第27話

 枯野は淡雪との距離を詰めようと膝を曲げ、足に力を入れた。地面を蹴って飛び出そうとするとき、淡雪の目の前に八重霞と白露が立ち塞がる。八重霞は肩にかかった髪を背中の方へと流しながら、妖艶な微笑みを浮かべていた。白露の方は無表情を浮かべて感情が読み取れない。


「あら、とってもいい男じゃないの。あなたのお相手はあたしよ」

 にんまりと艶やかに紅が塗られた唇に指をあて、八重霞は枯野に言う。枯野は目の前に現れた邪魔者にさぞ鬱陶しそうに舌打ちをした。

「どけ、ババァ。オレの相手は淡雪や、お前らやない」

「ババァって。白露、あたしはババァじゃないわよね?」

「妖の年齢は人と違いますし……」

 八重霞と白露の様子に枯野は歯をむき出しにして叫んだ。

「だからどけや!! お前らじゃオレの相手にならんわ」

 枯野の言葉に怯えるどころか、八重霞は勝気な笑みを作る。

「本当にそうかしらね?」


 ***


「淡雪、お前の相手はワシじゃ。やくざを舐めとったら死ぬぞ」

 凍雲は五十を過ぎた男だが、体格は昔のままだった。鍛え上げられた肉体は服の上からでも存在を主張している。握られた拳は通常の男性よりも何倍も大きかった。

 子どもの頃はそんな父が恐ろしくてたまらなかった。だが、今は。

「僕は負けへん」

 暁闇に回していた腕をおろし、真っ直ぐに父を見る。


 がはは、と凍雲は笑い声をあげると淡雪の顔をめがけて拳を振り下ろした。体に受けた傷は少しずつ回復に向かっている。先ほどよりも動かしやすくなったが、攻撃を避けるのにいっぱいだ。

「そんな調子でワシとやり合えると思ってんのかぁ!」

 懐から取り出した小刀を淡雪めがけて斬りつけようとした。

「僕は一人で戦うなんて言うてないよ」

 金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響く。凍雲の小刀は暁闇の刀に遮られ、淡雪の体に触れることはなかった。衝撃で小刀は凍雲の手から離れて宙を舞い、地面に突き刺さる。


「一人やろうが二人やろうがワシには関係あらへんなぁ」

「ホンマにそうやろか? 暁闇、目瞑ってて」

 淡雪はにぃっと笑うと空に向けて指を立てた。そして指を振り下ろし、凍雲を指す。空が破れるような音が響くと目の前に激しい光が現われた。人の身である凍雲は、落ちた雷の光を直視することが出来ず、顔を手で覆い隠す。


「目くらましか」

 凍雲は覆い隠していた手を下げると淡雪めがけて走り出す。ぼうっと立っている淡雪めがけて殴りかかるが、手ごたえはなかった。見えていたはずの淡雪の姿はぐにゃりと曲がり、雪が溶けるように消え去る。

「こっちやで」

 凍雲が振り返ると意地の悪い笑みを浮かべた淡雪が立っていた。さっきよりも強い力で殴りつけるが、やはり拳は空をきるだけだ。

「幻覚か……」

 凍雲の目には淡雪が複数人映っていた。闇雲に殴りつけても仕方ない。どれかが本物のはずだが、と思っていたが淡雪は全て消えてしまう。何故だと思った時にはもう遅く、凍雲の腹を暁闇の刀が横一文字に斬っていた。死ぬほどの傷ではないと本能で悟ったが、激しい痛みが腹部を襲いかかり、立っていられなくなった凍雲は地面に膝をつく。

 目の前にいた淡雪が消えたのは、斬りつけられたことで幻覚の術が解けたのだと凍雲は思った。


「捕獲!」

 よく通る八重霞の指示でわあっと岡っ引きらが組の者達を捕らえていく。凍雲や枯野も例外ではなく、後ろ手に縄で縛られ自由を奪われていた。枯野は呆然とした表情を浮かべており「何でオレが負けるんや」としきりに呟いている。一方の凍雲は何も言わずただ黙って険しい表情を浮かべて淡雪とじっと見つめていたのだった。

 そのまま凍雲組の者らは、奉行所に連れて行かれることになった。


「淡雪だいじょうぶ?」

 小走りにやってくる小夜を見るなり、淡雪は彼女を抱き締める。ふわりと石鹸の香りが鼻孔をくすぐった。

「小夜ちゃんが来てくれてホンマに助かった。もし、小夜ちゃんがおらんかったら僕は心が折れてもうて組に戻ってたかもしらん。ありがとう」

 壊れてしまいそうなほど細い体を傷付けないように、淡雪は優しく抱き締める腕に力をこめた。


「わたしね、淡雪が用心棒を辞めてからずっと寂しかったの。心のどこかでいつもあなたを探してた。いつの間にかあなたの存在がわたしの中で大きくなってたんだ、って思った。わたしは……淡雪が大好きだよ」

「大好きか……僕は小夜ちゃんを愛してるけどな」

 からかうように言うと小夜はくすりと笑った。

「あら、わたしもだよ?」

 淡雪は小夜の顔を覗き込む。かけがえのない彼女の屈託のない笑顔があった。


「今は助っ人で暁闇が雪月花の用心棒をしてくれているけど、岡っ引きの仕事もこれから忙しくなりそうだしね。新しく用心棒を雇わなきゃなぁ」

 上目遣いで淡雪を見る小夜に優しく微笑みかけて彼は言う。

「なら僕がやらせてもらいます」


 ***


 客が去って行った雪月花の店内では、小夜と淡雪、そして暁闇が座って話していた。奥の方から村雨が食器を洗う音が聞こえてくる。


「あの後、凍雲は朱宮に送還されたよ。茜隊が調べたところでは、違法薬物の売買、売春、人攫いと挙げたらきりがないほどの罪が出てきたらしい。一般市民にも大きく影響を与えていた部分から凍雲は特別犯罪者として政府管理の刑務所送りだよ。その一生を牢の中で過ごすことになりそうだ」

 湯呑を両手で掴みながら暁闇は言った。黙って聞いていた淡雪は、自身の父の結末に頷く。

「まぁ妥当かな、死罪でもええくらいやけど」

「凍雲組は解散命令が出されたから、残りの組員を中央の役人が探し回っているらしいよ」

「枯野はどうなったんやろう?」

「中央刑務所で服役することになったらしい」

 淡雪はふうんと返事をしながら、枯野が牢で大人しく過ごすとは思えないななどと思ったが、晴れて一般人となった自分にはもう関係のないことだと思うことにした。


 凍雲の逮捕から数週間が経った今、淡雪の生活は大きく変わっている。

 雪月花の従業員兼用心棒として働くことになった淡雪は、小夜と村雨と一緒に暮らしていた。淡雪の母である紫電も住まないかと誘ったが、山の暮らしが性に合っているからと断られたのである。彼女は今もひっそりと人気のない山の中で暮らしている。


「それにしても淡雪、お前割烹着が似合うようになってきたな。最初は似合わなさ過ぎて笑い転げたものだが」

 暁闇が指差したのは、淡雪が制服として着ている割烹着だ。まだ料理の修行中である彼は、よく着物を汚すので村雨から贈られたのである。最初の頃は、醤油やら味噌やらを割烹着につけて小夜に怒られていたが、今は白いままを保つことが出来ている。成長したな、と白い割烹着を見るたびに思うのだった。


「それにしても淡雪が小夜さんに婿入りか~」

 暁闇が悔しそうに言うなか、小夜と淡雪は顔を見合わせて笑い合う。

「小夜さん、こいつが嫌になったらいつでも俺のところに来るといいよ!」

「アホ抜かせ、そんなこと起こるわけないし起こさへん。というか飯食ったならさっさと出ていけお邪魔虫め。これから僕と小夜さんは新生活の準備せなあかんのや」

「もしかして雪月花が夜の営業を休んでいるのもそれが理由なのか?」

 淡雪に背中を押されながら店先に出されていく暁闇。

「そうや、部外者には関係ないやろ。ほら出てけ、出てけ」

 暁闇を雪月花の店外に投げ捨てるように出すと、ぴしゃりと扉を閉めた。


「さて今日は布団屋に行くんやったか」

「うん。二人だと一人用は狭いもんね」

 小夜が言うと、淡雪はにやりと笑って顔を近付けて囁く。

「僕は小夜ちゃんを近くに感じながら寝れるからこのままでもええけど?」

「ちょ、ちょっと淡雪」

 後ろから抱き着くようにして腕を回す淡雪。彼がいつも吸っている煙草の甘い匂いがふわりと漂った。

「二人分の布団買ってもまた新しいの買わなあかんかも」

「どうして?」

「思ったより早く家族が増えるかもしらんやん?」

 意地の悪い微笑みを浮かべる淡雪に小夜は恥ずかしがって顔をそらす。


「そんな恥ずかしいこと言わないで!」

「おお、夜の時と同じくらい顔が赤いでぇ」

 村雨が食器を洗う音に混じって乾いた破裂音と男の悲鳴が聞こえた。

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