作った暗号なんですか?」

「二年前のクイズ研会長です。私が入会して一か月くらいだったかしら、これを出題されました」

「え……ということは、二年間この暗号は解かれていないんですか?」

「そういうことになりますね。クイズ研会員総出で解読しようとしているのですけれど、未だ達成されていません」


 ふふ、と自嘲して会長は目を細めた。妖艶、という表現がよく似合う表情だ。


「クイズ研会員のために作られたようですけど、部外者の手を借りるのはいいんですか?」

「時間がありません。なりふり構っていられないのです」

「……時間?」


 どういう意味だろう、と首を傾げる私を、会長はなんとも言い難い顔で見ている。何を考えているのか、その表情からは読み取れない。この様子だと質問しても多分答えてもらえないだろう。


「先輩。先々代の会長から提示されたのは、この暗号文だけですか?」


 とリリ。いいえ、と首を振る会長。


「この箱も一緒でした」


 答えて、戸棚から金庫のような箱を取り出し、机に置いた。

 それなりの重量がありそうな金属製の箱。A4用紙より二回りほど小さく、高さは十センチくらいの直方体だ。

 上面には縁から内側に一センチくらいのところに四角く溝が切られていて、蓋になっているらしいとわかる。上蓋の中央部に小指の爪ほどの大きさの丸いボタンが十二個あり、横に三つ、縦に四つの四行三列に並んでいて、左上から右へ順に『1』『2』『3』、下の段に移って『4』『5』『6』……といった具合に『12』までの数字が刻印されている。

 その横には勾玉まがたまのような形をしたレバーと、四センチくらいの長方形の樹脂製の蓋がある。蓋の下は乾電池が入っている(もちろんそこから箱の中にアクセスすることはできない)と会長が教えてくれた。

 まさに『金庫』という見た目だ。

 おそらく決まった順番にボタンを押してレバーを操作すると箱が開くような仕組みなのだろう。どんな仕掛けになっているのかはさっぱりわからないが、複雑な機械が詰まっているような感じだ。乾電池はその機械を制御するための電源に使われているのだと思う。

 そして、そのボタンの順番が暗号文に記されている、というわけらしい。


「箱の中には何が入っているんですか?」

「それを知りたいのです」


 私の質問に真顔で答える会長。

 そりゃそうだ。我ながらアホなことを訊いてしまった。


「ねえ、リリ。適当にボタンを押しているうちに開いたりしないかな」

「正解の桁数がいくつなのかがわからなければ無理だよ。仮にボタンを押す数が四つだとして、『1111』のような数字の重複を含めると、総当たりで十二の四乗……二万通りを超えるんだよ。五秒に一回試行するとして十万秒、二十七時間以上だ」

「そのくらいならできそうじゃない?」

「正解が四つだったらね。これが五つになると二十五万通りくらいに、六つなら三百万通りくらいになる。試してみるかい?」

「……遠慮しまス」


 押す数が一つ増えるたびにかかる時間も十二倍になるらしいと気がつくと、総当たりの労力を暗号解読に使うほうが一億倍マシだと思ってしまう。


「それにしても、ボタンが十二個って珍しいよね。普通、ナンバーロックなら『0』から『9』になってるものなのに」

「それが暗号を解くヒントになるだろうね」

「うーん……『1』から『12』といえば……時計かな」


 なんとなく周囲を見回すと壁にかかっているアナログ時計が目について、そんなことを思った。


「一年の月の数や黄道十二星座もありますね。干支えともそうです。十二という数字はいろいろなものに関わりがありますから」


 と、会長。言われてみれば確かにそうだ。さっと思いつくだけでも四つあるわけで、深掘りしていくと私の知らないものもいっぱい出てきそうな気がする。

 その中からこの暗号に関係あるものを探すだけでも骨が折れるんじゃないだろうか。

 それとも、暗号を解けばそれが自動的にわかるのだろうか。

 どちらにせよ、暗号文の解読ができなければ話にならないようだ。


「と言っても……この暗号文の意味、全然わかんないし……」

「暗号文の後半、数字とアルファベットの羅列は何かの移動方法ではないか、とクイズ研では推測しています」


 私の独り言に会長が答えた。

 僕もそう思います、とリリが同意する。


「移動方法? 何それ?」

「よく見て、ミコ。この中に出てくるアルファベットは『U』『D』『L』『R』だけだ。何か気づくことはない?」

「んー……。あ、?」

「だと思う」


 言ってリリは、先ほどクイズ大会の解答を書き連ねた紙の端に『アップ』『ダウン』『レフト』『ライト』と走り書きした。


「アルファベットの前の数字は移動する距離なのかもしれないね。例えば、一つめの『1R』は『右へ一つ移動する』というような意味だと思う」

「うん。……それで、何を移動させればいいの?」

「それがわかれば苦労しないよ」

「左様で」


 ちょっとスネたようにぷいと顔をそむけるリリ。その仕草が可愛かったので「スネるなよー」と頭をなでなでしておく。


「仲がいいんですね」

「え? まあ、そうですね」


 リリは私の彼女ですから。と言っていいものやら迷い、誤魔化しつつ会長に愛想笑いを返す。

 私たちの関係を知っているクラス内ならともかく、他人の前でそういう気配を出すのはまずいだろう。百合カップルが多いことで有名なこの女子中学校に在籍しているからと、誰もが百合に理解があると考えるのは傲慢というものだ。


「そういえば、他のクイズ研の会員は? 大会の後片付けで出払っているとか?」

「そうですね。あなたと同じクラスの高清水たかしずや一年生二人が片付けに奔走していることでしょう。私は大会に隠したメッセージに気づいた人を待たなければならないので、こうして部室で控えさせていただいているのですが。会員が私を含めて四人しかおりませんので、生徒会のはからいで人的援助がなければ大会を開くことすら危ういという体たらくで……一昨年は二十人近く会員がいたことを思うと、私の至らなさを痛感するとともに、そのときの会長のすごさをしみじみ感じます」


 はぁ、と申し訳なさそうに息をついて、万能倉会長は苦笑した。

 先々代を尊敬しているのだろう。言葉や表情からそんな感じがする。


「ミコ、おしゃべりもいいけど、考えるのを手伝ってくれないか」


 会長と話していると、リリが不機嫌そうに不満を漏らした。

 自分以外の人と仲良くおしゃべりしていたので、さっきからずっとスネていたらしい。可愛い。


「手伝うのはいいけど、私、リリほど頭良くないよ? 知識もないし」

「ミコには僕にない『ひらめき』がある。それはヒントの乏しい暗号解読ではとてつもない武器になるんだ。今必要なのはなんだよ」

「閃き、ねぇ……」


 暗号文に視線を落とし、考える。


「数字は『1』から『3』までしかないね。移動距離は最大で三つってことかな」

「それも上下だけだね。左右は『1』か『2』までだ」

「ホントだ。うーん……」


 何かを上下左右に移動させるらしいことはわかったが、それがなんなのか。

 『すごろく』のコマを動かす感じで、この通りに動かすと何かの文字や図形が現れるとか。


「リリ、とりあえずこの指示通りに動かしてみるのはどう?」

「何を?」

「何でもいいよ。方眼紙みたいな網目を書いて、真ん中辺りにスタート地点マスを作って、暗号の指示通りにペンを動かしてみれば何かの図形になるかもだし」

「なるほど、いいね。やってみよう」


 私の提案にリリが乗って、会長が用意してくれた方眼紙に暗号文が示す通りにペンを動かしてみる。


「ところで、一行目の最後の『1D1L1D』って、『2D1L』じゃダメなのかな? 一つ下、一つ左、一つ下って動くのと、二つ下、一つ左って動くの、同じじゃない?」

「他にも同じような動きをしているところがあるね。何か意図があるんだろうけど、今はわからないな」


 そんなことを言い合いつつ進めていく。

 ――が。


「文字も図形もないね……」


 どう見てもデタラメに線を引いただけ、同じところを行ったり来たりしただけの結果になり、がっくりと肩を落とした。

 リリや会長も同じく落胆して……いると思ったのだが、二人とも微笑を浮かべていた。


「どうしたの、リリ?」

「お手柄だよ。ミコのおかげで大きなヒント発見だ」

「え? どういうこと?」


 ただの落書きでしかない筆跡をもう一度見る。やはり、ただの落書きだ。


「ペンの移動範囲が左下を基点としたに集約しているね」

「四行三列……って、ひょっとして⁉」


 リリの一言で弾かれるように振り向いて、私は金庫のような箱のボタンに目をやった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る