第39話 花蓮の日常

 俺の判断は正しかった。

 透明のまま駅に向かうと、帰宅途中の花蓮と遭遇した。


 あのまま麻音子たちと歩いていたら見られていた可能性が高い。


 よし、いきなり現れて脅かしてやるか。


 そんないたずら心が生まれる。

 しかし人目の多い駅前でいきなりそんなことをすれば騒ぎになるかもしれない。

 それにこの辺りにまだ重森たちがいたら、花蓮にも迷惑がかかる。


 俺は消えたまま花蓮の隣を歩いていた。

 一人きりの花蓮は当然ながら完全に素の姿だ。

 俺の前で怒ったり笑ったりする姿も愛らしいが、気を抜いた素顔もなかなか愛らしい。


 電車はそれなりに空いていたが、途中から混み始める。


「どうぞ」


 花蓮は目の前のおばあさんに席を譲る。


「あら、ありがとう」


「いえいえ」


 ツンツンしたところもあるが、根は優しい女性である。

 そんな姿を見て、なぜだか誇らしい気分になってしまった。


 電車を降りた花蓮は商店街を通り抜けて家へと向かう。

 もう少し見ていたくて、つい隠れたまま尾行してしまっていた。


「わっ、美味しそう……」


 パン屋の前で立ち止まり、ガラス越しにマロンクリームのかかったパンを見つめていた。


 買うべきか、やめておくべきか迷っているのだろう。


 ふと花蓮は自らの腹部に手を当て、肉をぷにっと摘んで悲しげに首を振った。

 どうやら体型を気にして諦めたらしい。


「買えばいいだろう」


「わっ!? し、司波くんっ!? いつの間に!?」


 不可視を解いていきなり現れた俺に相当焦っていた。


「気にすることはない。花蓮は別に肥えてないのだから、少しくらい食べても問題ないと思うぞ」


「はあぁぁぁあ!? 見てたの!?」


 花蓮はみるみる顔を赤らめ、目を怒らせていく。


「あ、いや、そのっ……たまたま目に入ったというか……」


 重森と対峙していたときより、よっぽど緊張してしまっていた。


「最っ低! ふんっ!」


「待て待て! 今買ってくるから機嫌を直せ!」


 慌ててマロンクリームのパンを二つ購入する。


「なんで二つも買うのよ。そんなに食べないし!」


「いや、ほら、一つは俺のだ。花蓮といっしょに食べようかと」


「私と食べたいんだ? ふぅん。まあいいけど」


「飲み物買ってくる」


 自販機に行こうとしたらパスっと手を掴まれた。 


「飲み物くらい、う、家にあるし」


「花蓮の家で食べるのか? 親御さんに迷惑なんじゃないのか?」


「だからうちの親は司波くんならいつでも大歓迎だって」


「そうか。じゃあお言葉に甘えて」




「あらー! 大我くん、いらっしゃい!」


 花蓮の言う通り、母君は満面の笑みで歓迎してくれた。


「髪を切って更にイケメンになったんじゃない? なんか身体つきも逞しくなってきたし!」


「は、はぁ」


 母君は俺の二の腕やら胸板に触れてくる。


「ちょっと、ママ。触らないでよ! 司波くん引いてるでしょ!」


「花蓮はいつも学校で会ってるからいいでしょ。ママはたまにしか会えないんだからね」


「私だって身体なんて触ってないし」


「あらそうなの? てっきり触り合ってるのかと思ってたわ」


 母君にニマーっとされ、花蓮は顔を赤らめる。

 俺も流石に顔が熱くなった。


「もうっ! 変なことばっかり言わないで! 行こう、司波くん」


「お、おう」


 花蓮の部屋に入ったあとも、なんだか変な空気が残っていた。


「ママは馬鹿なことばっか言うんだから。ごめんね」


「いや、まぁ……面白い母上だな」


 花蓮はチラチラと上目遣いに俺を見る。


「なんだ?」


「いや、確かにママが言う通り、司波くんってちょっと逞しくなったよね」


「まあ鍛えたからな」


「そ、その……触ってもいい?」


「ま、まあ、少しくらいなら構わん」


「じゃ、じゃあ……失礼します」


 花蓮は目を異様な光で爛々とさせ、俺の二の腕を触る。


「わぁ……カチカチ。すごい……胸も背中も……おおっ! 太もももすごい」


「お、おい。下半身はあんまり触るな」


 他のところまでガチガチになってしまいそうだ。


「実は花蓮に謝らなくてはならないことがある」


「なに、改まって?」


「さっき下校中に重森という三年に絡まれてな。喧嘩しないという約束を破ってしまった」


「重森先輩とっ!? 大丈夫だったの!?」


「ああ。問題ない。しかしこれからも向こうから絡んでくるだろう。そうなれば俺も反撃しないわけにはいかない」


「そうなんだ……」


 花蓮は悲しそうに目を伏せる。

 悲しませるのは忍びないが、俺も降りかかる火の粉は払わなければならない。


「俺は絶対に負けない。心配するな」


「ごめんね……司波くん」


「なぜ花蓮が謝る?」


「だって……司波くんが重森先輩に目をつけられたのは、多分私のせいだから」


「どういうことだ?」


 花蓮は伏せていた目を上げて俺を見る。

 長いまつ毛が涙で少し濡れていた。


「入学してすぐ、重森先輩にコクられたの。もちろんすぐに断ったよ。全然タイプじゃないし、そもそも知らない人だし」


 花蓮は俺をチラッと見て、すぐに視線をそらす。


「とにかく断ったの。それからしばらくしたら、急に司波くんがイジメられはじめて……」


「なんで花蓮にフラれて俺を攻撃するんだ?」


「分からない。でも司波くんと私が仲良くしていたからかもしれない」


「そんな理由で? どれだけ下らない男なんだ、あいつは」


 トロールみたいな風貌のくせに嫉妬深くて情けない奴だ。



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 重森と花蓮の意外な接点が明らかに。

 そしてシュバイツァー様の怒りも頂点に!




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